「理由」(その26)
「純粋さとは、汚れをじっとみつめる力」だと、シモーヌ・ヴェイユがいっている。
この「力」を得るために、ときに音楽を必要とする、とはいえないだろうか……。
浄化とは、五味先生にとっての、音楽を聴くことでの「浄化」とは、
よくいわれるような浄化と一緒くたにはできないところがあるように感じている。
なぜ五味先生はベートーヴェンを聴かれたのか、
カラヤンのベートーヴェンではなくフルトヴェングラーのベートーヴェンを聴かれ、
そしてポリーニのベートーヴェンに激怒されたのか。