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Date: 12月 31st, 2019
Cate: 1年の終りに……

2019年をふりかえって(その19)

このことは書くつもりはなかった。
けれど、昨晩、友人のAさんと食事をしていて、
マッキントッシュのことが話題になった。

私は、そのブログを読んでいないのだが、
Aさんが読んだ、マッキントッシュ・ユーザーのブログには、
購入してさほど経っていないアンプが故障してしまった、とあったそうだ。

やっぱり……、と残念ながら思わざるをえなかった。

2019年は、audio wednesdayで使っているマッキントッシュの製品に対して、
不信感が募った一年であった。

以前のマッキントッシュは違っていた。
その時点での最高性能を目指した製品ではないかわりに、
安心して使っていける信頼感が、しっかりとあった。

それがここ数年の製品からは失われつつある──、
というか失われている、といってもいい。

11月のaudio wednesdayでは、音を出している最中に、
突然プリメインアンプのMA7900の電源が、四回落ちてしまった。

再度電源スイッチを押せば、また問題なく使えるというものの、
音楽を聴いているのに、音が出なくなってしまうのは興醒めでもあるし、
不信感へとつながっていく。

CDプレーヤーのMCD350も、トレイに関して、不安定な動作をすることがある。
原因ははっきりしない。

いまのマッキントッシュの製品は、リモコン操作ができるように電子スイッチを多用している。
そのことと関係しているような気はする。
なんらかのノイズで誤動作しているようである。

おそらく修理に出しても、症状は再現できたりできなかったりするはずだ。
だからやっかいでもある。

とにかく昔のイメージで、マッキントッシュの製品は信頼性が高い、と思っている人は、
最近の製品では裏切られることもある、と心していたほうがいい。

Date: 12月 30th, 2019
Cate: High Resolution

MQAで聴くピーター・ガブリエル

ピーター・ガブリエルのSACDが登場したのは、十数年前か。
買ったなかで、“PASSION”には驚かされた。

ピーター・ガブリエルのSACDのすべてを聴いているわけではないが、
SACDのよさがもっともいきているのは“PASSION”ではないだろうか。
そのくらいに“PASSION”のSACDは良かった。

残念なのは、とっくに廃盤になっていることだ。
いまはMQAで聴ける。

MQAでの“PASSION”とSACDでの“PASSION”の比較試聴はやっていない。
私のシステムでは、同じ条件での再生ができないからである。

MQAの“PASSION”も、やはりいい。
MQAでの“PASSION”を聴いていて、ふと思ったことがある。
SACDでの“PASSION”を聴いていた時には、一度も思わなかったことだ。

“PASSION”のアナログディスクは、こんなふうに鳴ってくれるのだろうか──、
ということをMQAでの“PASSION”を聴いていて、ふと思った。

“PASSION”には、当時アナログディスクもあったはずだ。
いままたアナログディスクで発売されている。

どちらも聴いていないが、MQAでの“PASSION”は、
アナログディスクの音の延長線上にあるような気がする。

Date: 12月 29th, 2019
Cate: 単純(simple)

シンプルであるために(iPhoneとミニマルなシステム・その1)

ここ数日スタックスのヘッドフォンばかりで聴いている。
D/Aコンバーターはメリディアンの218で、そこにiPhoneを接続している。

Lightning-USBカメラアダプタ、USBケーブル、D/Dコンバーター、SPDIFケーブルを介して、
iPhoneと218を接続している。

D/Dコンバーターは、FX-AUDIOのFX-D03J+である。
バスパワーで動作する製品は他にもあったが、iPhoneでは動作しなかった。
FX-D03J+も正式には対応していないようだが、接続すれば問題なく、いまのところは動作する。

iPhoneもFX-D03J+も小さい。
これらに218が加わっても、小さいといえる。

これでMQAを再生できる。
e-onkyoでMQAを購入しダウンロードすればいい。

218があるから、トーンコントロールも使える。
これはこれで、けっこう気に入っているからこそ、
ここ数日、このシステムで聴いている。

とはいえ、ちょっとした不満といえることもないわけではない。
FX-D03J+である。

バスパワーで動作するため、iPhoneに接続するまでは電源が入っていない。
そのためすぐに再生しても、ウォームアップがすんでいない。
20分ほど鳴らしているといいのだけれど、バスパワーゆえにしかたないことでもある。

Date: 12月 29th, 2019
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(その5)

ケンウッドのK’sシリーズの時も、
デノンの山内慎一氏が登場されているのと同じで、
E氏が各誌に登場されていた。

どれだけの雑誌に登場されたのかまでは数えていないが、
ここにもあそこにも、と感じていた。

ただなんとなくではあるが、これだけ雑誌に短期間に登場されると、
誌面には、結局同じことが載っているだけ、というふうにもなっていく。

おそらくだが、ケンウッドのE氏の頭のなかでは、
もう完全に話すことができあがっていたのではなかろうか。

最初のころはそうでもなかったのだろうが、
二回目、三回目……と取材が続いていけば、
前回の反省点を修正していく、それに練習もしていけば、
インタヴュアーがどんな人であっても、いいたいことをきちんと話していける。

それも無駄を極力省いて、
それこそ話したことがそのまま記事になってしまうことを目指すこともできる。
そんなふうにして、一回目よりも二回目、
二回目よりも三回目、三回目よりも……、と取材をこなしていくことで、
自分自身のしゃべりにうっとりしてしまうということも出てくるのではないだろうか。

ケンウッドのE氏、デノンの山内氏がそうだ、と決めつけるわけではないが、
そうならないともいえない、と感じている。

それにしてもデノンのPMA-SX1 LIMITED EDITIONとDCD-SX1 LIMITED EDITIONのタイアップ記事は、
まだ続いている。
どの記事が、ということは、ここではリンクしないが、
このまま年が明けても続くのか。

Date: 12月 29th, 2019
Cate: デザイン

粉飾した心とデザイン

粉飾した心のみが粉飾に動かされる──、
とは小林秀雄が「様々な意匠」のなかで語っていたことと記憶している。

《粉飾した心のみが粉飾に動かされる》は、
オーディオのデザインだけに限っても、そのままあてはまる。

粉飾した心には、デザインはまったく響かないのかもしれない。
粉飾した心を動かすものをも、いまではデザインとひと括りにしているのではいのか。

Date: 12月 28th, 2019
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その30)

とあるオーディオ店で、アキュフェーズのE800が使われていた。
E800もプリメインアンプとしては相当に高価なモデルなのだが、
E800が鳴らしていたスピーカーシステムは、さらに高価な、
相対的にはE800が普及クラスのプリメインアンプとなるほどのモデルだった。

このスピーカーシステムは、数箇所で、数回聴いている。
最初に聴いたのは数年前だった。
感心したことはなかった。

なのにE800での音は、好ましい鳴り方をしていた。
E800だけが、そのシステムのなかではいちばん安くて、
他は相当に高価なモデルばかりである。

これらのモデルを揃えることのできる経済的余裕のある人でも、
今回私が聴いた組合せはやらないだろう。

それでもE800は、よかった。
インターナショナルオーディオショウでも、わずかな時間ではあったが聴いている。
その時は、なかなか良さそうだな、という感触だけだったが、
今回聴いて、驚きも感じていた。

もっときちんとした状態で聴ければ、もっと好印象を抱くであろう。
だからこそ、E800のずんぐりむっくりしたプロポーションがよけいに気になってくる。

音さえ良ければ……、そう思える人はいいが、
私は、これだけの音を出せるアンプなのに……、と思ってしまう。

E800のプリメインアンプとして大きすぎるサイズにあれこれ書いているのではない。
あくまでの、あのずんぐりむっくりしたプロポーションについてだ。
もちろんそこにはサイズとの関係も含めて、ではあるが。

Date: 12月 28th, 2019
Cate: 平面バッフル

「言葉」にとらわれて(無限大バッフル)

平面バッフルの理想は、無限大バッフルだ、ということは、
昔からの定説となっている。

無限大バッフルを実現するのは不可能であっても、
できるかぎり無限大バッフルに近づけるために、
たとえばダイヤトーンはスピーカーシステムの測定で、
フロントバッフルを上に向けて、砂丘に埋めて行うことを1970年代にやっている。
広告にもなっているので、スピーカーが埋まっている写真が記憶にある人も多いだろう。

見渡す限り地平線であれは、無限大バッフルといってもいいだろう。
けれど、これはあくまでもスピーカーシステム一本における無限大バッフルでしかない。
つまり無限大バッフルという考えそのものが生れたのはモノーラル時代のことだ。

だからこそステレオ再生における無限大バッフルとは、
どういうことなのかを考えていけば、
巨大な平面バッフル・イコール・無限大バッフルではないことに気づく。

Date: 12月 28th, 2019
Cate: audio wednesday

第108回audio wednesdayのお知らせ(ウィーンの休日)

1月1日のaudio wednesdayに持っていく予定のMQA-CDを挙げておく。

 クナッパーツブッシュ/ウィーンフィルハーモニー:ウィーンの休日
 ハスキル、マルケヴィチ/コンセール・ラムール管弦楽団:モーツァルト ピアノ協奏曲第20・24番
 クライバー/ウィーンフィルハーモニー:ベートーヴェン 交響曲第5・7番
 クライバー/ウィーンフィルハーモニー:シューベルト 交響曲第3・8番
 バーンスタイン/ベルリンフィルハーモニー:マーラー 交響曲第9番
 フルトヴェングラー/バイロイト祝祭管弦楽団:ベートーヴェン 交響曲第9番
 ミュンシュ/パリ管弦楽団:ブラームス 交響曲第1番
 デュ=プレ、バルビローリ/ロンドン交響楽団:エルガー チェロ協奏曲
 ソニー・ロリンズ:サキソフォン・コロッサス
 バド・パウエル:ザ・シーン・チェンジズ
 ビル・エヴァンス:ワルツ・フォー・デビィ
 チャールス・ミンガス:直立猿人
 コルトレーン、ハートマン:ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン
 パコ・デ・ルシア:ベスト・セレクション
 ラドカ・トネフ:フェアリーティルズ
 ジョニ・ミッシェル:ブルー
 グラシェラ・スサーナ:アドロ・サバの女王
 ジャズで聴き比べる体験サンプラー盤
 邦楽で聴き比べる体験サンプラー盤

以上19枚。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 12月 28th, 2019
Cate: 世代

とんかつと昭和とオーディオ(余談・その2)

facebookには、過去を振り返ってみよう、というおせっかいな機能がある。
二年前の12月28日に、埼玉のパン屋で、カツカレーパンを見つけたことを思い出した。

カレーパンはある。
カツサンドもある。
カツカレーもある。

けれどカツカレーパンはなかった。
カレーパンも、カツサンドもカツカレーも好きな私は、
カツカレーパンがないのが、ずっと不思議でもあった。

その答がようやくわかったのが、ちょうど二年前だ。
食べてみたら、カツカレーパンがなかったのが、わかる。

カツカレーパンはカレーパンの中心にカツが入っている。
とんかつという揚げ物の周りにカレーがあって、そのまわりに揚げたパンがある。
揚げ物がダブっている。

そんなこと考えてみれば当り前のことじゃないか、といいたくなってしまうが、
食べてみて初めて気づいた。

おそらく、パン屋でもカツカレーパンを試作したところはけっこうあるのだろう。
食べてみて、揚げ物ダブルはくどい。

揚げ物が大好きな私でも、くどいと感じてしまうほどだ。
食べてみると、わかりきっていたことじゃないか、と気づくわけだが、
食べてみないことには気づかないことも、世の中にはけっこうある。

オーディオも同じだ。

Date: 12月 28th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、透明ではなく澄明ということ

メリディアンのULTRA DAC、218でMQAの音を聴いていて、
透明な音というよりも、澄明な音と表現したい──、
これまでに何度か書いてきている。

瀬川先生は透明よりも澄明という表現を使われることが多かった。
とはいえ、透明ではなく澄明なのか、その理由について書かれているのは見たことがないし、
瀬川先生に直接訊ねることも、もうできない。

想像していくしかないわけで、
澄明な音とは、細部のグラデーションの表現に秀でた音のような気がしている。

ディテールがクッキリハッキリと見えるように聴こえる音は透明なのではないか。
一見するとクッキリハッキリとはしていないように感じるが、
階調表現が自然で豊かであることに気づかされる音こそが、澄明な音だと思う。

瀬川先生が、そのへんのところをどう考えておられたのかはわからない。

MQAの音を聴いていると、そう感じるし、
そうであると確信してしまう。

Date: 12月 27th, 2019
Cate: audio wednesday

第108回audio wednesdayのお知らせ(ウィーンの休日)

今日、写真家の野上眞宏さんと秋葉原で会っていた。
最近、野上さんと会う度に話題にのぼるのは、MQAのことである。

野上さんも私も、MQAは音がいい、ということで一致している。
だから、なぜMQAは音がいいのか、という話になる。

同じPCMで、同じサンプリング周波数でありながらも、MQAは通常のPCMよりもいい。
どこがいいのか、ということを確認しているし、
それが全体の音の印象とどう関係してくるのかについても話す。

野上さんも私も、メリディアンの218で聴いている。
けれど他はすべて違う。
聴く音楽も共通しているところもあれば、そうでないところもある。

それでもMQAの音のよさに関しては、ぴったりと一致する。
だから、1月1日のaudio wednesdayは、MQAだけにする。

ニューイヤーコンサートの日だから、クナッパーツブッシュの「ウィーン休日」から始めたい。
すべてMQA-CDのみをかける。
最後に、どのMQA-CDを鳴らすのかは決めていないが、
MQAだけの四時間となる。

Date: 12月 27th, 2019
Cate: High Resolution

MQAで聴きたい“the GULDA MOZART tapes”

ユニバーサルミュージックがMQA-CDの発売にあたって、
体験サンプラー盤も同時に発売した。

2018年秋、audio wednesdayでメリディアンのULTRA DACを初めて聴いた日、
通常のCDとMQA-CDの比較試聴のために、これらサンプラー盤も聴いた。

クラシックのサンプラー盤には、カラヤン指揮の「ツァラトゥストラはかく語りき」があった。
もう30年ほど聴いていない「ツァラトゥストラはかく語りき」なのだが、
試しに、と鳴らしてみた。

通常CDでは、かなりテープヒスに耳につく。
録音年代を考慮すると、このくらいのテープヒスはあたりまえのレベルといえる。

MQA-CDにしてみる。
まず驚いたのはテープヒスの鳴り方だ。

プログラムソースが同じでも、優れたアンプとそうでないアンプとでは、
ノイズの聴こえ方、散らばり方がそうとうに違う。

耳障りに聴こえてしまうアンプと、
音楽が鳴りはじめるとノイズはバックグラウンドになってしまい、
さほど耳につかないアンプとがある。

MQA-CDは、まさにそうだった。
優秀なアンプの鳴り方に共通するところがある。

MQA-CDにノイズリダクション作用が備わっているわけではない。
それでも、なんらかのノイズリダクションを持っているのでは? と疑いたくなるほど、
見事にノイズが音楽の背景となるレベルまで下ってしまった。

ずいぶん以前に別項で書いているグルダの“the GULDA MOZART tapes”。
これがMQAで出てくれたならば、とだから思ってしまう。

マスターテープがカセットテープの“the GULDA MOZART tapes”は、
テープヒスがかなりひどい。
それでも、“the GULDA MOZART tapes”で聴けるモーツァルトは、
まさしくグルダのモーツァルトであり、最上のモーツァルトの、数少ない一つである。

MQAで聴けるようになったら、どれほど素晴らしいことか。

Date: 12月 26th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、音の量感のこと(その8)

MQAは時間軸の精度の高さを謳っている。
けれど、時間軸の精度の高さということでは、
これまでは精度が高くなればなるほど、みずみずしい音は失われつつあった──、
個人的にはそう感じている。

ベルトドライヴ、アイドラードライヴからダイレクトドライヴ型プレーヤーが主流になり、
さらに回転精度を高めるためにサーボ回路が搭載され、
より高精度にするためにクォーツロックも採用されたわけだが、
それらすべてのプレーヤーがそうだった、とまではいわないものの、
大きな傾向として、やはりずみずしい音は失われていった。

CDが登場し、回転精度は水晶の精度となるわけだから、
アナログプレーヤーにつきもののワウ・フラッターは測定限界値以下となった。
そしてみずみずしい音は、さらに失われていった。

回転精度が高くなるということは、
時間軸の精度が高くなる、ということである。

つまり時間軸の精度をあげていくだけでは、みずみずしい音は得られないのかもしれない。
なのにMQAの音を聴いていると、
アナログディスク再生の理想形といいたくなるほどである。

ここでのアナログディスク再生におけるプレーヤーとは、
EMTの930st、927Dst、トーレンスのアナログ全盛時代のベルトドライヴ型、
他にもいくつか挙げられるが、いずれもダイレクトドライヴ型ではない。

これらのプレーヤーのワフ・フラッターは、
ダイレクトドライヴ型の普及クラスのモノよりも、カタログスペック上は悪かったりする。
それでも、音を聴けば、そんなスペック的なことは逆転する。

安定感のある音を聴かせてくれるのは、
総じてカタログスペックで低い値のプレーヤーであった。

つまり、カタログスペック上の回転精度、
静特性としての回転精度の高さは、音楽再生においてはほとんど意味をもたない。

Date: 12月 26th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、音の量感のこと(その7)

私が好きな音は、みずみずしい音である。
とはいえ、この「みずみずしい」音の正体がよくわかっているわけでもない。

なぜ、みずみずしい音とそうでない音とがあるのか。
それからヨーロッパのオーディオ機器にみずみらずしい音を感じることが多いのはなぜなのか。

アナログディスクからCDへと移行して、みずみずしい音が、
それまでみずみずしい音を出してくれるスピーカーだと思っていたのに、
あきらかにみずみずしさが減じた音がしてきた。

これはなぜなのか。
デジタルになったからみずみずしい音ではなくなってきたのか。
そうともいえるだろうし、それだけではないはずだとも思ってきた。

MQAの音を聴いて、みずみずしいと私は感じている。
ということはデジタルだから、とはいえないわけである。

そういえば、と思い出すのは、
アナログディスクにおいても、ダイレクトドライヴ型プレーヤーが主流になって、
みずみずしい音は失われつつあったのではないだろうか。

すべてのダイレクトドライヴ型ではみずみずしい音が出ない──、
とまではいわないものの、総じてダイレクトドライヴ型からはみずみずしい音が感じとりにくい。

私がダイレクトドライヴ型以外のアナログプレーヤーを使ってきたのも、
無意識のうちにそのへんのことを感じとっていたからなのか。

Date: 12月 25th, 2019
Cate: デザイン

SG520とC240(その3)

アキュフェーズのC240のデザインは、
JBLのSG520のデザインの、瀬川先生による翻訳なのかもしれない。

コントロールアンプのデザインの象徴の一つとして、
真空管アンプのマランツのModel 7があり、
トランジスターアンプのJBLのSG520がある。

Model 7は、あらゆる模倣デザインが生れてきた。
マランツのトランジスターアンプがまずそうだし、
ラックスのアンプも、その代表的例である。

けれどSG520は、というと、すぐに浮んでくるモデルはない。
SG520がそうであるように、あのデザインを模倣するということは、
内部構造も同じようになり、メインテナンスが困難になるということも、
模倣デザインが続いてこなかった理由として考えられる。

それにModel 7は基本的に左右シンメトリーの配置であるのに対し、
SG520はまったくそうではないことも、模倣デザインが生れてこなかった理由だろう。

そこにあえて挑戦されたのではないのか。
SG520が誕生したころから部品の進歩は続いている。
リレーを多用すれば、SG520と同じデザインであっても、
内部配線はずいぶんすっきりしてくるはずだ。

C240は1979年ごろに登場している。
SG520とは十年以上の開きがある。

SG520ではできなかったことも可能になる。
その意味での、瀬川先生の挑戦でもあった、と考えられる。

挑戦するには、SG520をまず理解しなければならない。
その理解に必要なのが、翻訳という作業だと考える。

SG520の、瀬川先生による翻訳と挑戦。
その結果が、C240である。