トーキー用スピーカーとは(Dolby Atmos・その7)
2014年「ゴジラ」を観ていながら、つい1954年に「ゴジラ」を観た人たちは、
この2014年のハリウッド「ゴジラ」を観たら、どう感じるのだろうか──、ということをぼんふりと思っていた。
1954年の「ゴジラ」はモノクロ映画で、音声も映画と比較すると周波数レンジも狭く、
映画の音響としての効果もあまり期待できるものではなかったはず。
それにゴジラも着ぐるみによる演技で、ゴジラによって破壊される東京の街並もミニチュアである。
いまの映画の技術水準からすれば映像も音もずっと貧弱ということになるわけだが、
表現としては、必ずしも貧弱とはいえないところがあったからこそ、
60年後の現在、新たなゴジラが生み出されている。
2014年「ゴジラ」の咆哮に、感慨はなかった。
60年前、映画館でゴジラの咆哮を初めてきいた人たちは、どう感じていたのだろうか。
1954年と2014年は、何もかもが変っている。変りすぎているところもある。
1954年は1945年からまだ九年しか経っていない。
私は1963年生れだから、当時の雰囲気を肌で感じていたわけではない。
それでも、1945年から九年ということで、想像できることはある。
1954年の空気の中でのゴジラの咆哮は、何かを切り裂いていた、はずだと思う。
2014年の空気の中でのゴジラの咆哮は、何ものも切り裂いていなかった、切り裂けなかった。
私はそう感じている。