audio wednesday (next decade) –第十夜
来月ではなく再来月(11月)のaudio wednesdayでは、
JBLの4343を鳴らす予定でいる。
11月の第一水曜日は6日。
翌7日は瀬川先生の命日。
四谷三丁目でやっていた時から、
一度は4343を鳴らしたい──、ずっと思い続けてきた。
今回、なんとか実現できそうである。
来月ではなく再来月(11月)のaudio wednesdayでは、
JBLの4343を鳴らす予定でいる。
11月の第一水曜日は6日。
翌7日は瀬川先生の命日。
四谷三丁目でやっていた時から、
一度は4343を鳴らしたい──、ずっと思い続けてきた。
今回、なんとか実現できそうである。
(その1)で、オーディオの広告から文字が消えていく傾向が強いことに触れた。
(その1)は十年前。
変わらずだ。
1970年代後半からオーディオ雑誌を読み始めた私は、
広告もまた記事のようなものだった。
記事に書かれていないことも広告にはあったりしたからだ。
そんなことはカタログに書いてある、と言われそうだが、東京のようにいくつものオーディオ店があった環境ならば、
カタログをもらってこれるが、私が住んでいた地方の片田舎は、そうはいかない。
だからこそ広告も、あの頃はじっくり読んでいた。
いまはインターネットがあるから、広告には、そういった内容は要らない──、
その考えも理解できないわけではない。
それでもここ数年Kindle unlimitedでステレオサウンドを見ていて気づいていたことは、
広告に価格を載せていないメーカー、輸入元が少なくないこと。
きちんと載せているメーカー、輸入元がある。
一方で載せないメーカー、輸入元がある。
些細なことだろうか。
野口晴哉氏は、使ってきたオーディオ機器は手放されなかったようだ。
これもあるのか、と思わず口に出してしまうほど、驚くモノがあるだけでなく、
おそらくストックなのだろうが、同じモノがいくつもあったりする。
まだ全てを確認しているわけではないが、
今回757Aレプリカの裏板を開けてウーファーを見て思ったことは、
アルテックがない──、そのことだ。
JBLもある、タンノイもある、その他にいくつものスピーカーがある。
けれどアルテックは、ない。
757Aレプリカのドライバーだけを見ていた時は、
ウーファーもたぶんJBLなんだろうな、と思った。
今回、ウェスターン・エレクトリックの754Aだったことを確認して、ドライバーはアルテックじゃないんだ、とまず思った。
JBLのドライバーの理由は、ホーンからくるものだろう。
757A(オリジナル)のホーンに近いモノとなると、
やはりJBLの2397になる。
ホーンが決まると、ドライバーもほぼ自動的に選択肢が絞られる。
だからアルテックの入る隙はないのはわかる。
けれど他のシステム、ユニットが何一つない。
アルテックを、野口晴哉氏は、
どう受け止められていたのか、捉えられていたのか。
考えても、その理由が判明するわけではないが、
考えないのもつまらない。
考えていれば、いつか納得いく答のようなものに出合えるかもしれない。
昨年、私の元にやって来たアキュフェーズは、
今年2月に、audio wednesdayで使うために移動していた。
その後、6月に引越し。
いまのところでは、アキュフェーズがないままだった。
そろそろ、今のところでも、その音を聴いてみたくなったので、
先日のaudio wednesdayで使った後に持って帰ってきた。
audio wednesdayでDP100は、メリディアンと組み合わせもしたし、
A20Vは、何度も使っているので、
持って帰ってきたからといって、久しぶりといった気持はないが、
今の部屋でどう設置するかは、引っ越ししたときから、あれこれ考えていたけれど、
やはり実物を実際に置いて、入れ換えてみたりしていると、音は鳴らさずとも嬉しくなってくる。
それから電源の取り方。
今の部屋は、少しばかり広くなって、壁も床までかなりしっかりしているけれど、
ACコンセントの数が、ちょっと少ない。
このこともわかっていたことだが、セッティングしてみると、こうした方がいいな、と思いついたりする。
そんなこと置く前からわかることだろうといえば、確かにそうなのだが、
実際やってみると、小さな気づきがあるものだ。
TIDALをroonで検索する場合、今では日本語でも可能になっている。
クラシックの演奏家も洋楽のミュージシャンも、日本語でいけるのは楽でいい。
私が気づいたのは数ヵ月前だったのだが、いつから可能になったんだろうか。
ただし英語でないと検索できないアルバムや演奏家もあるが、
多くは日本語で大丈夫だし、日本人に関しては、
一部ではあっても日本語でしか検索できないケースがある。
これはroonではなく、TIDALに登録されている情報が日本語だけからなのだと思われる。
先日、ある日本人歌手の名を、これまでと同じようにローマ字表記で検索してもダメだった。
TIDALにはないのか──、と思って、他の歌手を検索していたら、
似ているアーティストのところに、
さっきローマ字で検索した歌手の名が日本語で表示されている。
もしかして、と思い日本語で検索したら表示される。
roonではなく別のアプリで同じことをやると、
やはり日本語での検索でのみ表示される。
ますます便利になっているわけだが、これは日本でのサービス開始が近いからなのか。
いまのところ、なんとも言えないけれど、少しは期待している。
昨晩のaudio wednesdayのことで真っ先に書いておきたいのは、
757Aレプリカのウーファーについてだ。
ホーンは一目見て、オーディオマニアならば、
JBLの2397だとすぐにわかる。
ドライバーが2420だということは、エンクロージュアの裏に回ればすぐにわかる。
2397に2420を取り付けるには、スロートアダプターが二つ必要で、
その分奥行きがけっこう長くなり、
エンクロージュアから突き出る格好だからだ。
上の帯域がJBLならば、下の帯域もJBLだろうと誰もが思う。
私も最初はJBL proのユニット、
つまり12インチ口径のウーファーかフルレンジ。
2420と同時代とすれば、2202の可能性が高い、と、
音を聴くまでは、そんな予想を立てていた。
757Aレプリカは5月と8月にじっくり聴いている。
聴いた印象からは、どうもウーファーユニットではなさそうな気がしてくる。
確認の意味をもって菅野先生録音の“THE DIALOGUE”をかけると、
その印象はますます強くなる。
となるとJBLの12インチのフルレンジなのか。
それでもなんとなく違う気がする。
どのユニットなのか、気になるのならエンクロージュアの中を覗いてみればすぐにわかるが、
そのためにはまず2420を外すところから始めなければならない。
2420とエンクロージュア裏板との隙間はあまりなく、
2420を取り外す、つまりボルトを緩めて外すことはそれほど面倒ではないが、
取り付けるとなると、意外に大変なことはこの手の作業をやってきた人ならば、
すぐに予想できるし、裏板を止めている木ねじの本数もまあまあ多い。
昨日、やっと確認した。
裏板を外して見えてきたのは、
ウェスターン・エレクトリックの754Aだった。
昨晩(9月4日)のaudio wednesdayでかけたディスクで、一番反応があったのが、ミハイル・プレトニョフのシューマンだった。
昨晩は、8月の会に続き、757Aを使ったオーディオ・ティーチインといえる内容で行った。
四谷三丁目の喫茶茶会記で行っていた時は、
オーディオに関心のある方ばかりといえたが、
狛江の整体協会の稽古場でになってからは、必ずしもそうではなく、
オーディオには関心がなかった(ない)けれど、
音楽をいい音で聴きたいという方が半数ぐらいなっている。
これまでは、いい音で音楽を聴いてもらう、
傾向の違うスピーカー(音)で聴いてもらうことをでテーマとしていたため、
いわゆる比較試聴はやってこなかった。
8月と9月は少し趣向を変えて、オーディオ・ティーチインをテーマにしたのは、
熊本にいたころ、瀬川先生が定期的に熊本のオーディオ店に来られて、
オーディオ・ティーチインをやられていたからだ。
757Aレプリカを中心にいろいろとセッティングを変えて、
その音の変化を聴いてもらったあとに、CDとSACDの比較を行った。
プレトニョフのシューマンをかける予定はなかったけど、
CDとSACDのハイブリッド盤ということで、
じゃ、これもかけよう、という軽い気持での選曲だった。
会が終ったあとの雑談で、
「プレトニョフのシューマン、面白かったです。これからプレトニョフを集中して聴いてみます」
と、こちらでの常連のSさんから話しかけられた。
こういうことが、けっこう嬉しかったする。
10月2日のaudio wednesdayのテーマは、現代音楽。
現代音楽の定義をどう捉えるのかによって、
選曲は人によってかなり違ってくることだろう。
選曲は、以前書いているように常連のHさんにお願いしている。
私が考えているのは、スピーカーのことだ。
どういうスピーカーで聴いても現代音楽は現代音楽であって、何が変るわけでない──、
そう言い切れるだろうか。
現代の最先端のスピーカーで聴くから、現代音楽の素晴らしさが増すことがあるのか。
そうは思えないし、最先端のスピーカーを用意できるわけでもない。
ならばこれまで鳴らしてきたスピーカーの中から選べばいいのだが、
一つだけ個人的な興味で、このスピーカーで現代音楽を聴いてみたい、というのがある。
それほど大きくもないし、高価なスピーカーでもない。
持っている人が周りにいる。
借りることができたら、そのスピーカーになる。
8月の会に続いて明日(9月4日)も、757Aレプリカを鳴らす。
前回よりももう少しだけセッティングをつめていく過程を聴いてもらう。
同時に今回は、トゥイーターを追加して3ウェイの音も聴いてもらう。
つまり何かが足される音を聴いてもらう。
足されることによって何が得られるのか──だけでなく、
足されることによって何かがスポイルされる面もある。
2ウェイのスピーカーシステムは二次方程式、
3ウェイになると三次方程式、
4ウェイだと四次方程式、
そんなふうに最適解を求めるのが難しくもなる。
757Aレプリカのウーファーに使われているユニットをまだ確認していないが、
使用ユニット次第では、フルレンジだけの音も鳴らすつもりでいる。
開始時間は19時。終了時間は22時。
開場は18時から。
18時から音は鳴らしているけれど、
19時までの一時間は、質問、雑談の時間でもある。
音を鳴らし始めると、話す時間がほとんどなくなる。
とにかく聴いてもらいたいし、曲を途中で止めるのもできればやりたくないため、
曲の紹介を短めでやるくらいになってしまっている。
なので18時から19時までは、話のほうに少しはウェイトをおきたい。
会場の住所は、東京都狛江市元和泉2-14-3。
最寄り駅は小田急線の狛江駅。
参加費として2500円いただく(ワンドリンク付き)。
大学生以下は無料。
今日の11時ごろ、少し時間があったので、都心の書店に入った。
そういえば、今日(9月3日)は、ステレオサウンドの発売日。
ちょっと手にとってみようかと思い、音楽雑誌のコーナーへ。どんな表紙なのかは知っていたから、コーナーに近づくにつれて、
発売日は今日じゃなかったの? と思い始めた。
大手書店の都心にある、その支店の音楽雑誌のコーナーに平積みされていたのは、
オーディオアクセサリーだったからだ。
面陳列なのか、と思い見ると、そこにあったのはステレオ時代neo。
えっ、ステレオサウンドは?、とさがすと棚差しだった。
7月3日発売のステレオ時代neoが面陳列で、
8月26日発売のオーディオアクセサリーが平積みで、
9月3日発売のステレオサウンドが棚差し。
この扱いの差は、その書店での売れ行きを表している。
ステレオサウンド編集部は、この現実を知っているのだろうか。
知ろうとしているのだろうか。
けっこうな衝撃でもあった。
さびしさも感じたけれど、時代の変り目なのかもしれないとも思っていた。
都心のたった一軒の書店での取り扱いなのだから……、
そうもいえるけれど、本当にそうなのか。
マーク・レヴィンソンは、Amatiの出来にどの程度満足していたのか。
あの時点ですでに製造中止になってけっこう経っているLSTを、
あえて復刻したのだから、オリジナルのLSTになんらかの思い入れがあったと思われる。
マーク・レヴィンソンが手がけたスピーカーシステムは、
マークレビンソン時代にHQDシステムがある。
QUADのESLのダブルスタックを中心として、
ハートレーのウーファーとデッカのリボン型トゥイーターを組み合わせた、
かなり大がかりなシステムである。
ESLは横から見ると弓状に配置されていた。
HQDシステム登場の少し前に、
スイングジャーナルで長島先生がトリプルスタックをやられていた。
この時の音は、本当に凄かった、と、長島先生だけでなく、山中先生からも聞いている。
相当に凄かったのだろう。
このトリプルスタックとHQDシステムのダブルスタックは、
その配置からもわかるように狙いの違いがある。
長島先生のトリプルスタックは集中、
HQDシステムのダブルスタックは拡散といっていい。
どちらが優れているかは、どういう音を再現したいかによってわかれる。
おそらくだがマーク・レヴィンソンがトリプルスタックをやったとしても、
長島先生のトリプルスタックとは、その配置は違ったはずだ。
10月のaudio wednesdayのテーマは、現代音楽なのだが、
この現代音楽の定義みたいなものが、わかっているようで、
正直よくわかっていない。
現代音楽とは、で検索すれば、
いろいろ表示されるが、それらを読んだところで、
曖昧に感じているところは曖昧なままである。
1963年生れの私が、最初に聴いた現代音楽はあなんだったのか。
意識してクラシックを聴くようになってからではなく、
何かの機会で耳にした現代音楽は、なんだったのか。
「どろろのうた」かもしれない。
鈴木良武・作詞、冨田勲・作曲、藤田淑子・歌の「どろろのうた」の方である。
モノクロの「どろろ」の主題歌だから、
六歳の時に耳にしている。
冨田勲・作曲なんて知らなかったし、気にもしてなかった。
ただ、変った曲だな、と感じたことだけははっきりしている。
この頃、子供が見ていたてテレビ番組の主題歌とは、
明らかに違っていたことは、六歳であっても感じていた。
「どろろのうた」は、現代音楽といえたのだろうか。
いまではシミュレーションソフトを使うことで、
自作スピーカーでの失敗は、かなり減っていることだろう。
私がオーディオに興味を持ち始めた1970年代後半とは、
自作スピーカーのレベルはかなり違ってきている。
なのに、私が作ろうとしているやり方は、
ずっと以前のやり方に近いもので、うまくいくかもしれないし、
全くひどいシロモノにしかならないかもしれない。
メインのスピーカーシステムはすでにある。
その上でのスピーカー作りである。
スピーカーというからくりを楽しみたいがためのモノといえる。
ARのLSTの同じ形状のエンクロージュア。
そこにフィリップスのとエレクトロボイスのユニットを、
縦一列にフロントバッフルに、
そしてトゥイーターを斜めの角度をつけた側面に、
しかもトゥイーターは一つではなく、
複数使用、さらにはソフトドーム型とAMT型とを一緒に、
そんなバカなことを考えている。
なので全体の音色の統一感は得られないだろう。
そういうことは求めていない。
結果としてうまくまとまらないスピーカーとなっても、
そこまでの過程が楽しければそれでいいし、
私一人が楽しめれば、それでいい。
一年前に書いたものにコメントがあったので、この(その2)を書いている。
ARのLSTに関心を持つようになったのは、手元にあるスピーカーユニットを眺めていたからだった。
フィリップスの8インチ口径のフルレンジユニット、AD3800SM、
エレクトロボイスの1828Cドライバーと
823ホーンをながめながら、
この二つのユニットでスピーカーを自作するとしたら──、そんなことを妄想していた。
1828Cは中域用だから、なんらかのトゥイーターを足すつもりだから、
3ウェイの、さほど大きくないシステムとしてまとめたい。
誰かに聴かせるわけでもないし、使わずに保管しているだけのユニットを、
なんとかうまく使って、どんなスピーカーとしてまとめられるか。
フィリップス、エレクトロボイス、なんらかのトゥイーターを縦一列インライン配置をまず考えた。
これが一番無難にまとまりそうではあるが、
フィリップスのフルレンジにエレクトロボイスは、
本当に必要なのか。
少し大きめの口径のドーム型トゥイーターを選択すれば、
2ウェイでいけるし、こちらの方がうまくまとまりそうでもある。
なのにフィリップスとエレクトロボイスを組み合わせることが、
ここで構想しているスピーカーの条件である。
フィリップスとエレクトロボイスは縦一列に配置、
トゥイーターをどうするかを考えた時に、
頭に浮かんだのがLSTだった。
音は儚い、ともいえる。
楽器から、スピーカーから発せられた音は、すぐさま消えいってしまう。
あとには、なんの痕跡も残さないからだ。
楽器、人から発せられた音から音楽はなっている。
そのままでは消え去ってしまうのを、
マイクロフォンで捉え、レコーダーで記録する。
録音された音楽を、スピーカーを介して聴いている。
最近では、そのスピーカーからの音を録音することが流行っている。
このことについてあれこれ言おうとは思わないが、
私はやらない。
エアー録音と呼ばれているこの行為が、無意味と思うからではなく、
音の儚さを、なんとなく無視しているようにも感じるし、
なんだかいじましいっぽいところを感じるからでもある。
こうやったから、聴き手に届くのか。
届いているといえば、否定はできないけれど、
ならば聴き手に届くとはどういうことなのかを考える。
聴き手に届く音と届かない音がある。
私は、そう思っている。
どんな音でも聴き手に届いているとは、考えていない。
聴き手に届く音とそうでない音は何が違うのか。
輝きである。