Date: 6月 23rd, 2022
Cate: スピーカーの述懐
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あるスピーカーの述懐(その33)

マリア・カラスによる「清らかな女神よ」(Casta Diva, カスタ・ディーヴァ)を、
マリア・カラスの自画像そのものだ、というふうに聴き手に気づかせるスピーカーがある。

どんなに細かなところまで明瞭に再現しても、
そんなふうにまったく感じさせないスピーカーも、またある。

ある人にとってマリア・カラスの自画像と感じさせたスピーカーであっても、
鳴らす人が違えば、そう感じなくなることもある。

同じ音を聴いても、ある人は自画像だ、と感じ、
別の人は、そんなことまったく感じない。

自画像と感じさせることが、音の良し悪しと直接的に関係しているわけでもない。

さまざまなスピーカーが世の中に存在し、
さまざまな聴き手(鳴らし手)もまた世の中に存在している。

自画像なんて、そんなことは純粋な音楽鑑賞には不要なのかもしれない。
そんなことも考えながらも、マリア・カラスの「清らかな女神よ」を聴いて、
そういったことをまったく感じない(感じさせない)スピーカーは、
聴き手と対話しないスピーカーなのかもしれない。

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