正しいもの(その23)
カラヤン晩年のブルックナーを、
分解能に優れ、見通しよく整然とした音で聴いている人がいた、としよう。
おそらく、いると思っている。
そういう人に、
《ブルックナーが見通しよく整然と聴こえたら、それが優れたオーディオ機器なのだろうか》
と問いかけた、としよう。
この音で聴くブルックナーが好きだから、いいじゃないか──、
と返ってきそうである。
きっと、そういう人は、好きという感情こそがもっとも尊い、と考えているのだろう。
ソーシャルメディアを眺めていると、
はっきりと、そうはいってなくとも、言外にそれが感じられることがけっこう多い。
オーディオは趣味なのだから、好きという感情こそがもっとも尊い、
人が尊いということにケチをつけるな、
おまえは趣味の世界がわかっていない、
──そんなことをいわれるであろうが、それでもいう。
カラヤン/ウィーンフィルハーモニーのブルックナーを、
そんな音で鳴らすのは、正しくない行為である。
ブルックナーを、見通しよく整然とした音で聴きたければ、
見通しよく整然とした演奏のブルックナーを鳴らせばいい。
カラヤン晩年のブルックナーを、
見通しよく整然とした音で鳴らして満足したいのであれば、
そこに留まっていればいい。
そして、口を瞑っていろ。