Date: 6月 18th, 2016
Cate: audio wednesday, LNP2, Mark Levinson
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LNP2になぜこだわるのか(その11)

アクースタットのModel 3を聴いたとき19歳だった。
欲しい、と思ったことは告白しておく。
無茶苦茶高価なスピーカーではなかったから、かなり無理すれば手が届かないということはなかった。

若かったから、そういう無茶もやれないわけでもなかった。
それでも欲しい、と思いながらも、欲しい! とまではいかなかった。

若さは馬鹿さで、突っ走ることはしなかった。
それはなぜだろう、と時折考えることもあった。

ある日、ステレオサウンドのバックナンバーを読んでいた。
32号、チューナーの特集号を読んでいた。

伊藤先生の連載「音響本道」が載っている。
32号分には「孤独・感傷・連想」とある。

タイトルの下に、こう書いてあった。
     *
孤独とは、喧噪からの逃避のことです。
孤独とは、他人からの干渉を拒絶するための手段のことです。
孤独とは、自己陶酔の極地をいいます。
孤独とは、酔心地絶妙の美酒に似て、醒心地の快さも、また格別なものです。
ですから、孤独とは極めて贅沢な趣味のことです。
     *
ここのところを読み、なにかしら感じた人は、ぜひ本文も何らかの機会に読んでほしい。

私がそうだ、これだったのか、と思ったのは、
《孤独とは、酔心地絶妙の美酒に似て、醒心地の快さも、また格別なもの》のところだ。

醒心地の快さ──、
私はアクースタットのModel 3から感じとることができなかった。
だから欲しい! とはならなかった、といまはおもう。

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