So(その4)
ピーター・ガブリエルの“Don’t Give Up”は、いまもときおり聴いている。
でも(その3)で書いているように、何ももううまくいかなかった時期に聴いても、心に響くことはなかった。
ふり返っておもうのは、その時の音は耳に近い音を求めていた結果だったのか、心に近い音を求めていた結果だったのか。
と考えながらも、どちらの音であっても、どこか虚しく聴こえたのではないだろうか、と思う。
これから先、もっとどうにもならない時期が訪れるのかもしれない。その時、私はどういう音でピーター・ガブリエルの“Don’t Give Up”(というよりもケイト・ブッシュの歌)を聴いているのか、どう感じるのか。