Date: 8月 3rd, 2010
Cate: 表現する
Tags:

音を表現するということ(自分語りについて)

音を表現していくのは難しさがある。
音を直接表現できない以上、なにかをもってくることで、音楽、オーディオについて語る、書いていくことになる。

自分語りがある。
音楽、オーディオについて語るために自分語りをもってくるのと、
自分語りをしたいがために、音楽、オーディオについて語るのとでは、まったく違うものである。

自分語りを目的としているのに、それを巧妙に隠した文章は、
赤裸々に己のことを書いてある、ふうに読めなくもない。そう受け取っている読み手もいることだろう。
ここまで……、こんなことまで書くんだ、この人は、と思わせておきながら、じつのところ、
そこに書いてあることといえば、広く浅く自分語りをしているだけだったりしてないだろうか。

音楽、オーディオについて語るための表現手段としての自分語りの場合、狭く深く、といってもいいのかもしれない。

そんなことを感じることが多くなってきた。

ニーチェが「善悪の彼岸」に書いている。
「自己について多くを語ることは、自己を隠すひとつの手段でもあり得る」と。

自分語りを目的としている人の、音楽、オーディオについての文章は結局のところ、
なにひとつ語っていない、己のことも、音楽、オーディオについても。

Leave a Reply

 Name

 Mail

 Home

[Name and Mail is required. Mail won't be published.]