「正しい音とはなにか?」(録音のこと・その2)
「正しい音はなにか?」(録音のこと)に対して、facebookでコメントがあった。
コメントを読んで、そういえば30年前も同じことを聞いたことを思い出していた。
レコード(録音物)に対して懐疑的な人はいる。
30年前の人もそうだった。
彼もオーディオマニアである。私よりもキャリアは長い。
彼はこんなことを言ってきた。
「他人が録音したもので、音が判断できるのか」であり、
「どれだけ、演奏された音(音楽)が正確に収録されているのか」だった。
レコード(録音物)に、いったいどれだけのことが収録されるのか。
facebookでのコメントではフルトヴェングラーについて語ったチェリビダッケの言葉が引用されていた。
その話は、私も以前何かで読んでいた。
フルトヴェングラーの例だけでなく、昔からランドフスカに関しても同じようなことが言われていた。
ランドフスカの本領は演奏会場においてのみ発揮されるのであり、
スタジオ録音では、ほんのわずかしかランドフスカの姿を捉えていない──、
そういった趣旨のことを読んでいる。
そのランドフスカのライヴ録音ですら、どれだけランドフスカの姿を捉えているのかといえば、
ほんのわずかということになるだろう。
なにもフルトヴェングラー、ランドフスカだけに限ってのことではない。
同じことは、どの演奏家についてもあてはまる。
そういうレコード(録音物)を聴いて、音の判断をやる、その行為の心許なさを、
30年前のレコードに対して懐疑的な彼は、私にぶつけてきた。
それまでそんなことを考えたことのなかった私だったけれど、
不思議に即座に答が浮んできた。