Posts Tagged 川崎和男

Date: 1月 21st, 2015
Cate: オーディオの「美」

オーディオの「美」(美の淵)

絶望の淵とか死の淵などという。
絶望の淵に追いやられる、死の淵に立たされる、ともいう。

幸いなことに、私はまだ死の淵、絶望の淵に立たされたり追いつめられてはいない。

オーディオは美の淵なのだろうか、とふと思った。

よくオーディオは泥沼だ、といわれる。
いまもそうなのかはよく知らないが、昔はよくいわれていたし書かれてもいた。
その泥沼に喜んで身を沈めていくのがオーディオマニアである、とも。

この項へのコメントを、川崎先生からfacebookにいただいた。
「オーディオの美ではなく、オーディオはすでに美であるべき!」とあった。

オーディオは美であるべきなのに、それを泥沼とも表現する。
泥沼は泥沼である。もがけばもがくなど深みにはまっていく。そして抜け出せなくなる。

けれど、この泥沼はオーディオマニアと自認する人、まわりからそう呼ばれる人にとっては、
案外と居心地のよいところもあるのかもしれない。

でも、それでも泥沼は泥沼である……。

こんなことを考えていた。
そして、この泥沼の淵は美の淵なのだろうか、とも考えた。

いまのところは、美の淵という言葉を思いついただけである。
この美の淵に、オーディオは聴き手を導いてくれるのか。

なにもはっきりとしたことは、まだ書けずにいる。
それでも、美の淵について考えていこう、と思っている。

Date: 12月 20th, 2014
Cate: ジャーナリズム, デザイン

TDK MA-Rというデザイン(ステレオ時代という本とその記事・その2)

TDL MA-Rで、Googleで検索すると、かなりのページがヒットする。
私が書いた「TDK MA-Rというデザイン」も2ページ目で表示される。

ステレオ時代のVol.3掲載のTDK MA-R開発ストーリーを担当した編集者は、
MA-Rのことについて、インターネットを使って調べたりしなかったのか、と思う。
一時間もあれば、Googleで検索してヒットしたページを見ていったとして、
検索結果の2ページ目に表示される私のブログを見て、そこにある川崎先生のブログへのリンクをクリックすれば、
MA-Rについての、いままで知られてなかったことにたどりつく。

ほとんど労力を必要としないことではないか。
キーボードをほんの少し叩き、マウスを動かしてクリックしていくだけのことである。
それすらもせずに、ただインタヴューしたことだけを記事にしたのが、
今回のTDK MA-R開発ストーリーではないのか。

川崎先生がMA-Rについて書かれたブログが、つい最近のことであったら、まだわかる。
ステレオ時代のVol.3はつい最近書店に並んだ本である。
担当編集者がMA-Rのことを調べる気があったなら、
川崎先生のブログを見つけられなかったということは考えにくい。

いい記事をつくろうという気がないのか、とも思ってしまう。
なぜ、いい記事にしようとしないのか。
その理由を考えてしまう。

結局のところ、商業誌であることを優先してしまっているからだ、ということになってしまう。

Date: 12月 19th, 2014
Cate: ジャーナリズム, デザイン

TDK MA-Rというデザイン(ステレオ時代という本とその記事・その1)

ステレオ時代という本がある。
今、最新号のVol.3が書店に並んでいる。

ステレオ時代の存在は知っていたけれど、手にとろうとは思っていなかった。
どういう内容の本なのかわかっているからだけど、
表紙に、TDK MA-R開発ストーリー、とある。
だから手にとった。

Vol.1とVol.2を読んでいたから、記事についてはおおよその想像はついていた。
想像した通りの内容だった。

そして、やっぱり、と思った。

TDK MA-R開発ストーリーの記事中には、東芝のこと、オーレックスのことがまったく語られてなかったからだ。
すべてTDKによる開発である、と記事は伝えていた。

けれど、そうではないことは「TDK MA-Rというデザイン」でふれた。
川崎先生のブログへのリンクもしている。

川崎先生の「K7の最高機種デザインはAurexデザインだった」は、9月13日に公開されている。

Date: 12月 16th, 2014
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その8)

今回のジャズ喫茶・名曲喫茶めぐりには、30代・40代・50代・60代の方が参加された。
いちばん若い人は34歳。

私はその年代のころ、あることを思っていて口にしていた。

「私のオーディオの才能は、私のためだけに使う。」

こんなことをいっていた。
ある知人が、せっかくの才能なんだからオーディオの仕事をしたらどうですか、
何か書いたらどうですか、
そんなことを何度もいっていたから、
それに対して、こう言って返した。

けっこう本気でそう思っていた。
これこそがいちばん贅沢かもしれない、とも思っていた。

もし、このときに、MAC POWERを手にしていなければ、
川崎先生のDesign Talkと出逢っていなければ、読みつづけていなければ、
ずっとこのままきていたかもしれない。

大人とは──、と問われれば、
誰かのために自分の時間の一部を使うことにためらわないことだ、と答える。

残り時間は短くなっていくばかりなのだから、
お金にもならないことのために自分の時間を費やすなんて……、
そう思う人がいても、それはそれでいいじゃないか、と思っている。

私自身もそうなっていたであろうから。

Date: 11月 29th, 2014
Cate: ポジティヴ/ネガティヴ

ポジティヴな前景とネガティヴな後景の狭間で(その2)

「Back to the Future」という映画がある。
1985年に一作目が公開されヒット、二作、三作とつくられ公開された。

「Back to the Future」、
だから映画のタイトルであり、映画のなかで使われるセリフという認識のままだった。
その認識が変ったのは、川崎先生のDesign Talkで「Back to the Future」の本当の意味を知ったからだった。

「Back to the Future」の本当の意味については、いま川崎先生のブログで読める。

この「Back to the Future」の本当の意味を知らずに、
グレン・グールドの「音楽院卒業生に贈ることば」を読んでも、
グールドが何をいっているのかあまり理解できないのではないだろうか。

「音楽院卒業生に贈ることば」をきいてきた当時のトロント大学王位音楽院の卒業生たちのどれだけが、
その場でグールドが伝えようとしたことを理解できたのだろうか。

グレン・グールド著作集は1990年に出ている。
すぐに買って読んだ。
「音楽院卒業生に贈ることば」は著作集1の最初にあるから、真っ先に読んだ。
けれど、1990年の私は理解していたとはいえなかった。

一見当り前のように思えるポジティヴな前景とネガティヴな後景。
だが「Back to the Future」の本当の意味を知って読めば、けっしてそうでないことに気づき、
グールドは「Back to the Future」の本当の意味を知った上で、
ポジティヴな前景とネガティヴな後景という言い回しをしたのだ、といえる。

Date: 11月 9th, 2014
Cate: デザイン

「オーディオのデザイン論」を語るために(その3)

川崎先生のブログは毎日午前0時に更新される。
それとは別に、川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design(毎日ではないが)も更新されている。

11月7日の川崎和男のデザイン金言には、こう書いてあった。
     *
私は40余年、
デザインとデコレーションの違いを
いつも語ってきたと思う。

最大の理由は、
「デザインは機能だよね」という、
この発言を苦々しく思ってきたことだ。

デザインは問題解決の、その実務であり、
性能
効能を語って、
それから
機能である。

「機能論」はギリシアの哲学論、
その時代から語られている。

最近は、簡単に機能と言ったら、
確実に、私の喧嘩相手である。
     *
デザインを付加価値と捉えている人は、何度もくり返し読んでほしい。
そして考えてもらいたい、デザインとはなにかについて。

この項の(その2)に対して、facebookでコメントがいくつかあった。
そこに、IT業界では付加価値を皮肉って負荷価値と呼んでいる、というのがあった。

負荷という負担として、デザインが重荷になっているメーカーが見受けられるようになってきた。
そういうメーカーの人たちも、川崎先生がこれまで語られてきたこと、書かれてきたことを、
しっかりと読んでもらいたい、とおもう。

そしてオーディオ雑誌の編集者にも、である。
特に川崎先生の連載「アナログとデジタルの狭間で」を、わずか五回で終りにしてしまった編集者は。

Date: 11月 4th, 2014
Cate: ステレオサウンド, デザイン

「オーディオのデザイン論」を語るために(その1)

ステレオサウンドはあと二年で200号になる。
季刊誌で年四冊出ているから、50年。

このことは素直にたいしたものだと思う。
でも、いま48年、あと二年あるとはいえ、
200号までにステレオサウンドでオーディオのデザイン論が語られるとは思えない。

このオーディオのデザイン論こそが、ステレオサウンドがやってこなかったこと、やり残してきたことだ。
一時期、素人によるデザイン感的な文章が連載となっていた。
デザイン論とはとうてい呼べないものだった。
ほんとうにひどい、と思っていた。

その連載が終了して、デザインについてある人と話していた時に、この記事のことが話題になった。
「ひどい記事だったね」とふたりして口にしていた。

あれを当時の編集部はデザイン論と勘違いしていたのか。
私がいたときも、オーディオのデザイン論についての記事はつくっていない。
だからエラそうなことはいえないといえはそうなるけれど、いまは違うとだけはいえる。

瀬川先生もいなくなられてから、まともにオーディオのデザイン論は語られていない。
川崎先生の連載もわずか五回で終了してしまっている。

このことは以前も書いている。
それでも、またここで書いておきたい。
そのくらいに「オーディオのデザイン論」は大事なことであり、
これを蔑ろしていては、おかしなことになっていく。

すでにおかしなことになっているオーディオ機器もいくつか世に出ている。

200号は50歳である。
50歳は、もういい大人であるはずだ。
オーディオのデザイン論が語れる大人になっていなければならない。
ステレオサウンドはなれるのか(なってほしいのだが……)。

Date: 11月 1st, 2014
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーのアクセサリーのこと(その5)

購入したターンテーブルシートは、アメリカのWATERLOOという会社のPLATTER PADだった。
ヤマハ(当時は日本楽器製造)が輸入販売していたものだった。

素材は、熱可塑ポリエーテル系ウレタンゴムと書いてあった。
厚みは6.5mm。当時使っていたアナログプレーヤーのゴムシートよりも若干厚い。
重量は470g。もった感じでは附属シートよりも重い程度だった。
価格は7500円だった。

色は茶色だったと記憶している。
硬めのシートだったはずだ。
附属シートと取り換える。
厚みが違うのでトーンアームの高さを調整し直して音を聴く。

30年以上前のことだから記憶もぼんやりとしているが、
少なくとも附属のシートよりもいい感じで鳴ってくれた。

それにターンテーブルシートがかわると、プレーヤーの雰囲気も変わる。
これに関しても附属のシートよりもいい感じになってくれたので、満足していた。

このときはジュエルトーンのGL602Jにしなくてよかった、と思っていた。
PLATTER PADは透明ではないから、ターンテーブルプラッターの、いわばボロを隠してくれる。
GL602Jはそうではないのだから。

でも30年くらい経ち、やっぱりGL602Jを買っておけばよかった、と思っている。
GL602Jは川崎先生が手がけられたモノであることを知ったからだ。

Date: 10月 31st, 2014
Cate: 素材

羽二重(HUBTAE)とオーディオ(その9)

なぜ木は腐ることがあるのか。
木という素材が呼吸をする素材であるからで、
そのため湿気の多過ぎる環境下では腐っていく。

CRAFT-α9000の振動板に採用されたαウッドは、通常の木が腐ってしまう環境下でも腐らないのだろう。
つまりαウッドは呼吸をしない素材ではないのか。
その意味で、井上先生は「それは、もう木じゃないね」といわれた。

羽二重=HUBTAEの発表会での川崎先生の話の中に、ナイロンのことが出てきた。
ここでも「呼吸しない素材」ということだった。
最新のナイロンはそうではない、ということだった。

呼吸をしている素材だから、場合によっては腐ることもある。
腐るということは素材としての死であり、ならば呼吸をしているということは、素材として生きている──、
そう受けとめることもできる。

いかなる環境下でも腐らない、というのは呼吸をしていない、ということになり、
ならばその木は防腐処理をされた死んだ状態(つまりは生きていない状態)ともいえるわけだ。

生きていない状態の素材でも、それが役に立つこと(箇所)はあるだろう。
だが、オーディオの、それもスピーカーの振動板となると、
本来生きている状態の素材を生きていない状態にしてしまって使うことに、どれだけのメリットがあるといえるのか。

井上先生が話されたことは、そういうことだった。

戻っていく感覚

川崎先生の10月28日のブログ(『「アプロプリエーション」という芸術手法はデザインに非ず』)を読んで、
五味先生の文章を読み返した。

ステレオサウンド 51号、オーディオ巡礼である。
     *
 二流の音楽家は、芸術性と倫理性の区別をあいまいにしたがる、そんな意味のことを言ったのはたしかマーラーだったと記憶するが、倫理性を物理特性と解釈するなら、この言葉は、オーディオにも当てはまるのではないか、と以前、考えたことがあった。
 再生音の芸術性は、それ自体きわめてあいまいな性質のもので、何がいったい芸術的かを的確に言いきるのはむつかしい。しかし、たとえばSP時代のティボーやパハマン、カペー弦楽四重奏団の演奏を、きわめて芸術性の高いものと評するのは、昨今の驚異的エレクトロニクスの進歩に耳の馴れた吾人が聴いても、そう間違っていないことを彼らの復刻盤は証してくれるし、レコード芸術にあっては、畢竟、トーンクォリティは演奏にまだ従属するのを教えてくれる。
 誤解をおそれずに言えば、二流の再生装置ほど、物理特性を優先させることで芸術を抽き出せると思いこみ、さらに程度のわるい装置では音楽的美音——全音程のごく一部——を強調することで、歪を糊塗する傾向がつよい。物理特性が優秀なら、当然、鳴る音は演奏に忠実であり、ナマに近いという神話は、久しくぼくらを魅了したし、理論的にそれが正しいのはわかりきっているが、理屈通りいかないのがオーディオサウンドであることも、真の愛好家なら身につまされて知っていることだ。いつも言うのだが、ヴァイオリン協奏曲で、独奏ヴァイオリンがオーケストラを背景につねに音場空間の一点で鳴ったためしを私は知らない。どれほど高忠実度な装置でさえ、少し音量をあげれば、弦楽四重奏のヴァイオリンはヴィオラほどな大きさの楽器にきこえてしまう。どうかすればチェロが、コントラバスの演奏に聴こえる。
 ピアノだってそうで、その高音域と低域(とくにペダルを踏んだ場合)とでは、大きさの異なる二台のピアノを弾いているみたいで、真に原音に忠実ならこんな馬鹿げたことがあるわけはないだろう。音の質は、同時に音像の鮮明さをともなわねばならない。しかも両者のまったき合一の例を私は知らない。
 となれば、いかに技術が進歩したとはいえ、現時点ではまだ、再生音にどこかで僕らは誤魔化される必要がある。痛切にこちらから願って誤魔化されたいほどだ。とはいえ、物理特性と芸術性のあいまいな音はがまんならず、そんなあいまいさは鋭敏に聴きわける耳を僕らはもってしまった。私の場合でいえば、テストレコードで一万四千ヘルツあたりから上は、もうまったく聴こえない。年のせいだろう。百ヘルツ以下が聴こえない。難聴のためだ。難聴といえばテープ・ヒスが私にはよく聴きとれず、これは、私の耳にはドルビーがかけてあるのさ、と思うことにしているが、正常な聴覚の人にくらべ、ずいぶん、わるい耳なのは確かだろう。しかし可聴範囲では、相当、シビアに音質の差は聴きわけ得るし、聴覚のいい人がまったく気づかぬ音色の変化——主として音の気品といったもの——に陶然とすることもある。音楽の倫理性となると、これはもう聴覚に関係ないことだから、マーラーの言ったことはオーディオには実は該当しないのだが、下品で、たいへん卑しい音を出すスピーカー、アンプがあるのは事実で、倫理観念に欠けるリスナーほどその辺の音のちがいを聴きわけられずに平然としている。そんな音痴を何人か見ているので、オーディオサウンドには、厳密には物理特性の中に測定の不可能な倫理的要素も含まれ、音色とは、そういう両者がまざり合って醸し出すものであること、二流の装置やそれを使っているリスナーほどこの点に無関心で、周波数の伸び、歪の有無などばかり気にしている、それを指摘したくて、冒頭のマーラーの言葉をかりたのである。
     *
読み返して、いま書いていることのいくつかの結論は、ここへ戻っていくんだ、という感覚があった。

Date: 10月 20th, 2014
Cate: 素材

羽二重(HUBTAE)とオーディオ(その7)

川崎先生の講演が終り、展示してある七枚の羽二重=HUBTAEに触れる。

私は布地の専門家ではない、素人である。
専門の人たちがどういうふうに七枚の羽二重=HUBTAEに触るのかを見てから、
それをマネして触ってみようと思っていたけれど、最初の一枚に触ってみると、
そんな真似をしなくとも、オーディオマニアにはオーディオマニアとしての触り方があるように感じて、
ピンと張ったりしながら、あれこれ触ってみた。

七枚を触った後で、また最初から触っていた。
会場には多くの人がいたから納得するまで触っているわけにはいかない。
それから子供のころよくやっていたことを思い出していた。

紙や布をピンと張って口を付けて振るわせる、というものだ。
実はこれを試してみたかったけれど、顰蹙をかうことは必至だからしなかった。

七枚の羽二重=HUBTAE、

こし:もちもち・しこしこ
はり:バリバリ・パリパリ
ぬめり:ぬるぬる・べとべと
ふくらみ:ふかふか・ふわふわ
しゃり:しゃりしゃり・しょりしょり
きしみ:きしきし・きゅっきゅっ
しなやかさ:しなしな・たらたら

これらを振るわせて音を出してみたら、
どういう違いが出てくるのだろうか。

手で触っていた時に感じていた違いよりも、はっきりと感じられるのか、それともそれほどでもないのか。

Date: 10月 13th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その12)

きもちを思い出すとともに、もうひとつ思っていたことがある。

義を見てせざるは勇なきなり、である。

勇(勇気)は、長い時間持っておく必要はない。
川崎先生の正面に座っていたのだから、
そこから川崎先生のところに歩いていき、挨拶をして、菅野先生との対談をお願いするだけ。
時間にすれば、一分とかからない。三十秒もあればいい。
その短い間だけ勇をもっていればいいだけのことである。

だから、川崎先生の話が終った後、二年前にはおじけづいてしまったことがやれた。
それに私が菅野先生と川崎先生の対談をやろうと思った川崎先生の文章のタイトルは「得手」である。

私の「得手」はオーディオである。
「得手」に川崎先生が書かれている。
     *
すでに郷愁かもしれないが、オーディオは私が得意とする分野だ。
 デジタル時代になって、アナログ再生に深く関与できた青春は終わったと思っていた。しかし、今この得意領域に立ち戻るつもりだ。それは、20年間もの醸造時間をかけてきた祈念ですらあるわけだ。
     *
2000年のE-LIVEでは、川崎先生のところへ行き、名刺交換し話されている人たちを羨ましくも思えた。
この人たちは、デザインの仕事をしているんだろうな……、と。

この時気づかなかったこと、
川崎先生の「得手」も私の「得手」もオーディオである。
オーディオマニアとしての川崎先生に、オーディオマニアとして会いに行けばいいことに、気づいた。

「得手」を、川崎先生はこう結ばれている。
     *
 まだまだ不得手なことがあることに気付いた。しかもそれは得手だった音響についてのデジタル化のデザインがテーマだ。最も得手になる、それもトップクラスの得手になる自分を早く発見したい。
     *
「トップクラスの得手になる自分」──、
だからこそDesign Talkとの出逢いは、私にとって第二章の始まりである。

Date: 10月 12th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その11)

三回目のE-LIVEで、川崎先生の講演が終ってすぐに、川崎先生のところに行った。
この日、最前列の中央の席に座っていた。川崎先生にもっとも近い距離の席である。

2000年のE-LIVEのときもそうだったが、講演終了後、何人かの人が川崎先生のところへ行く。
すごい行列ができるわけではないから、しばらく待っていればいいことなのだが、
待っている間に気持が萎えるか、2000年のときのようにおじけづくのをさけるためにも、その席に座っていた。

名詞を渡した。
名刺といっても、前日にMacとプリンターでつくったもの。
audio sharingの文字を大きくして、
あとはURLとメールアドレスだけの名刺だった。

そして「オーディオ評論家の菅野先生と対談をしていただけないでしょうか」と切り出した。

この時の川崎先生の表情は、いまもはっきりと憶えている。

──こう書くと、これまでの逡巡は何だったか、と思われるかもしれないが、
実を言うと、まったく迷っていなかったわけではない。

この日、川崎先生は「いのち・きもち・かたち」について話された。
これをきいてしりごみしそうになっていた。

けれど、「いのち・きもち・かたち」が背中を押してくれもした。

「いのち・きもち・かたち」。
川崎先生の話をききながら、自分にあてはめていた。

私のいのちはなにか。
答はすぐに出た。オーディオマニアである。
きもちは──。
すぐに出なかった。
かたちは──。
すぐに出た。audio sharingがそうだ、と。

もう一度、きもちは──、と問う。
audio sharingをつくろうとおもいたったときの「きもち」を思い出した。

Date: 10月 12th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その10)

2001年4月。
あるオーディオ店で菅野先生のイベントがあることを知った。
出掛けていった。またPowerBook G3を携えてである。

この時、菅野先生からaudio sharingでの公開の許諾をいただいた。
菅野先生の連絡先は知っていた。
でも電話や手紙ではなく、直接お会いして、こういうことをやっていると伝えたかったから、こうしたわけである。

菅野先生はaudio sharingのトップページを見て「美しいじゃないか」といわれた。
これは嬉しかった。
みっともないトップページではないとわかっていても、それだけでは足りなかったからだ。

川崎先生はデザイナーである。
だから菅野先生の一言が、嬉しかったし自信にもなった。

E-LIVEは2001年も開催された。
だがこのときは川崎先生ではなく、MAC POWERの編集長がゲストだった。

この年の夏に菅野先生の文章を公開した。
あとは川崎先生に会える機会(E-LIVE)を待つだけである。

2002年6月1日、五反田の東京デザインセンターで、三回目となるE-LIVEが開催された。

Date: 10月 11th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その9)

2000年8月16日に、audio sharingを公開した。

audio sharingは、菅野先生と川崎先生の対談を実現するためにつくった「場」である。
audio sharingをつくった理由はそれだけではない、他にも大きな理由がある。

とにかく「場」をつくらないことには(持たないことには)、対談をやることはできない。
この「場」をつくるために、1999年12月末に仕事を辞めていた。

仕事を続けながら、毎日少しずつこつこつとやっていくのが、
賢明といわれるやり方なのはわかっていたけれど、それではいつになるのかはわからない。
とにかく公開できるようなかたちを早くつくっておきたかった。

2000年5月には人に見せられるぐらいにはなっていた。
ちょうどそのころ、五反田の東京デザインセンターでE-LIVEが開催された。
E-LIVEは、ディスプレイ専門メーカーのEIZO主催で、川崎先生のトークショーがある。

ここで、菅野先生との対談のことを話すことができるのではないか、と考えた。
それでPowerBook G3を携えてE-LIVEに行った。

この日、会場には増永眼鏡のMP690が展示されていた。
アンチテンションのフレームである。

このMP690を見て、おじけづいた。
まだ見せられない、と。