オーディオマニアとして(グレン・グールドからの課題)
グレン・グールドの、この文章を引用するのは、これで三回目。
一回目は「快感か幸福か(その1)」、二回目は「ベートーヴェン(動的平衡・その4)」。
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芸術の目的は、神経を昂奮させるアドレナリンを瞬間的に射出させることではなく、むしろ、少しずつ、一生をかけて、わくわくする驚きと落ち着いた静けさの心的状態を構築していくことである。われわれはたったひとりでも聴くことができる。ラジオや蓄音機の働きを借りて、まったく急速に、美的ナルシシズム(わたしはこの言葉をそのもっとも積極的な意味で使っている)の諸要素を評価するようになってきているし、ひとりひとりが深く思いをめぐらせつつ自分自身の神性を創造するという課題に目覚めてもきている。
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濁った水がある。
水に混じってしまった不純物は、ゆっくりと水の底に沈殿していく。
水は透明度をとり戻していく、落ち着いた静けさの心的状態によって。
心も同じのはず。
落ち着いた静けさの心的状態では、まじってしまった不純物も底へと沈殿していく。
アドレナリンを瞬間的に射出してしまえば、不純物はまいあがり濁る。
わくわくする驚きと落ち着いた静けさの心的状態を構築していくために、
オーディオの働きを借りるのがオーディオマニアではないのか。
グールドは、積極的な意味で使っている、とことわったうえで、
美的ナルシシズムの諸要素を評価するようになってきている、としている。
美的ナルシシズム、美的ナルシシズムの諸要素。
オーディオではナルシシズムは決していい意味では使われない。
ナルシシズム、ナルシシスト。
これらが音について語るとき使われるのは、いい意味であったことはない。
オーディオマニアとしての美的ナルシシズム、
自分自身の神性の創造、
グールドからのオーディオマニアへの課題だと私は受けとっている。