いい音、よい音(通過点)
音は残らない。
どんなにいい音を出しても、それが残るわけではない。
だから、いいと思う。
私がいま鳴らしている音も、私が死ねばそれで終り。
システムはそのまま残ったとしても、
そうだからいって、私が鳴らしていた音が出てくるわけではない。
しばらくはなんとなく、そんな感じの音は出ていても、
それは遅かれ早かれ消えてしまう。
音とは、オーディオとはそういうものだということは、以前から感じていた。
audio wednesdayで音を鳴らすようになって、よけいに感じている。
毎月第一水曜日に鳴らす音は、その場かぎりの音である。
どんなにいい音で鳴っても、システムそのものもその日かぎりだったりするから、
儚さを感じるかといえば、そうでもない。
音は、オーディオはどこまで行っても通過点である。
いい音が鳴ってきた日の音は、はっきりと通過点となる。
そうしていくつもの通過点がある。
それらの通過点を、そのまま通過点として点在させているだけなのか、
それとも通過点を結んでいけるのか。
「音は人なり」とは、こういうことでもあるはずだ。