ハイ・フィデリティ再考(その17)
どこかのスタジオ、もしくはホールで録音されたピアノのレコードを自宅で再生するのと、
リスニングルームに置かれたピアノを録音して、そのリスニングルームで再生するのとでは、
「再生」と同じ言葉をつかっているものの、内容的にずいぶん違うものといえるところがある。
ハイ・フィデリティを、原音に高忠実度ということに定義するならば、
録音と再生の場を同一空間とする高城重躬氏のアプローチは、しごくまっとうなことといえるだろう。
その場で録音してその場で再生する。そして、ナマのピアノの音と鳴ってきたピアノの音とを比較して、
スピーカーユニットの改良、その他の調整を行っていく。
これを徹底してくり返し行い実践していくだけの、高い技術力と確かな耳、それに忍耐力があれば、
原音再生──ハイ・フィデリティというお題目のひとつの理想──に、確実に近づいていくことであろう。
ただし、この手法は、あくまでも録音の場と再生の場が同一空間であることが絶対条件であり、
このことが崩れれば、そうやって調整したきたシステムは、
いかなるプログラムソースに対しても、はたしてハイ・フィデリティといえるのだろうか。
そしてもうひとつ。録音という行為にふたりとも積極的に取り組まれている。
けれど高城氏に、「音による自画像」という認識はあったのだろうか。