Date: 7月 28th, 2016
Cate: 表現する
Tags:

音を表現するということ(間違っている音・その7)

ここで書きたいと考えていることは、
二年前に書いた「オーディオマニアとして(グレン・グールドからの課題)」につながっていく。
     *
芸術の目的は、神経を昂奮させるアドレナリンを瞬間的に射出させることではなく、むしろ、少しずつ、一生をかけて、わくわくする驚きと落ち着いた静けさの心的状態を構築していくことである。われわれはたったひとりでも聴くことができる。ラジオや蓄音機の働きを借りて、まったく急速に、美的ナルシシズム(わたしはこの言葉をそのもっとも積極的な意味で使っている)の諸要素を評価するようになってきているし、ひとりひとりが深く思いをめぐらせつつ自分自身の神性を創造するという課題に目覚めてもきている。
     *
このグレン・グールドの文章を引用するのは四回目になるか。
ここにもナルシシズムが出てくる。
しかも美的ナルシシズムとある。

グレン・グールドがナルシシズムの語源を知らないわけがない。
にも関わらず、美的とつけている。

ならば醜的ナルシシズムがあるのか、と考える。
美的ナルシシズムの諸要素、醜的ナルシシズムの諸要素とは、どういったことなのか。

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