Date: 11月 26th, 2017
Cate: 瀬川冬樹
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確信していること(その21)

その20)を書いたのが、2011年11月。
さすがに間を空けすぎた。

(その20)の続きとして書こうと思ったが、
別項「音を表現するということ(間違っている音)」で、
そこで、「瀬川先生の音を彷彿させる音が出せた」といった知人のことを書いているから、
瀬川先生の音について、書きたい。

私も瀬川先生のリスニングルームでの音は聴いていない。
熊本のオーディオ店に来られたときに鳴らされていた音を、何度か聴いているだけである。
あとは、ほとんどの人と同じで、瀬川先生の書かれた文章を読んでの想像である。

よく瀬川先生音は、細身で柳腰、
そんなふうに語られることがある。

「瀬川先生の音を彷彿させる音が出せた」といって、間違った音を出していた知人も、
そう思っていた。

けれど、彼の場合、瀬川先生の文章をほんとうに読んでいたのか、
甚だ疑問である。

知人は「読んでいた」という。
けれど、彼の頭の中には、何が残っていたのか。

たとえば細身の音にしても、知人の認識は、
ただ一般的な意味での細身の音でしかない。

瀬川先生の書かれたものを丹念に読んでいれば、そうでないことはわかっているはすである。
何も瀬川先生が、ずっと以前に書かれていたことを持ち出そうとするわけではない。

知人も、何度も読み返した、といっていて、
その原稿のコピーを、彼はリスニングルームに飾っていた。

そこに書かれていることですら、彼の頭の中にはなかった。

ステレオサウンド別冊「’81世界のセパレートアンプ総テスト」の巻頭、
「いま、いい音のアンプがほしい」に書いてあることだ。

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