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Date: 12月 28th, 2015
Cate: 1年の終りに……

2015年をふりかえって(その8)

ここまででスピーカーシステム三機種、ヘッドフォン・イヤフォンを二機種、
パワーアンプが一機種、本が一冊、ドローンという話題でもうひとつで、八つあげた。

あとふたつで十なのだが、ひとつは決っているが、もうひとつが思いつかない。
結局、あとひとつしか書けそうにない。

なので、これが最後のひとつとなる。
それは10月から始まったKK塾である。

オーディオとは直接関係のないことのように思われるかもしれないが、
今年、これほどオーディオに関して刺激的であったことは、他にない。
私はオーディオマニアだから、KK塾できいたこと(学んだこと)をオーディオに変換して考えてしまう。

そういう私にとって、KK塾はオーディオに直結している。
オーディオそのものである、といえる。

ここであれこれ書くことはできるけれど、とにかく五反田のDNPホールに来てほしい。
来年の春までにあと四回開催される。

Date: 12月 28th, 2015
Cate: 再生音

続・再生音とは……(その21)

再生音とは何かについて考えていくうえで、再生音の定義もはっきりさせていく必要がある。

再生音の定義とは? と問われ、はっきりと答えられるだろうか。
そんなの簡単じゃなないか、という人もいるが、
その人たちが再生音の定義について答える。

それに反論がある。また答える。
さらなる反論がある……。そういうことをくり返していって、どこまで答えられるだろうか。

再生音の定義。
ひとつには、記録されたものを元に出した音がある、とする。
アナログディスク、CD、カセットテープなどに記録されているものを元にして、
アンプで増幅しスピーカーを鳴らす。これも再生音であるなら、
作曲家が残した楽譜を元に演奏家が音を出すのもまた、再生音といえないだろうか。

音符という記号を使い、作曲家が作曲したものを残している。
それを演奏家が楽器を使い、自分の声によって、音にする。

それは実演であって、再生音とはいえない、と反論があるだろうが、
厳密に考えていくと、ほんとうにそういえるのだろうか……、と私は自信を失っていく。

そんなことまで考えていく必要があるのだろうか。
そういう疑問も持たないわけではない。
けれども、再生音について考えていくとは、そういうことだと私は思っている。

Date: 12月 28th, 2015
Cate: オーディスト, ジャーナリズム, 言葉

「オーディスト」という言葉に対して(その20)

facebookを通じて、あるページを知った。
一関ベイシーの菅原正二氏のインタヴュー記事である。
聞き手は一関きらり氏。

この記事にこうある。
     *
一関 いやいや。一関市のアピール不足ですよね。実は私が住んでいる東京の日野市に国宝の高幡不動尊がありまして、新選組の土方歳三の菩提寺なんですが、その土方歳三を讃える石碑の選文が大槻三賢人の一人、大槻磐渓なんですよ。こういった事も、一関市がもっとアピールしていけば、面白いと思うんですがね。
菅原 ううん、日野市・・・。
一関 誰かお知り合いでも?
菅原 日野市に山口孝というオーディオ評論家をやってた強者がいたんですよ。ここにも、しょっちゅう来てたんです。本も結構、出してますよ。ただ、介護していたおふくろさんが亡くなって、断筆したんですよ。
一関 それほど、ショックだったんですかねえ。
菅原 すごい、とんがった妥協のない男だったからねえ。なあなあという部分が一切ない男だったから、折れやすいんだよね。たぶん・・・。
一関 何か、お仕事はされてるんですよね。
菅原 ううん、一人で座禅でも組んで音楽でも聴いてるんじゃないかなあ。
一関 いやあ、すごいですね。
菅原 聞き方が半端じゃないのよ。音楽と面と向かって、座禅でも組むような感じで聴いてますからね。
     *
もとのページでは色によって発言者を区別してあったけれど、
それではわかりにくいので、発言の頭にそれぞれの名前を入れているだけで、
あとはそのまま引用した。

これを読んで、どう感じ、何を思い、何を考えたかは、あえて書かない。
読まれた方がそれぞれに感じ、思い、考えれば、いいことである。

Date: 12月 27th, 2015
Cate: 1年の終りに……

2015年をふりかえって(その7)

2014年にくらべて2015年の今年、頻繁にニュースに登場してきた言葉に、ドローンがある。
インターネットのニュースサイトでも、ドローンのことが取り上げられることが多かった。
それだけ、いろんなドローンの写真を見た。

そうやってドローンの写真を見るたびに連想していたのは、アナログプレーヤーのことである。
ドローンとアナログプレーヤーが重なって見えてくる。

アナログプレーヤーにはハウリングという現象から完全に逃れることはできない。
ステレオサウンドにいたころ、水銀のプールに浮べてみてはどうなんだろう、というアイディアも出た。
面白いと思ったけど、これでハウリングから逃れられ音が良かったとしても実用的とはいえない。

ドローンのように空中に浮んだらどうだろうか。
実際には空中で静止させることの難しさにぶつかるだろうから、そう簡単にうまくいくとは思えない。

それでもドローンの形は、アナログプレーヤーの形につながってくる。

アメリカのドラマ、マイノリティ・リポートでは、2065年のアナログプレーヤーが登場する。
ソニーやオーディオテクニカが以前販売していたポータブルプレーヤーを垂直に立てて使うようなモノ。

このアナログプレーヤーよりも。さまざまなドローンの形のほうが、
未来のアナログプレーヤーの形を、何か示唆しているように感じている。

Date: 12月 27th, 2015
Cate: 「うつ・」

うつ・し、うつ・す(その6)

その人がおかれている環境や諸事情を境遇という。
境涯ともいう。

境涯の「涯」は生涯にもついている。
涯という漢字は、切り立った崖のことである。それも水辺の崖である。

ここに水がある。
研ぐために必要な水がある。

Date: 12月 26th, 2015
Cate: 老い

老いとオーディオ(古人の求めたる所)

四年前、「古人の求めたる所」というタイトルで書いた。
四年前はまだ五十になってなかった。

もう五十を過ぎた。
一月には、またひとつ歳をとる。

松尾芭蕉の「古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ」──、
どれだけ古人の求めたる所を求めてきたのかだろうか……。

誰かが答えてくれるわけではない。

Date: 12月 26th, 2015
Cate: 広告

広告の変遷(続マイクロの広告)

マイクロと岩崎先生によって一年間続いた広告は、the re:View (in the past)で公開している。

1972年12月号
1973年1月号
1973年2月号
1973年3月号
1973年4月号
1973年5月号
1973年6月号
1973年7月号
1973年8月号
1973年9月号
1973年10月号
1973年11月号

上記のリンク先をクリックすれば、マイクロの広告が表示される。
1973年8月号は入手していないため、公開できずにいる。

この一連の広告を、どう感じるかは人それぞれだろう。

Date: 12月 26th, 2015
Cate: 広告

広告の変遷(マイクロの広告)

岩崎先生の著作集「オーディオ彷徨」に、
《「時」そば、その現代的考察》がある。
短い文章である。

巻末の初出誌一覧をみると、スイングジャーナルとある。
これだけを読んだのでは、《「時」そば、その現代的考察》が広告のための文章だとは気がつかなかった。
かなりながいこと広告だったとは知らなかった。

数年前に、ある方がスイングジャーナルのバックナンバー(1970年代)を送ってくださった。
1970年代おわりごろのスイングジャーナルは手にしたことがあったけれど、
それ以前のバックナンバーはほとんど見たことはなかった。

目についた号から手に取りパラパラとめくっていたら、ある広告が目に留った。
そこには、大きく「岩崎千明」とあった。
マイクロの広告だった。

二ページ見開きで、他社の広告とも、それ以前、それ以降のマイクロの広告とも違う。
ステレオサウンドでも見たことのない、おそらくスイングジャーナルにだけ載ったマイクロの広告だと思われる。

一年続いた広告である。
スイングジャーナル1972年12月号から1973年11月まで載っている。
12回目の広告の最後には、参照:三田村鳶魚「江戸物」、と書いてある。

いつのころからか、オーディオ機器の広告は写真がメインになってしまった。
悪いことではない。
でも、そればかりになってしまうと、
このころの読む楽しみがあった広告が、また現れてもいいのではないか、と勝手なことを思ってしまう。

一年間だけとはいえ、マイクロはよくこういう広告をつくって掲載したな、と感心する。
製品の写真は載っていない。

岩崎先生による文章にも、製品紹介のことはほとんど出てこない。
それでも、このマイクロの広告を同時代に見ていた人の印象には強く残っていたのではないだろうか。

こういうマイクロの手法が、理想の広告とはいわない。
それでも、このころのようにオーディオの広告も、もっと挑戦してもらいたい、とつい思う。

埋没してしまっては、広告として機能しているといえるだろうか。

Date: 12月 26th, 2015
Cate: 1年の終りに……

2015年をふりかえって(その6)

ステレオサウンド 197号の附録(卓上カレンダー)がもうすこしまともなのものだったら、
購入していただろうし、特集の内容は、このテーマで書くのにぴったりの号だけれど、
購入していないから、記憶に頼ってあれこれ思い出そうとしているけれど、
何があっただろうか……、とキーボードをたたく指が止ってしまう。

そういえば、と思い出すのはオーディオ機器ではなく、本だったりする。
二ヵ月前に「レコードと暮らし」という本のことを書いた。

この本の著者、田口史人氏の本がもう一冊出ている。
日本のポータブル・レコード・プレイヤーCATALOG」である。

リンク先のサイトを見ていただくか、書店にこの本を手に取ってほしい。
私の家にもポータブルレコードプレーヤーはあった。
そのポータブルレコードプレーヤーで、レコードを初めて聴いた。

オーディオに関心を持ちはじめると、こんなモノ、とつい思ってしまっていたが、
あの時代のポータブルレコードプレーヤーは、クリスタル型の高出力カートリッジがついていた。
一般的なMM型、MC型とは違い、振幅比例型のこの発電方式のカートリッジは、
RIAAイコライザーを必要としない。

出力が大きいことと相俟って、ポータブルレコードプレーヤーの内蔵のアンプは小さい。
凝ったものではない。
しょぼい作りといえる。

けれど、このミニマムな構成から出てくる音は、そうひどいものではない。
ポータブルレコードプレーヤーの音でも、鳴ってきた音楽に感動していたのだから。
そういう体験を持っているから、「日本のポータブル・レコード・プレイヤーCATALOG」はおもしろい。

Date: 12月 26th, 2015
Cate: 1年の終りに……

2015年をふりかえって(その5)

アンプで気になっているのは、ナグラのパワーアンプCLASSIC AMPだ。

今年のインターナショナルオーディオショウはわずかな時間しかいられなかった。
なのでナグラの輸入元である太陽インターナショナルのブースに行けなかった。

CLASSIC AMPは、そこにあったのだろうか。
あったのならば、音を聴きたかった、といまごろ後悔している。

私にとってナグラのアンプといえば、MPAである。
ナグラの他のどのアンプよりも、MPAは印象に残っている。

音のそうだが、フロントパネル中央に吹出し口があり、
空冷ファン廻り出すと、ここから熱風が出てくるという、
他のアンプでは、こういう設計のモノはない、といいたくなるところも含めて、である。

MPAの製造中止以降、ナグラのパワーアンプで魅力を感じるモノは、私にはなかった。
けれどCLASSIC AMPは、太陽インターナショナルのサイトで見た時から、
もしかすると、このアンプはMPAの再来かもしれない、と勝手に期待している。

MPA同様、出力段はMOS-FETである。
MPA同様、たっぷりとアイドリング電流を流しているのだろうか。
空冷ファンはないようだ。
ナグラ独自のメーターは、ちゃんとついている。

使用をみて、勝手にこのくらいかなと予想した価格よりも、実際の価格はちょっと高めだった。
それでも、CLASSIC AMPは聴いて見たいパワーアンプの筆頭格である。

ステレオサウンド 197号に新製品紹介の記事が載っているが、
まだ見ていない。

Date: 12月 25th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その29)

つきあいの長い音に官能性を与えるもののひとつが、それも重要なひとつが器ではないのか。

Date: 12月 25th, 2015
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(購入後という視点・その4)

さまざまな情報を満載した雑誌の山をみていると、情報の洪水などという言葉が、途端に現実感をもってくる。洪水に押し流されたあげく、興味あるニュースをみのがしてしまう。えっ、あのコンサートは、もう終わってしまったのかとか、へぇ、そんなレコードが出ていたのか、気がつかなかったなとか、情報の消化不良をおこして、いらいらすることもしばしばである。どう贔屓めにみても、これは健康なこととはいいかねる。焦れば、おのずと、夜道の酔っぱらいよろしく足がもつれもする。
情報の洪水が日常茶飯事になったときに威力を発揮するのは、あのレコード、ちょっと気になっているんだけれど……といったような、友人の耳うちである。活字、ないしは電波によった、したがってオーソリティーのものではありえない、友人の、いわばナマの情報は、その背後に商業主義がてぐすをひいているはずもないから、説得力がある。
     *
上に引用したのは、黒田先生がステレオサウンド 78号の「ぼくのディスク日記」で書かれたものだ。
78号は1986年3月に出ている。
ほぼ30年前に、これを書かれている。

ここで書かれている《友人の、いわばナマの情報》こそ、購入後である。

Date: 12月 25th, 2015
Cate: 再生音

続・再生音とは……(その20)

桂米朝師匠の米朝アンドロイドのニュースは何かで読んだ記憶がある。
そのときはさほど関心をもてなかった。
石黒浩氏の名前もそのときに目にしているはずだが、記憶していなかった。

11月、12月たてつづけて石黒浩氏の講演をきいて、自らの不明を恥じた。

いまこの項でアンドロイドのことを続けてい書いている。
読まれた人の中には、意味のないことを書いていると思われている人もいるはずだ。
私だって、「再生音とは……」というテーマで書いていて、
石黒浩氏の講演をきいたからこそ、そうなっただけであって、
以前のままであったならば、意味のないことを書いている、と思ってしまうだろう。

これまで私は再生音とは、
スピーカー(もしくはヘッドフォン、イヤフォン)から発せられた音について語ることだと考えていた。
けれど、それだけで考えていては、再生音の正体をはっきりと捉えることはできないように思うようになった。

考えてみれば、最初の再生音はエジソンの蓄音器だとすれば、
その音はいわゆるスピーカーから発せられた音とはいえない。

にも関わらず、再生音をスピーカーから発せられた音という制約を、
いつのまにか自分でつくってしまっていたことに気づいた。

別項で「2015年をふりかえって」というタイトルで書いているところだが、
私にとって2015年でもっとも大きなできごとといえば、
アンドロイドによる再生音について考えるきっかけを得たことだ。

Date: 12月 25th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その28)

つきあいの長い音に必要なのものの中には、器に対する心遣い、気くばりがあるはずだ。

Date: 12月 25th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その27)

つきあいの長い音と器の関係を忘れてはならないと思っている。