「はだしのゲン」(その10)
自ら進んで拷問を受けようという人はいない。
肉体的な拷問であれ、精神的な拷問であれ、誰も一度体験してみたい、という人はいない。
前から拷問が迫ってきたら、なんとか回避したい、とするのが人間だろう。
なのに、五味先生は「バルトークの全六曲の弦楽四重奏曲を、ジュリアードの演奏盤で私は秘蔵」されていた。
その理由について書かれているし、この項ですでに引用している。
ジュリアードの演奏盤を秘蔵されているけれど、
この演奏盤は五味先生にとって愛聴盤とはいえないものだった、と思う。
愛聴盤であるはずがない。
けれど、秘蔵されている。
キレイなもの、キレイどこのみで世の中が成り立っていて、世の中をわたっていけるのであれば、
ジュリアードの演奏盤を秘蔵しておく必要はない。
けれど世の中にはバルトークの弦楽四重奏曲がすでに存在しており、
ジュリアード弦楽四重奏団による1963年の演奏盤も存在しているということが物語っている、
世の中は、決してそういうものではない、ということを。
だから五味先生はジュリアードの演奏盤を秘蔵されていた。