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Date: 12月 2nd, 2019
Cate: モノ, 世代

モノと「モノ」(世代の違い・その1)

数日前、ハタチぐらいの若者数人による座談会が、
インターネットの記事になっていた。

テーマは「若者のお金の使い方」についてだった。

ほぼ全員、いわゆるモノを買うのには、あまり興味がない、
モノより体験にお金を使う、とあった。

体験とは、スポーツ観戦だったり、音楽のライヴも含まれるし、
映画館に行くのも、テーマパークに行くのもそうであろう。

この若者たちに、司会者は訊ねなかったのか、と思うことがある。
クルマは確かにモノである。
高価なモノである。

けれどクルマは買ってオシマイ、というモノではない。
クルマを運転するという体験ができる、
運転して、どこかに行ける、ということも体験である。

オーディオもそうだ。
この座談会に登場したハタチぐらいの人たちにとっては、
われわれが購入するようなオーディオ機器は、高価過ぎるということになろう。

しかも高価過ぎるモノでしかないのだろう。
われわれはオーディオ機器というモノを買っているが、
けれどオーディオで音楽を聴く、ということは体験である。

音楽ライヴでは、一度きりの体験である。
オーディオでの音楽は、くり返し体験できるからこその発見がある。

クルマやオーディオは高価だけど、たとえばTシャツでもいい。
Tシャツのいちばんいいのが、どれだけするのかしらないが、
数千円出せば、いいTシャツが買えるはずだ。

ユニクロのTシャツも悪くはないが、
たとえば五千円ほどするTシャツを着れば、
その着心地の良さは驚くのではないのか。

これも体験である。
良質のモノは、すべて体験へとつながっていく。

Date: 12月 1st, 2019
Cate: audio wednesday

第107回audio wednesdayのお知らせ(バーンスタインによる「第九」)

今年最後のaudio wednesdayは、4日。

使用機材は前回とほぼ同じ。
メリディアンの218は、喫茶茶会記の218ではなく、
11月のaudio wednesdayで鳴らした218を使う。

前回と違うのは、218用の電源コードを新たにもっていくこと。
喫茶茶会記のスペースは、電源コンセントが少ない。

なので、アンプは音を出す部屋にあるコンセントからとっているが、
CDプレーヤーは、奥の部屋のコンセントからとっている。

なので、ここも自作の延長コードを使っている。
CDプレーヤーのMCD350用には、今年7mほどの長いコードを作り、
延長コードを介さずに、奥の部屋のコンセントから直接とるようにした。

218だけが延長コードを介していた。
今回は218用に長いコードを用意して、MCD350と同じで奥の部屋のコンセントから直接とるようにする。

MCD350のときも、このことによる音の変化は大きかった。
218でも同じ傾向の音の変化になるであろう。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 12月 1st, 2019
Cate: アナログディスク再生

アナログディスクの自作(補足)

facebookでコメントがあり、
カッティングマシンを中心としたブログのURLがあった。

YAMADAN DISK RECORDINGS BLOGで、
2016年の「レコードカッティングマシンのこと(国産)」へのリンクであった。

このブログに掲載されている機種のなかで、ディスクルが、
私の記憶の中にあるモノとよく似ている。
たぶん、これであろう。

ソノシート用ではなかったが、モノーラル専用である。
価格もわかった。

そうなのだ、当時としてはかなり高額だった。
高校生には、ちょっと無理な価格だった。

上記ブログは、ディスクル以外のモデルも紹介されている。

Date: 12月 1st, 2019
Cate: アナログディスク再生

アナログディスクの自作

Phonocutという機械が、SNSで話題になっている。
WIREDが『アナログ盤を自作できるマシンが、まったく新しい「レコードの時代」の到来を告げる
という記事を公開している。

記事には、こうある。
《「Phonocut」は、家庭用としては初のアナログレコードのカッティングマシンだ》

WIREDの記事を書いている人は、私よりもかなり若い世代なのだろうか。
記事の内容そのものについての批判ではなく、
ただ上に引用した箇所について、ちょっと補足したいだけである。

Phonocutが家庭用としては初のカッティングマシンではない、ということだ。
私が高校生のころに、すでにあった。

オーディオメーカーから出ていたわけではなかった。
全国紙の広告に載っていた。
メーカー名は、もう40年ほど前のことで忘れてしまった。

Phonocutは10インチ盤だが、私が新聞広告で見た機械は、シングル盤専用だったと記憶している。

当時の新聞のモノクロの広告だから、写真も鮮明ではなかった。
技術的な説明がきちんと載っていたわけでもなかった。
ソノシート用だったのかもしれないが、
少なくともカッティングマシン、それも家庭用のそれであったことは間違いない。

これが家庭用として初のカッティングマシンだったのかどうかもわからない。
40年ほど前に、すでにそういう機械は日本にはあった、という事実だ。

Date: 12月 1st, 2019
Cate: 「うつ・」

うつ・し、うつ・す(その13)

ここでのテーマである「うつ・し、うつ・す」について考えていると、
音質と描写力の違いについて考えていることに気づく。

別項「富士山は見飽きないのか」で考えていることの一つと同じである。

小学生、高校生のころ、つまり10代のころは、
優れた写真の方が、優れた絵画よりも、
実際の風景に近い、と思い込んでいた。

それがいつしか変化していっていた。
世の中に、写真さながらの絵を描く人が登場し始めたことも関係している。
絵画のテクニックは、写実性ということでは、
おそろしく進歩しているのではないのか。

絵画の、そのへんの変遷について詳しいわけではないが、
SNSで、ときおり話題になる人の絵画のテクニックは、素直にすごい、と思う。

だから絵画よりも写真の方が……の意識が変ってきたわけではない。
むしろ風景の見方、というよりも見え方の変化が、私自身に生じてきたからである。

20代の終りごろ、ふと空を見て、絵画のようだ、と感じた。
その日以来、そう感じることが徐々に増えてきた。

こうなってくると、もう写真の方が……、とはおもえないようにもなってくる。

いまはiPhoneでも、写真の素人の私でも失敗することなく、
人に見せても恥ずかしくないレベルの写真は撮れるようになっている。

カメラの画素数の向上、それだけでなくソフトウェア的な処理の進歩などによって、
画質ははっきりと良くなっている。

良くなっているだけに感じるのは、描写力について、である。

iPhoneのカメラだと、
素人の私と、ほんとうにプロフェッショナルな写真家との腕の差は縮まるのか──、
そんなことはないように思う。

失敗することのあった以前のカメラとは、いまは違う。
それでも埋まらない何かとは、描写力なのか、と思うようになった。

そして写真よりも、名画といわれる絵画のほうが、
より実際の風景に近いと感じるのも、この描写力ということのはずだ。

Date: 11月 30th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その24)

300Bのプッシュプルアンプは、私にとってのグッドリプロダクション・アンプなだけに、
徹底してオーディオ機器としての音色を磨き上げたい。

そのためにしたいことは、徹底的に灰汁をとっていくことだ。
面倒がらずにていねいに灰汁をとっていくことでしか得られない味があるように、
アンプの内部からも、そういう灰汁へと結びついていく要素を面倒がらずにていねいになくしていく。

部品を吟味していくだけでは、
良質の素材を用意しただけではおいしい料理がつくれないのと同じで、
雜味のたっぷり残った音は、私の望む音色ではない。

そういう300Bのプッシュプルアンプをつくりたいのだから、
(その23)で書いているように、
配線方法にいままで真空管アンプに採用されたことのないやり方でいく。

もしかすると誰かが既に試しているかもしれないが、
少なくとも私がこれまで見てきた真空管アンプ、
メーカー製、オーディオ雑誌の記事などでは見たことはない。

周囲のケーブルに影響を与えない、
周囲のケーブルからの影響を受けにくいような方式を採用すべき、と書いているが、
だからといってシールド線を使えばいい、というものではない。

中学生のころは、なぜ シールド線を、
信号系ではなく電源系の配線に使わないのか、と疑問だった。

私になりに、その理由をいくつか考えた。
それでも疑問点は残ったままでもあった。

300Bのプッシュプルアンプに採用するやり方は、大袈裟にはならない。
パッと見て、どんなことをやっているのかわからないところがある。
それがいいな、と思っている。

Date: 11月 30th, 2019
Cate: ショウ雑感

2019年ショウ雑感(その25)

アナログディスクをかけるブースは、数年前から増えてきている。
いいことだと思いながらも、
増えることによって、アナログディスク再生の難しさも露呈してきているように感じてもいる。

アナログディスクをかけたから、どなんかけかたでもいい音が出るというわけではない。
むしろCDよりもずっと使い手(鳴らし手)の技倆が、はっきりと音に出てくる。

もちろん使用機材の良し悪しも関係してくるわけだが、それでも使いこなしも重要であり、
それ以上に、と考えるのは、
鳴らし手が、これまでどういう音でアナログディスクを再生してきたか、である。

ようするに、ここでも「音は人なり」ということをいいたい。

どこのブースなのかは書かない。
あまりにもひどかったからだ。

アナログディスクの音は、鳴らし手によっては、
硬く冷たい表情であることが多々ある。

CDよりも、ひどく鳴った場合の音は、ほんとうにひどい。

そのブースで鳴っていた音は、骨格だけの音のようにも感じた。
ゴリゴリした感触しかない音で、
しかもその骨格の均整が崩れてしまっている、としかいいようのない音だった。

なのにそのブースの人は、アナログディスクの魅力を十全に鳴らしきった──、
そんな感じの話をしていた。

その時の音の表現は、アナログディスクの魅力を語る際によく使われる類だった。
なのに、出てきた音は、そんな表現とは正反対にしか私の耳にはきこえなかった。

私には、鳴らしている人の表情は満足げにみえた。
だから、鳴っていた音は、その人が鳴らしたかった音であるのは間違いない。

こういう音と、その表情は何を語っているのか、と考えると、
結局は「音は人なり」は、常に真理であることに行き着いてしまう。

Date: 11月 29th, 2019
Cate: 黄金の組合せ

黄金の組合せ(その31)

別項の「リファレンス考」に書こうかな、と考えたが、
facebookへのコメントは「黄金の組合せ」に対してあったので、こちらで書こう。

オーディオにおいて、リファレンス(reference)をどう訳すか、となると、
私は標準原器を第一にもってきたい。

標準原器としてのアナログプレーヤー、
標準原器としてのCDプレーヤー、
標準原器としてのコントロールアンプ、
標準原器としてのパワーアンプ、
標準原器としてのスピーカーシステム、
それぞれをまず具体的にイメージしてみてほしい。

その30)へのコメントには、
「リファレンス」が「最高のもの」を示すマーケティング擁護として使われているからではないか、
その一例として、テクニクスのフラッグシップモデルが、「リファレンス」を冠している、
とあった。

たしかに「リファレンス」はそういう使われ方をされることが、
オーディオ業界では多い。

私が知る限りでは、Referenceを型番として採用した最初のオーディオ機器は、
トーレンスのReferenceである。

それから数年後に、ゴールドムンドの、やはりアナログプレーヤーがReferenceという型番で登場した。
このゴールドムンドのReferenceから、
「リファレンス」はそういう使われ方へと変化していったように、私は感じている。

トーレンスのReferenceの記事は、ステレオサウンド 56号に載っている。
瀬川先生が書かれている。
     *
 ことしの3月に、パリの国際オーディオフェア(アンテルナシォナル・フェスティヴァル・デュ・ソン)に出席の途中に、スイスに立寄ってトーレンス社を訪問した。そのときすでにこの製品の最初のロット約10台が工場の生産ラインに乗っていたが、トーンレス本社で社長のレミ・トーレンス氏に会って話を聞いてみると、トーレンス社としても、これを製品として市販することは、はじめ全く考えていなかった、のだそうだ。
「リファレンス」という名のとおり、最初これはトーレンス社が、社内での研究用として作りあげた。アームの取付けかたなどに、製品として少々未消化な形をとっているのも、そのことの裏づけといえる。
 製品化を考慮していないから、費用も大きさも扱いやすさなども殆ど無視して、ただ、ベルトドライヴ・ターンテーブルの性能の限界を極めるため、そして、世界じゅうのアームを交換して研究するために、つまりただひたすら研究用、実験用としてのみ、を目的として作りあげた。
     *
トーレンスのreferenceは、トーレンスがつくりあげた標準原器である、
と、この文章を読んでも私はそう思う。

ところがゴールドムンドのReferenceとなると、
まずReferenceという型番ありきの開発だったのではないのか。

Date: 11月 28th, 2019
Cate: 黄金の組合せ

黄金の組合せ(その30)

リファレンス機器についての読者からの問い合せを三度ほど受けたことがある。
電話での問い合せだった。

一人の方は、具体的に海外製の高価な、そして高評価なオーディオ機器の型番をあげて、
なぜ、○○がリファレンスとして採用されないのですか──、ということだった。
採用されない理由は、読者にいえないことなのか、という勘ぐりも含まれていた。

別の人は、ステレオサウンドで使っているリファレンス機器が、
いちばんいいんでしょう、と念押し的な問い合せだった。

どちらの問い合せも、リファレンス(reference)の意味を取り違えている。
だから、そのことから話すことになった。

電話をかけてこられた方には直接説明できる。
けれど、編集部に電話をかけてくる人は、ほんとうに稀である。
それ以外の人で、リファレンス機器の意味を勘違いしたままの人は、
もしかすると、ずっとそのままな可能性も高い。

そしてステレオサウンド試聴室のリファレンス機器ということは、
それが一つの御墨付になってしまったようにも思っている。

ステレオサウンドのどこにも、リファレンス機器が、
その時点での最高のオーディオ機器だ、なんてことは書いてない。

別項の「リファレンス考」を読んでもらえればわかるように、
リファレンス機器にはリファレンスとして求められる条件がけっこうある。

だから私がいたころも、
アンプはマッキントッシュからアキュフェーズへと替った。

マッキントッシュとアキュフェーズのどちらが優れているか、
そういうことではない、ということがいまだ浸透していないのか。

Date: 11月 28th, 2019
Cate: 黄金の組合せ

黄金の組合せ(その29)

先ほど公開した「リファレンス考(その10)」の一つ前(その9)は、
二年半前に公開している。

それを思い出したように続きを書き始めたのは、この項に関係してくるからである。
おそらくなのだが、JBLの4343に代表されるスタジオモニターと、
マッキントッシュの同時代のアンプとを黄金の組合せというのは、
どちらもそのころのステレオサウンド試聴室のリファレンス機器であったことが、
深く関係しているのではないのか。

瀬川先生が生きておられたころは、
リファレンス機器は、特にアンプは人によって違っていた。

スピーカーはJBLの4343で、ほぼ固定といえたが、
アンプに関してはそうではなかった。

それが1981年夏に瀬川先生が二度目の入院をされて、
そして三ヵ月後に亡くなられてからは、アンプに関しては変化があった。

ほぼマッキントッシュのペアが、リファレンスとなった。
C29とMC2205(後にMC2255に替る)がそうだった。

1981年夏の別冊「81世界の最新セパレートアンプ総テスト」でもそうだ。
このことが、黄金の組合せと結びついていったのではないか。

トーレンスのReferenceのせい、といってしまうと言い過ぎなのだが、
日本のオーディオマニアは、リファレンス・イコール・最高のオーディオ機器、
そんな認識を持っている人が少なくないように感じている。

「リファレンス考」でも書いているのように、
リファレンスは、ひとつの基準・参照である。
なにも最高のオーディオ機器ということではない。

この勘違いが、JBLとマッキントッシュが「黄金の組合せ」といつしかなっていった。

Date: 11月 28th, 2019
Cate: ショウ雑感

2019年ショウ雑感(その24)

1974年に、日本で「エクソシスト」が公開になった。
当時,とても話題になっていた。

まだ小学生だったこと、
「エクソシスト」を上映している映画館は、バスで一時間ほどのところにあるため、
母と弟と一緒に観た。

怖かったし、気持悪かった。
観終っても、一ヵ月ほどは、その怖さが抜けきらなかったほどだった。

でも、ホラー映画を含めて、怖いおもいができる映画が好きである。
この手の映画が苦手な人は、
なぜお金を払ってまで怖いおもいをしに行くのか、という。

いわれてみると、そうだな、と思いつつも、
ここ十年ほどは、心底怖かった、とおもえる映画にであえていない。

「エクソシスト」はグロテスクでもあった。
そのグロテスクさと、幻想交響曲のグロテスクさを一緒くたにするつもりはないが、
いまの時代は、グロテスクさやグロテスク的なものを排除か、
そこまでいかなくともかなり薄めてしまっている面も感じるといえば、そうだ。

不特定多数の人が来場するオーディオショウのブースで、
はっきりとグロテスクさが感じられる演奏、音を鳴らすのは時代にそぐわないのか。

Date: 11月 28th, 2019
Cate: ショウ雑感

2019年ショウ雑感(その23)

オーディオショウに行く楽しみの一つに、
未知のディスクとの出逢いがある、という人は多いはずだ。

今年のOTOTENでは、アンジェリーク・キジョー(Angélique Kidjo)と出逢えた。
インターナショナルオーディオショウは、残念ながらなかった。

たまたま私が行ったブースではなかった、というだけのことかもしれない。
他のブース、行って聴いたブースでも、違う時間帯であれば、
また違っていた可能性はあるけれど、今回はなかったのは変えようがない。

そういえば、今年のインターナショナルオーディオショウでは、
ベルリオーズの幻想交響曲が、いくつかのブースで鳴っていた。
指揮者はそれぞれ違っていた。

去年のインターナショナルオーディオショウでも、幻想交響曲を聴いている。
これもまた今年聴いた演奏とは違う。

幻想交響曲は、また、よく使われるようになっているのか。
正直どうでもいいや、と思いながらも、
幻想交響曲がもつグロテスクさのようなところは、
演奏のせいなのか、録音のせいなのか、
それともそこで鳴っていた音がいちばん影響しているのか、
残念ながら感じとれなかった。

Date: 11月 28th, 2019
Cate: Reference

リファレンス考(その10)

1980年代になってから、試聴室のリファレンス機器には、
バランス伝送に対応しているかどうかも重要となってくる。

バランス出力が、アンバランス出力よりも必ずしも、
性能的にも音質的にも優れているとはいえない。

どうやってバランス信号をつくり出しているのか。
それによっては、アンバランス出力のほうが、ずっと音がいいことは意外に多い。

しっかりとバランス信号をつくり出している機器であっても、
受け側のバランス入力が、どうなっているかによっては、同じことがいえる。

バランスだから、アンバランスよりも音がいい、とは必ずしもいえないわけで、
と同時に、アンバランス/バランス入出力がついていたとしても、
そのメーカーは、どちらを基準としているかという問題もある。

そういったことも試聴で確認していくためには、
しっかりとしたアンバランス/バランス入出力をもつコントロールアンプ、
アンバランス/バランス入力のパワーアンプ、
アンバランス/バランス出力のCDプレーヤーなどが必要となってくる。

絶対必要条件ではないが、きちんとした試聴を行おうとするのであれば、
要らない、とはならない。

バランス伝送では、
特にトランスを使ってのバランス伝送ではインピーダンスマッチングをどうするかも重要となる。

出力段の最後にトランスを入れて、バランス信号をつくり出す。
一般的に二次側のインピーダンスが600Ωであれば、
このトランスの出力を受ける側の入力インピーダンスは、原則として600Ωでなければならない。

けれど現実には、そうなっていないことが多い。

Date: 11月 28th, 2019
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(その4)

デノンのプリメインアンプのPMA-SX1 LIMITED EDITIONと、
SACDプレーヤーのDCD-SX1 LIMITED EDITIONのタイアップ記事には、
必ずといっていいほど、デノンの山内慎一氏が登場している。

開発に携わった人が誌面、ウェブサイトに登場するのは、
昔からよくあることだし、開発者ならではの話は興味深いこともある(そうでないこともある)。

それにしても、よく登場されるな、と思いながら見ていた。
今月発売のステレオの表紙にも登場されている。

デノンが、PMA-SX1 LIMITED EDITIONとDCD-SX1 LIMITED EDITIONにかける意気込みが、
よくわかるといえばそうだけど、もう聴く前からお腹いっぱい、そんな感じがしてくる。

インターナショナルオーディオショウのデノンのブースでは、
この二機種が鳴っていたはずである。

私はデノンのブースには寄らなかった。
もうお腹いっぱい、という感じだったからだ。

ここまでくると逆効果と感じる人も出てきているのではないだろうか。

「音は人なり」とずっと以前からいわれてきているし、
私自身も、ここでしつこいぐらいち書いてきている。

なので開発者という「人」が誌面に登場するのはいいことだと思っているが、
ここまでくると、どうだろうか、と何かいいたくなる。

同じようなことが二十年くらい前にもあった。
ケンウッドからミニコンポの高級版といえるK’sシリーズが出た。

この時も、オーディオ各誌に、開発を主導した人がよく登場していた。
たしかEさんだった、と記憶している。

Date: 11月 28th, 2019
Cate: 黄金の組合せ

黄金の組合せ(その28)

つまりJBLの、1970年代後半以降のスタジオモニターと、
同時代のマッキントッシュのアンプの組合せは、
黄金の組合せなんかじゃない、と私は断言する。

それでもインターネット、SNS上には、
これこそ黄金の組合せ、とあったりするのはどうしてなのか。

この時代になると、ジャズといっても、多彩になってきている。
録音も、器材の変化、方法の変化などがある。

ジャズにとっての黄金の組合せ、というふうにくくっても、
私には、そうとは思えない。

いまでもそういっている人たちは、いったいどこで黄金の組合せを目にしたのか。
ほんとうに目にしたのか。そのことすら疑いたくなる。

では、瀬川先生が、4343の組合せとして、
マークレビンソンのML2以前は、
マークレビンそのLNP2とSAEのMark 2500のペアを、よく組み合わせられていたし、
瀬川先生自身、この組合せを愛用されていた。

だからといって、4343、LNP2+Mark 2500が黄金の組合せかというと、
誰もそんななことはいっていな。
瀬川先生もいっていない。

私も、この組合せを一度も黄金の組合せだ、というふうに考えたこともない。
憧れの組合せではあったし、その時点での理想に近い組合せのようにも思っていた。

思うのだが、黄金の組合せという表現を使いたがる人は、
白黒つけたがる人、はっりきと順位を決めたがる人なのではないのか。

黄金の組合せの「黄金」は、そういう人たちにとっては金メダルという意味なのか。