Archive for 12月, 2020

Date: 12月 11th, 2020
Cate:

賞からの離脱(ステレオサウンド 217号)

ステレオサウンド 217号が書店に並んでいる。
特集は、冬号恒例のStereo Sound Grand Prix。

今号から、Stereo Sound Grand Prixの誌面構成が変った。
座談会ではなく、書き原稿になっている。

どちらがいいとは一概にはいえない。
座談会がいいこともあるし、書き原稿のほうがいいこともある。

座談会では、メンツが鍵をにぎっている。
どんな人たちが参加しているのか。
メンツ次第では、流れにまかせきった内容に終ってしまう。

以前は、井上先生の存在があった。
井上先生の、ぼそっとの一言が、内容を引き締めていた。

井上先生は二十年前に亡くなられている。
代りになる人なんて、一人もいない。

菅野先生も、途中から登場されなくなった。
そうなるとStereo Sound Grand Prixの座談会は、
ぴりっとしたところがまったく感じられなくなった。

そう感じていたから、やっと書き原稿になったか、とまず思った。
一機種につき、三人が書いている。
なので機種によって書いている人は違ってくる。

選考委員全員に書いてほしいところだが、誌面構成からいって、
全員に書いてもらうと、一人あたりの文字数がかなり少なくなる。
三人あたりが、いいところだろう。

それでもゴールデンサウンド賞に選ばれた機種。
今年はアキュフェーズのC3900である。

C3900は無線と実験でもオーディオアクセサリーでも、
いちばんといえる評価(賞)を得ている。

聴いていないのでC3900については何も書けないが、
それだけのC3900なのに、そしてゴールデンサウンド賞なのに、
ほかの機種と同じ構成なのか、とよけいなことをついいいたくなる。

C3900だけは、選考委員全員に原稿を依頼したほうがよかった、と思う。

Date: 12月 11th, 2020
Cate: 正しいもの

正しいもの(その23)

カラヤン晩年のブルックナーを、
分解能に優れ、見通しよく整然とした音で聴いている人がいた、としよう。
おそらく、いると思っている。

そういう人に、
《ブルックナーが見通しよく整然と聴こえたら、それが優れたオーディオ機器なのだろうか》
と問いかけた、としよう。

この音で聴くブルックナーが好きだから、いいじゃないか──、
と返ってきそうである。

きっと、そういう人は、好きという感情こそがもっとも尊い、と考えているのだろう。
ソーシャルメディアを眺めていると、
はっきりと、そうはいってなくとも、言外にそれが感じられることがけっこう多い。

オーディオは趣味なのだから、好きという感情こそがもっとも尊い、
人が尊いということにケチをつけるな、
おまえは趣味の世界がわかっていない、
──そんなことをいわれるであろうが、それでもいう。

カラヤン/ウィーンフィルハーモニーのブルックナーを、
そんな音で鳴らすのは、正しくない行為である。

ブルックナーを、見通しよく整然とした音で聴きたければ、
見通しよく整然とした演奏のブルックナーを鳴らせばいい。

カラヤン晩年のブルックナーを、
見通しよく整然とした音で鳴らして満足したいのであれば、
そこに留まっていればいい。
そして、口を瞑っていろ。

Date: 12月 10th, 2020
Cate: 電源

スイッチング電源のこと(その12)

メリディアンの218を、200Vで使っていることは、
ここでも書いているし、別項でも触れている。

audio wednesdayにも、200V用トランス(ルンダールのLL1658)は持参していた。
けれど10月からは持っていっていない。
218は100Vで鳴らしていた。

200Vの音に飽きたとか、100Vのほうがいいと感じるようになったわけではなく、
別項で書いているグリッドチョーク的ケーブルを持っていくようになったためである。

このケーブルには、タムラのA8713を使っているから、重い。
ライントランスが二つついている。

それに200V用のトランスが加わると、
その他にも持参するモノがいくつかあって、けっこうな重量となる。

行きはまだいいが、帰りは夜遅くなったうえに空腹なことも加わり、
けっこうしんどく感じる。
それで200V用のトランスは持っていかなくなった。

12月2日のaudio wednesdayは最後だから200Vの音を聴いてもらおう、と最初は考えていた。
けれどiPhone 12 ProとMatrix AudioのX-SPDIF2との組合せで音が鳴らないために、
Mac miniを代りに持っていくことになった。

X-SPDIF2が増えて、そこにMac miniが加わって、
グリッドチョーク的ケーブルと合せると、一つのバッグには納まりきらず、
二つになっただけでなく、いままでいちばんの重さになってしまった。

200V用のトランスを入れるスペースの余裕はあったが、
重量の余裕は、ほぼなかったため、100Vのままの音を聴いてもらっていた。

グリッドチョーク的ケーブルと200Vでの218の音は、
いまのところ誰にも聴いてもらっていない。

Date: 12月 10th, 2020
Cate: 1年の終りに……

2020年をふりかえって(その13)

iPhoneで音楽を聴いていて、ふとiPod Hifiを思い出したことがある。

2006年にAppleからiPod HiFiが出た。
iPodをカセットテープかわりにしたラジカセともいえるiPod HiFiの発表時に、
ジョブズはオーディオマニアだったことを語っている。
そして、それまで使ってきたオーディオ機器を、iPod HiFiに置き換えた、ともいっていた。

ジョブズが1984年当時に使っていたシステムはわかっている。
確かにオーディオマニアといえるシステムで、ジョブズは聴いていた。

2006年までのあいだにシステムも変ってきていたことだろう。
1990年代なかばだったと記憶しているが、
スピーカーシステムはマーティン・ローガン、アンプはスペクトラムというのを、
何かで読んだ記憶がある。

コンデンサー型スピーカーが気に入っていたのだろうか。

とにかくそれらのシステムを、iPod HiFiに置き換えてしまった。
俄には信じられなかった。

それから十年以上が過ぎて、ジョブズも亡くなって、
いまiPhoneをシステムに接いで音楽を聴くことが増えた。

ジョブズと同じ心境になれた、とはいわない。
でも、なんとなくわかってきそうな気がしてくる感じがないわけではない。

Date: 12月 10th, 2020
Cate: 新製品

Boutique Audio

カーオーディオが、いまどれだけ進歩しているのかは把握していない。
それでもカーオーディオの世界は、
家庭でのオーディオの世界とは決定的に違うのは、
その空間が特定されているということであり、
それによりデジタル信号処理によっては、
家庭でのオーディオよりも、ある面ずっと音を追求できる──、
ということは以前からいわれていたことだ。

それがいまどのレベルに達しているのかは興味もある。
同じようにヘッドフォンもまたカーオーディオ的といえる面をもつ。

DSPを搭載することで、従来のヘッドフォン再生とは違う次元の音を聴かせてくれるはずだ。
先日発表になったAppleのヘッドフォン、AirPods Maxは、そういう製品といえよう。

いわゆるピュアオーディオ的ヘッドフォンのあり方ではないAirPods Maxのあり方は、
面白いと感じている。
それで、AirPods Maxを紹介している記事をいくつか読んでいて、
おもしろい表現に出合った。

ブティックオーディオである。
GIZMODO JAPANの「AirPods Maxが高いって? 高くないよ。高いけど。」のなかに登場する。
     *
AirPods Maxの競合は、おそらく「WH-1000XM4」のような“デジタルガジェット“要素の強いヘッドホンではありません。バング&オルフセン「Beoplay H95」や、Bowers & Wilkins「P9 Signature」といった、素材と仕上げと音質すべてにこだわった“ブティックオーディオ”的な趣きのヘッドホンの方が、カテゴリとして近いのではないかと思います。
     *
ブティックオーディオという表現は、この記事ではじめて知った。
カーオーディオも、高級車専用になればなるほど、
このブティックオーディオの方向なのだろうか。

Date: 12月 10th, 2020
Cate: 1年の終りに……

2020年をふりかえって(その12)

知人がインターナショナルオーディオショウに感じていた不満は、
これから先は、かなり解消されていくのかもしれない。

すでにインターネットで積極的に動画を公開しているブランドもある。
そこはこれまで以上に積極的に活用していくだろうし、
これまで消極的だったブランドも、考え直しているところだろう。

いまはまだ自動翻訳の精度に満足できないが、
コロナ禍は、もしかすると自動翻訳の精度を高めていくきっかけになるかもしれない。

そうなったら、オーディオ雑誌のインタヴュー記事のあり方も変っていかざるをえない。
(その11)で触れていることと同じくらいのレベルでの問いかけが、
インタヴュアーに求められることに、必然的になる。

オーディオマニア(ユーザー、せしくはそのブランドに関心をもっている人)が、
ブランドの開発者やデザイナーに直接問いかけることも、もう不可能ではない。
そのブランドにとって、有益なことであれば、
それらが動画で配信公開されていくことだろう。

しかも、そう遠くないうちに自動翻訳がついての公開となるであろう。

Date: 12月 10th, 2020
Cate: 1年の終りに……

2020年をふりかえって(その11)

今年はオーディオショウの大半が中止になった。
だから、一方でインターネットの活用が、ようやく活発になりはじめてきたようにも感じられる。

七、八年前だったか、ある知人がインターナショナルオーディオショウの感想として、
「どうして輸入元は、せっかく呼んだメーカーの人たちに話をさせないんですか」
といわれたことがある。

その人にとってインターナショナルオーディオショウは、
各ブースの音を聴くこと以上に、
海外ブランドの人たちの話を聞くのが主な目的であり、楽しみであった。

その知人は、
「つまんないオーディオ評論家の話よりもメーカーの人に話させるべきなのに」
と少し怒りを滲ませてもいた。

インターナショナルオーディオショウには、海外メーカーのいろんな人が来日する。
その人たちへのインタヴュー記事が、オーディオ雑誌に載ることもある。
すべてを読んでいるわけではないが、
たいていはものたりなさを感じてしまう。

もっと突っ込んだ話をしなかったのか、と思うこともあるし、
たったこれだけ? と記事の文量の少なさにがっかりすることもある。

ページの関係もあることはわかっていても、
せっかくインタヴューしたのであれば、
読み応えのある記事がつくれるはずなのに──、とは私も感じていたことだ。

三年前だったか、あるブースでは、そのメーカーのエンジニアが来場者の質問に答えていた。
質問していた人は、国内メーカーのエンジニアのようだった。
輸入元の通訳を介さずに英語で直接の質問だった。

技術的に突っ込んだ内容ということもあって、
輸入元のスタッフは完全に訳しきれていない感じだった。

私をふくめて、英語に堪能でない人は、その内容の半分も理解できていないだろう。
それでも興味深い話が聞けた。

それはオーディオ雑誌の記事には載らないことでもある。
こういう話がきけることがあるから、知人がいっていることには素直に頷ける。

Date: 12月 9th, 2020
Cate: アンチテーゼ, 平面バッフル

アンチテーゼとしての「音」(平面バッフル・その5)

手元に、アルテックの604-8Gがある。
鳴らそう鳴らそうと思いながら、もう五年以上が経った。

「HIGH-TECHNIC SERIES-4」を夢中になって読んだのが高校生のとき。
それ以来、アルテックの同軸型スピーカーを鳴らすのであれば、
平面バッフルという、ひとつの夢があった。

スペースを考えればエンクロージュアに入れた方がいい。
低音再生に関してもそうだ。
それでも平面バッフルで──、と思い続けてきている。

604-8Gを平面バッフルに取り付けた音は聴いたことがない。
どこかで聴く機会もないだろう。
となると自分でやるしかないわけで、
2m×2mの、良質の木材を使った平面バッフルを目標としていたら、
いつまでたっても鳴らすことはできない。

だから強化ダンボールの平面バッフルということを考えている。
ここで問題となるのは、ユニットの固定である。

強化ダンボールとはいえ、604-8Gの重量を支えるだけの強度は期待できない。
それにできるだけバッフル全体の響きを損ねないようにしたい。

だから604-8Gは、50cm×50cm程度のバッフル板に取り付ける。
ここは強度が必要なところなので、厚みのある木材を使う。

このサブバッフルの両サイドに角材をしっかりと取り付ける。
角材の大きさは10cm角ぐらいを考えている。
角材の長さは、床までの距離である。

そして604-8Gの後部を、ここもまた角材で支える。
トゥイーターの磁気回路の外径よりも十分に余裕がある大きさの角材を用意する。

この角材に磁気回路が通るだけの穴をあける。
ゆるゆるの穴ではなく、
角材をプラスチックハンマーで叩きながらはめ込むぐらいにする。
この角材の長さも床に届くだけのものだ。

角材は三本使うことになる。
つまりこの三本の角材で604-8Gを三点支持にするわけだ。
角材の上部はユニットとサブバッフルによって結合されているかっこうになる。

角材の下部はなんらかの方法で結合しないと、少し不安定になるだろう。

Date: 12月 9th, 2020
Cate: 1年の終りに……

2020年をふりかえって(その10)

昨年の「2019年をふりかえって(その1)」に、こんなことを書いている。
     *
あとどれだけ続けるのか(というか続くのか)は、
私自身にもわからない。

毎月やっていて、誰も来なくなったら終りにする。
一人でも来てくれるのであれば、続ける。
決めているのは、それだけである。

去年も書いているが、
来年もいまごろも、また同じことをきっと書いているだろう。
     *
一年前は、audio wednesdayがずっと続いていくものだ、と思っていた。
いつか終りが来るだろうけれど、それはまだずっと先とおもっていたわけだ。

その終りの年に、コーネッタを鳴らせたのは、ほんとうに良かった、とおもっている。

Date: 12月 9th, 2020
Cate: 1年の終りに……

2020年をふりかえって(その9)

今年は、五味先生が亡くなられて四十年である。

「五味オーディオ教室」との出逢いがなくてもオーディオマニアにはなっていただろう。
でも、ずいぶん違うオーディオマニアになっていたかもしれない。

オーディオをやってきたことで知り合えた人たちがいる。
「五味オーディオ教室」と出逢ってなければ、
その人たちと知り合えなかったかもしれない。

Date: 12月 8th, 2020
Cate: 1年の終りに……

2020年をふりかえって(その8)

もうじきステレオサウンドの冬号が書店に並ぶ。
特集はステレオサウンド・グランプリとベストバイである。

冬号が出る前に、今年登場した新製品で気になっているモノを挙げようかと考えた。
ステレオサウンド冬号の特集をみれば、
これもあったな、とか、これはよさそうだな、とは誰も思うだろうが、
冬号を目にすることなく、
つまり今年一年のオーディオ雑誌すべてを見ることなく、
今年一年をふり返って印象に残っている製品が、私にはあっただろうか。

今年はオーディオショウがなかったこともあって、
オーディオ雑誌を買わなくなってひさしい私は、
いくつかの新製品はすぐに思い出せるのが、
その思い出した製品が印象に残っているわけでもない。

今年はオーディオマニアの友人と会うことが、かなり少なかった。
ほとんど会っていない、といえる。

会えば、個々の製品について話すこともある。
それが今年はなかったことも、何があった(出てきた)のか、
ほとんど思い出せないことに関係しているのかもしれない。

なんとか一つ挙げるならば、KEFのLS50 Wireless IIである。
アンプ非搭載のLS50 Metaのほうが気になる、という人のほうが多いのかもしれないが、
私はこのスピーカーシステムに関しては、
アンプとD/Aコンバーターを搭載したLS50 Wireless IIの方に興味がある。

MQA対応でなければ、私もLS50 Metaだったろうが、そうではない。
それにTIDALも始めたいまとなっては、LS50 Metaよりも断然LS50 Wireless IIである。

Date: 12月 8th, 2020
Cate: オーディオ評論

二つの記事にみるオーディオ評論家の変遷(その7)

オーディオ評論家を名乗っている以上、
スピーカーシステムをうまく鳴らせることができなければならない。

三年に、別項「オーディオ評論家の才能と資質」でも、そのことを書いている。
でも、世の中には、そうは考えない人もいる。

耳がよくて、音を適確に表現できれば、オーディオ評論家と呼べる、と。
そうだろうか。
オーディオマニアの何割がそう思っているのだろうか。

それが多数になったら、オーディオ雑誌もオーディオ評論もラクな仕事になるな、と思う。
「オーディオ評論家の才能と資質」の(その6)で触れたが、
車の評論家で、運転できない人はいないはずだ。
助手席に座って、誰かが運転する車に乗っているだけで、車の評論ができる、と思う人は、
スピーカーをうまく鳴らせなくても、耳が良ければオーディオ評論ができる、と思うのだろう。

それはサウンド批評であって、オーディオ評論と呼べない、と私は考えている。

管球王国Vol.98の「魅惑の音像定位──最新・同軸スピーカーの真価」は、
三年前に書いたことをくり返したくなる。

その1)で、
「魅惑の音像定位──最新・同軸スピーカーの真価」をまだ読んでいない、と書いた。
読んでいない、といえば、確かに読んでいない。

細部まで記憶できるような読み方はしていなかった。
書店で見かけて、手にとってパラパラと目は通している。
時間にして二、三分程度しか目を通していなかったから、読んでいない、と書いた。

なので、(その1)で、ステレオサウンド 94号で傅 信幸氏が書かれていることを思い出した。
《よくコアキシャルは定位がいいとはいうが、それは設計図から想像したまぼろしだとぼくは思う。》

このことについて何か書かれていたであろうか。
私が、この管球王国の記事に目を通したのは10月30日の一回だけである。
書かれていなかった、と記憶している。

だから(その1)を書いたし、(その2)では管球王国の編集者について書こうと、
最初は考えていた。
それを変更したのは、(その1)へのfacebookでのコメント数件を読んだからである。

Date: 12月 8th, 2020
Cate: High Resolution

Chrome Remote Desktop

12月2日のaudio wednesdayは、iPhoneを音源とする予定だった。
iPhone 12 ProとMatrix AudioのX-SPDIF2との組合せを最初は考えていた。

別項で書いているように、うまく音が鳴らない。
なので急遽変更してMac mini(Late 2014)を使うことにした。

といってもMac miniはノート型ではない。
操作するにはキーボード、マウス、それにディスプレイが要る。
でも車を持っていない(運転できない)私は、それらを持っていけない。

Mac miniの起動は、後にある電源スイッチを押せばいい。
ログイン時のパスワードは、要求しないように設定しておく。
それから再生用のアプリケーションのAudirvanaを起動項目に入れておけばいい。

Audirvanaは、iPhoneにAudirvana Remoteを入れておけば、いい。

今回のようにMac miniを音源とする場合、
マウスもキーボードもない状態で問題となるのは、システム終了(電源を落す)である。

乱暴なやり方は、電源コードを抜く、である。
あまりやりたくない。

MacをiPhoneで操作すれば、終了の問題も解決する。
そのためのアプリケーションは、いくつかある。
VNC Viewer、Splashtopなどがある。他にもいくつかある。

私が今回使ったのは、Chrome Remote Desktopである。
VNC Viewerも試用してみたが、Chrome Remote Desktopにした。

名称からわかるように、Google Chromeの機能拡張である。
こう書くと、Google Chromeだけの操作しかできないように思ってしまうが、
ほかのアプリケーション同様、Macの操作が可能である。

設定も簡単である。
もっと早くMac miniを手に入れていれば、
audio wednesdayでの選曲の幅が大きく広がったなのに……、と最後になって思っていた。

MacBook Air、MacBook Proもいいけれど、
Mac miniとChrome Remote Desktopがあれば、これでいい。

Date: 12月 8th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴きたいアルゲリッチのショパン(その6)

(その5)で、喫茶茶会記でコーネッタで、大きめの音量で、
アルゲリッチの“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”のMQAを聴きたい、と書いた。

実をいうと、12月2日に鳴らした。
テーマはBeethoven 250だったから、19時の開始時間からベートーヴェンばかりをかけたが、
それまでの約一時間ほどは、ベートーヴェン以外の曲をかけていた。
そこで鳴らした。

アンプもあったまっていないし、
スピーカーのコーネッタに関しても一ヵ月まったく鳴らしていなのだから、
ウォーミングアップは必要になる。
それでも“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”のMQAは、
ピアノの実体感が、CDで聴いたときとはまるで違う。

音の粒立ち、艶もそうだ。

そしてピアノの重量も、また感じていた。
グランドピアノはずっしりと重い。

アップライトピアノとは、そこが決定的に違う。

アルゲリッチの1965年のショパンは、彼女の気性とショパンの曲の性格とが相俟ってか、
ややもすると全体のバランスを欠いているというか、
自身のコントロールが失われそうになる瞬間があるようにも感じる。

そういうところも色濃く感じられた。

Date: 12月 7th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その24)

12月2日のaudio wednesdayで、
カルロ・マリア・ジュリーニの交響曲第九番をかけた。

三十年前に発売になったCDである。
私のなかでは、古い録音という意識はまったくなかった。
おそらく聴いている人も、古い録音と感じていた人はいなかったのではないか。

もっともジュリーニの第九よりも、もっと古い録音をかけているのだから、
相対的にジュリーニの録音は新しい、と感じていただけなのかもしれない。

鳴らしていた時には思っていなかったことがある。
三十年経っていることの受け止め方である。

私がオーディオに興味を持ち始めた1970年代の後半。
三十年前の録音といえば、1940年代後半のものということになる。
そこまで古くなくてもいいが、1950年代前半としても、これらはモノーラル録音であり、
当時の私(10代半ばごろ)には、かなり古い録音という印象があった。

10代半ばにとって三十年前といえば、それまで生きてきた年月のほぼ倍にあたる。
そういうこともあって、古いと感じたのかもしれない。

いまの私にとって三十年は、人生の約半分ということになる。
そういうことが関係してのことなのか、と思いつつも、
10代半ばの私にとって、三十年前の録音は、
その録音がレコードとして発売になった時に聴いているわけではない。

ジュリーニの第九は、新譜として聴いているわけである。
むしろ、こちらのほうが三十年前の録音を古いと感じなかった理由としては大きいのかもしれない。

どちらにしても三十年前の録音を古いと思わなくなっている自分に気づいたわけだ。