Date: 8月 5th, 2010
Cate: 理由
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「理由」(その25)

「真の自己にとって浄化された自己は友であるが、浄化されていない自己は敵である」
インドの古典「バカヴァッド・ギーター」のなかに出てくる一節だ。

だとしたら、いったい音楽は、真の自己にとって、どういう存在となってくるのか。
そして、音楽がこころに響く、とはいったいどういうことなのだろうか。

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