Date: 8月 4th, 2010
Cate: High Fidelity, 五味康祐
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ハイ・フィデリティ再考(その18)

高城重躬氏は、ときおり親しくされていたピアニスト(たしかハンス・カンだったと記憶している)の演奏も、
自宅のリスニングルームのスタインウェイで録音されていたが、多くはご自身の演奏だったはずだ。

自分の部屋で自分の演奏を録音し、同じ部屋で再生する。
このことこそ「音による自画像」ではないかという指摘もあろう。

でも、実際のところどうなのだろうか。

五味先生も、バイロイト音楽祭の録音を思い立ち始められるときから、
すでに「音による自画像」という意識をもっておられたわけではない。
なぜ録音を続けるのか、なぜ演奏に満足できないテープまで保存しておくのか、
と自問されたゆえの「音による自画像」であるから、高城氏にとって、最初はそういう意識はなかったとしても、
録音を続けられるうちに、「音による自画像」ということを意識されたことはあるだろうか。

高城氏もすでに亡くなられている。そのことを確かめることはできない。
だから憶測に過ぎない、それも根拠らしい根拠はなにもない憶測なのは承知のうえで、
高城氏には「音による自画像」という意識はなかったように思う。
それは日々の記憶ではなかったのか、とも思う。

ここで、いちど私なりに「音の自画像」について考えてみる必要がある。

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