Negro Spirituals
ずいぶん昔、一度聴いただけでそれっきりというディスクは少なくない。
最初に聴いた時に、なにか感じるものがなかったりしたのか、
心に響かなかったのか、聴き手として未熟だったのか、
理由は他にもあるだろうし、その時その場合によって違っていようが、
とにかく、そういうディスクがある。
昨晩は、そういうディスクの一枚を、たまたまTIDALで見かけたので聴いていた。
バーバラ・ヘンドリックスの“Negro Spirituals”である。
1983年の録音、当時、評判にもなっていたので一度だけ聴いている。
自分で買って聴いたわけではない。
どこで聴いたのかも、もうおぼろげだ。
そんな“Negro Spirituals”を聴いていた。
ほんとうにいいアルバムだ。
いまごろになってそのことに気づいた。
私の知人に、理想の女性は待っていてもダメだ、という男がいる。
とにかく女性との出逢いに関しては、かなりというよりも、おそろしく積極的である。
具体的にどんなことをやっていたのかは、
いまの時代、同じ行動をすれば、間違いなくストーカー扱いされるはずだ。
昭和という時代だったから、
そんなやり方もストーカー呼ばわりされることなく、くり返せたのだろう。
知人がいわんとするところはわからないでもない。
でも、私はほんとうにそうだろうか、と思う男だ。
実は、すでに出逢っているのかもしれない──、
ただそのことに、こちらが気づかないだけである。
彼は音楽に関しても、ものすごい量のCDを買って聴いている。
おそらく音楽に関しても、女性に対する考えと同じなのだろう。
理想の音楽を求めて、ただ待っているだけではダメ、
こちらから積極的に行動しなければ、ということなのだろう。
完全に受身では、生涯をともにできる音楽とは出逢えないだろう。
ある程度の積極性はむろん必要である。
けれどそれも限度というものがあるはずだ。
理想の女性、理想の音楽を求めて、
それまで出逢っていない女性、音楽を追い求める。
彼はおそらく、これまで聴いてきた音楽に、
すでにあったことに気づかないかもしれない。
“Negro Spirituals”に気づいた私は、よけいにそうおもっている。
さいわいなことに録音された音楽とは、再会できる。