続・再生音とは……(その20)
桂米朝師匠の米朝アンドロイドのニュースは何かで読んだ記憶がある。
そのときはさほど関心をもてなかった。
石黒浩氏の名前もそのときに目にしているはずだが、記憶していなかった。
11月、12月たてつづけて石黒浩氏の講演をきいて、自らの不明を恥じた。
いまこの項でアンドロイドのことを続けてい書いている。
読まれた人の中には、意味のないことを書いていると思われている人もいるはずだ。
私だって、「再生音とは……」というテーマで書いていて、
石黒浩氏の講演をきいたからこそ、そうなっただけであって、
以前のままであったならば、意味のないことを書いている、と思ってしまうだろう。
これまで私は再生音とは、
スピーカー(もしくはヘッドフォン、イヤフォン)から発せられた音について語ることだと考えていた。
けれど、それだけで考えていては、再生音の正体をはっきりと捉えることはできないように思うようになった。
考えてみれば、最初の再生音はエジソンの蓄音器だとすれば、
その音はいわゆるスピーカーから発せられた音とはいえない。
にも関わらず、再生音をスピーカーから発せられた音という制約を、
いつのまにか自分でつくってしまっていたことに気づいた。
別項で「2015年をふりかえって」というタイトルで書いているところだが、
私にとって2015年でもっとも大きなできごとといえば、
アンドロイドによる再生音について考えるきっかけを得たことだ。