Author Archive

Date: 2月 6th, 2019
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(を考えていて思い出したこと・その1)

音楽性という、時にはほんとうに都合のいいことば。
それだけに徹底的に考える必要のあることば。

音楽性に関係することで、五味先生の書かれていた文章を思い出した。
     *
 ステレオになった当座、電信柱や溝に放尿するのを自分で録音・再生して、おォ、小便から湯気が立ち昇るのが見える!……と、その音の高忠実度性に狂喜したマニアを私は知っている。しつこく誘いにくるので、一度、彼の部屋へ聴きに行き、なるほどモヤモヤと湯気の立ちのぼる放尿感が如実に出ているのには驚いた。モノーラルしか聴き馴れぬ耳には、ほんとうに、シャーと小便の落ちる其所に湯気が立っていたのである。
 このあいだ何年ぶりかに彼と会って、あのテープはどうした? とたずねたら、何のことだと問い返す。放尿さ、と言ったら、ふーん、そんなこともあったっけなあ……まるで遠い出来事のような顔をした。彼は今でもオーディオ・マニアだが、別段とぼけてみせたわけではないだろう。
 録音の嶄新さなどというものは、この湯気の立つ放尿感と大同小異、録音された内容がつまらなければしょせんは、一時のもので、すぐ飽きる。喜んだこと自体がばからしくなる。オーディオ技術の進歩は、まことにめざましいものがあり、ちかごろ拙宅で鳴っている音を私自身が二十年前に聴いたら、恐らく失神したろう。これがレコードか?……わが耳を疑い茫然自失しただろう。(「名盤のコレクション」より)
     *
放尿の音だから、そこに音楽性があるわけではない。
では鈴虫の鳴声は? 蒸気機関車の走る音は?
生録が盛んだったころ、音楽だけではなく、ジェット機のエンジン音なども録音の対象であった。

生録がブームだったころはとっくに過ぎ去っている。
そんないまの時代にみかける生録といえば、鉄道マニアの人たちだ。
それも日常的にみかけたりする。

ホームで電車をまっていると、
長い棒の先っぽにマイクロフォンをとりつけて、
ホームの天井近くに設置してあるスピーカーまで、マイクロフォンを接近させて、
アナウンスを録音している人を、年に数回みかける。

何も特別なアナウンスではない。
電車がまいります、黄色い線までお下がりください、
そういったアナウンスである。

Date: 2月 5th, 2019
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(その7)

付加価値が口ぐせのようになっている人にも、
オーディオに夢をみていたことがあったのか──、
というコメントがfacebookであった。

そういうことを、その彼と話したことはない。
もう何年も会っていないし、これからも会うことはないはず。

オーディオのことを話したことは何度かあったけれど、
付加価値の彼とは、つっこんだことを話したことはない。
なのであくまでも憶測でしかないが、
彼は彼なりに、なんらかの夢はあった(ある)だろう。

いい音を出したい、という夢はあったはずだ。
けれど、ここからが憶測になるわけだが、
その「いい音」とは、周りから「いい音ですね」と言われたいがための「いい音」なのかもしれない。

昨年トロフィーオーディオということを書いている。
彼にとって、オーディオとはそういう側面をもっていたのかもしれない。

「A社の○○を鳴らされているですか、すごいですね」
そんなふうに周りからいわれたいのかもしれない。

彼は数度会ったぐらい、さほど親しくなっていない人に対して、
「スピーカーは何を鳴らされているんですか」ときいてくるそうだ。

彼が鳴らしているスピーカーよりも、安い、もしくは世評の低いスピーカーだったりすると──、
あくまでもきいた話なので、このへんにしておこう。

一時の優越感に浸れる。
自分よりも高価なスピーカー、世評の高いスピーカーを相手が鳴らしていると、
その人たちの仲間になろうと積極的にくいこんでいく。

彼にとっての価値とは、そういうことなのかもしれない。

Date: 2月 4th, 2019
Cate: 提言

いま、そしてこれから語るべきこと(その13)

「(水俣病患者は)人間の形はしていても中身は人間でなくなる」
と発言した原一男氏のドキュメンタリーは「MINAMATA NOW!」というそうだ。

原一男氏の、この発言のほぼ一年後に、ジョニー・デップ主演の「Minamata」がニュースになった。
実在の写真家、ユージン・スミス役を演じる、とのこと。

数日前に、劇中写真が公開され、日本人キャストも発表になっている。
公開日はまだ発表になっていない。

「MINAMATA NOW!」と「Minamata」。
前者の「NOW!」は、いったいなんなのだろうか。

Date: 2月 4th, 2019
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(その6)

そういえば──、と思い出すのは、
付加価値を頻繁に口にするオーディオマニアの彼は、
製品の差別化のためにも付加価値は必要だ、的なこともいっていた。

出来上った製品が、他社製のモノとたいして代り映えしない。
そんなときに他社製のモノと区別するためにも、
もっといえば同じような製品であっても、自社製品のほうもをよくみせるためにも、
なんらかの付加価値が必要──、
おそらくそんな考えなのかもしれない。

こんなことを書いていて思い出すのは、
ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」サンスイ号の、
永井潤氏の「サンスイ論」の冒頭である。
     *
 サンスイの社内誌(さんすい)に目を通しているうちに、「山水の社風を考える」という座談会に出会い、そしてつぎのような言葉を見つけた。「個性の商品化を考えなければいけない。商品は山水らしい個性を持ったものでなければいかんということです。」サンスイの創設者、前社長菊池幸作氏の言葉であるが、この種の発言は随所にみられ、しかも繰り返し強調されている。私は直感的にサンスイ像に迫る手がかりがここにあると思った。
 ここでまず私の注意を引いたのは、商品の個性化でなく、個性の商品化という点である。要するに「山水」という個性があって、商品はその反映であり表現である、ということになっている。
     *
付加価値、付加価値とバカのひとつ憶えのようにいう彼は、
結局のところ、商品の個性化しか考えていないのかもしれない。
そういう見方でしかオーディオ機器を捉えるしかできないのだろう。

彼には個性の商品化ということが見えていないのかもしれない。
私の勝手な憶測でしかないが、こう考えるとすっきりと彼のことが見えてくる感じはある。

そうだったのか、と思いあたることがいくつか思い出されもする。

Date: 2月 3rd, 2019
Cate: 世代

世代とオーディオ(一代限りなのか……)

オーディオは一代限りなのか……、と思うことが最近ある。
オーディオの○○とは、あえてしなかった。

ただただ、オーディオは一代限りなのか、と感じているからだ。

オーディオの輸入元であるエレクトリはヒビノ、ノアは完実電気の子会社となった。
マークレビンソンの輸入元であったRFエンタープライゼスは、いまはもうない。
あれだけ優れたオーディオ機器を輸入していたのに……、と思う。

それから川村電気研究所。
日本で最初にJBLを輸入し、ノイマン、EMT、KEF、UREIなども取り扱っていた。

これらの輸入元は個人会社といえる。
だから一代限りなのか……、と感じている。

後継者の問題といいかえられよう。
その意味では、次はあそこか、と勝手に予想している。

会社そのものがなくなることだってあろうし、
どこか大きな会社の子会社になってしまうことだって十分考えられる。

しかも次はあそこか、は一社だけではない。

一代限りなのは、輸入元だけではない、と感じている。

Date: 2月 3rd, 2019
Cate: High Fidelity

原音に……(コメントを読んで・その4)

その1)で挙げている機種のいくつかは、
私がオーディオに興味を持ち始めたときに、すでに登場していた。

そういうオーディオ機器と、
登場と同時にほぼリアルタイムで聴いてきたオーディオ機器とがある。

惚れ込めるオーディオ機器との出あいが、
以前よりも減ってきているのかどうかは、このへんも考慮しなければならない。

そのうえでコメントに答えれば、惚れ込んだ、ということでは、
現在も昔も、そう変らないのではないか、と思うとともに、
こちらの年齢もあがってきていることによって、変ってきているかも……、
そんなふうにも思っている。

つまり、自分でもはっきりと答がでないのが本音である。

惚れ込んだ、ではなく、惚れたオーディオ機器ということでは、どうか。
ここでも考え込む。

惚れ込んだも惚れたも、どちらもきわめて主観的な評価である。
主観的であるだけに、こちらの変化もその評価には深く関ってくる。

それでも惚れ込んだ、惚れたオーディオ機器には、共通点がないのか、と自問する。
あるともいえるし、あまりないようにも感じている。

オーディオに関心をもち始めたときに出あい、惚れ込んだオーディオ機器は、
オーディオの世界を広さ、深さを垣間見せてくれた、ということでも、
ひときわ印象的であるのも事実だ。

もうここでは出あった順番を無視できない。
聴いた順番が違っていれば、別の機種に惚れ込んでいたかもしれない──、
そんなふうにも考えられる。

それとも、そんなことはないのか。

こんなふうに考えていくと、コメントに答えることが意外に難しいことに気づかされた。

Date: 2月 2nd, 2019
Cate: High Fidelity

原音に……(コメントを読んで・その3)

たとえばメリディアンのULTRA DAC。
こちらはLNP2とは正反対の惚れ込みかたである。

素直に惚れ込んでいるし、
多くの人にULTRA DACの音を一度聴いてもらいたい、と思っている。
聴いてもULTRA DACの良さがまったく理解できない人も少なからずいるはずだが、
それ以上に、きちんと理解できる人が多くいるはずだと思っている。
(思っているというよりも、そう信じたい)

ULTRA DACのついては昨秋からずっと書いてきている。
読んでいる方のなかには、ULTRA DACのことばかり……、と感じている人がいようが、
まだまだ書きたいことがある。

書けば書くほど、書きたいことが湧いてくるような感じすらある。
そうやって書きながら感じているのは、
瀬川先生がJBLの4343、マークレビンソンのLNP2のことを、
あれほど書かれていたのも、同じ気持だったからなのかもしれない、とおもうようになってきた。

口さがない輩は、輸入元からたんまり貰っているんだろう──、
そんなことをいう。

何もわかっていない輩でしかない。
ほんとうに惚れ込んだオーディオ機器がある。
そのことの嬉しさ。
そして、惚れ込んだオーディオ機器のことを誰かに伝えたいという気持。
そういうことがまったく理解できない輩が、いつの時代にも、どの世代にもいる。

おそらく、これまで惚れ込んだオーディオ機器がひとつもないんだろう、そういう輩は。

ただジャーマン・フィジックスのUnicornは、
ULTRA DACと同じくらいの惚れ込みだし、素直に惚れ込んでいても、
ULTRA DACほど、その良さを誰かに積極的に伝えたいという気持はあまりない。

Unicornの音を聴いたばかりのころは、確かにあった。
もうその時から十数年が経っている。

Date: 2月 2nd, 2019
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(情報量・その6)

情報量は、さまざまなところで増していっている。
映画は、代表的な列のひとつといえる。
特にCGを多用した映画は、まさにそうだといえるし、
この手の映画に、内容がない、と否定的な人も増えてきているように感じている。

この手の映画を、
できるだけ最新の映画館で、しかも音響もよくスクリーンも大きいところで観る。
CGが多用されたアクションシーンでは、
映画によってはこちらの目が追いつかない、と感じることだってある。

だからといって、そのシーンでの情報量の圧倒的な多さを否定する気はまったくない。
むしろ、こういうシーンを積極的に、映画館で観たい、と思う方である。

そういうシーンが始まると、最初の数分は情報量の多さと、その処理に圧倒される。
それでも暗い映画館で集中していれば、追いつけるようになる。

ここがとても大事なことだと考えている。
情報量の多さは、自分を鍛えるという意味で重要なことである。

処理できない情報量の多さを、
人は自分の処理能力に合わせて単純化(省略化)してしまう、
そういう内容の記事をなにかで読んだことがある。

どこまで事実なのかはわからないが、そうかもしれないとは思う。
脳がオーバーヒートしないように、そうしてしまうのかもしれない。
それに、その方が楽である。

その楽なことを選択してしまえば、老いていくだけだ。
それでもいいという人がいる、
それに抗う人もいる。

情報量があふれている映画を、できるだけ損うことなく観るために、
最新の映画館で、いい音響と大きなスクリーンを求める。
しかも私は前寄りの席が好きである。

追いつくのがたいへんと感じた映画も、そう感じなくなる。
同程度の情報量の映画を次に観ても、たいへんとは感じなくなる。

私の感覚では数年に一本、
明らかにそれまでの映画とは情報量が多いと感じられる映画が登場する。

情報量の多さに否定的であることのすべてを否定はしない。
けれど、否定的である態度の何割かは、受け手側の老いではないだろうか。

Date: 2月 1st, 2019
Cate: audio wednesday

第97回audio wednesdayのお知らせ(2018年のやり残しをなくす)

昨年は、アルテックのホーンにバッフルをつけたし、
ネットワークも直列型を自作したりした。

ホーンバッフルの仕上げは一応やっているけれど、
JBLの075まわりの仕上げは時間がなく手つかず。

2月6日のaudio wednesdayは、
075まわりの処理をやるとともに、
1月の会に予定していたケーブルを持っていこうと考えている。

自作のラインケーブルである。
1月に持っていかなかったのは、正月早々ハンダつけをするのが面倒だったためである。
実はまた作っていない。
土日に作る予定でいる。

それからアルテックのウーファーはバッフルにネジ四本でとめてある。
鬼目ナットは八本分打ってある。
なので、ここも四本から八本へと変更する予定。

それから別項「聴感上のS/N比と聴感上のfレンジ(アンプの脚)」で書いたように、
マッキントッシュのMA7900の脚は交換している。
MCD350の脚はまだであるから、ここも変更する予定でいる。

こんなふうにいままで時間が足りなくてやり残したことをやるつもりだ。

なのでディスクはあまりあれこれとかけるつもりはない。
ほぼ一枚に限定して、しつこく聴いていく。

それに私はいつもは右側のスピーカーの正面よりもやや外側のところで聴いているが、
今回は音をつめていくのでセンターで聴こうとも考えている。

音を出している時間よりも、手を動かす時間のほうがもしかすると長くなるかもしれない。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 1月 31st, 2019
Cate: 新製品

新製品(マッキントッシュ MC2152)

MTI100のことを知りたくてマッキントッシュのサイトを見ていたら、
70周年記念モデルとして、MC2152が出ていることを知った。

MC2152のことも、今日現在エレクトリのウェブサイトには何の情報もない。

MC2152は150W+150Wの出力の管球式パワーアンプである。
出力管はKT88、パラレルプッシュプルで使うことで、MC275の倍の出力を得ている。

“Striking new design with carbon fiber side panels”
MC2152のページには、そうある。

印象的な新しいデザイン──、
確かにマッキントッシュの管球式パワーアンプとしては、
いままでにはないスタイルであるし、
あまりいい意味ではなくて、印象的ともいえる。

真空管、トランスの配置はMC275とは違う。
詳しいことはマッキントッシュのウェブサイトをみてほしい。

真空管、トランスのレイアウト変更にあわせてだろうが、
ベースとなるシャーシーの形状も変更されている。
真横からみれば、フロント側もリア側も斜めにカットされ、
全体としては台形のシャーシーであり、この箇所にはカーボンが使われている。

写真でみるかぎり、重みを感じさせないようにしているのだろうか──、
と思ってしまう。

管球式であっても、フロントパネル付きの従来からのモデルは、
マッキントッシュらしい重量感を見る者に与えてくれていたが、
MC2152からは、いまのところ感じとれない。

それが悪いとは、いまのところなんともいえない。
音を聴いてみれば、納得できるのだろうか。

マッキントッシュも変っていくのか、というよりも、
摸作しているのか……、と感じている。

Date: 1月 31st, 2019
Cate: 新製品

新製品(モジュラーステレオの復活か)

マッキントッシュからMTI100が登場している。
輸入元エレクトリのウェブサイトにはまだ情報はない。

MTI100はマッキントッシュによれば、Integrated Turntableである。
さらに“A modern home audio system for modern lifestyles”ともある。

modernとついているけれど、
古くからの日本のオーディオマニアがみれば、それはモジュラーステレオである。

モジュラーステレオという言い方は日本だけのようである。
1960年代に流行したモジュラーステレオは、MTI100そのものといっていい。

アナログプレーヤーにチューナー、アンプが一つのシャーシーにまとめられて、
あとはスピーカーを一組用意すれば、ステレオ再生が楽しめる、というもの。

アメリカにはモジュラーステレオという形態はなかったのだろう。
だからマッキントッシュは、
“A modern home audio system for modern lifestyles”と謳っているのだろう。

MTI100が十年ほど前に企画されていればアナログプレーヤーではなく、
CDプレーヤーが搭載されていただろうし、チューナー機能も省略されなかったかもしれない。

けれど2019年では、CDプレーヤーではなくアナログプレーヤーであり、
チューナーはなくBluetooth対応で、デジタル入力をもつ。

パワーアンプはD級動作だが、プリアンプ部には真空管を使用している。
おもしろい構成といえばそうだし、
大きさが限られているのだからD級アンプの採用は当然の選択ともいえる。

それにしても感じるのは、真空管が露出している点である。
D級アンプに真空管の組合せもそうだが、これみよがしに真空管を見せつけているのも、
中国の、ここ数年のアンプの流行的でもあるように感じなくもない。

こういう製品だから、もしかすると輸入されないのかもしれない。
でも輸入してほしい、とも思う。

アメリカでMTI100は受け入れられるのか、
日本ではオーディオ評論家が、MTI100をどう評価するのか、
徒花的存在ですぐに消えてしまうのか……。

Date: 1月 31st, 2019
Cate: High Fidelity

原音に……(コメントを読んで・その2)

たとえばマークレビンソンのLNP2。
このコントロールアンプに惚れ込んでいる、という人はいまでも多くいることだろう。
私も惚れ込んでいる一人である。

けれど、私の惚れ込み方は、少しいびつともいえるし、ひねくれた惚れ込み方でもあろう。
メリディアンのULTRA DACへの惚れ込み方とは、微妙に違うといわざるをえない面を、
私自身がいちばん感じている。

そういうLNP2だから、
1970年代後半、10代前半だった私ではなく、
50をすぎた私だったら、惚れ込むことはなかったかもしれない。

あの時代、LNP2は優秀なコントロールアンプであった。
そのことは素直に認めただろうし、惚れたであろう。
でも惚れ込むまでいくとは、50すぎの私は思えないのだ。

あの時代に、10代の若造だったからこそのLNP2との出あいであり、
そこには瀬川先生という存在もあってのことだ。

別項で書いているように、一時期LNP2への関心はすっかり薄れてしまった。
なのにふたたび盛り返してきた。

LNP2が現行製品だったころに聴く機会がなく、
近ごろになって聴いた、という人もいるであろう。
それでLNP2に惚れた(惚れ込んだ)という人もきっといるだろう。

そういう人の惚れ込み方と私の惚れ込み方は、違う。
かなり違うといってよい。

そのころのマークレビンソンのML2に関しては、
LNP2よりもずっと素直に惚れ込んでいる。

Date: 1月 30th, 2019
Cate: High Fidelity

原音に……(コメントを読んで・その1)

(その4)にfacebookでコメントがあった。

惚れ込めるオーディオ機器との出あいは、
過去に較べると減ってきていると感じていますか、というものだった。

最初はfacebookのコメント欄で返事をしようと思っていた。
でも書きたいことを思っていたら、コメント欄に書くには少し長くなりそうなので、
ここでこうやって書くことにした。

オーディオ歴は40年以上になる。
惚れ込んだオーディオ機器は、いくつかある。
思いつくままにあげていけば、
JBLの4343、マークレビンソンのLNP2とML2、
EMTの930stと927Dst、トーレンスのReference、ノイマンのDST、
SUMOのThe Gold、スレッショルドの800A、
ロジャースのLS3/5AとPM510、スペンドールのBCII、QUADのESL、
フィリップスのLHH2000、SMEの3012-R Specialなどが、すぐに頭に浮ぶ。

惚れ込んだオーディオ機器ということであって、
優れたオーディオ機器、いい音を聴かせてくれたオーディオ機器ということになると、
一つ一つ挙げていくのは面倒なくらいにある。
といっても百はいかないくらいの数だ。

惚れ込んだオーディオ機器というのは、私の場合、
私が優れたオーディオ機器と判断したモノよりも、さらに優れているというわけではなかったりする。

たとえばSMEのトーンアーム。
私が惚れ込んだのは3012-Rであり、Series Vではない。
Series Vは、ほんとうに優れたトーンアームである。
その音を聴いて、驚いた。
その驚きは、いまでもはっきりと思い出せるほどだ。

欲しい、と思った。
その時使っていたプレーヤーがトーレンス101 Limitedでなければ買っていたであろう。
トーンアームはSeries Vで終着点かとも思わせた。

その後、さまざまなトーンアームが登場してきていて、
Series Vよりもずっと高価なトーンアームもいくつかある。
その中にあっても、いまでもSeries Vはもっとも優れたトーンアームだと信じている。

けれど、惚れ込んだということではSeries Vではなく、やはり3012-Rなのである。

Date: 1月 29th, 2019
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その10)

今日(1月29日)、ひとつ歳をとった。
56になった。

55も一の位を四捨五入すれば60になる。
それでも55と56の違いは、60という年齢をどれだけ意識するかということでは、
なってみてけっこうな違いのように感じている。

もう60がそこまで来ているようにも感じるし、
まだまだあるような気もしないわけではないが……。

14年前のことを思い出していることも関係しているのかもしれない。
川崎先生が菅野先生にたずねられたことが、よみがえってくる。
「50代をどう生きるべきですか」
そう川崎先生はきかれていた。

川崎先生(1949年生れ)と私(1963年)は14違う。
ちょうど、そのときの川崎先生と同じ年齢になっている。
厳密には川崎先生は2月生れなので、一ヵ月のズレはある。

「50代をどう生きるべきか」
14年前は、まだまだ先のことと思っていたことに、直面している。

Date: 1月 29th, 2019
Cate: オーディオ評論
1 msg

「新しいオーディオ評論」(評論の立ち位置)

オーディオに関係する評論家には、
軸足をどちらにおいているかで、オーディオ評論家と呼ぶか、
オーディオ・ヴィジュアル(もしくはホームシアター)評論家と呼ぶかが決る。

ホームシアターを積極的に取り組まれていても、
山中先生、朝沼氏は、私にとってはオーディオ評論家である。

オーディオ評論家(職能家)、オーディオ評論家(商売屋)と、
このブログで書いていても、どちらにしてもオーディオ評論家と認識のことである。

その人は、その意味ではオーディオ評論家ではない。
どの人なのかは、あえて書かない。

それでも昨晩の川崎先生のfacebookを読んだ人ならば、
伏せ字とはいえ、誰なのかはすぐにわかろう。

川崎先生の投稿からは、川崎先生の強い怒りが感じられる。

その人(ホームシアター評論家と呼ぶべきか、違う呼称もあるけれど)は、
この業界ではもっとも力がある人といえる。

オーディオショウに行ってみればわかる。
国産メーカーの人たちの、その人に対する態度を見ていれば、わかる。

それだけの影響力がある、とメーカー側は見ているのだろう。
その影響力に関しては、長岡鉄男氏と同じくらいではないか、とすら思えてくる。

その人が書いたものは、ずっと以前は仕事柄読んでいた。
いまはまったく読んでいない。

それでもひとつ感じることがある。
その人には、熱心な読み手がいるのだろうか、ということだ。

私は長岡鉄男氏に対して否定的な立場である。
それでも長岡鉄男氏には、熱心な読み手がいたことはわかっている。

長岡ファン、長岡教の信者とはいわれるほどの熱心な読み手がいた。
そういう人たちがいるから、いまでも長岡鉄男氏の本が出版されている。

長岡鉄男氏だけではない、
私自身、瀬川先生、岩崎先生、五味先生、菅野先生の熱心な読み手である。

その人には、熱心な読み手はいないように、私は感じている。
熱心な読み手がついていないのに、影響力があると業界はみているのか。

評論の立ち位置を、その人は変えてしまったのか。