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Date: 2月 17th, 2019
Cate: 使いこなし

何度でもくりかえす

二年前にも引用しているし、それ以前にも二回引用している。
つまりこれで四回目の引用である。
     *
 二年、などというと、いや、三ヶ月だって、人びとは絶望的な顔をする。しかし、オーディオに限らない。車でもカメラでも楽器でも、ある水準以上の能力を秘めた機械であれば、毎日可愛がって使いこなして、本調子が出るまでに一年ないし二年かかることぐらい、体験した人なら誰だって知っている。その点では、いま、日本人ぐらいせっかちで、せっぱつまったように追いかけられた気分で過ごしている人種はほかにないのじゃなかろうか。
 ついさっき、山本直純の「ピアノふぉる亭」に女優の吉田日出子さんが出るのを知って、TVのスウィッチを入れた。彼女が「上海バンスキング」の中で唱うブルースに私はいましびれているのだ。番組の中で彼女は、最近、上海に行ってきた話をして、「上海では、日本の一年が十年ぐらいの時間でゆっくり流れているんですよ」と言っていた。なぜあの国に生れなかったんだろう、とも言った。私は正直のところ、あの国は小さい頃から何故か生理的に好きではないが、しかし文学などに表れた悠久の時間の流れは、何となく理解できるし、共感できる部分もある。
 いや、なにも悠久といったテンポでやろうなどという話ではないのだ。オーディオ機器を、せめて、日本の四季に馴染ませる時間が最低限度、必要じゃないか、と言っているのだ。それをもういちどくりかえす、つまり二年を過ぎたころ、あなたの機器たちは日本の気候、風土にようやく馴染む。それと共に、あなたの好むレパートリーも、二年かかればひととおり鳴らせる。機器たちはあなたの好きな音楽を充分に理解する。それを、あなた好みの音で鳴らそうと努力する。
……こういう擬人法的な言い方を、ひどく嫌う人もあるらしいが、別に冗談を言おうとしているのではない。あなたの好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間……そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれるためには、少なくみても一年以上の年月がどうしても必要なのだ。だいいち、あなた自身、四季おりおりに、聴きたい曲や鳴らしかたの好みが少しずつ変化するだろう。だとすれば、そうした四季の変化に対する聴き手の変化は四季を二度以上くりかえさなくては、機械に伝わらない。
 けれど二年のあいだ、どういう調整をし、鳴らし込みをするのか? 何もしなくていい。何の気負いもなくして、いつものように、いま聴きたい曲(レコード)をとり出して、いま聴きたい音量で、自然に鳴らせばいい。そして、ときたま——たとえば二週間から一ヶ月に一度、スピーカーの位置を直してみたりする。レヴェルコントロールを合わせ直してみたりする。どこまでも悠長に、のんびりと、あせらずに……。
     *
瀬川先生の「My Angle いい音とは何か?」からの引用である。
これはとても大事なことだから、何度でもくりかえす。

しかも、どうも伝わりにくい(理解され難い)ようでもあるから、
これからも何度でもくりかえそうと考えている。

SNSをながめていると、システムを入れかえたばかりの人が、
あれこれ使いこなし的なことをやっているのが目に入る。

少し待とうよ、といいたくなる。
基本的なセッティングがまるでできていないのであれば、
それを解消するためのことは必要ではある。

けれど屋上屋を重ねる的な使いこなし的なことが目に入ると、
やはりいわずにはいられない。

Date: 2月 17th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その3)

今回の300Bは、けっこう売れるんだろうなぁ、と思う。
メーカー製の300Bのアンプを使っている人、
真空管アンプを自作している人(ここにはメーカーも含まれる)、
それからオーディオを投資として捉えている人などが買う。

私は、再生産されるのは300Bだけなのか、と思ってしまう。
どのくらい前だったかは忘れてしまったが、
ウェスターン・エレクトリックによる274B、310Aの再生産のウワサもあった。

私はいまでも300Bのアンプでいちばん美しいたたずまいをもつのは伊藤先生のシングルアンプだ、
と思う人間である。

たとえメーカー製の、お金をかけた300Bのアンプであっても、
伊藤アンプのたたずまいに並ぶモノはない。

そうなると300Bだけでなく、274B、310Aも再生産してほしい。
274B、310A(特にメッシュタイプ)は、300B以上に入手が難しくなっている。

310Aの再生産はまずない、と思っている。
300Bと違い、それほど数が出るとは思えないからだ。

整流管の274は、310Aよりは売れるだろうが、
300Bのアンプを作っているメーカー、個人にしても、
必ずしも整流管を使うわけではない。

ダイオードのほうが内部抵抗が低い、レギュレーションがよくなるから、ということで、
整流管は時代遅れだという考えの人もいる。

それに274は整流管の中でも内部抵抗は高い。
私にすれば、だからこそ、と考えるわけだが、
人の考えは人の数だけあるのだから、それはそれとしかいいようがない。

そういう状況において、いま300Bのアンプを自作するならば、
私ならばシングルアンプは選択しない。
どうやっても伊藤先生の300Bシングルアンプのたたずまいに追いつけないからだ。

ならばプッシュプルアンプだ。

Date: 2月 17th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その2)

オーディオ店を通じて、エレクトリへの予約された方によると、
製造が始まるのは来月からで、日本に入ってくるのは夏以降とのこと。

管球王国では、きっと秋以降の号で、300Bの比較試聴を行うだろう。
どの時代の300Bが音がいいのかは、昔から話題になっていた。

一般的には刻印の300Bがいいことになっている。
何度か聴いているが、確かにいい。

けれど伊藤先生によると、必ずしも刻印が常に最高とは限らない、とのこと。
比較的新しい300Bでも、音のいいのがある、とはいう話を伊藤先生から直接聞いている。

伊藤先生ほど300Bという真空管にぞっこんだった人はいない。
その伊藤先生がいうことである。

伊藤先生によると、音のいい300Bは触ってみるとわかるそうだ。
どこが見分けるポイントか、そういうことではなく、
手にとった瞬間、いい音をだしてくれそうな300Bは直観でわかる、とのこと。

これは伊藤先生だからいえることであり、
ものすごい数の300Bにふれ、アンプを作ってきた人だからいえることである。

今回の再生産について、あれこれいう人はいるだろう。
裏事情を知っている人もいよう。
いまはブランドが売り買いされる時代である。

そういう時代において、昔のブランドの威光がどれほどあてになるか。
そんなことはいわれなくともわかっている。

そのうえで、今回の300Bの再生産は、私にとっては嬉しいニュースのひとつである。

Date: 2月 16th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その1)

ウェスターン・エレクトリックの300Bの再生産がようやく始まる。
30年ほど前にも、ウェスターン・エレクトリックの300Bは再生産された。

その後、300B同等管が、いくつかのメーカーから登場している。
どのメーカーの300B互換球が音がよいのかも話題になっている。

どの300Bがどうなのか、比較試聴する機会はないのでなんともいえないが、
音と同じくらいに気になるのは、ぞの外観である。

ガラスの形状の違い、
ベースの色の違い、
ベースに印刷されている文字、
それからモノによってはガラスにも印刷されていたりする。

そういったことがすごく気になる。

やっぱり外観は、ウェスターン・エレクトリックの300Bがいちばんである。
ベースが黒の300Bも各社から出ているが、
どうにもガラスの形状、特に肩の部分の曲線の違いが、いつも気になっていた。

今回再生産される300Bのプレオーダーは始まっている。

300B(一本)が699ドル、
マッチドペアが1499ドル、さらに四本マッチングしたものだと3099ドルとなっている。

日本からだと、直接のオーダーはできない。
輸入元エレクトリ経由となる、とのこと。

300B再生産のニュースは昨年秋ごろに知った。
ウェスターン・エレクトリックのウェブサイトをみると、
以前は完実電気が輸入元だったが、エレクトリに変更になっていた。

けれどエレクトリのサイトをみても、ウェスターン・エレクトリックのことはどこにもない。
今日もエレクトリのサイトをチェックしたけれど、なかった。

エレクトリが扱う(はずである)。

Date: 2月 16th, 2019
Cate: 「本」

雑誌の楽しみ方(最近感じていること・その2)

私が最初に手にした雑誌はなにかをふりかえってみると、
小学館発行の小学一年生だったことに気づく。

それに以前に、幼稚園だったころ、幼稚園児向けの雑誌があったような記憶もないわけではない。
読んでいたような記憶もあるようなないような……。

そんな曖昧すぎる記憶ではなく、
はっきりとしたところでは、やはり小学一年生である。
そして一年後には小学二年生、さらにもう一年後には小学三年生、
とそんなぐあいに小学6年生まで毎月買って読んでいた。

小学生のころは考えもしなかったことだが、
中学生か高校生ぐらいのときに、テレビで、
小学一年生のコマーシャルが流れるようになった。

私が小学生のころ、少なくとも熊本のテレビでは、
小学一年生のコマーシャルは流れていなかった。

とにかく小学一年生のコマーシャル、
それからランドセルのコマーシャルを見ていて、
そうか小学生になるということは、ランドセルを担いで学校に通うということであり、
小学一年生を読むことなんだなぁ、と気づいた。

私が小学生にあがるころ、熊本ではやっと民放のテレビ局が二局になった。
それまではRKKという民放一局しかなかった。
NKKが2チャンネル、民放が1チャンネルと、
チャンネルは12あるのは、受信できる(映る)のはたった3チャンネルだけだった。

新聞のテレビ・ラジオ欄には隣の福岡県の番組表も載っていた。

福岡は民放が四局くらいあった、と記憶している。
受信できない福岡のテレビ番組表を見ては、うらやましく思っていた。

私が小学生になるころは、そんな時代だったし、
そこにおける小学一年生という雑誌である。

Date: 2月 15th, 2019
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(その8)

付加価値の彼は、付加価値だけでなく、
名器という言葉も頻繁に使う。

あのアンプは名器ですから、とか、
このスピーカーは名器ですよね、とか、よく使っている。

なるほど、確かに、それは名器だな、と同意できることは少ない。
なぜ、そのアンプ、そのスピーカーまで名器というのか、疑問に思うことが多かった。

自分が使っているオーディオ機器以外を、ボロクソに貶す人がいる。
なんでも名器としてしまう付加価値の彼は、そんな人よりはいいように見える。

けれど、付加価値の彼が名器とするモノを聞いていると、
それこそミソモクソモイッショにしているとしか思えない。

そういえば、付加価値の彼は、どんなオーディオ評論家に対しても、先生をつける。
私が先生と呼ぶ人も、私がオーディオ評論家(商売屋)としか見ていない人にも、
等しく先生とつけて呼ぶ。

ここでも、私はミソモクソモイッショにするな、と強くいいたくなるが、
安易に名器と呼んだり(本人はそうではないと反論しそうだが)、
すべてのオーディオ評論家(職能家、商売屋どちらも)を先生と呼ぶことは、
根っこは同じなのだろう、と勝手に思っている。

彼のそんなミソモクソモイッショにしてしまうところが、
付加価値を頻繁に使うことと深いところで絡んでいるのではないのか。

Date: 2月 15th, 2019
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(整理と省略・その8)

セブン・イレブンの新しいコーヒーマシンは、東京の店舗にも導入されていた。
新しいコーヒーマシンを使うのは、今日で二回目だが、さっそくエラーにぶちあたった。

カップを置くと、ホット用にもかかわらず液晶画面にはアイスと表示される。
コーヒーマシンも、おかしいと判断したようで、エラーを出し、カップを置き直せ、という表示。

置き直すと、今度はホットと正しく表示された。
けれどすぐにエラー表示で、またカップを置き直せ、の表示。

次はどうなるのか、楽しみで、指示に素直に従い、また置き直す。
今度は、ホット用かアイス用か、カップサイズの検出を諦めたようで、
液晶画面に、これまでのコーヒーマシンのような表示を出す。

ホット、アイス、それにカップのサイズのボタンが表示され、客が選んで押す。

前回の、一回で正しく認識したのは偶然だったのか、
それとも今回の連続するエラーがたまたまだったのか。
どちらなのかはいまのところなんともいえないが、
新しいコーヒーマシンは、必ずしも改良されたとは言い難いようだ。

それにしても、セブン・イレブンの担当の部門は、
これまでのコーヒーマシンにしても、新しいコーヒーマシンにしても、
実際に使ってみてのテストをしなかったのだろうか。

Date: 2月 14th, 2019
Cate: High Resolution

Hi-Resについて(ユニバーサルミュージックのMQA)

ユニバーサルミュージックのMQA配信が、e-onkyoで始まっている。

ドイツ・グラモフォン、デッカの音源を中心に約1100タイトル。
まったく興味がわかないタイトルもある。少なくはない。

けれど全タイトルに目を通すと、嬉しくなってくる。
フルトヴェングラーもあった。
エーリッヒ・クライバーの「フィガロの結婚」もあったし、
カラヤンの「ニーベルングの指環」もあるし、
ひとつひとつ挙げていくのが面倒なくらいのタイトルがある。

なかでもひときわ嬉しかったのはパヴァロッティがMQAで聴けるようになったことだ。
パヴァロッティ~ザ・グレイテスト・ヒッツ24」がある。

このアルバムでは、「オ・ソレ・ミオ」が聴ける。
「オ・ソレ・ミオ」はナポリ民謡である。
高尚な文学的な歌詞を歌っているわけではない。

なのに「オ・ソレ・ミオ」をパヴァロッティが歌っているのを初めてきいた時、
もう30年以上前、20代のころだった、聴いていてこみあげてくるものがあった。
なぜだか涙が出てきた。

「オ・ソレ・ミオ」で涙なのか?
と思わないわけではなかったが、
パヴァロッティによって歌われることで、
それはいままで耳にしたことのある「オ・ソレ・ミオ」とは違っていた。

パヴァロッティの「オ・ソレ・ミオ」をMQAで聴ける。
いちばん聴きたかった方式(音)で聴ける。

Date: 2月 14th, 2019
Cate: 「本」

雑誌の楽しみ方(最近感じていること・その1)

趣味は読書です。
この場合の読書は、おもに文学作品を読むことであって、
雑誌ばかりを読んでいても、世の中はそれを読書、
それも趣味としての読書とは認めてくれないようにも感じている。

私だって、趣味は読書です、と誰かにいわれたら、
小説を読むのが好きな人なんだ、と、目の前の人のことをそう思う。

私だって、雑誌を読むことは好きだけれど、
それを誰かに、趣味です、といおうとは思っていない。

雑誌を読むことは趣味とはなりえないのか。
ここで書きたいのは、そういうことではなくて、
雑誌を読む楽しさを知っている人とそうでない人とがいる、ということである。

私は雑誌が好きなのだが、
いま、この雑誌が面白い、と感じることは少なくなってきている。
オーディオ雑誌のことだけをいっているのではない。

面白い特集をやっている雑誌は買っている。
けれど、それらの雑誌を定期購読しているかといえば、そうではない。
毎号買おう、とまでは思っていない自分に気づく。

最近、若い人たちと話して気づいたことも、雑誌に関することである。
「雑誌が好きなんだよ」という感覚が、ある世代より下にはなくなりつつあるのかもしれない。

私と同世代、上の世代の人たちであっても、雑誌を楽しんでいる人とそうでない人とがいる。
それでも、まだ雑誌を楽しんでいる人は多いように感じている。

Date: 2月 13th, 2019
Cate: Wilhelm Backhaus, ディスク/ブック

バックハウスのベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集

バックハウスは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタを二回録音している。
4月に二回目の録音が、シングルレイヤーのSACDで出る。
(29番のみ二回目の録音は未了のため、一回目のモノーラル録音が使われている)

今年はバックハウス没後50年、デッカ創立90周年ということでの限定発売のようだ。

バックハウスのベートーヴェンがSACDで聴ける日が来るとは、まったく期待していなかった。
私が20代前半のころ、
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集はいくつかあった。
バックハウスのがあったし、
グルダ、アシュケナージ、ブレンデル、シュナーベル、ナットなどの全集があった。

シュナーベルの録音はかなり古い。
ナットの録音は、シュナーベルほど古くはないがモノーラルだった。

ステレオ録音となると、バックハウスによる全集が、
そのころの私には輝いて見えていた。

いつかはバックハウスの全集を……、そう思いつづけていた日がある。
なのに、なぜか買うことはなかった。

もちろんバックハウスのベートーヴェンの後期のソナタに関しては買った。
けれど全集となると、CDではそれほど高価でもなかったにもかかわらず、手が伸びなかった。

今回のSACD全集を逃してしまえば、
バックハウスの演奏でベートーヴェンのソナタをすべて聴くことはなかろう。
今回の最後の機会だとおもっている。

これまで頻繁に聴いてきた、とはいえないが、
それでも20代のころから聴いてきているのが、
バックハウスによるベートーヴェンの後期のソナタである。

それでもひさしく聴いていない。
だからこそおもうところがある。

Date: 2月 12th, 2019
Cate: デザイン

プリメインアンプとしてのデザイン、コントロールアンプとしてのデザイン(その9)

別項「LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化」で、
友人Aさんの友人Bさん夫妻のオーディオ選びについて書いているところ。

Bさん夫妻は、アンプは、この項で取り上げているヤマハのC5000とM5000のペアに決定。
Aさんの話では、Bさん夫妻はヤマハ以外のメーカー、
アキュフェーズ、デノン、マランツ、ラックスマンなども試聴した上での決定とのこと。

音だけでなく、ヤマハに決ったのはデザインも大きかった、とのことである。
Bさんの奥さんが友達たち(女性)に、カタログを見せたところ、
ヤマハがデザイン的に好き、と言われたそうだ。

私はここでC5000のデザインを、
コントロールアンプのデザインではなく、プリメインアンプのデザインだ、と酷評している。
仕上げはいい、それでもC5000はプリメインアンプの顔(デザイン)でしかない。

けれど、そんなことは世間一般ではどうでもいいことなのだろう……。
オーディオマニアではないBさん夫妻、
それにBさんの奥さん、友達たちの女性たちにはヤマハのデザインは好評なのだから。

C5000のデザイナー(デザインチーム)は、
バリバリのオーディオマニアは、もしかすると無視しているのかもしれない。
むしろBさん夫妻のような人たちをターゲットとしてのC5000のデザインだとしたら、
それは商業的には成功ということになる。

しかも友人のAさんのところには、Bさん夫妻とにたような相談がいくつかきている、とのこと。
Aさんと私は同じ年齢だから、Aさんの友人たちも同世代であろう。

ヤマハのC5000、M5000のペア、
それに見合う価格のスピーカー、その他を一式まとめて買えるだけの人たちは、
特にオーディオマニアでなくともいるわけで、
そういう人たちに好評であるほうが、私のような者が絶賛するようなデザインであるよりも、
よほど重要なことであり、実際の売上げに結びつく──。

そんなことは知識として理解できても、
それでもC5000のデザインは、
コントロールアンプのデザインではなくプリメインアンプのデザインであることは、
私のなかでは一向に変らない事実である。

ここで、続けてコントロールアンプのデザイン、
プリメインアンプのデザインについて書いていく。

Date: 2月 11th, 2019
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(整理と省略・その7)

埼玉県のセブン・イレブンは、東京のセブン・イレブンよりも、
導入、投入が早いようである。

弁当、おにぎりなどの新商品も埼玉のセブン・イレブンのほうが早く見かける。
埼玉で試験的に販売して、その結果をみての東京での販売なのかもしれない。

いまではコンビニエンスストアで当り前のように設置されているコーヒーマシンも、
私が最初にみかけたのは、やはり埼玉のセブン・イレブンだった。

昨日、大宮駅周辺にいた。
夜駅近くのセブン・イレブンに寄ったところ、
コーヒーマシンがまったく新しいタイプのモノが置かれていた。

ボタンはなくなっている。
いままでボタンがあったところには一面、タッチ式の液晶ディスプレイがある。
カップを置くと、色とサイズで判断して、
ホットコーヒーなのかアイスコーヒーか、
それにサイズも判断しいてるようである。
カフェラテには対応していないようである。

ホットコーヒーのレギュラーのカップを置いたら、
ホットコーヒーのレギュラーというボタンが表示される。
それを触るだけである。

もう間違いようがないし、
意図的な間違いを防ぐこともできよう。

この新しいコーヒーマシンも、
これまでのコーヒーマシンと同じデザイナーによるものなのか。

だとしたら、このデザイナーの売りである整理と省略は感じられなかった。
まだ、これまでのコーヒーマシンのほうが、未消化とはいえあったようにも思う。

新しいコーヒーマシンが、これまでのマシンの代りに設置されていくのか。
私の印象にすぎないが、どうみても新しいマシンのほうが高価なはずだ。
故障発生率はどうなのだろうか。

そんなことも考えてしまうが、
新しいコーヒーマシンは、技術の進歩は感じられるが、
デザイナーの存在はかなり稀薄にも感じた。

Date: 2月 10th, 2019
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(その15)

古典が現代を裁く。

記憶に間違いがなければ黒田先生が書かれたことばである。
EMIから「The Record of Singing」という40枚組のLPが出た。
そのことについて書かれた文章のなかに出てくる(と記憶している)。

古典が現代を裁くことがある。
つねに古典が現代を裁くわけではない。

「The Record of Singing」はその後CDになっている。
「The Record of Singing」のLPは1899年からSP時代末期までの、
往年の歌手たちの歌唱がおさめられている。
CDはその後の歌唱をおさめたボックスも登場している。

SP時代末期の最後のトラックとしておさめられているのは、マリア・カラスの1954年の歌唱である。
カラスの先生であったエルヴィラ・デ・イダルゴの歌もおさられている。

「The Record of Singing」は、歌唱の古典である。
「The Record of Singing」という古典が裁く現代については、
聴いた人が考えることだ。

ここでのテーマであるアンチテーゼとしての「音」も、
現代を裁く古典としての「音」という意味もふくめてのものである。

Date: 2月 10th, 2019
Cate: ワーグナー, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その27)

ここでの組合せは、カラヤンの「パルジファル」を聴くためだけのシステムである。
このことを、コントロールアンプ選びに迷っているときに思い出した。

ならばコントロールアンプはなくてもいいじゃないか。
マッキントッシュのMC2301にぴったりと合うコントロールアンプは、
私の感覚ではマッキントッシュのラインナップにはない。

他社製のコントロールアンプも、あれこれ思い浮べてみた。
帯に短し襷に長し、という感じがどうしても残る。

実際に試聴してみれば、そんな感じは消えてしまうのかもしれないが、
MC2301すら聴く機会がないのだから、コントロールアンプをあれこれ替えての試聴は期待できない。

ではどうするのか。
ここでのCDプレーヤーには、
オラクルのCD2000 mkⅢとメリディアンのULTRA DACの組合せをもってきたい。

ULTRA DACを聴く以前は、別のD/Aコンバーターを考えていた。
その場合はコントロールアンプがどうしても必要になる。

ULTRA DACは内蔵のDSPで、ボリュウムコントロールとともにトーンコントロールも可能になっている。
ULTRA DACの、この機能を使えばいい。

これで組合せがまとまった。
スピーカーシステムはBrodmann AcousticsのVC7(以前のベーゼンドルファーのVC7)、
パワーアンプはマッキントッシュのMC2301、
CDトランスポートがオラクルのCD2000 mkⅢに、
D/AコンバーターがメリディアンのULTRA DAC。

このシステムで、カラヤンの「パルジファル」を聴きたい。
この組合せで、カラヤンの「パルジファル」を聴く機会はおそらく訪れない。

にも関らず、ここでの組合せをまじめに考えて、ここまで書いてきた。
無駄なことだ、と思う人もいるだろうけれど、
私は無駄とは思わない人間だ。

Date: 2月 9th, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その5)

Bさんが購入しようとしているオーディオは、けっこうな価格である。
ヤマハのセパレートアンプは、コントロールアンプもパワーアンプも90万円(税抜き)する。

スピーカーもB&Wならば、どのモデルになるのかは知らないが、
同程度の価格のモノになるはずだ。

それにアナログプレーヤー、CDプレーヤー、チューナーと一式揃えるわけだから、
数百万円ほどになる。

そこにラックには、どの程度の予算を割くのだろうか。
ここがとても気になる。

オーディオマニアならば、高価なラックも当り前のように購入することになるだろう。
けれどBさんもBさんの奥さんもオーディオマニアではないのだ。

そういう人からみて、いまのオーディオ用ラックの値段はどうなのか。
高いと感じてしまうように思う。

ラックによって音が大きく変るんです──、
そんなふうにオーディオ店の店員は、Bさん夫妻に説明することだろう。
その説明を、どう受け止めるのか。

音は変ることは理解したとしても、
家具としてラックをみた場合に、どう判断するのだろうか。

ヤマハには、GTR1000というラックがある。
1980年代からあるGTR1の後継である。
ブラウンバーチとブラック、二つの仕上げがある。

武骨なラックではある。
けれどいまとなっては、とても良心的な価格のラックである。

Bさん夫妻は、GTR1000を選ぶのかもしれない。
そんな気もしている。