Date: 12月 1st, 2019
Cate: 「うつ・」
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うつ・し、うつ・す(その13)

ここでのテーマである「うつ・し、うつ・す」について考えていると、
音質と描写力の違いについて考えていることに気づく。

別項「富士山は見飽きないのか」で考えていることの一つと同じである。

小学生、高校生のころ、つまり10代のころは、
優れた写真の方が、優れた絵画よりも、
実際の風景に近い、と思い込んでいた。

それがいつしか変化していっていた。
世の中に、写真さながらの絵を描く人が登場し始めたことも関係している。
絵画のテクニックは、写実性ということでは、
おそろしく進歩しているのではないのか。

絵画の、そのへんの変遷について詳しいわけではないが、
SNSで、ときおり話題になる人の絵画のテクニックは、素直にすごい、と思う。

だから絵画よりも写真の方が……の意識が変ってきたわけではない。
むしろ風景の見方、というよりも見え方の変化が、私自身に生じてきたからである。

20代の終りごろ、ふと空を見て、絵画のようだ、と感じた。
その日以来、そう感じることが徐々に増えてきた。

こうなってくると、もう写真の方が……、とはおもえないようにもなってくる。

いまはiPhoneでも、写真の素人の私でも失敗することなく、
人に見せても恥ずかしくないレベルの写真は撮れるようになっている。

カメラの画素数の向上、それだけでなくソフトウェア的な処理の進歩などによって、
画質ははっきりと良くなっている。

良くなっているだけに感じるのは、描写力について、である。

iPhoneのカメラだと、
素人の私と、ほんとうにプロフェッショナルな写真家との腕の差は縮まるのか──、
そんなことはないように思う。

失敗することのあった以前のカメラとは、いまは違う。
それでも埋まらない何かとは、描写力なのか、と思うようになった。

そして写真よりも、名画といわれる絵画のほうが、
より実際の風景に近いと感じるのも、この描写力ということのはずだ。

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