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Date: 2月 11th, 2020
Cate: 欲する

何を欲しているのか(サンダーバード秘密基地・その2)

サンダーバード秘密基地が出る、というニュースを知った時からすれば、
いまは、欲しいという気持はかなり弱くなっている。

それでも書店に並んでいるのをみると、
つい手にとってしまい、自問自答することもある。

欲しい、といえば、確かに欲しい。
こういうモノが、今後登場してくるのか──、
そんなことまで考えると、よけいに欲しくなってくる。

それでも手を出さないのは、完成してしばらくしたら、飽きてしまうことがわかっているからだ。
そこまでの二年間が楽しめれば、それもいい──、という気持も持っている。

それにしても、なぜ、こんなに心を動かされるのか。
子供のころ、欲しかったから──、いちばんの理由のような気がしている。

同じことはオーディオについてもいえる。
ヤフオク!を眺めていると、
こんなモノが出ている、と思うのは、
オーディオをやり始めたころに憧れたオーディオ機器が圧倒的に多い。

当時の憧れであったJBLの4343、
マークレビンソンのLNP2、スレッショルドの800A、
EMTの930st、927Dstなど、といったオーディオ機器だけではない。

例えばJBLの4301もそうである。
4343が憧れであった。
同時代の4301は、別項で書いているように、あと少しで手が届きそうなJBLだった。

円高が一年ほど早かったら、4301を手にしていたかもしれない。
同じ意味でKEFのModel 103もそうである。

手に入れられそうなところにあったけれど、あと少し無理だったオーディオ機器がいくつもある。
そういうオーディオ機器が、ヤフオク!にあったりする。

ヤフオク!でなくても別にいい。
中古のオーディオ機器を扱っている店に並んでいたりする。

心は、ここでも動く。
それでも……、とサンダーバード秘密基地と同じようなことを考えてしまう。

Date: 2月 10th, 2020
Cate: 正しいもの

「正しい音とはなにか?」(正確な音との違い・その4)

別項「218はWONDER DACをめざす」への坂野さんのコメントにあった『殊更』。

殊更とは、辞書には、
際立つように意図的に物事を行うさま、とある。

オーディオマニアのなかには、デザインを付加価値と捉えている人がけっこういる。
デザインを付加価値とする人は、
もしかするとデザインを『殊更』を増していく要素として考えているのかもしれない。

坂野さんは、デザイナーである。

デザイナーと名乗る人は、世の中にはけっこういる。
デザイナーと名乗ったから、デザイナーなのか。
そうではないはずだ。

坂野さんは、くり返すがデザイナーである。
だからこそ『殊更』と表現されたのではないだろうか。

正しい音と正確な音との違い。
後者は、『殊更』とまじわりがちなのかもしれない。

Date: 2月 9th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218はWONDER DACをめざす(その11)

坂野さんが、(その10)へのコメントをfacebookにしてくれた。

《『殊更』に感じる表現がまったくと言ってもよいほど無いのが良かった》とあった。
そういいたくなる音に仕上がってきている、と私も感じていた。

とはいえ、そういう音をめざして手を加えていった、と言ってしまうと、
すこしばかり違うところもある。

そういう音が出てくれるはず、という予感はあった。
だから218に、ここまで手を加えてきた。
予感は正しかったことを証明した、といえる。

1月は何度218を開け閉めしたことだろう。
手を加えるのは楽しい、と感じることもあるが、
たいていは面倒なことと捉えている。

一から十まですべて教えるから、誰かかわりにやってくれないものかなぁ、と思うことだってある。
けれど、そんな人はいないから、自分でやるしかない。

もっとも自分でやるから気づくことがあって、
それが次回につながっていくこともある。

つい先日のaudio wednesdayでは、
どんなふうに手を加えているのか、それを確かめてもらうために中を見てもらった。

見ればわかるが、やる気になれば、ほとんどの人にできることでしかない。
私と同じことを同じレベルでやってきた人ならば、
こんなことをやっているな、とわかるはずだ。

どれだけのコストをかけたのかもわかる。
材料をトータルすると、数千円にはなるが、
218に使う文量は少しばかりである。

使った分だけを計算していくと、
version7までは数百円程度である。
version 8では、あるモノを購入したため、二千円弱程度にはかかっているが、
それでも市販のアクセサリーの価格からすれば、わずかといえる。

こんなことを書いていると、結局、自慢話をしたいのか、と受けとられるかもしれない。
でも、いいたい(伝えたい)のは、218がすごいということ。

Date: 2月 9th, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その10)

別項「オーディオにおけるジャーナリズム(続×五・編集者の存在とは)」で書いたこと、
「同じ部屋の空気を吸うのもイヤ!! そういう相手と一緒につくっていかないと面白い本はつくれない」、
当時、ステレオサウンドの編集顧問だったKさんのことばだ。

三十数年前にきいた。
そのころは、そういうものだろうか……、ぐらいに受け止めていた。
けれどステレオサウンドを離れて、たしかに本をつくっていくということ、
それも趣味の本をつくっていくということは、そうだ、と実感している。

そんな考え、古すぎる、といわれれば、
「そうかもしれない」といちおうは返事をするだろう。
でも、本音は、このことばをきいたとき以上に、そう思っている。

仲良しクラブ的にやっていきたい人たちにとっては、
頭のおかしい人たちがおかしいこと、悪い冗談を言っている──、
そんなふうにしか受けとらないであろう。

同じ部屋の空気を吸うのもイヤ!!──、そういう人とどうやって仕事をしていくというのか。
その段階で戸惑ってしまうのか。

いまのステレオサウンド編集部が、そうなのか、違うのか。
まったく知らないけれど、誌面から伝わってくる空気からは、
Kさんのことばとは違っていることだろう。

編集部だけでなく、ステレオサウンドに書いている人たちも、そうなのではないのか。
みな仲良しクラブ的にやっているようにみえる。

でも、仲良しクラブ的に、ということは、表面的には、ということであるように感じもしている。

Date: 2月 8th, 2020
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その5)

五味先生、瀬川先生、
ふたりとも結局同じことをいわれている。

五味先生はHBLの4343とタンノイのコーネッタ、
瀬川先生は4343とロジャースのLS3/5Aにおいて、である。

五味先生はJBLに《糞くらえ》と、
瀬川先生は《蹴飛ばしたくなるほどの気持》と。

あのころのJBLのスタジオモニターの最新モデルの4343の実力を認めながらも、
クラシックにおける響きの美しさが、鳴ってこないことを嘆かれている。

コーネッタにしてもLS3/5Aにしても、
4343からすれば、価格的にかなり安価なスピーカーだし、大きさも小さい。

4343を本格的なスピーカーシステムとして捉えれば、
コーネッタもLS3/5Aも、そこには及ばない。
だからこそ、《あの力に満ちた音が鳴らせないのか》と、瀬川先生は書かれているわけだ。

《クラシック音楽の聴き方》は、五味先生、瀬川先生はもう同じといっていいはずだ。
けれど、そこから先が違っている、というのだろうか。

正直、こうやって書いていても、よくわからないところもある。
五味先生と瀬川先生が、
「カラヤンと4343と日本人」というテーマで対談をしてくれていたら──、
そうおもうこともある。

けれど、そういう対談は、どこにもない。
ない以上、考えていくしかない。

カラヤンと4343。
指揮者とスピーカーシステム。
けれど、どちらもスターであったことは否定しようがない。

アンチ・カラヤンであっても、
アンチJBLであっても、
カラヤンはクラシック界のスターであったし、
4343も、少なくとも日本においてはスター的存在であった。

Date: 2月 8th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218はWONDER DACをめざす(その10)

2月5日のaudio wednesdayでは、メリディアンの218(version 8)で聴いてもらった。
とはいえ、前回まではマッキントッシュのMCD350をトランスポートとしていたのに、
今回はiPhoneでその代りだっただけに、
前回のversion 7とどのくらい違ってきているのかは把握し難かったはずだ。

今回は、ひさしぶりにデザイナーの坂野博行さんが来られた。
水曜日には大学の講義があるために、普段は無理ということだったが、いまは大学が休みになっている。

坂野さんは、今回、初めて218を聴かれた。
何かほかのD/Aコンバーターは比較試聴したわけではない。

それでも私の隣で聴いていた坂野さんが、218の音についての一言は、
まさに、そのとおりのことだった。

前回のversion 7は、それまでの218とは少しエネルギーバランスに変化がみられた。
周波数特性が変化したわけではないのだが、
エネルギーバランスの変化にスピーカーのほうがうまく対応できていないのかな──、
そんな感じを鳴らしはじめでは受けていた。

もうこれはしばらく鳴らして、スピーカー側がこなれてくるのを待つしかない。
そう判断したので、とにかく鳴らしていく。

こなれてきたかな、と感じたころあいに、ラドカ・トネフの“FAIRYTALES”をかけた。
その音については別項で書いている。

その音にはっきりと手応えを得られたから、version 8にとりかかった。
218(version 8)は、三週間ほど聴いている。

聴く度に感じている印象がある。
その印象をそのまま、坂野さんが指摘された。

Date: 2月 7th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その5)

その熊本のオーディオ店では、別の機会に瀬川先生による「THE DIALOGUE」も聴いている。
その時の音も一つの基準となっている。

その基準よりも、私がaudio wednesdayで鳴らす「THE DIALOGUE」は、少しばかり大きい。
大きい、といっても、記憶のうえでの、感覚的な比較でしかない。
厳密に、どのくらい大きいとはいえない。

では、なぜ少しばかり大きいのか、といえば、
それは同じ音量による再生をめざしているのではなく、
あの時4350Aから鳴ってきたバスドラムの、衝撃的といえるエネルギーを求めているからだ。

4350Aは15インチのダブルウーファー、
喫茶茶会記のスピーカーは、アルテックの416-8Cで、シングル。
バイアンプ駆動とシングルアンプ駆動という違いもある。

それらの違いを承知のうえで、
あの時の4350Aと同じエネルギーを再現したい。

あの時の音量ではなく、エネルギーを、という私の耳には、
オーディオショウでの「THE DIALOGUE」の音量ではなくエネルギーは、そうとうに低く感じてしまう。

Date: 2月 7th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その4)

「THE DIALOGUE」は、どのくらいの音量で鳴らすのか。

ここ数ヵ月は、audio wednesdayで「THE DIALOGUE」をかけなくなった。
理由は、メリディアンの218を使うようになったことが関係している。

私が持っている「THE DIALOGUE」は、CD層とSACD層のハイブリッド盤である。
喫茶茶会記のMCD350で聴くと、これはSACD層のほうがいい。
最低域が、SACDでは1オクターヴといってしまうと、やや誇張気味になるが、
半オクターヴくらい、さらに下にのびているような感じを受ける。

audio wednesdayでは、
マッキントッシュのアンプ、MA7900のパワーアンプ部のみを使い、
218で音量設定をしていることもあって、SACDを鳴らさなくなったが、
鳴らしているときは、けっこうな音量だった。

大きすぎる、と感じる人もいる。
それでも、録音・再生の約束事から逸脱した音量とは思っていない。

菅野先生は、どのくらいの音量で鳴らされていたのか。
私がステレオサウンドで働いていたころは、
「THE DIALOGUE」は試聴ディスクから外れていた。

菅野先生のリスニングルームでも「THE DIALOGUE」は聴いたことがない。

それでも熊本のオーディオ店に菅野先生が来られたことがあった。
JBLの4350Aが設置してあるブースで菅野先生、
その隣のブースで瀬川先生が音を鳴らされる、という催しものだった。

この時、4350Aで「THE DIALOGUE」が鳴った。
この時の4350Aを含むシステムはオーディオ店による調整だったので、
菅野先生の音といえないにしても、
「THE DIALOGUE」の音量において、私にとって一つの基準となっている。

Date: 2月 7th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その4)

MQAを開発したボブ・スチュアートによれば、
MQAをもっともよく再生するD/Aコンバーターは、
いうまでもなくメリディアンのULTRA DACである。

二番目はMSBテクノロジーの非常に高価な製品。
三番目は、というと、意外にもLG電子のLV30である。

LV30? どんなD/Aコンバーターなんだろう、と思われるだろうが、
LV30は、十万円以下で買えるスマートフォンである。

2019年のOTOTENでのMQAのイベントでのボブ・スチュアートが語ったことだ。

音を追求していった結果に、
大きくなってしまったオーディオ機器は、いくつもある。

けれど大きなオーディオ機器の場合、往々にして信号経路も長くなってしまう傾向にある。

一方で小型化をめざした製品の場合、信号経路はかなり短縮される。
その結果として、音質面での改善もある、と考えられる。

大きいから音がよい──、ということが成り立つと仮定したとして、
だからといって小さいから音が悪い、とはいえない。

D/Aコンバーターにかぎっても、CHORDのMojo、
メリディアンの218などを聴くと、小型ゆえ、といいたくなるところを感じないでもない。

LV30はまだ聴いていないが、
スマートフォンなんだろう……、そんなモノで音楽が聴けるか、
と切り捨てる人もいようが、
MQAに音の良さを感じている人ならば、
ボブ・スチュアートが、三番目にLV30を挙げているのだから、
そのことに素直に耳を傾けたい。

LV30もいいとして、手元に218がある。
iPhoneもある。

まずこの組合せで聴いてみることにした。

Date: 2月 7th, 2020
Cate: audio wednesday

第110回audio wednesdayのお知らせ(ピアノ録音を聴こう)

3月4日のaudio wednesdayには、
ミハイル・プレトニョフのシューマンの交響的練習曲(SACD)と
児玉麻里とケント・ナガノのベートーヴェンのピアノ協奏曲集(SACD)は持っていく。

それから菅野先生録音の柳兼子のCD、
少し前に書いているシャルラン レコードのエリック・ハイドシェックのCDは、
ベートーヴェンの二枚とブラームス、
私の好きなピアニスト、アニー・フィッシャーのベートーヴェンのビアノ・ソナタ全集、
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集はもう一組、
アルトゥール・シュナーベルの古い録音を、
グレン・グールドのゴールドベルグ変奏曲(1981年録音)のSACDなどである。

必ずしも優秀録音盤ばかりではない。
ピアノだけの録音でもない、
ピアノが主の録音だけでもない。

私が持っていくのはクラシックが中心になるが、
ジャンルは問わない。

ピアノ好きの人に聴いてもらいたい、と思っているディスクを持参してくだされば、と思っている。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 2月 6th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、オーディオのこと(その3)

○○だから、音がよい、
その反対に、○○だから、音が悪い──、
そんなことは私がオーディオに興味をもった以前からいわれ続けていることだ。

1980年ごろ、日本のオーディオメーカーは平面振動板のスピーカーの新製品を出してきた。
ステレオサウンド 54号の特集はスピーカーシステムで、
そこには平面振動板のモデルがいくつも登場していた。

特集の巻頭座談会で、瀬川先生は、
《試聴するときも、特に平面だからどうという意識は持っていない》、
《平面型を否定はしませんが、平面型にすればすべてが良くなるということはないと思う》、
他にも平面型について語られているが、
要約すれば、平面型だから──、ということをまったく意識しないで聴いている、ということだ。

たとえば真空管でいえば300Bが、音のよい真空管としてよく知られているが、
だからといって300Bを使ってさえいれば、すぐれた音のパワーアンプにすべてが仕上がるわけではない。

他にもいくつもある。
すべてを書いていくのは無理があるほどに、この「○○だから」というのはうんざりするくらいある。

最近の例では、ハイレゾだから、というのがあるといえよう。
ハイレゾだから、音がいい、とは必ずしもいえない。

それでも、これから先も、いろんな「○○だから──」というのは登場してくるはずだ。

まったくあてにならない「○○だから……」なのだが、
ここにきて、私のなかでは「MQAだから、音がよい」といえる、
そうおもえてきている。

ただし条件つきである。
私が「MQAだから、音がよい」とするのは、
これまで録音されてきたものについて、である。

つまりアナログ録音にしてもデジタル録音にしても、
これまでLPやCDで聴いてきて、よい音の録音と感じてきたものにかんしては、
MQAになることで、音はよくなっている。

MQAだから、MQA-CDだから、といって、すべての録音がいい、とは思っていない。
MQAを前提にした録音のすべてを聴いているわけではない。
いいものもそうでないものもあろう。

それは録音というものがそうであるように、である。

だからくり返すが、名録音、優秀録音とこれまでいわれてきたものが、
MQA-CDになったり、MQAで配信されるようになって、
それらを聴いていると、いままでのところ、私の期待が裏切られたことはない。

Date: 2月 6th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その3)

音のためならば──、
オーディオマニアならば、ほとんどの人がそうであろう。

多少大きくなろうが、多少使いにくくなろうが、
音がよくなるのであれば、そういったことは我慢もするし、
そもそも我慢とは思っていないところもある。

それでも……、と思うのは、
最近のCD再生に必要なシステムの大掛りなことである。

音をよくするためといえ、
なぜ、ここまで大掛りなシステムになってしまったのか、と思う。

dCSのフラッグシップモデルをみると、
その価格よりも、すべてをあわせた大きさに疑問を抱いてしまう。

音を聴けば、そんなこと問題ではなくなる、
気にならなくなる──といった問題だろうか。

dCS以外にも、なぜここまで大掛りになってしまったのか、と思う製品はある。
コンパクトディスクなのになぁ……、といったことをおもいだす。

買えない者の僻みと受けとられようとかまわない。
あれだけの大掛りな構成と大きさ、
そこになんの疑問も抱かずに聴いていられる神経の鈍感さ、
それこそは、もうお見事、というしかないのか。

メリディアンの218で音楽を聴くようになって数ヵ月。
物量を投入しなければ得られない音の世界があるのは実感しつつも、
なんなんだろうか、あの大きさと大掛りさは……という気持は深くなっていくばかりだ。

Date: 2月 6th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その2)

昨晩(2月5日)のaudio wednesdayは、
iPhoneとメリディアンの218を使っての音出しだった。

iPhoneには、e-onkyoで購入した曲を入れていた。
再生アプリは、オンキヨーのHF Player(有料)を使った。

いつもはCDプレーヤーのマッキントッシュのMCD350を置く位置に、
iPhoneと218と、D/DコンバーターのFX-AUDIOのFX-D03J+を置く。

三つあわせても、MCD350よりもコンパクトである。
オーディオマニアだから、コンパクトであるかどうかよりも、
問題は音である。

音がひどければ、コンパクトにまとまっていようが、
何の意味も持たない──、とまで言い切れる。

でも、CDはCompact Disk(コンパクトディスク)の略である。
フィリップス(マランツ)とソニーのCDプレーヤー一号機は、
他社製がいわゆるコンポサイズだったのに対し、コンパクトに仕上げられていた。

私が初めて聴いたCDの音は、以前何度か書いているように、
フィリップス(マランツ)のCD63である。

あとでわかったことだが量産機のCD63とはピックアップメカニズムが違っていた。
そのおかげだろうが、
そのころステレオサウンドのリファレンスプレーヤーであったExclusive P3が色褪た。

きいた編集部みなが驚いていた。
もちろんすべての面でLP再生を凌駕していた、とはいわないが、
プレーヤー自体のサイズの大きな違いが、いっそうCDのすごさを印象深いものにした。

その後、ソニーは二号機(CDP701ES)からはサイズが大きくなった。
そしてLo-Dと同時期にセパレート型を出してきた。

音のためにプレーヤーのサイズは大きくなっていく。

Date: 2月 5th, 2020
Cate: audio wednesday

第110回audio wednesdayのお知らせ(ピアノ録音を聴こう)

3月4日のaudio wednesdayは、ピアノを中心とした録音を聴きたい、と考えている。

別項で書いているように、最近、ピアノ録音の優れたものを聴きたい、と思うようになっている。
なのでプレトニョフのシューマンの交響的練習曲のSACDを、
ヤフオク!で手に入れた。

その少し前には、児玉麻里とケント・ナガノのベートーヴェンのピアノ協奏曲集、
これもSACDで買っている。

どちらも菅野先生のリスニングルームで聴いている。
優れたピアノの録音である。

これらだけではなく、オーディオ・ラボから出ていた柳兼子のCD。
もちろん菅野先生の録音なのだが、ピアノの音がめっぽういい。

このCDを聴いていると、菅野先生は、ほんとうにピアノがお好きだったんだな、と感じる。
だから聴いていて、こちらも楽しくなってくるところがある。

そういうピアノの録音を、3月のaudio wednesdayでは聴いていきたい。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 2月 4th, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その9)

ステレオサウンドが、全国のオーディオクラブを取材していたころは、
SNSなんてものは存在していなかった。

SNSはやらない、とはいわない。
やっているし、便利だと感じているところもある。
しばらくは、続けていく。

でも距離はある程度はいつもとっておきたい、とも思う。
SNSで感じられる、距離をとっておきたい、と思うのは、
仲良しクラブ的雰囲気が、どことなく漂ってくるからだ。

仲良きことは美しき哉、
武者小路実篤の、名言といわれているものだ。

けれど、私がSNSから感じている仲良しクラブ的雰囲気は、
美しい、とはとうてい感じられない。

それは仲良しごっこなためなのかもしれない。

オーディオの関係者の仲がいいことは、ほんとうに望ましいことなのか。
オーディオの関係者には、いろんな人たちが含まれる。

オーディオ関係の出版社の人たち。
この人たちも、編集者もいるし、営業・広告の人たちもいる。
広告代理店の人もいる。

オーディオ雑誌になにか書いている人たちもいる。

メーカーの人たちのなかには、開発の人、営業・広報の人がいる。
輸入代理店の人もいる。

販売店の人たちも大勢いる。

そういう人たちが、みな仲良しクラブ的にやっていく──、
それはほんとうに望ましいことなのか。

オーディオの関係者のなかには、
オーディオに関係する人たちみなが仲良くやっていくことはよいことだ──、
そんなことをいっている人がいる、と聞く。

誰なのかは知らないから、どんな人がいっているのか、
どういう意図なのかもわからない。

そこに、わずかな気持悪ささえ感じていないのか。
感じながらも、あえてそんなことを言っているのと、
まったく感じずにいっているのとでは、まるで違う。