Date: 2月 13th, 2022
Cate: 老い

老いとオーディオ(その10)

小林秀雄氏は1902年4月11日、
五味先生は1921年12月20日の生れである。

五味先生は、フルトヴェングラーの「トリスタンとイゾルデ」を、
三十代ではじめて聴いて《勃然と、立ってきた》と、
ステレオサウンド 2号の「音楽談義」でそう語られている。

小林秀雄氏は、「そんな挑発的ものじゃないよ。」と返されている。
このとき小林秀雄氏は六十代である。

フルトヴェングラーの「トリスタンとイゾルデ」は1952年の録音。
ということは小林秀雄氏は、
フルトヴェングラーの「トリスタンとイゾルデ」を聴かれた時は、すでに五十代である。

五味先生ははじめて聴いたのが三十代である。
もし小林秀雄氏が三十代のころ、
フルトヴェングラーの「トリスタンとイゾルデ」があったならば、
その演奏を聴かれていたならば、なんといわれただろうか。

《勃然と、立ってきた》といわれただろうか。

Date: 2月 13th, 2022
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その26)

非対称磁界と対称磁界のユニット、
それぞれで、どういう音の違いが生じるのか、
スピーカーの開発者でなければ聴く機会はない、といっていい。
私も聴いたことはない。

どれだけの音の違いがあるのかは、正直わからない。
もしかするとそれほどの音の違いはないのかもしれない。
なのにJBLのSFGのアピールがうまくて、対称磁界でなければ──、
そんなふうに思い込んでいるだけなのかもしれない。

ただボイスコイルの種類によっても、
対称磁界と非対称磁界の音の違いのあらわれ方には差が出てくるであろうことは、
容易に想像できる。

ボイスコイルの幅がトッププレートの厚みよりも短く、
しかも最大振幅においても、
ボイスコイルの端がトッププレートからはみ出さない、
つまりショートボイスコイルであれば、
対称磁界と非対称磁界の音の違いは、それほど大きくないはずだ。

トッププレートの厚みと同じ幅のボイスコイルであれば、
振幅が大きくなれば、ボイスコイルの端がはみ出すことになり、
ボイスコイルの一部が非対称磁界に中におかれることになる。

となるとショートボイスコイルよりも、音の違いが大きくなるだろうし、
同じ考えでいけばロングボイスコイルであれば、より大きくあらわれるはずだ。

実際はどうなのだろうか。

Date: 2月 12th, 2022
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その25)

1980年前後に、コバルトの世界的な不足により、
アルニコマグネットからフェライトマグネットへの変更が、
各スピーカーメーカーで行われた。

タンノイもアルテックもJBLも、アルニコからフェライトへという流れに逆らえなかった。
この時、JBLだけが、対称磁界ということを謳った。

アルニコとフェライトでは、磁気特性の違いにより、最適な形状が違ってくる。
そのためスピーカーユニットの磁気回路の設計も、当然変更になる。

JBLは、SFGということを積極的にアピールした。
SFGとはSymmetrical Field Geometryである。

フェライトマグネットはドーナツ状であり、外磁型となる。
フェライトマグネットをはさみこむようにトッププレートとバックプレートがある。

磁気回路のセンターポールピースがあり、
このポールピースとトッププレートのあいだに磁界が発生する。

ここで重要になるのはポールピースの形状である。
通常のフェライトマグネットのユニットが円筒状であるのに対して、
JBLのSFGユニットはT字状になっていた。

ポールピースがただの円筒状だと、非対称磁界になってしまう。
ポールピースがT字状であり、
T字の横棒の部分がトッププレートと同じ厚みであるSFGユニットでは、
対称磁界となる。

JBLは特許を取得していたはずだ。
だから他社はマネすることができなかった。
けれど、それからずいぶん時間が経っている。
特許は切れている(はず)。

振動板やフレームとか、外側から見えるところに関しては、
各スピーカーメーカーが、積極的にアピールしている。
マグネットについても同じである。

けれど磁界が対称であるのかそうでないのか。
このことに触れているメーカーはどれだけあるのだろうか。

Date: 2月 12th, 2022
Cate: 録音

録音フォーマット(その3)

諏訪内晶子のバッハの無伴奏のSACDのライナーノートには、
録音についての記述はない、とのこと。

TIDALでは、(その1)で書いているように192kHzのMQAで聴ける。
ただ不思議なこと(珍しい)ことに、
アルバム名は英語表記であるけれど、トラック名はなぜか日本語表記である。

e-onkyoはどうなのかと見てみると、
DSF(2.8MHz)とflac、MQA(192kHz)がある。
どちらで録音しているのかは、はっきりとしない。

もしかするとなのだが、両方で録っているのか。

Date: 2月 11th, 2022
Cate: サイズ

サイズ考(その75)

サイズというよりも重量と振動に関して、
オーディオの世界でよく語られていることに、
重いモノは振動しにくいが、一度振動し始めるとなかなか振動がおさまらない、
一方軽いモノはすぐに振動するけれど、その振動はわりとすくに収束する──、
ということである。

この説に納得している人は多いように感じている。

正しいように思える説であるし、
間違っている説なわけでもない。
とはいえ、つねにそうなのか、というと私は昔から疑問に感じている。

そのモノに加えられる振動が、ごく短い波形であれば(たとえばパルス一波だけ)、
たしかにそうであろうが、実際の音楽信号は、そういうわけにはいかない。

つねに変化し続けている信号(振動)が加わるわけである。
決して短いとはいえない時間、加わるわけである。
この点がごっそり抜けての、重いモノは、軽いモノは──という説を、
素直に信じられるだろうか。

それに重いモノと軽いモノが同一の素材であれば、という条件が、この説にはつく。
けれど実際のところ、重いモノと軽いモノは材質が違うことの方が多い。

材質が違っていて、重いモノは、軽いモノは──を単純に比較することは無理である。

Date: 2月 10th, 2022
Cate: ディスク/ブック

五味オーディオ教室

13歳の秋、「五味オーディオ教室」と出逢った。
それから四十五年と数ヵ月。

「五味オーディオ教室」との出逢いで、
オーディオという世界があることを知った。
オーディオという世界の奥深さを知った。

それだけではない。
私にとっていまでも「五味オーディオ教室」が大事なのは、
「五味オーディオ教室」から五味康祐という一人の人間の情熱を感じとれたからだ。

Date: 2月 9th, 2022
Cate: サイズ

サイズ考(その74)

同じ抵抗であるならば、1/4Wよりも1/2Wのほうが、
1/2Wよりも1Wのほうが、1Wよりも2Wのほうが……、
温度係数はよくなるし、音に関していい結果が得られる、ということになる。

富田嘉和氏は確かメタルクラッド型で数十Wの抵抗まで試されていた、と記憶している。
入力抵抗での実験でもあったはずだ。

入力抵抗だけであれば、かなり大型の抵抗の採用もありかもしれないが、
回路全体の抵抗を、そこまでW数の大きなモノにすることは、
スペースの関係上、現実的とはいえない。

それにW数に比例して抵抗のサイズも増していくということは、
温度係数だけの変化とはいえなくなる。
振動に関しても、サイズの違いは関係してくるし、
サイズの大きな部品を使うということは、配線(プリント基板のパターン)も、
変化していくことだってある。

だから実際の音の変化は、温度係数の違いだけではなく、
その他の要素も絡んでの複合的な変化といえば、そうである。

それでも温度係数の大きい・小さいは、音への影響は小さくないように感じている。

温度係数の観点からのみみれば、
現在の、表面実装型の部品は、ひじょうに小型だし、不利ともいえる。

けれど別の観点からみれば、W数が増すことで大きくなるサイズは不利なこともある。

Date: 2月 8th, 2022
Cate: ちいさな結論, 快感か幸福か

快感か幸福か(ちいさな結論)

その1)は、このブログを書き始めたころに書いている。
2008年9月に書いているわけだから、ずいぶん経つ。

ここまで書いてきて、ちいさな結論として書いてしまえば、
快感は耳に近い(遠い)か、
幸福は心に近い(遠い)か、だと思うようになった。

耳に近い音を、だからといって否定するつもりはまったくない。
耳に近い音を追い求めてこなかった人が、
すんなり心に近い音を見つけられるとは、私は思っていない。

貪欲に耳に近い音を追い求めて、
それが叶った時の快感を存分に味わっておくべきとも思っている。

けれど快感はいつしか刺戟へと変化していくことだってある。
より強い刺戟を求めるようになっていくかもしれない。

結局、ここでもグレン・グールドのことばを引用しておく。
     *
芸術の目的は、神経を昂奮させるアドレナリンを瞬間的に射出させることではなく、むしろ、少しずつ、一生をかけて、わくわくする驚きと落ち着いた静けさの心的状態を構築していくことである。われわれはたったひとりでも聴くことができる。ラジオや蓄音機の働きを借りて、まったく急速に、美的ナルシシズム(わたしはこの言葉をそのもっとも積極的な意味で使っている)の諸要素を評価するようになってきているし、ひとりひとりが深く思いをめぐらせつつ自分自身の神性を創造するという課題に目覚めてもきている。
     *
自分自身の神性の創造へとつながっていく音こそが、心に近い音なのだろう。

Date: 2月 7th, 2022
Cate: 映画

Ghostbusters: Afterlife

「ゴーストバスターズ/アフターライフ」を観てきた。
映画の内容には触れないが、ひとつ気になることがあった。

ポッドキャスト少年が登場する。
彼はソニー製のヘッドフォンを首にかけている。
それはいいのだが、なぜか左右を反対にかけているのだ。

ポッドキャスト少年がヘッドフォンを首に掛けているシーンはいくつもある。
そのすべてのシーンで、左右が反対なのだ。
ということは、意図的に反対にかけている、としか思えない。

制作会社はコロムビアピクチャーズで、
いうまでもなくソニーグループ傘下の映画スタジオである。

なのにソニー製のヘッドフォンを左右反対にかけているシーンを、
誰も気づかなかったのか。

Date: 2月 7th, 2022
Cate: 新製品

Meridian 210 Streamer(その1)

2019年8月に、メリディアンから210 Streamerが発表になった。
218と同じ筐体で、USB入力をもつ210は218の良き相棒といえる存在である。

早く聴けるのを楽しみにしていた。
けれど210の発表からそう経たないうちに、
メリディアンの輸入元がオンキヨーにかわるというニュースが続いた。

オンキヨーがしっかりとメリディアンの輸入元としてやっていってくれれば、
何も問題はなかったのに、現実はまるで何もやってこなかった。

2020年、2021年と丸二年、オンキヨーはメリディアンの輸入元として、
何をやってきたのか。
おそらく210は輸入されていない。

2019年夏の発表当時ははっきりと確認できなかったのだが、
210はMQAのコアデコード機能を備えている。

96kHzまではコアデコードして送り出す。
つまりMQA非対応のD/Aコンバーターであっても、210の導入によって、
96kHzまではハードウェアによるコアデコードされた音を聴くことが可能(のはずだ)。

オンキヨーがメリディアンの輸入元としてしっかり仕事をしていれば、
いまごろは210によってMQA再生が日本でも拡がっていたはずだ。

ほんとうに二年間、210は輸入されなかった──。
けれど、今年は過去形として語れそうである。

Date: 2月 6th, 2022
Cate: 新製品

新製品(Chord Mojo 2・その2)

Mojo 2がいつから日本で発売になるのかは知らないけれど、
発売と同時に購入して、その製品評価を公開する人はすぐに、
何人もあらわれることだろう。

Mojoに関しても、けっこうな数のブログやウェブサイトで、
あれこれ製品評価している人がいる。

かなり詳細なことまで、みっちりと書いている人もいる。
それらすべてを読んでいるわけではないが、
私が知りたいと思っていることを書いている人は見つけられなかった。

Mojoにはヘッドフォン出力端子が二つある。
Mojo 2もこの点は同じである。

二つの端子は数センチほど離れている。
どちらの端子にヘッドフォン(イヤフォン)を接続するのか。

二つの端子の音の差が微々たるものであれば、どちらでもいいのだが、
実際に挿し替えて聴いてみると、無視できないくらいの差がある。

どちらの端子が音がいいのかは書かない。
Mojoを持っている人ならば聴いてみれば、すぐにわかることなのだから。

それなのに私が見た範囲で、このことに触れている人はいなかった。
それどころか写真を公開している人のなかには、
片方の端子に決めての試聴ではなく、
どっちの端子でも同じだろう的な試聴のしかたをしている人もいた。

そういう聴き方で、どれだけ厳密な試聴ができるのか。
ことこまかなことをどれだけ書いていようと、数枚の写真が別のことを語っている。

Mojo 2が出て、そのことについて触れる人はあらわれるのだろうか。

Date: 2月 6th, 2022
Cate:

オーディオと青の関係(その26)

その1)を書いたのは、約六年前。
いまだ、なぜ青なのか、と考えている。

結局のところ、はっきりした答は出ていない。
ただ思うのは、青は空間をあらわす色だ、とどこかで認識しているからなのか、だ。

空の青、海の青などという。
空も海も空間である。
広い空間である。

だからこその青なのだろう……

Date: 2月 6th, 2022
Cate: ディスク/ブック

少年の日の思い出

ヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」。
読んだ記憶がある、という人は多いだろう。

私も、その一人で、読んだ記憶がある──、
けれどすぐには詳細まで思い出せたわけではなかった。

iPhoneで検索して、「少年の日の思い出」のあらすじを読んで、
そういえばそういう内容だったなぁ、と思い出した程度でしかない。

中学生のころに一度読んでいる。
それきりである。
まだ「五味オーディオ教室」と出逢う前のころだ。

なぜだかふいに「少年の日の思い出」が頭に浮かんだ。
「ぼく」とエーミール、二人の蝶(蛾)のコレクション。

詳細は省く。
読んだ記憶のある人が多いはずだし、
手元に本がなくても、検索してあらすじを読めば、
あぁ、そうだった──、と思い出す人が少なくないと思うからだ。

「少年の日の思い出」は、「ぼく」とエーミールがなにかのきっかけで仲直りするわけではない。
並の小説家ならば、そういう結末にしたのかもしれないが、
「少年の日の思い出」は、「ぼく」が自身のコレクションを押し潰していく。

うまくいいあらわせないのだが、
オーディオ、レコード・コレクションに関しても、
「少年の日の思い出」と近いこと・同じことがあってもおかしくない──、
そう思うだけでなく、
「五味オーディオ教室』と出逢ったあとに「少年の日の思い出」を読んでいれば、
というおもいを、いま感じている。

Date: 2月 5th, 2022
Cate: 五味康祐, 情景

情景(その3)

ハイ・リアリティな音ということは、
「五味オーディオ教室」を読んだ時から私の頭にずっとある。

ハイ・フィデリティよりもハイ・リアリティを、と思っていた時期もある。

では、ハイ・リアリティな音とは、どういう音なのか。
鮮度の高い音ならば、その結果として、ハイ・リアリティな音となるのか。

プログラムソースに含まれている音(信号)を、
できるかぎりそのままに増幅して、音に変化する。
そうすることで、究極の鮮度の高い音を実現したとしよう。

私には、それがハイ・リアリティな音とは、どうしても思えない。

鮮度の高い音──、
一時期の私にとって、これは魅力的な表現でもあった。

鮮度を損う要素を、オーディオの再生系から徹底して排除していく。
鮮度の高い音の実現とは、鮮度を損う要素を排除することでもある。

けれど、そういう音が、
別項「いま、空気が無形のピアノを……(その4)」で書いている音を聴かせてくれるのか。

そこで聴いた音は、いわゆる鮮度の高い音ではない。
けれど、サックスのソロになった瞬間に、
スピーカーに背を向けながら写真撮影の助手をやっていた私は、
サックス奏者が背後にいる、という気配を感じとってしまい、
そこに誰もいないのはわかっても振り返ってしまった。

これは確かにリアリティのある音だった。
生々しいサックスの音でもあった。

Date: 2月 5th, 2022
Cate: 「オーディオ」考

時代の軽量化(その16)

能動的試聴が忘れられていくのも、時代の軽量化なのだろう。