Date: 2月 16th, 2015
Cate: 輸入商社/代理店

輸入商社なのか輸入代理店なのか(その6)

今回改めてステレオサウンド 43号掲載のRFエンタープライゼスの広告を読みなおして、
ここには輸入商社としてのあるべき姿がすでに書かれていたことを、再実感している。

こうも書いてある。
     *
私達はまた特約店(ディーラー)の数をふやすことにあまり関心がありません。製品についてのより深い理解をもったディーラーのきめこまかい活動がより大事だと考えるからです。

私達は、私達自身の哲学と共鳴し合える”オーディオファイルの心”をもったメーカーの、真に優れた製品のみを取り扱っていきたいと、いつも考えてきました。この共感がなければ、製品に対する理解を深めてゆくことも、製品を正しく紹介することも不可能です。
私達は、メーカーとの相互理解と交流を深めてゆくなかで、私達の考えや主張も充分に伝えるよう努めています。
     *
ステレオサウンド 43号は1977年、いまから38年前に出ている。
私は、この広告を読んで、RFエンタープライゼスの取り扱うモノならば信用できる、と思っていた。

このころのRFエンタープライゼスは、
AGI、オーディオリサーチ、DBシステムズ、インフィニティ、マークレビンソン、マイクロトラック、
クインテセンス、SAE、サウンドクラフツメンといったブランドを扱っていた。

広告に書かれてたキレイゴトだとは私は思っていない。
RFエンタープライゼスは、輸入元として、ひとつの手本であったように思っている。
良き手本があるから、他の輸入元も見習おうとするところも出てくるであろう。

いまRFエンタープライゼスのように、見本となる輸入元はいくつかあるのだろうか。

Date: 2月 16th, 2015
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(その前に……)

iPhone 5からコネクターがLightningと呼ばれるコネクターに変更された。
そして、Lightningケーブルがよく断線する、という話をよく見聞きするようになった。

仕事関係の人出、やはりよく断線して困っているという人がいる。
たまたま、彼がLightningケーブルを抜いているところを見た。
彼は、プラスチックでできているコネクターのところを持つのではなく、
ケーブルをもって引き抜いていた。

そんな使い方をしていたら、簡単にLightningケーブルが断線してしまう。
Lightningケーブルの断線を嘆いていてる(文句をいっている)人のひべてが、
そういうケーブルの抜き方をしているのかどうかはわからないが、
少なくとも、まったく問題なく使っている人もいることは確かである。

だとすると、よく断線する、といっている人は、
おそらくケーブルを持って引き抜いているとみていいだろう。

これを見て思うのは、こんな単純なことと思えるケーブルの抜き挿しでさえ、
人によって、やり方が違っている。

使いこなしは使い方(やり方)の、その先にあるもののはずだ。
オーディオ機器の使い方は、Lightningケーブルの抜き挿しほど簡単ではない。
けれど、その部分において、すべての人が同じようにやっているという確認を誰かがやっているのだろうか。

このことまで考えてず使いこなしを記事をつくることは、どうだろうかと思う。
思うけれど、それではどこまでカバーしたらいいのか、ということにもなる。
ことこまかにすべてをカバーすることは大変なことであり、
そんなことをやっても多くの読者はつまらない記事として受けとめるだろう。

Date: 2月 15th, 2015
Cate: 輸入商社/代理店

輸入商社なのか輸入代理店なのか(その5)

マークレビンソンのLNP2、JC2のモジュールはメイン基板にハンダ付けされているわけではなく、
挿してあるだけだから、モジュールに不具合が発生したら新品のモジュールに抜き差しで交換すればすむ。
たしかに確実な修理方法ではあるが、これではユーザーの金銭的負担はかなり増す。

しかもマークレビンソンが交換用モジュールを製造し続けてくれていればよかったけれど、
製造もとっくの昔に中止になっている。
こうなると、修理は密閉されたモジュールだけに、かなり大変なことになる。

どうするのが最善の方法なのかは、なかなか難しい、としかいえない。

このころのマークレビンソンのアンプの輸入元はRFエンタープライゼスだった。
RFエンタープライゼスの広告は、単に製品の広告だけではなかった。

ステレオサウンド 43号の広告のように、
輸入元の仕事についてふれてある回もあった。

43号の広告には「私達輸入業務に携わる者に課せられた責任です。」とある。
RFエンタープライゼスが考える責任とは、
すぐれた製品を、正しく本来の性能を発揮できる状態でユーザーの手に供すること、である。

そして、こう続いている。
     *
“State of the Art”製品は、販売やアフターケアもふくめて、その取り扱いのすべてがそれにふさわしく行なわれなければならない。それが私達の希望であり信条です。
 私達は私達の発売する製品を出荷前に全数検査することにしています。
 そのために使う測定機器は、すべてメーカーで使用しているものと同じか同一水準のものを揃えるようにしています。 これらのことは、手間も費用もたいへん要することですが、私達は私達の責任を果たす上でどうしても必要なことと考えています。
     *
いまここまでやっている輸入元はいくつあるのだろうか。

Date: 2月 15th, 2015
Cate: 輸入商社/代理店

輸入商社なのか輸入代理店なのか(その4)

以前書いているが、あるオーディオ店は、
アンプに関してはアキュフェーズとウエスギを客にすすめていた、という話を聞いている。

理由は、アフターサービス(修理)がしっかりしているから、ということだった。
故障しにくい、故障してもきちんと修理されて戻ってくる。
どんなに音が良くても、故障の頻度の高いものや、故障したときに修理がいいかげんだったり、
きちんと修理されたとしても、数ヵ月もかかるという製品は、客にはすすめられない。

これも店主のひとつのポリシーである。
このポリシーのみが正しい、とはいわないものの、
どんなに音の良さこそが最優先される、という人であっても、
実際に故障すると、故障しにくいアンプの有難みがわかるし、
修理体制がしっかりしたところの製品が選択肢ともなってくる。

修理というのは、高い技術が要求される。
新製品の開発は華やかさもあるけれど、修理の技術にはそれはない。
それでも修理は、どの会社にも必要となる。

国内メーカーもそうだし、輸入元もそうだ。
国内メーカーは、製品を開発しているだけに故障への対応もしっかりしていよう。
自分たちでつくったモノを自分たちで修理する。

けれど海外製品となると、そうではない。
輸入元の技術者が修理することになる。
他の人が設計・開発し製造したモノを修理することになる。

修理の大変さ・面倒さは国内メーカーよりもやっかいとなることもある。

マークレビンソンのLNP2、JC2は密閉されたモジュールにしていた。
この理由についてたずねられたときに、
「こうしておけば、もし故障が起こっても、いい加減な修理をされて、これらの本来の特性とかけはなれた、
ともかく音が出ている、というような状態で使われる心配はないからね。」
とマーク・レヴィンソンは答えている(ステレオサウンド 43号掲載のRFエンタープライゼスの広告より)

Date: 2月 15th, 2015
Cate: オリジナル

オリジナルとは(STAR WARSの場合・その1)

2010年の映画に、「ピープルvsジョージ・ルーカス」がある。
スターウォーズの熱狂的なファンとスターウォーズの監督ジョージ・ルーカスの映画であり、
スターウォーズの熱狂的なファンのジョージ・ルーカスに対する愛憎をとらえたドキュメンタリーである。

スターウォーズは1977年に公開された。
映画館で観た世代だから、あのときの昂奮はいまも忘れられない。
この映画に登場するファンは、まさしく熱狂的とつけなくてはならないほどの人たち。

その彼らとジョージ・ルーカス側とでは、オリジナルに対する考えが違うことが、描かれている。

1977年公開のスターウォーズは、のちにEpisode IVと呼ばれるようになった。
旧三部作、新三部作があるためである。

1997年に旧三部作がリマスターされ、劇場公開された。
フィルムの洗浄から始まり、デジタル処理も施されている。

このリマスター版を、ジョージ・ルーカス側はオリジナルと位置づけている。
だが熱狂的なファンは、最初に劇場公開されたものをオリジナルとしている。

制作側は、当時の技術ではできなかったことを、20年後の技術で実現しようとする。
つまり制作側にとってのオリジナルとは、ジョージ・ルーカスの頭の中にあるものを映像化したもの、となる。
熱狂的なファンにとっては、ジョージ・ルーカスがそれをオリジナルといおうと、
あくまでもリマスターであり、オリジナルは当時劇場公開されたもの、
パッケージソフトではレザーディスクで発売されたもの、ということになる。
(この映画の公開後、DVDでも、いわゆるオリジナル版が出ている。)

それはリマスター版を認める認めないに関係なく、熱狂的なファンにとってはそうである。

映画の中でも取り上げられているが、
1980年代にモノクロ映画をカラー化しようという動きがあったときに、
ジョージ・ルーカスは反対の立場に立っている。
そういう彼が、自分の作品に対しては反対の立場をとっている。

何をもって「オリジナル」とするのか、
この映画でもそうだが、立場によって違うということに結局のところなってしまうのか。

Date: 2月 15th, 2015
Cate: 単純(simple)

シンプルであるために(ミニマルなシステム・その15)

オーディオという再生システムの中心をスピーカーとすれば、
組合せはスピーカーから始まるわけで、鳴らしたいスピーカーがまずあり、
そのためのシステムを組んでいく。

鳴らしたいスピーカーが能率がそれほど高くないモノ、
内蔵ネットワークは使用部品が多く、複雑なモノであれば、
ミニマルなシステムを組もうとしてもパワーアンプは必要となる。

にも関わらず、私はHUGOを主体とした組合せを考えている。
HUGOを主体としたミニマルなシステムを考えているわけで、
スピーカーを主体としたミニマルなシステムを考えているわけではない。

私は(その13)の最後に、
ミニマルという印象はHUGO単体が醸し出しているのではなく、
それをどう使ってみようか、という使い手側に潜んでいるということになるのか、
と書いた。

けれど、こうやって考えていくと、やはりHUGOにミニマルな要素があるということになるのか。
少なくとも私はHUGOにそういった要素を感じているから、
ここでこんなことを書き連ねている、ともいえる。

Date: 2月 14th, 2015
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(その6)

どんなことであっても、最初は何もわからない、知らないところから始める。
入門書は、そんな初心者、入門者が知りたいこと、疑問に感じていることについての答を提示する。
それを読み、初心者、入門者は基本となる知識を身につける。

入門書をこう定義すれば、「五味オーディオ教室」は優れた入門書とはいえない。

「五味オーディオ教室」に書かれてあることも、ある種の答とはいえる。
けれど、その「答」は読み手に、問い掛けをうながすものである。
だから、私は「五味オーディオ教室」をひじょうにすぐれた入門書だと思っている。
少なくとも私にとって、これ以上のオーディオの入門書はない、と断言できる。

これはひとつの運の良さともいえる。
どんなに「五味オーディオ教室」がすぐれた入門書であっても、
この本が出たのは1976年、それ以前にオーディオに関心をもった人には遅すぎた、ということになるし、
「五味オーディオ教室」はいつまで売っていたのだろうか。

CDが登場した1982年には手に入ったのだろうか。
1980年代後半にはみかけなくなっていたから、それ以降オーディオに関心をもった人も読めなかった。

いつ読んでも素晴らしい本は素晴らしい。
けれど入門書としての性格をおびた本であれば、
できれば初心者、入門者のうちに読んでおきたい。

「五味オーディオ教室」との出逢いがなかったら、
こうやってブログを書くようなことはしていなかったかもしれないし、
書いていたとしても、ずいぶん違うことを書いていたであろう。

Date: 2月 14th, 2015
Cate: オーディオのプロフェッショナル

モノづくりとオーディオのプロフェッショナル(その5)

オーディオがベンチャービジネスであったころのアメリカにおいて、
アンプメーカーは雨後の竹の子のように多くのメーカーが生れていったが、
スピーカーメーカーとなると、そう数は多くない。

ステレオサウンド 46号の新製品紹介のページで、
井上先生と山中先生が、このことについて語られている。
     *
井上 こうした新メーカーが次々とあらわれてくる背景には、一つはアンプ自体が他のジャンルにくらべてシャーシなどの板金加工プラスL(コイル)、C(コンデンサー)、R(抵抗)、半導体と回路技術の知識があればすぐつくれる、つまり個人レベルでの製作が可能でなおかついいものをつくり出せる可能性を多分にもっている点があげられると思います。
山中 本当に、プリント基板を自分で書いて、ハンダゴテをもって組み立てるだけで試作機がすぐにできあがるわけです。試作機という言葉を意識的に使ったのは、アマチュアが偶然非常にセンスのいいアンプをつくったとしても起業として成り立つだけの製品になり得る可能性を他のオーディオ機器にくらべ多分にもっているからです。
 これが、スピーカーやプレーヤー、テープデッキでは、そうした個人の頭の中にできあがったものだけでいい製品ができるかといえば、その可能性は非常に少ないといえます。起業レベル、つまり資本力と設計、製作上のキャリアの蓄積がものをいう世界です。
井上 たとえば、スピーカーユニット一つを例にとっても、コーン紙はどうやってつくればいいか、フレームは、マグネットは、機械加工は……と考えると、やっぱり個人ではつくれませんね。開発費自体も物量を投入するだけに大きなものになります。また、コーン紙その他のパーツができたとしても、それを単純に組み合わせていい音がするかといったらそうはいかない。内部構造がシンプルでメカニカルな部分が多いですから、その点でキャリアが必要であり、データーではおし計ることのてきない試行錯誤のくりかえしから得たノウハウなどの占める割合が大きくなるといえます。
     *
1978年に46号は出ているから、これを読んだとき私は15歳。
なるほど、と素直に読んでいた。

けれど時代は変る。
それにつれてスピーカーの開発も変っていく。
新興スピーカーメーカーがいくつも登場してくるようになった。
それらのメーカーすべてがスピーカーユニットを自社開発・製造していたわけではなくなっていった。

Date: 2月 14th, 2015
Cate: オーディオのプロフェッショナル

モノづくりとオーディオのプロフェッショナル(その4)

こういう人のことを、ひそかにマーク・レヴィンソン症候群と呼んでいる。

アメリカではマーク・レヴィンソンの成功に刺戟され、
第二、第三のマーク・レヴィンソンを目指すエンジニアがいた。
あのころ、オーディオはベンチャービジネスであった。

アメリカだけではない、日本にもそういう人たちはいた。
会社を興し成功した人もいれば失敗した人もいる。
いまも続いている会社があれば、あっという間に消えてしまった会社もいくつもある。

私は会社を興した経験はないけれど、あまり慎重になりすぎても起業することは無理であろう。
いくばくかの無謀ともいえる勢いがなければ起業はできないのかもしれない。

とはいえ、知人のようにスピーカーを自作する。
それが彼の好む音で鳴ってくれた。
そこには開発費も生じていない。
そのことで、彼自身が自分のことをすごいと思い込む。
それが勢いとなり、スピーカーメーカーを興せるのじゃないか、となる。

だが多くの人は、ここで周囲の人に聴いてもらうのではないだろうか。
少なくとも信頼できる人に聴いてもらい、その評価を受けとめる。
それでも評判がよければ、本気でオーディオメーカーを興そうとなるかもしれない。

そうやって誕生したメーカーは少なくない。

Date: 2月 14th, 2015
Cate: オーディオのプロフェッショナル

モノづくりとオーディオのプロフェッショナル(その3)

なんでも原価計算をしてしまう人が少なからずいる。
オーディオだけでなく、いろんなジャンルにそんな人がいる。

彼の多くに共通するのは、計算した結果を提示して、これらの製品は高すぎる、という。
中にはぼったくりだろう、といいたくなる価格の製品もないわけではないが、
多くの製品の場合、まずそんなことはない。

原価だけでモノがつくれるわけではないことは、多くの人が知っていることであり、
知っているから、あえて、そんな指摘は多くの人がやらない。

ほかのメーカーが開発したモノをそっくりコピーした製品をつくるにしても、
原価だけでは成り立たない。

原価計算がとにかく好きな人は、
なぜ原価のことしか考慮しないのだろうか。
この原価計算が好きな人と同じことを、(その2)で書いた知人は口にしていた、といえる。

塗装もしていない、ただつくりっぱなしの箱のスピーカーである。
スピーカーシステムとはとうていいえないレベルでとまっている。

内蔵ネットワークもないのだから、すべての調整はユーザーにまかせることになる。
そんなものと、メーカーがきちんと調整して仕上げも行って送り出す製品とを、
同列に並べて比較していることの愚かさになぜ気づかないのかと不思議になる。

知人がすごいのは、スピーカーメーカーを興せると思い込んでしまっていたところにある。
安くていい音のスピーカーを送り出せる自信に満ちていた。

Date: 2月 14th, 2015
Cate: 単純(simple)

シンプルであるために(ミニマルなシステム・その14)

CHORDのHUGO単体では荷が重いと思われるスピーカーはいくつもある。
そういうスピーカーのほうが、いまは多い。

そういうスピーカーを鳴らそうとしたら、なんらかのアンプが必要になる。
パワーアンプを一台用意すれば、レベルコントロールはHUGOでできるから、それで事足りる。

この場合のパワーアンプは、いわば必要なモノであるから、
HUGO、パワーアンプ、スピーカーというシステムは、最小である。
つまりはミニマルなシステムということになる。

それは頭ではわかっていることであっても、
心情的には(あくまでも私ひとりの心情として)、
パワーアンプを用意しなければ鳴らないスピーカーをもってくる時点で、もうミニマルとは感じない。

低能率の小型スピーカーを鳴らすために、
このスピーカーの何倍も大きく、重く、出力も数100W以上あるようなパワーアンプをもってきたら、
それは過剰すぎるという意味で、ミニマルなシステムとはいえなくなる。

でもそうでなくて、サイズ的にも出力としても必要な分だけの規模のパワーアンプであれば、
やはりそれはミニマルなシステムとなる。
でもくり返すが、それをミニマルとは心情的に納得し難い。

私に同意される人もいると思うし、パワーアンプを用意してもミニマルだろう、という人もいる。

私と同じようにミニマルを捉えてしまうと、
スピーカーの選択がかなり制約を受けてしまうことになる。

過剰すぎないパワーアンプを用意することまではミニマルと捉えれば、
スピーカーの選択に特に制約は生じなくなる。

Date: 2月 14th, 2015
Cate: 輸入商社/代理店

輸入商社なのか輸入代理店なのか(その3)

昨日、ある海外メーカーのオーディオ機器の修理のことが、facebookで話題になっていた。
このメーカーの製品を使っているユーザーのブログがリンクされていて、
コメントには、他のユーザーの方も実例があった。

この海外メーカーの製品はかなり高価なモノである。
このメーカーの輸入元は、かなり大きな規模の会社であり、
輸入だけでなく、オーディオ機器の開発も行っている。

そういうところだから、むしろ修理体制はしっかりしているように思われるけれど、
実際はどうもそうではないようである。

facebookに書かれていたことを疑うわけではないが、私自身の体験ではないから固有名詞は出さないが、
誰もが知っている会社である。

ある人は、ここが取り扱っているアンプが故障したため修理に出したら、
パーツが違うパーツに変っていた、とのこと。
そのことで輸入元に問い合せると、音は変りません、といわれたとある。

この輸入元は、使者が開発している製品のカタログでは、パーツのことにふれている。
もちろんパーツによって音が変ることを認めている。

にも関わらず輸入している製品となると、まったく反対のことを平気でユーザーにいう。
驚きよりも呆れる。
こうなると輸入元としての信用だけでなく、国内メーカーとしての信用もなくしてしまうことに、
このメーカーに勤務している人たちは気づかないのであろうか。

部署が違う──。
それが理由なのかもしれないが、そんなことはユーザーからすれば理由にはならない。
このメーカーの製品の購入を検討している人にも、理由にはならない。

同じ会社として見られているのだから。

Date: 2月 13th, 2015
Cate: KEF

KEF Model 109 “The Maidstone”(その6)

1983年春にステレオサウンド別冊として”THE BRITISH SOUND”が出た。
山中先生がイギリスの各オーディオメーカーを訪問されたのをメインとした本である。

KEFも訪ねられている。
KEFのページに、Model HLMの写真がある。

エンクロージュアの形はアコースティック・リサーチのLSTと同じで、
傾斜している両サイドにModel 105に搭載されているウーファーB300を二発ずつ、計四発、
スコーカー、トゥイーターもModel 105のユニットをそのまま採用している。
スコーカー(B110)は上下に二本、その間にトゥイーター(T52)が配置されている。
3ウェイ7スピーカーの、KEFとしてはかなり大がかりなシステムで、
このようなユニット配置をとったのは、垂直・水平方向の志向特性が対称になるようにである。

BBCの第4スタジオに、Model HLMはおさめられている。
けれど、このスピーカーシステムが製品化されることはなかった。

聴いてみたいとも思っていたけれど、
Model 105と使用ユニットは同じとはいえ、コンセプトは大きく違っているスピーカーシステムだけに、
そして写真でみる限り、いい音がしそうに思えなかったこともあり、
聴きたくないような気持もあった。

BBCの第4スタジオは、ロック・ポップス録音用のスタジオであることも、
Model HLMに、何かModel 105とは違う血筋のようなものを感じていた。

結局、KEF(レイモンド・クック)の1980年代以降の集大成となると、Uni-Qなのだろう。

Date: 2月 13th, 2015
Cate: KEF

KEF Model 109 “The Maidstone”(その5)

ステレオサウンド 54号。スピーカー特集でとりあげられたKEF Model 105SeriesIIの、
瀬川先生の試聴記。
     *
 数ヵ月前から自宅でリファレンス用として使っているので今回の試聴でも物差しがわりに使った。とくに、音のバランスが実によく練り上げられている。しかしこのスピーカーの特徴を聴くには、指定どおり、いやむしろ指定以上に、中〜高音域ユニットと聴き手の関係を、できるかぎり正確に細かく調整する必要がある。左右のスピーカーの正しい中央に坐り、焦点が合うと、スピーカーの内中央に歌い手が確実にそしてシャープに定位し、たとえば歌手の声(口)の位置と伴奏との、音源の位置──左右、奥行、そして(信じ難いことだが)高さの相違まで、怖いようなシャープさで鳴らし分ける。ただこのスピーカーの音色は、やや抑制の利いた謹厳実直型、あるいは音の分析者型、で、もう少し色っぽさやくつろぎが欲しくなることがある。また、ポップスではJBL的なスカッと晴れ渡った音とくらべると、ちょっと上品にまとまりすぎて物足りない思いをする。それにしても、価格やサイズとのかねあいで考えれば、たいした製品だ。
     *
このスピーカーシステムを指定以上に正確に細かく調整された音を、
しかも左右のスピーカーの中央で聴いた人はそういない、と思う。
聴いていない人は、この試聴記に書かれていることを信じられないかもしれない。

《焦点が合うと、スピーカーの内中央に歌い手が確実にそしてシャープに定位し、
たとえば歌手の声(口)の位置と伴奏との、音源の位置──左右、奥行、
そして(信じ難いことだが)高さの相違まで、怖いようなシャープさで鳴らし分ける。》
こう書いてある。

でも、これは決して誇張でもなんでもない。
私が熊本のオーディオ店で、瀬川先生が調整されたModel 105で聴いたバルバラのレコードは、
まさにここに書かれているとおりの音だった。

KEFのmodel 105を、
瀬川先生は《敬愛してやまないレイモンド・クックのスピーカー設計理論の集大成。》とされている。
(ステレオサウンド 47号より)

Model 105はレイモンド・クックの集大成といえるスピーカーシステムである。
1970年代までのクックの集大成である。

では1980年代以降の集大成は……、となる。

Date: 2月 13th, 2015
Cate: 輸入商社/代理店

輸入商社なのか輸入代理店なのか(その2)

マークレビンソンのLNP2、JC2が話題になっている時代、
アメリカでは多くの小規模のアンプメーカーが誕生した。
その中にDBシステムズがあった。

プアマンズ・マークレビンソンとも呼ばれていたDBシステムズのアンプは、
徹底的にコストを削減するつくりだった。
お世辞にもおしゃれなアンプとはいえなかった。

コントロールアンプのDB1と電源のDB2の組合せで、当時20万円をすこしこえていた。
それほど考かなアンプではなかったけれど、
マークレビンソンのアンプに匹敵する切れ込みの鋭い音を特徴としていた。

当時の輸入元はRFエンタープライゼスだった。
その後、輸入元がナスカになった。

この輸入元はDBシステムズのアンプに惚れ込んだH氏が、
勤めていた会社(たしかシュリロ貿易だったはず)を辞めて、
DBシステムズの輸入のために興した会社だった。

こういう輸入元は会社の規模は小さくとも信頼できた。
修理に関してもきちんとしていた。
小さな輸入元だったから、大きな輸入元からすれば売行きは少ないだろうが、
DBシステムズに対する日本のユーザーの信頼は増していったように思う。

海外のオーディオ機器を輸入して売るだけならば、輸入代理店、輸入代理業としか呼べない。
会社の規模が大きかろうと、修理体制がいいかげんなところは、そう呼ぶしかない。

残念なことに、輸入代理店、輸入代理業としか呼べないところ、
しかも会社の規模の大きいところがそうである、ということを耳にすることが何度かある。