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Date: 7月 4th, 2015
Cate: 新製品

新製品(その14)

あのころは新製品が出るたびに、かなりわくわくしていた。
まだ学生で自由になるお金はほとんどなかった。
それでも目標だけは大きかった。

社会人になれば、そう遠くないうちに買えると思っていたからだし、
実際に当時憧れていたオーディオ機器は、頑張れば買えない価格ではなかった。

ステレオサウンドの新製品紹介のページを読んでは、
目標が少し変ったり、また元に戻ったりということがあった。

そんなふうに読んできた申請非紹介のページだったが、
いつのころからか、こちらの読み方が変ってきた。

変ってきた理由のひとつには、ステレオサウンドで働いていたことも関係している。
でもそれだけではない。

すべての新製品をそういう視点で見ているわけではないが、
いわゆる話題の新製品、そのブランドのトップクラスの新製品、
それから超高額といえる新製品が出た時には、
これらはいったい何年使えるのだろうか、とふと思ってしまうようになっていた。

スピーカーシステムで、ペアで一千万円前後するモノがある。
そういったスピーカーが、仮にいい音を聴かせてくれたとしよう。
けれど、それはいったい何年使えるのか。

ここで使えるのか、という意味は、
新製品として登場した時点での最先端にあったであろう音は、
数年後には最先端ではなくなっていることが多い。
それは仕方のないことなのだが、毎日、そのスピーカーで音を聴いてきて、
10年、20年、30年……と使っていけるのだろうか、という意味でだ。

この新製品のモノとしての「耐久性」はいったいどの程度なのか。
このことを、高額なオーディオ機器に対しては冷静に判断するようになっていた。

Date: 7月 3rd, 2015
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

ブラインドフォールドテスト(その2)

2ちゃんねるのステレオサウンドのスレッドでリンクされていた個人のサイトには、
ステレオサウンドは172号で初めてブラインドフォールドテストを行った、と書いてあった。

172号のアンプの試聴が、ステレオサウンド初めてのブラインドフォールドテストではない。
それ以前にも数回行ってきている。
調べればすぐにわかることなのに、調べもせずに書く。

その1)で書いた、
172号のブラインドフォールドテストに参加しなかったから小野寺弘滋氏は信用できないという人、
この人も調べればすぐに分ることなのに調べもせずに書いている。

このふたりが同じ人なのか違う人なのか、
2ちゃんねるは匿名の掲示板だからわからない。
おそらく違う人だろうが、
ブラインドフォールドテストが絶対で、
ブラインドフォールドテスト以外の試聴は信用できない、と主張する人たちの中に、
このふたりのような人がいるのだろうか、と思ってしまう。

わずかなサンプルだから、
ブラインドフォールドテストを支持する人、もっといえば絶対視している人が、
すべてそうだとはいえないことはわかっている。

けれどブラインドフォールドテストにはブラインドフォールドテストゆえの問題点もあり、
通常の試聴(オープンテスト)よりも、その結果が信頼できるわけではない決してない。

ブラインドフォールドテストは、何をテストしているのか、誰をテストしているのか、
この点が曖昧になってしまう。

Date: 7月 3rd, 2015
Cate: 瀬川冬樹

バターのサンドイッチが語ること、考えさせること(その2)

瀬川先生がバターのサンドイッチをつくられていたころといまとでは、
入手できるバターの数はそうとうに多くなっているであろう。

高級食材を扱うスーパーもいくつかあるし、
インターネットでの通販もある。
バターの選択肢は、どの程度かはわからないけれど、確実に増えている。

瀬川先生が生きておられたころ、
いまのようにオーディオ・アクセサリーはそれほど登場していなかった。
ケーブルにしても、こんなにもメーカーの数が増え種類も増えるとは思えなかったし、
その他のアクセサリーに関してもそうだった。

いまアクセサリーの選択肢は相当に増えている。
そのこと自体はけっこうなことといえるだろう。

選択肢が増えたことで、
オーディオの想像力の欠如が少しずつ浮び上ってきているように感じてもいる。

Date: 7月 3rd, 2015
Cate: オーディオの「美」

美事であること(50年・その1)

50年を半世紀ともいう。
私も半世紀ちょっと生きている。

ステレオサウンドも来年秋、50年(半世紀)を迎える。
このことはステレオサウンドが創刊されたころ、
すでに世の中に登場していたオーディオ機器も半世紀を迎えるということでもある。

例えばマランツのコントロールアンプ、Model 7も登場して50年以上経っている。
いまもModel 7で聴いている人は少なからずいる。

いまもコンディションのいいModel 7は高値で取り引きされている。
高値で取り引きされているからコンディションがいいわけでは決してないのだが、
そういうコンディションのModel 7も高値がついていたりする。

50年(半世紀)経っているわけだから、
新品を購入し、どれだけ大事に使ってきたとしても、メンテナンスは必要である。
どんなメンテナンスを施されてきたのかでも、コンディションは変ってくる。

いま現在、どれだけきちんとしたコンディションのModel 7があるのか、
はっきりとしたことはわからないけれど、
そういう状態にあるModel 7が、その語、登場した数多くのコントロールアンプよりも、
優れているところを持っているからこそ、いまも愛用する人がいるわけだ。

つまりModel 7は50年生き残っている。
Model 7だけではない、他にも50年生き残っているオーディオ機器がある。

Date: 7月 2nd, 2015
Cate: 老い

老いとオーディオ(余談・その6)

ウエスギ・アンプのU·BROS3とマイケルソン&オースチンのTVA1で、
女性ヴォーカルを聴いたとする。
どちらのKT88プッシュプルアンプが、情感をこめて鳴るだろうか。

この項の(その1)で引用した上杉先生の発言のように鳴ってくれるだろうか。

私は、この対照的なふたつのKT88プッシュプルアンプを最初に聴いたときは、
TVA1の方が、より情感のこもった歌が、そこで鳴ってくれる、聴けると感じていた。

だから疑問のようなものを感じていた。

上杉先生は、ステレオサウンド 60号で、
《恐らく歌手があなたにほれているという歌を歌うとすると、それは全身ほれているような感じにならないといかんと思うんです。全身ほれるということになれば、もっと極端なことを言うと、女性自身に愛液がみなぎって歌うときがこれは絶対やと思います。そういう感じで鳴るんですよ》
といわれているのは、
おそらく自宅でマッキントッシュのXRT20をご自身のアンプ、
つまりウエスギ・アンプで鳴らされた場合の音について語られているのだから、
上杉先生にとっては、ウエスギ・アンプは、つまりはそういう音で鳴ってくれるわけだ。

だが、私にはTVA1の方がそういう音で鳴ってくれるように感じていた。
いま思うと、そのときの私は若かった。
恋愛の、男女関係のくさぐさな経験があったわけではなかった。

そんな「若い」聴き手の耳にはTVA1の方が、よりそう聴こえた面もあることに、
いまは気づいている。

そのことに気づかさせてくれたのは、
グラシェラ・スサーナの歌う「抱きしめて」だった。

Date: 7月 1st, 2015
Cate: 老い

老いとオーディオ(余談・その5)

ウエスギのU·BROS3とマイケルソン&オースチンのTVA1は、
KT88のプッシュプルアンプということで比較しがちだが、
確かにこのふたつのKT88のプッシュプルアンプは比較してみることが興味深い。

シャーシーは、TVA1はクロームメッキ、U·BROS3はアイボリーといったらいいのか、塗装仕上げである。
そのシャーシーの上にトランス、真空管が配置されるわけだが、
その配置もU·BROS3は四本のKT88を前面に横一列に並べている。
KT88の後方に電源トランスと出力トランスが、これまた横一列に並んでいる。
電圧増幅管はトランスの後に控えている。

TVA1は出力トランスと電源トランスをシャーシーの両端に振り分けている。
真空管はシャーシー中央に集められている。
手前から電圧増幅管、出力管と縦二列で並ぶ。

入出力端子も配置も対照的だ。
U·BROS3ではシャーシー後部にある。シャーシー前部にあるのは電源スイッチ。
TVA1ではシャーシー前部に電源スイッチの他に入出力端子を配置している。

U·BROS3は左右対称に整然と主要パーツを配置している。
TVA1は電源トランスを左右独立させ二電源トランスであったならば、ほぼ左右対称のコンストラクションとなるが、
電源トランスはひとつで、そこには電源の平滑コンデンサーが二本立っている。
二列の真空管も、よく見ると出力トランス側にやや寄っている。

出力トランス(二つ)と電源トランス(一つ)、
計三つのトランスが使われているのはU·BROS3もTVA1も同じだが、
U·BROS3はラックス製のケースにおさめられたトランス、
TVA1は巻線のところにクロームメッキのカバーをつけただけで、コアは露出したまま。

こういった外観の違い以上に内部の配線は、もっと対照的といえる。

Date: 6月 30th, 2015
Cate: オーディオの「美」

美事であること

素晴らしい、という。
素晴らしい音、素晴らしいスピーカー、そんな使い方をする。

これまで素晴らしいに関して、何の疑問も感じていなかった。
けれど別項の「素朴な音、素朴な組合せ」を書き始めて、
素朴、素晴らしいに共通する「素」の原意を辞書でひくと、
素晴らしいがなぜ、素晴らしいと書くのかがわからなくなってくる。

素晴らしいの意味は、どう書いてあるのか。
大辞林には、こう欠いてある。

(1)思わず感嘆するようなさまを表す。
 (ア)(客観的評価として)この上なくすぐれている。際立って立派だ。「—・い眺望」「—・いアイデア」
 (イ)(主観的評価として)きわめて好ましい。心が満たされる。「—・い日曜日」「—・いニュース」
(2)程度がはなはだしいさまをいう。
 (ア)現代語では,多く好ましい状態について用いられる。驚くほどだ。「—・く広い庭園」「—・く青い空」
 (イ)近世江戸語では,多く望ましくないさまをいうのに用いられる。ひどい。「此女故にやあ—・い苦労して/歌舞伎・与話情」

意外だったのは、近世江戸語では、多く望ましくないさまをいうのに用いられる、とあることだ。
それがいつしか誤解され、現在のような好ましい意味で使われるようになったらしい。

とはいえ、素晴らしいと使うのをやめるべきとは思わないけれど、
以前以上に、素晴らしいと使うことに抵抗を感じるようにはなっている。

となると、素晴らしいではなく、なんと表現するのか。
美事(みごと)を使おう。

みごとは見事と書く。
大辞林で「みごと」をひくと、見事・美事の両方が載っているが、
美事は当て字である、と書いてある。

この当て字がいつから使われるようになったのかは知らない。
けれど、オーディオこそ「美」であると考えれば、
私は、いまのところ素晴らしいよりも美事のほうが、オーディオがどういうものかを深く表していると思っている。

Date: 6月 30th, 2015
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

ブラインドフォールドテスト(その1)

友人からのメールに、
「2ちゃんねるのステレオサウンドのスレッドが伸びているぞ」とあった。

ステレオサウンドのスレッドがあるのは知っているけれど、
あまり書き込みがなされていないから一ヵ月に一度くらいのアクセスで十分だった。

それが今日は、友人のメールにあるように書き込みが多い。
ステレオサウンドの最新号は約一ヵ月前に出ているから、
そのことが話題になっているのではなく、ブラインドフォールドテストが話題になって伸びていた。

2ちゃんねるのステレオサウンドのスレッドでは、ブラインドテストとあるが、
正確にはブラインドフォールドテストと書くべきである。

一般的な試聴、つまり目の前に試聴機種を置くやり方は先入観がはいるため信用できない。
信用できる試聴はブラインドフォールドテストだけである、というのは、かなり以前からいわれていることだ。

今日、2ちゃんねるのステレオサウンドのスレッドを読んでいて気づいたことがある。
ステレオサウンドは2009年9月発売の172号で、ひさしぶりにアンプのブラインドフォールドテストを行っている。
これについての書き込みもいくつかあった。

このブラインドフォールドテストに参加したのは柳沢功力氏と和田博巳氏。
ブラインドフォールドテストのみを信用できると信じきっている人は、
だから、ステレオサウンドの筆者でこのふたりだけが信用でき、
ブラインドフォールドテストから逃げた小野寺弘滋氏は信用できない、とある。

それにしても……、と思ってしまう。
172号の編集長は小野寺弘滋氏である。
小野寺氏がオーディオ評論の活動を始めたのは2011年からである。

小野寺氏は逃げたわけではない。
編集者だったのだから。

こんな簡単なことを確認すらしない人が、
ブラインドフォールドテストこそが……、と主張することのおかしさを感じてしまう。

Date: 6月 29th, 2015
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(UREI Model 813の登場・その5)

「SOUND SPACE 音のある住空間をめぐる52の提案」での瀬川先生の提案が印象につよく残っている理由は、
ひとつではない。

四畳半という狭い空間でも、広い空間で味わえるスケール感のある堂々とした響きを、
なんとか再現したい、という瀬川先生の意図、
押入れを利用した平面バッフル、
それに取りつけられるアルテックの604-8Gと515B。

このふたつだけでも非常に興味深い記事である。

けれど、瀬川先生の提案はそれで終っているわけではない。
組合せも提示されている。

アルテック604-8Gを平面バッフルに取りつけ、
それを鳴らすアンプはコントロールアンプがアキュフェーズのC240、
パワーアンプはルボックスのA740である。

アナログプレーヤーはリンのLP12にSMRのトーンアーム3009 SeriesIIIにオルトフォンのMC30。

このアンプとアナログプレーヤーの選択は、ジャズを604-8G+平面バッフルで聴くためのモノではなく、
明らかにクラシックを聴くための選択である。

記事中では音楽についてはまったく触れられていない。
それでも、瀬川先生の組合せをつぶさにみてきた者には、
書かれてなくともクラシックを、四畳半でスケール感のある堂々とした響きで聴くためのモノであることは、
すぐにわかる。

そうか、クラシックを聴くための組合せなのか……、とおもう。

HIGH-TECHNIC SERIES 4での604-8Gの試聴記では、こう語られている。
     *
このような大きなプレーンバッフルに付けて抑え込まないで鳴らしてみると、明るさがいい意味で生きてきて朗々と鳴り響き、大変に心地よいサウンドとして聴けるわけですね。ただ、クラシックに関しては、ぼくにはどうしてもスペクタクルサウンド風に聴こえてしまって、一種の気持ちよさはあるんだけれども、自己主張が強すぎるという感じもします。
     *
同じことはUREIのModel 813についても書かれている。
にも関わらず、ここでのこの組合せである。

Date: 6月 28th, 2015
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その5)

オーディオの想像力の欠如が硬直化を生むのは、
それぞれの役割を正しく認識していないせいで、化学変化がおこらないからだろう。

Date: 6月 28th, 2015
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(UREI Model 813の登場・その4)

「SOUND SPACE 音のある住空間をめぐる52の提案」という別冊が、
1979年秋、ステレオサウンドから出ている。

夢のような住空間の提案もあれば、現実に即した提案もあった。
編集経験を経て読み返せば、この本をつくる労力がどのくらいであったのかがわかる。

ブームにのっただけの、体裁をととのえただけのムックを何冊も出すよりも、
これだけの内容のムックを、数年に一冊でいいから出してほしい、と思うわけだが、
同時にもう無理なことであることも承知している。

52の提案の中に、瀬川先生による提案がいくつもある。
その中のひとつに、
「空間拡大のアイデア〝マッシュルーム・サウンド〟」がある。

見かけは四畳半という狭い空間でも、屋根裏の、いわばデッドスペースとなっている空間を利用することで、
小空間でも堂々とした響きを得たいとテーマに対しての瀬川先生の提案である。

その本文には、こうある。
     *
 そもそも、スケール感のある堂々とした響きというのは、どういう音のことなのでしょうか。それは第一に、その音楽が演奏された空間のスケールを感じさせる、豊かな残響感の美しさにあります。そして次に、その音楽を下からしっかりと支える中低域から低域にかけての充実した響きが大切です。この目的を実現するための再生側の条件として、瀬川氏は空間ボリュウムのスケールと大型の再生装置(特にスピーカー)が必要だとされます。
     *
スケール感のある堂々とした響きを得るための大型の再生装置──。、
この提案で瀬川先生が選ばれたスピーカーはJBLの4343、4350、
他社の大型フロアー型スピーカーシステムではなく、
アルテックの604-8Gを平面バッフルにとりつけたモノだった。

つまり四畳半に平面バッフルを、いわば押し込む。
四畳半だから2.1m×2.1mのサイズでは、物理的に入らない。
ここでの提案では、幅1.3m・高さ1.75mの平面バッフルである。

2.1m×2.1mのサイズの約半分とはいえ、かなり大型の平面バッフルに604-8G、
さらに低域の量感を充実をはかるために515Bウーファーをパラレルにドライヴすることも提案されている。

Date: 6月 28th, 2015
Cate: オリジナル

オリジナルとは(モディファイという行為・その4)

CDプレーヤーのヘッドフォン端子への配線を取り外すのは可逆的ではあるが、
これも誰がやっても必ず可逆的であるかというと、決してそうとはいえない。

ヘッドフォン端子への配線を取り外すことで音が変化するのは、
CDプレーヤーの筐体内には、さまざまな高周波ノイズが飛び交っている。

井上先生はデジタル機器では、ひとつひとつのIC(LSI)が小さな放送局だといわれていた。
消費電力の大きいLSIは、出力の大きな放送局ともいえるわけで、
それだけ不要輻射も大きくなると考えていい。

つまりCDプレーヤーは自家中毒を起しているとも考えられる。
自分が輻射しているノイズに影響を受けているわけだから。

そんな不要輻射を、ヘッドフォン端子への配線がアンテナとなって拾ってしまう。
ヘッドフォン端子への配線を取り外すことは、CDプレーヤー内部のアンテナ、
それももっとも長いアンテナをなくすことにつながる。

ヘッドフォン端子への配線が最少限の長さであれば、
取り外した後無造作に元に戻したとしても、
元の状態と配線の引き回しの仕方が大きく変化することはない。

けれどある程度余裕のある長さであれば、
元と同じ引き回しの状態に戻さなければ(戻せなければ)、可逆的とはいえなくなる。

可逆的な非可逆的かは、既製品に手を加える人によって、その境界が変動するものであり、
絶対的な可逆的な、既製品への手の加えるという行為はそう多くはない。

Date: 6月 27th, 2015
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(UREI Model 813の登場・その3)

瀬川先生が、サンスイのショールームでかけられた二枚のシェフィールドのダイレクトカッティング盤は、
《ザ・キング・ジェームズ・バージョン》と《デイブ・グルーシン/ディスカバード・アゲイン》。

記事には、《ザ・キング・ジェームズ・バージョン》を聴き終ったところで拍手がおこった、とある。
しかも、誰かが「おみごと!」と口走ったとも書いてある。

シェフィールドのダイレクトカッティング盤をきちんと鳴らした音を一度でも聴いたことのある人ならば、
どういう音が、この時鳴っていたのかが伝わってくる。

シェフィールドのダイレクトカッティング盤の音は、
604-8Gを平面バッフルに取りつけた音を最高に活かしてくれる(発揮してくれる)。

良質のダイレクトカッティング盤のもつ爽快さは、
他ではなかなかというよりも、まず得られない良さである。

いまアナログディスク・ブームといわれているし、
もうブームではない、完全な復活だ、ともいわれているが、
ダイレクトカッティング盤の音を聴いたことのない人たちが、いまでは多いように思う。

私は、アナログディスク・ブーム、アナログディスクの復活には異論があるが、
それでもこれから先、ダイレクトカッティング盤全盛時代の、
シェフィールドやその他のレーベルから登場した良質のダイレクトカッティング盤に匹敵する、
そういうレベルのダイレクトカッティング盤が登場してくるのであれば、
アナログディスクの復活はホンモノだといえよう。

サンスイのショールームで、
2.1m×2.1mの平面バッフルに取りつけられた604-8Gで、
シェフィールドのダイレクトカッティング盤を聴けた人たちは幸運といえる。

HIGH-TECHNIC SERIES 4の「大型プレーンバッフルの魅力をさぐる」は、
当日に参加された50数名の人たち全員に感想をきいて、その一部が記事になっている。

それを読んでも、604-8Gの音が圧倒的であったことがうかがえる。
記事にもアルテックに《よほど強い印象を受けられたのだろう》とある。

Date: 6月 27th, 2015
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その4)

オーディオの想像力の欠如も、
タキトゥスの言葉がいまも通用する理由のひとつになっている。

Date: 6月 27th, 2015
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(タキトゥスの時代から……)

《真実は調査に時間をかける事によって正しさが確認され、
偽りは不確かな情報を性急に信じる事によって鵜呑みにされる。》

タキトゥスの言葉だ。
タキトゥスが生きていた時代からずっとそうだったのか、と思ってしまう。

《新たな情報を得たときには、確認という聖なる儀式が済むまで鵜呑みにしてはならない。》
ヴォルテールも同じことを言っている。

いつの時代も、どの国でも変っていない。

タキトゥスの時代よりもヴォルテールの時代の方が情報の伝達は速かった。
ヴォルテールの時代よりも現代はもっともっと速くなっている。

速くなればなるほど比例して量も増えていく。

現代はヴォルテールの時代よりも、タキトゥスの時代よりも、
鵜呑みにしてしまう時代ともいえる。

オーディオ雑誌、つまり出版物は、
どんなにがんばってもインターネットのレスポンスには到底かなわない。
だからこそ、時間をかけ正しさを確認していくことが、その役目といえるのだが……。