Date: 7月 1st, 2021
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(黒バッフルのモデル・その2)

ステレオサウンドがキットとして販売していたコーネッタの底板には、
StereoSoundという焼き印が押されている。

私がヤフオク!で手に入れたコーネッタには、ない。
ヤフオク!に表示されていた写真をみた時から、たぶんオリジナルじゃないな、
そう感じていた。

手に入れて真っ先に確認したのは、焼き印の有無だった。
ないだろうと予想していたから、がっかりはしなかった。
問題は音と、その造りだからだ。

造りに関してはみた時から満足していた。
音は昨年書いているように、よく鳴ってくれている、と感じている。

キットだから、ステレオサウンドが販売したものを購入した人の中には、
自分でバッフルを黒く塗装した人がいたことだろう。

サランネットを外したときにバッフルが黒だと、
オートグラフのイメージに少し通じてくる、といえるからだ。

オーディオタケムラの黒バッフルも、そういうことなのかもしれない。
オーディオタケムラのモデルは、もう一つ違いがあって、
レベルコントロールが背面ではなく、フロントバッフルにあることだ。

何度か書いているが、コーネッタはキットだった。
完成した状態で、メーカーがその性能と音を保証しているモノではない、ということ。
そのことを忘れないことだ。

Date: 6月 30th, 2021
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(黒バッフルのモデル・その1)

コーネッタに関して、黒いバッフルのモデルがあるけれど──、
という問い合せがあった。

検索してみると、黒いバッフルのコーネッタが、中古として販売されてきた(いる)。
この黒いバッフルのコーネッタのすべてがそうだとは断言できないが、
これはステレオサウンドがキットとして発売したモノではなく、
その当時、相模原市にあったオーディオタケムラが独自に生産していたモノだ。

この黒バッフルのコーネッタの音は、私は聴いたことがない。
ステレオサウンドのキットと同等の音が出るのか、
それとももっといいのか悪いのか、なんともいえないが、
この黒バッフルのコーネッタを、
ステレオサウンド製として売っているオーディオ店は信用しない方がいいだろう、
とはいえる。

Date: 6月 30th, 2021
Cate: 数字

300(その12)

いまではD級アンプの進歩が著しいこともあって、
300Wという出力も、小型で軽量でも得られるようになってきたし、
そういうD級アンプと接してきている人にとっては、
300Wという数字は、大出力という感覚もなく受けとっているのだろうか。

私は、SAEのMark 2500の実物をみたときに、
300Wという大出力を、安定に実現するには、これだけの規模が必要なのか──、
そんなふうに思いながら眺めていたものだった。

同じく300W出力のマッキントッシュのMC2300も規模としてはMark 2500より上だったが、
実物と接したのは、私の場合はMark 2500が先だった。

300Wという出力が家庭で音楽を聴く上で必要なのか、という議論は、当時からあった。
それに対する答としていわれていたのが、
300Wという出力を安定に実現するために、そのアンプに投入された物量と技術、
それが音質に寄与している、というのがあった。

コンストラクションにおいてもそうである。
大容量の電源トランスはずっしりと重たい。
出力の大きさに見合ったヒートシンクも必要となる。

つまり重量級アンプとなるわけで、
そういうアンプを開発するということは、
輸送時のことも配慮しての設計・製造ということにもなってくる。

ようするに、しっかりとした構造のアンプとして仕上がることが、
まじめにつくられた大出力アンプに共通していえることだった。

そのことは当時からオーディオ雑誌に載っていることだった。
そのことに対して、こんなことをいう人もいた。

使っているスピーカーの耐入力が小さいから、
そしてスピーカーを壊したくないから、耐入力以上の出力のアンプは要らない、
というか、使いたくない、と。

スピーカーを大事にしたい気持はわかるが、
耐入力未満の出力のアンプを使えば安心と考えるのは、間違っている。

そのことも私がオーディオに関心をもち始めたころ、
すでに指摘されていたにもかかわらず、ソーシャルメディアを眺めていると、
いまでもそう考えている人がいる。

Date: 6月 29th, 2021
Cate: 数字

300(その11)

ステレオサウンドで働いていたときは、もっと大出力のアンプを聴く機会は、
何度となくあった。
500W、600Wが、特に際立った出力の大きさとは感じなくなっていた。

私がいたころは1kWを超えるアンプはなかった。
そのころ聴いていれば、これが1kWのアンプか、と思ったりしただろうが。

1980年代は300Wの出力は、もちろん大出力ではあったけれど、
特別な数字ではなくなりつつあった時代だ。

ふりかえってみると、私が自分で鳴らしてきたアンプで、
もっとも出力が大きかったのは、SUMOのThe Goldの125W+125Wだった。

The GoldはA級動作ゆえの125Wであって、
同規模でAB級動作のThe Powerは、400W+400Wだった。

規模的・物量的には300W超えといえる内容のアンプであったといえても、
実際の出力は125W+125Wである。

今回、私のところにやって来たSAEのMark 2500の300W+300Wが、
最高出力のアンプとなる。

300Wという出力の本領発揮といえるほどの出力を出せる環境なのかといえば、
決してそうではない。

以前から、アンプの出力はどれほど必要なのか、という論争がある。
100Wですら大きすぎる。10Wの程度の良質な出力のアンプがあればいい、という意見もあれば、
質が低下しなければパワーは大きいほどいい、という意見もある。

オーディオ・コンポーネントにおけるパワーアンプは、心臓といえる。
心臓から繰り出されるのは、いわばパルスである。
パワーアンプにおける(出力というより)パワーの違いは、
この心臓の力強さの違いともいえる。

10W程度の出力でことたりる、という人のなかには、
100dB/W/m以上の高効率のスピーカーを鳴らされている人もいるわけで、
確かにそういう人にとって、数百Wの出力は無用の長物だろうが、
そうでないスピーカーを鳴らしていて、そんな出力は……、といっている人のどれだけが、
ほんとうの意味でのハイパワーアンプが鳴らす音とエネルギーを体験しているのだろうか。

Date: 6月 28th, 2021
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その26)

使いこなしとは、
目の前にオーディオ・コンポーネントから、
少なくとも、その時は最上の音だ、と思えるくらいの音を抽き出すことであって、
ここで書いているようなことを考える必要はない──、
それでもいいと思いながらも、
私自身は、これまで書いてきているように、
オーディオには三つのingがあり、
セッティング(setting)、チューニング(tuning)、エージング(aging)であり、
この三つのingをごっちゃにすることなく、
常にその境界を意識していくことが、いつかは訪れる。

そう考えている。

さらにこの三つのing、
統合点(combining)と分岐点(dividing)、それに濾過(filtering)、
もうひとつの三つのingが、通奏低音のように、そこに加わる。

Date: 6月 28th, 2021
Cate: 欲する

偶然は続く(その4)

SAEのMark 2500は、何度かヤフオク!に出ているのは見てきている。
頻繁に出品されるわけではないし、こまめにチェックしているわけでもないが、
一年に一回程度は出品されているようだ。

これまでの何度かは入札することなく終っていた。
今年は、違った。

2021年だから、というのも理由の一つだ。
1981年から四十年だからだ。

Date: 6月 27th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(その12)

そんな妄想の源は、そうやって手を加えたMark 2500を、
瀬川先生に聴いてもらいたい、という気持である。

程度のいいMark 2500を手に入れて、
やれるかぎりの手を、そこに加えていく。

そうやってML2を超える透明感をもつMark 2500に仕上がったとして、
瀬川先生に聴いてもらうことはかなわない。

自己満足でしかない。
それでも、今回、実現しようとおもった。

Date: 6月 27th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(その11)

「世界のコントロールアンプとパワーアンプ」(ステレオサウンド1978年春別冊)、
SAEのMark 2600の瀬川先生の試聴記が載っている。
     *
 音の透明感と表現力のずば抜けて優れたアンプだと思う。透明感という点でこれに勝るのは、マーク・レビンソンのML2Lぐらいのものだから、SAE♯2600はその点でわずかに負けても、どこか凄みのある底力を感じさせるダイナミックなスケール感と音の肉づきのよさで勝る。旧モデルの♯2500も含めて、低音の量感がこれほどよく出るパワーアンプは少ないし、ハイパワーでいながら高域のキメの細かいこと、ことに音量をどこまで絞っても音像がボケず、濁りもないこと、まさに現代の最上級のパワーアンプだろう。♯2500にくらべると、低域がややひきしまり、中〜高域の音色がわずかに冷たく硬質な肌ざわりになったところが、多少の相違点といえる。
     *
この時点で、Mark 2600は、マークレビンソンのML2の半額よりも少し安かった。
ML2も、このころの私にとっては憧れのパワーアンプの一つだったが、
いかんせん高すぎた。

Mark 2500(2600)も手が届かない存在だったのだが、
ML2はさらにその上にいた存在だった。

それでも音は、その実力は、価格ほどの違いはないんだな、と、
瀬川先生の試聴記を何度も読み返して、納得しようとしていた。

Mark 2500(2600)には、ML2よりも優る点があるということ。
これは当時の私にとっても、とても大事なことだった。

ならば、Mark 2500を手に入れたとしよう。
それに手を加えたら、ML2の透明感にそうとう近づけるのではないのか。

そのためにはどうやったらいいのかは、当時の私にわかっていたわけではないが、
それでも、なんとなく手を加えれば、それも適切にやれば、ML2よりもよくなる──、
そんなふうに思い込もうともしていた。

それが、いまもどこかでくすぶっていたように感じている。
十年くらい前から、Mark 2500に手を加えたら、その実力をどこまで発揮できるようになるのか。

インターネットでMark 2500の内部写真が、
かなりのところまで見ることができるようになってから、
よけいにそんなことを妄想するようになっていた。
二年くらい前には、具体的にどこをどうするのか、ほぼ決っていた。

ここのところをこんなふうにしたら、こういう変化が得られるはず──、
そんな妄想を、入浴中、ぼんやりしているときに何度もしていた。

Date: 6月 27th, 2021
Cate: バランス

Xというオーディオの本質(その5)

カルロ・マリア・ジュリーニは、積極的に聴いている。
TIDALがあるから、これまで聴いていなかった演奏(録音)も聴けるようになり、
この人の演奏をコンサートホールで直に聴いてみたかった──、とあらためて思っている。

ジュリーニの演奏で聴くと、これまで何度となく聴いてきた曲に、
こんな表情があったんだ、と気づかされることがある。

私の場合、こういう気づきは、ジュリーニの場合がいちばん多い。
その理由を考えると、結局バランスということにいきつく。

ジュリーニの演奏はバランスがいいからこそ、
ほかの音・響きに埋もれることなく聴こえてくる表情がある。

このことは、オーケストラの各楽器のバランスだけではなくて、
テンポをふくめてのバランスという意味において、である。

Date: 6月 26th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(2500と他社のアンプのこと)

SAEのMark 2500に入札しているあいだ、ヤフオク!には、
私が興味をもちそうな、お探しの商品からのおすすめが表示される。

そこにいくつかのアメリカのパワーアンプが表示されていた。
Mark 2500と同時代か、少し新しい時代のモノがいくつかあった。

製品としての規模も近いモノがあった。
その中に、動作不良のためジャンク扱いというパワーアンプがあった。

出品者の説明文を読んでも、あきらかに修理が必要なアンプである。
このアンプに入札する気はなかったけれど、
最終的にいくらで落札されるのかは、興味があった。

Mark 2500を落札して数日後、その落札価格を見たら、2500よりも高かった。

私だったら、そのアンプの状態が良くてもMark 2500を選ぶのだが、
世の中には、私の感覚とはずいぶん違う人がいる、ということを改めて実感する。

そのアンプの故障の具合がどの程度なのかははっきりしないが、
いま、そのブランドの輸入元はないし、ブランド自体もなくなっている。

修理に出すか、自分で直すか。
自分で直せる人は、そう多くないと思う。
とすると、修理業者に出すわけだが、そうすればそこそこの費用がかかってしまう。

費用がいくらになるのかは、そのアンプの状態次第なのだからなんともいえないが,
落札価格と修理費用をあわせると──、私はヤフオク!で入札するときは、
そのことを考える。

動作しているモノであっても、メインテナンスは必要になるから、
その費用も見込んで、最大でここまで、という金額を決めての入札をする。

多くの人が、そうしていると思っていた。
でも、どうも違うようである。

人それぞれだから、そこまでしても欲しいアンプだったのだろう。
でも、そのアンプが現役だったころ、ステレオサウンドでまだ働いていたから、
そのアンプの実力、人気のほどは知っていたから、
落札した人は、そこまでの愛着があってのことなのか、
落札したアンプをどうするのか、
そんなことを考えると、疑問符が浮ぶだけだ。

Date: 6月 26th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Elena Fischer-Dieskau(その1)

TIDALでクラシックの新譜をチェックしていて、
目に飛び込んできたのは、モノクロのジャケットだった。

きりっとした顔付きの女性が写っている。
iPhoneで見ていたので、表示される写真は小さく、
パッとみて、最初は歌手? と思った。

名前をみたら、Elena Fischer-Dieskauとある。
よけいに歌手と思ってしまった。

ピアニストだった。
Elena Fischer-Dieskauは、
名前からわかるようにディートリッヒ・フッシャー=ディスカウの孫にあたる。

収録されているのは、ブラームスの七つの幻想曲、二つのラプソディ、
それからシューマンのクライスレリアーナである。

日本での発売は6月30日とのこと。

この数ヵ月、TIDALでフランスの女性ピアニストをけっこう聴いてきた。
昔と違い、いまの時代、国の違いによって演奏スタイルが、といったことは、
あまりいえなくなってきたのかもしれないが、
Elena Fischer-Dieskauの演奏を聴いていると、ドイツのピアニストだ、と強く感じる。

それとも祖父のディートリッヒ・フッシャー=ディスカウの血なのか。

いまのところ、一枚だけである。
これからどんな録音をしてくれるのかも知らない。

エレナ・フッシャー=ディスカウのブラームスとシューマンを聴いていて、
ベートーヴェンとバッハを聴いてみたい、と思っていた。

この人のベートーヴェンとバッハは、どんな感じなのだろうか。
この数ヵ月聴いてきたフランスのピアニストで、そんなふうにおもったことはなかった。

音楽の骨格の違いゆえか。

Date: 6月 25th, 2021
Cate: ショウ雑感

2021年ショウ雑感(その19)

大阪ハイエンドオーディオショウは、
インターナショナルオーディオショウの二週間後に開催予定だったが、
今日中止が発表になった。

二年連続の中止である。
インターナショナルオーディオショウが開催を発表しているので、
大阪ハイエンドオーディオショウもやるのか、どうするのか。
開催を期待していた(楽しみにしていた)人は多かっただろう。

大阪ハイエンドオーディオショウは会場がホテルということもあって、
ほとんどのブースが狭い。

いまのところはインターナショナルオーディオショウは開催する方向である。

半年先、どうなっているのか。
正確に予想できる人はいない。

それでもひとついいたいのは、決断と判断は似ているようでいて、違うということ。
三年前に、別項でリーダーとマネージャーについてふれた。

マネージャーは判断できても決断できない。

Date: 6月 25th, 2021
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(その12)

ステレオサウンド 50号掲載の長島先生の「2016年オーディオの旅」。
ここには振動板のないスピーカーが登場する。
     *
 書棚の反対側は壁面となっていて、壁の左右には奇妙な形をした装置がひとつづつ置いてあった。その装置は、高さが2m暗いのスタンド型をしており、直径80cmくらいの太いコイルのようなものが取り付けられていた。スタンドの床に接する部分は安定の良さそうな平たい足になっており、カバーが一部外れて、電子装置のパネルのようなものが顔を覗かせていた。不思議なことに、この装置の他には再生装置らしきものは何も見えなかった。
     *
これが長島先生が1979年に予想された2016年のスピーカーであり、
ポールの中心部の複雑なアンテナ状のところから、
ごく短い波長の電波を出し、周囲の空気を磁化することで、
コイルに音声信号を流すことで磁化された空気が振動する、というものである。

空気の磁化。
これが可能になれば、このスピーカーは実現する。
とはいっても、空気の磁化をどうやって実現するのか。

しかも家庭におさまるサイズで、である。

2020年3月の記事で、昨日、一部加筆されて公開になった記事が目に留った。
「ノーベル賞級!? 壊れた機械によって偶然『核電気』共鳴法が発見される!」
というタイトルの記事だ。

この記事の内容を100%理解しているわけではないが、
この発見こそ、長島先生が思い描かれたスピーカーの実現への第一歩なのではないだろうか。

Date: 6月 25th, 2021
Cate: VUメーター

VUメーターのこと(その22)

音だけに関していえば、メーターはないほうがいい。
アンプによっては、メーターのON/OFF機能がある。

OFFにした音を一度でも聴くと、ONにしようとは思わなくなる。
ではOFFにしたから、メーターによる音への影響はゼロにできるかというと、
決してそうではない。

フロントパネルにメーターが取り付けられている時点で、音への影響は生じている。
メーターが大きいほど、フロントパネルに開けられる取り付け穴は大きくなる。

その分だけフロントパネルの強度は低くなる。
振動モードも当然変化する。

しかもそこに空間をもつメーターがとりつけられるわけで、
この部分の共振も、また音への影響となっていく。

メーターを構成する部品の共振も無視できない。

それにメーターの駆動部分には磁石が使われている。
メーター機能をOFFにしていても、この磁石は生きている。

他にもあるけれど、メーターがついてるだけで、
メーターとして機能していなくても、音への影響をゼロにできるわけではない。

そんなことはわかったうえで、今回のSAEのMark 2500である。
マークレビンソンのLNP2にしても、メーターがなければ、もっと音が良かったはずだ。

けれどメーターのないLNP2を想像してほしい、
メーターのないMark 2500を思い浮べてほしい。

メーターのON/OFF機能は、私はいらない、と思っている。
こういうスイッチがついているから、ついOFFにした音を聴くことになる。
OFFにした音を聴くと、ONにしようとは思わない。
ならば、最初からメーカーをつけなければいいのに──、そう思ったりするからだ。

ON/OFF機能がなければ、メーターの音への影響があるのはわかっていても、
簡単にたしかめることはできないから、そのままで聴く。
それでいいではないか。

Date: 6月 24th, 2021
Cate: Noise Control/Noise Design

聴感上のS/N比と聴感上のfレンジ(その17)

太い音は、褒め言葉だ、と(その16)で書いているが、
太い音が出てますね、こちらが褒め言葉としていったとしても、
受けとる側は人によっては、貶されたと受けとることだってある。

二、三年前だったか、ある人があるディスクをかけてほしいと、
audio wednesdayにもってきた。

聴き終って、雑談の感じで、ある人が「テレビ的な音」といった。
それに私も同意したわけだが、二人とも、その録音がひどいという意味で、
テレビ的な音といったわけではなかった。

けれど、そのディスクをもってきた人はそうではなかったようだ。
かなり心のどこかに「テレビ的な音」といわれたことがひっかかっていたようだ。

そのディスクの録音を貶された、侮辱された、とでも思っていたようだった。

けれど、そう受けとってしまうのは、ディスクをもってきた人の心に中に、
「テレビ的な音」を貶す表現として持っているからだろう。

もしかすると、彼自身、テレビ的な音と表現して、
ある種の音をバカにしているのかもしれない。

そうだからこそ、もってきたディスクに対して「テレビ的な音」といわれての反応のようだった。

こういう時に、ことこまかに説明したところで通じることは、まずない。

結局、その人が、その表現を普段どう使っているかが、こういうときに顕になるだけだ。