「正しい音とはなにか?」(その11)
「正しい音とはなにか?」、
こんなことを思考しなくとも、オーディオで音楽を聴くことはできる。
「正しい音」よりも「好きな音」、そう思う人もいるだろう。
好きな音を追求するのもいい、でもそれだけでいいのだろうか、とやっぱり私は思う。
このブログを書き始めたころ、2008年9月に「快感か幸福か」というタイトルで書いた。
まだ書き続けている。
「正しい音とはなにか?」も、「快感か幸福か」に関係してくる。
好きな音の追求、そして好きな音がうまく鳴った時は快感である。
その快感は、私もオーディオマニアだから味わっている。
けれど、快感だけのような気もする。
若いころはそんなふうに思いはしなかったけれど、いまは違う。
快感が持続していれば、それは幸福といえるのだろうか。
快感と幸福の境界はどこにあるのか。
ここでも思う。五味先生の書かれたことを思い出す。
倫理性と芸術性の区別を曖昧にしてしまうのが二流の音楽家ということを。
快感と幸福の区別を曖昧にしたままでいいのか、と思う。
思うからこそ、「正しい音とはなにか?」と思考する。