Archive for 11月, 2020

Date: 11月 25th, 2020
Cate: 1年の終りに……

2020年をふりかえって(その4)

今年はコロナ禍によって、オーディオショウのほとんどが中止になった。
中止が発表になった日に、twitterで検索してみると、
中止で悲しい、とか、来年に期待したい、とか、そういったツイートが表示された。

どのくらいの人が、オーディオショウの中止について、
なにか呟いているのかが気になって、数日、検索していた。

中止で悲しい、とか、来年に期待したい、と呟いていた人が、
続けて、なにかを呟いているのかと思えば、案外そうではなかった。
私が見た範囲では、ほとんどの人が、最初の呟きだけで、
その後は、まったく違うことを呟いていた。

そうだそうだ、twitterは、そういう呟きを書き留めておく場であるんだ、ということを、
再確認した一年だったような気がしている。

twitterがなかったころは、呟きは、呟いた本人でさえ、
どこかに書き留めてたりはしていなかったはずだ。
それが、いまではまったく違ってきている。

けっこうな数の人が、自身の呟きを書き留めるだけでなく、
不特定多数の人に向けて公開している。

日本では2011年3月11日から、twitterの存在感が急に増した。
そのころのツイートと、いまのツイートは、傾向が変ってきているようにも感じるのは、
この約十年間におけるスマートフォンの普及が関係しているのだろう。

パソコンからのツイートとスマートフォンからのツイート。
違ってこよう。

私も、あのころはMacからツイートしていた。
いまではほとんどツイートしなくなったが、たまのツイートはiPhoneからである。

スマートフォンは、パソコン以上にパーソナルコンピューターであるわけだ。
そんなiPhoneで、今年は多くの音楽を個人的に聴いてきたし、
audio wednesdayでは鳴らしてきた。

Date: 11月 24th, 2020
Cate: アクセサリー

D/Dコンバーターという存在(その12)

Matrix AudioのX-SPDIF2が、さきほど届いた。
16日の夜おそくにインターネットで注文して、今日到着。
一週間ほどで来た。

本体は小さいけれど、箱はけっこう大きかった。
その分クッション材も余裕がある。

本体は小さいけれど、シャーシーはアルミ材の削り出しということなので、
見た目以上に重く感じる。

フロントには、Hi-Res AUDIOのロゴがついている。
写真ではなかったものがついている。
これはないほうがいい。

実際手にしてみると、これだけのモノが三万円ちょっとで購入できるのか、と、
モノづくりに携わっている人ならば、脅威に感じるのではないだろうか。

まだ接続してない、音は聴いていない。
とにかく12月のaudio wednesdayに間に合った。

Date: 11月 24th, 2020
Cate: ディスク/ブック

Uomo mio Bambino mio / Ornella Vanoni

ステレオサウンド別冊「HIGH-TECHNIC SERIES-3」は、トゥイーターの一冊だった。
「世界のトゥイーター55機種の試聴とその選び方使い方」という副題がついていた。

巻末に,黒田先生による
「トゥイーターはこのレコードでチェックしよう テストに好適なレコード10選」がある。

その一枚に、オルネラ・ヴァノーニの「女の第三章〝愛〟」があった。
     *
 はじめにおことわりしておくが、このレコードは、いわゆるオーディオ的な意味で、特にすぐれた録音のレコードとはいいがたい。それに、はるか以前から、このオルネラ・ヴァノーニというイタリアの歌い手のうたう歌に魅力を感じつづけてきたがゆえの、つまりひいきのひきたおし的に、ここでとりあげたといえなくもない。
 しかし、むろん、ここでとりあげる理由が、まったくないわけではない。ヴァノーニの声はハスキー・ヴォイスだ。ただ、このハスキー・ヴォイスは(あらためてことわるまでもないと思うが、オルネラという名前からもあきらかなように、ヴァノーニは女だ、アメリカのジャズ・シンガーのそれと、微妙にちがう。イタリアの女の人の声によくあるタイプのハスキー・ヴォイスだ。
そのハスキー・ヴォイスを、ヴァノーニは、有効につかって、うたう。このレコードの第一面第二曲目におさめられている「誠実」という歌などでは、ためいきもうまくつかう。従って、ヴァノーニの声は、ときに、大変SEXYだ。
 もっとも、いつでもヴァノーニの声がSEXYにきこえるとはかぎらない。高い方の音が自然にのびていないと、声そのものの色っぽさも微妙な表情も、当然のことにききとりにくくなる。そういうことで、ヴァノーニの声にポイントをおいてきくということなら、第二面第五曲の「風のように」が、うってつけだ。ヴァノーニはそこで、ギターだけを伴奏に、その独特の声の表現力をいかして、つぶやくように、ささやくように、うたっている。もしそこで、ヴァノーニの声がSEXYにきこえたら、きっとそのトゥイーターはいいトゥイーターにちがいない。
     *
ジャケットに使われている写真が、色っぽく感じられた。
HIGH-TECHNIC SERIES-3」の写真はモノクロで、掲載ページの紙もよくはなかった。
しかも裏焼き(左右が反転)だった。

下着(ネグリジェ)姿のオルネラ・ヴァノーニが、
不鮮明な写真ゆえに、よけいに色っぽく感じられたものだ。

そんなこともあって黒田先生による十枚のなかで、
私がいちばん聴きたいと、その当時思ったのが、このディスクだった。
国内盤も出ていた。けれど、そのころ住んでいた田舎のレコード店ではみかけなかった。

どこかでみかけたら買おう、と思っていたのに、であうことはなかった。
けれど、「女の第三章〝愛〟」(Uomo mio Bambino mio)も、TIDALにある。

TUTTO VANONIというタイトルで、八枚のディスクをまとめたものにふくまれている。
もちろんMQAで聴ける。

もうたずねることはできないが、
MQAで聴けるヴァノーニの声を、黒田先生はなんといわれるだろうか。

Date: 11月 23rd, 2020
Cate: バランス

Xというオーディオの本質(その3)

タイトルに「本質」を使っているからといって、
本質を捉えている、とまではいわない。

本質について書いている、とはいえても、
オーディオの本質とは、と問われて、スパッと答えられるわけではない。

巷には、若いのに、本質を忘れないようにしている、
そういったことを恥ずかしげもなく書いたり話したりする人が、意外にいる。

オーディオに限っても、(私の感覚では)けっこういるな、と感じている。
おそらく、その人たちは、私の何倍、いや何十倍ものオーディオの才能の持主なのか、
それともオーディオの才能から見放された人のどちらかだろう。

才能があるのは、決してしあわせなことではない。
むしろ、才能がないことのほうが、ずっとしあわせだったりする。

そのことに気づかずにオーディオをやっていける人は、しあわせだ。

Date: 11月 22nd, 2020
Cate: ディスク/ブック

AFRICAN RHYTHMS

四年前のaudio wednesdayで一度鳴らしたことのあるピエール=ローラン・エマールの“AFRICAN RHYTHMS”。

このディスクの二曲目に、スティーヴ・ライヒの“Clapping Music”がおさめられている。
手拍子のみ、プリミティヴな曲である。
けれど、表情豊かな曲である。

“AFRICAN RHYTHMS”というよりも、
“Clapping Music”を、MQAをきいたときから、MQAで聴きたい、と思ってきていた。

これも、過去形で書けるのが嬉しい。
e-onkyoで配信されないか、と期待していたけれど、
それほど売れそうな曲ではないだろうから、あきらめもあった。

TIDALにはあるだろうけれど、MQAではないだろう、と思っていた。
なのにMQAで、ある。

“Clapping Music”とMQA。相性はそうとうにいい。

Date: 11月 22nd, 2020
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(映画性というだろうか・その12)

映画「鬼滅の刃」が、とてもヒットしている。
先日、仕事関係の知人が観に行っている。

彼いわく、「大ヒットの映画は映画館で観るべきではないかも」といっていた。
大ヒットしているといえる「鬼滅の刃」だけに、普段映画館に来ない人たちも大勢来る。
その人たちのなかには、ほんのわずかだがマナーがなっていない人がいるから、が理由だった。
かなりひどかった、そうだ。

「鬼滅の刃」の予告編は、「テネット」の上映の前に流されていた。
マンガとアニメを、とにかくバカにする人たちがいるけれど、
映画館での「鬼滅の刃」の予告編をみていたら、
観に行こう、と思わせるほどに、丁寧に制作された映画と感じられた。

これは映画館で観たい。
観に行くつもりでいたけれど、知人のいうのをきいて、
確かにそうかもな……、と思ってしまった。

そのマナーがひどかった人は、自分の部屋でみるのと同じ感覚だったのか。
話題になっている映画だから、映画館に行ったわけだけど、
映画のスクリーンは、家庭のテレビが大きくなっただけ、という感覚だったのだろうか。

それから、もうひとつ、今日知ったのだが、ファスト映画というのがYouTubeにある。
ファストはfastであり、ファストフードのそれである。

少し前から、Netflixに、再生速度を1.5倍にする機能がついた。
こんな機能、誰が使うんだろうか……、と私は思うのだが、
要望が多かったから、こんな機能を搭載したのだろう。

試しに、以前みた映画を、少しだけ1.5倍にした。
ストーリーを追うだけなら、1.5倍再生でみたほうが、時間の節約になる。

けれど、映画も音楽も、時間軸があってこその表現であって、
その時間を、受け手側が勝手に1.5倍にしてみることは、その映画を鑑賞したといえない。

ファスト映画は、1.5倍どころではなく、
第三者が10分程度に編集し解説をつけた動画のことである。

一時間半から二時間半ほどの映画一本を、10分程度に編集した動画をみる行為は、
1.5倍再生が、ずっとましに思えてくるほどである。

Date: 11月 21st, 2020
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その18)

別項「原音に……(コメントを読んで・その5)」で、
スピーカーのあがり的存在について、ちょっとだけ触れている。

瀬川先生にとってのスピーカーのあがりがあったとすれば、
それはAXIOM 80だったのかもしれない。

それが「我にかえる」ということにつながっていくのではないだろうか。
そういう気がしてきた。

スピーカーのあがり。
といっても、YGアコースティクスでスピーカーはあがり、
マジコでスピーカーはあがり、といっている人たちと、
瀬川先生のあがりは、決して同じなわけではない。

Date: 11月 21st, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218はWONDER DACをめざす(その21・追補)

その21)の最後で触れたAudirvana

今日、Audirvanaのサイトにアクセスしたら、日本語のページができていた。
すべてのページの日本語版が出来ているわけではないが、
半分くらいは日本語化されている。

日本からのアクセスが増えてきたからなのだろうか。

Date: 11月 21st, 2020
Cate: ディスク/ブック

JUSTICE LEAGUE(その2)

二年前に、“JUSTICE LEAGUE(ジャスティス・リーグ)”のサウンドトラックのことを書いた。
買ってしばらくは、audio wednesdayでもかけていた。

別項で書いているように、
メリディアンのULTRA DACで鳴らした“COME TOGETHER”は、
聴き終ってから、おもわず「かっこいい」と口に出してしまうほどだった。
それも私だけでなく、聴いていた別の一人も、「かっこいい」ともらしていたほどだった。

よく聴くのは、一曲目の“EVERYBODY KNOWS”もそうである。
SIGRIDというノルウェー出身の歌手による“COME TOGETHER”、
Gary Clark Jr. and Junkie XLによる“COME TOGETHER”、
一時期、頻繁に聴いていた。

2019年秋にメリディアンの218を導入して以来、
e-onkyoで、“JUSTICE LEAGUE”のMQAがないものかさがした。
なかった。

いつか出ないかな、と思い続けてきたけれど、二年経っても出ないのだから、
半分諦めていた。

二年経って、これを書いているということは、
TIDALに“JUSTICE LEAGUE”があった。MQAであった。

218があるからMQAで聴ける。
聴いていると、ULTRA DACでの音を思い出す。

MQAで、しかもULTRA DACで“EVERYBODY KNOWS”と“COME TOGETHER”。
この二曲を聴いてみたい。

Date: 11月 20th, 2020
Cate: オーディスト

「オーディスト」という言葉に対して(その28)

1977年秋、ステレオサウンドから別冊として「HIGH-TECHNIC SERIES-1」が出た。
マルチアンプを特集したムックである。

瀬川先生が、マルチアンプについて、かなり長い文章を書かれている。
     *
 EMTのプレーヤー、マーク・レビンソンとSAEのアンプ、それにパラゴンという組合せで音楽を楽しんでいる知人がある。この人はクラシックを聴かない。歌謡曲とポップスが大半を占める。
 はじめのころ、クラシックをかけてみるとこの装置はとてもひどいバランスで鳴った。むろんポップスでもかなりくせの強い音がした。しかし彼はここ二年あまりのあいだ、あの重いパラゴンを数ミリ刻みで前後に動かし、仰角を調整し、トゥイーターのレベルコントロールをまるでこわれものを扱うようなデリケートさで調整し、スピーカーコードを変え、アンプやプレーヤーをこまかく調整しこみ……ともかくありとあらゆる最新のコントロールを加えて、いまや、最新のDGG(ドイツ・グラモフォン)のクラシックさえも、絶妙の響きで鳴らしてわたくしを驚かせた。この調整のあいだじゅう、彼の使ったテストレコードは、ポップスと歌謡曲だけだ。小椋佳が、グラシェラ・スサーナが、山口百恵が松尾和子が、越路吹雪が、いかに情感をこめて唱うか、バックの伴奏との音の溶け合いや遠近差や立体感が、いかに自然に響くかを、あきれるほどの根気で聴き分け、調整し、それらのレコードから人の心を打つような音楽を抽き出すと共に、その状態のままで突然クラシックのレコードをかけても少しもおかしくないどころか、思わず聴き惚れるほどの美しいバランスで鳴るのだ。
     *
グラシェラ・スサーナという固有名詞が出ているのも嬉しかったのだが、
それ以上に、日本語の歌で調整しても、それが「人の心を打つような音楽」として鳴ってくれるのならば、
最新のクラシックの録音も美しいバランスで鳴る、瀬川先生が聴き惚れるほどの音で響いてくれるわけである。

そのスピーカーの鳴らし手が、ほんとうに愛している音楽であれば、
丹精込めて調整していけば、どんなジャンルの音楽でも《聴き惚れるほどの美しいバランスで鳴る》わけだ。

友人のAさんから、つい最近、ある人に、
マイケル・ジャクソンでオーディオを調整している、といったら笑われた、というメールが来た。

笑った人がどういう人なのかは、まったく知らないし、
その人についてAさんに訊ねることもしなかった。
そんな人は、どうでもいい存在だからだ。

とはいえ、いまだにそんな人がいるのか、と思うとともに、
瀬川先生の文章を思い出すだけでなく、
そういう人も、オーディストである、とあらためておもった次第。

オーディスト(audist)は、
ステレオサウンド 179号に掲載されている山口孝氏の文章に出てきている。
私はこの「オーディスト」という言葉を初めて目にしたが、
それ以前から無線と実験では使われていたようだ。

山口孝氏にはそんな意図はまったくなかったのであろうが、
ステレオサウンドの読者をオーディスト(スラングで聴覚障害者差別主義者)と呼んだのは、
上のような人がいまだいるということを考えると、すごい皮肉としかいいようがない。

Date: 11月 19th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、TIDALのこと(その5)

カルロ・マリア・ジュリーニとシカゴ交響楽団によるマーラーの第九。
e-onkyoには、flacの192kHz、24ビットが以前からあった。

ドイツグラモフォンからは、MQAの配信がけっこうある。
いつかはジュリーニのマーラーもMQAの192kHzでの配信が始まるのだろう、と待っていた。

今年10月になって、ジュリーニのマーラーが新たに配信になった。
MQAか、と期待したけれど、DSF 2.8MHzが加わっただけだった。

これも嬉しいことと思っているが、なぜMQAにしないのか。
早く出してほしい、と思う気持は強くなるだけ。

それがTIDALにはある。
192kHz、24ビットのMQAで配信されている。
もうこれだけでTIDALに入ってよかった、と満足できるくらいにうれしい。

マーラーの九番でいえば、ワルター/ウィーンフィルハーモニーの、
あの古いライヴ録音もMQA(44.1kHz)である。

それにジャクリーヌ・デュ=プレに関しても、
e-onkyoでは未配信のタイトルだけでなく、MQAのアルバムがいくつもある。

個人的にかなり意外だったのは、
テレサ・ストラータスの「The Unknown Kurt Weill」がMQAであったことだ。
ノンサッチの初期のデジタル録音だから、期待薄だった。

44.1kHzであっても、MQAの音質的メリットはきちんとある。
MQAは決してハイサンプリングのためだけの技術ではない。
時間軸のボケをなくす技術だと捉えている私は、
44.1kHzのデジタル録音でも、できるだけMQAにしてほしい、と思っている。

だからこそストラータスのワイルのMQAは、ひじょうに嬉しい。

クラシックだけにかぎっても、他にもある。
まだまだすべてを眺めた、とはいえない段階で、けっこうあるな、と感じているところだ。

もちろん反対にTIDALにMQAはないけれど、e-onkyoにはある。
どちらかだけでいいわけではない。
TIDALとe-onkyo、両方あって、MQAでの好きな音楽が聴ける範囲が拡がりつつある。

Date: 11月 19th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、TIDALのこと(その4)

待たされることでいえば、映画に関しては、
話題作はほとんど待たされることはなくなっている。
日米同時公開は、もう当り前になっている。

それでもひさしぶりに待たされたな、と感じたのが、
「ワンダーウーマン1984」である。

昨年12月公開予定が、11月に繰り上げになった。
喜んでいたら、延期になった。
コロナ禍のために、その後も延期になり、
10月公開が決定されたかのように思われたし、
映画雑誌もそれにあわせて「ワンダーウーマン1984」の特集を組んだり、
表紙にするなどしていた。

けれどそれらの映画雑誌が発売になるころに、12月に延期の発表。
その12月の公開すら、来年に延期になるのでは、というウワサが流れ始めていた。

今日やっと正式に年内に公開されることが決定。
しかもアメリカよりも日本やいくつかの国のほうが一週間早くの公開である。
12月18日である。

ひさびさに「待った」という感じを味わった。
ほんとうに昔は、よく待っていた。

クラシックの録音のニュースがレコード雑誌に載っても、
発売されるまではけっこうな時間がかかることが多かった。

クラシックでは、ニューイヤーコンサートが録音されてから、もっとも早くの発売だったが、
それでも以前は数ヵ月は待っていた。
いまや、そんなに待たない。
というか、昔の感覚だと待ったという気すらしないほどに早く発売になる。

待つことが当り前の時代をおくってきた者には、
待たないですむということが、ありがたいことでもあるし、うれしくもある。

けれど、そんな待たない時代が最初から当り前の世代には、
それが当り前のことでしかないのだろうか。

Date: 11月 19th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、TIDALのこと(その3)

アナログディスク、CDといったパッケージメディア以外で、
音楽を聴くオーディオマニアを蔑視するオーディオマニアがいる。

多いのか少ないのかはわからないけれど、確実にいることは知っている。
そんな人とは、もう接することがなくなっているから、
いまさら確かめる気もないのだが、
そんな人だって、最初に音楽を聴き始めたのは、ラジオだった、という人がいるはずだ。

これは少なくないはずだ。
私と同世代、上の世代となると、ラジオが最初の音楽体験だった、という人はけっこういる。
そういう人でも、なぜかオーディオ歴がながくなると、
アナログディスク、CDといったパッケージメディア以外で音楽を聴く人を蔑視する。

アナログディスク、CDで聴くのが好きというのなら、いい。
けれど、配信で音楽を聴く人を、なぜ蔑視するのだろうか。

TIDALにアクセスすると、ものすごい数のアルバムが表示される。
検索機能があるから、好きな演奏家、音楽をさがすのは、そう大変なことではないが、
検索せずに表示されるアルバムを眺めていると、
中高生のころ、FM誌の番組欄をマーカーをもって丹念にみていたことを思い出した。

といっても、そのころ住んでいた熊本ではFMはNHKしかなかった。
なので、それほど大変なことでもなかったのだが、
番組欄は、文字だけの情報しかない。

TIDALやe-onkyoなどではジャケット写真が、まず表示される。
もちろんカラーである。そのためずっとラクに感じる。

しかも、オッと感じた音楽を、すぐに聴ける。
放送日をじっと待つことはない。

若いころは待つのも楽しかったといえば、そうである。
あのころは映画に関しても、洋画の公開はけっこうまたされたものだった。

TIDALで聴いていると、そんなことも思い出す。

Date: 11月 19th, 2020
Cate: 映画

私は、マリア・カラス(追補)

2018年12月に公開された映画「私は、マリア・カラス(MARIA BY CALLAS)」。
DVDは2019年9月に発売になっている。

今日からAmazon Prime Videoでの配信が始まった。

Date: 11月 19th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、TIDALのこと(その2)

TIDALのアカウントは問題なく作れた。
それでもiPhoneにTIDALのアプリをインストールすることは、
日本からだとできないわけではないようだが、手間がかかる。

やろうかな、と思ってみたけれど、
iPhone 12 ProにAmarra Playというアプリをインストールしていたことを思い出した。
iPhone単体でMQA再生を行えるのは、いまのところ、このアプリぐらいである。

Amarra Playは無料で使えるが、MQA再生には課金(860円)が必要になる。
iPhone単体でのMQA再生、
iPhoneにイヤフォンを挿してMQA再生をしようとは、これまで思っていなかった。

なのでこれまで課金することなく、数回試用(他のアプリとの比較)しただけだった。
TIDALのアカウントを作ってから思い出した。
課金することで、MQA再生が可能になるだけでなく、
TIDAL、Qobuzのサービスも利用できるようになる。

なのでさっそく課金した。
Amarra PlayのMQAは、96kHzまでのコアデコードである。
それでも聴いてみれば、MQAの良さが伝わってくる。

MQA対応のポータブルD/Aコンバーターは、すでにある。
オーディオクエストのDragonflyがある。

興味がないわけではないが、それでもDragonflyを使うには、
Lightning-USBカメラアダプタが必要になる。
Lightning-USBカメラアダプタは持っているけれど、
これとDragonflyをもって外出するかといえば、私はしない。

イヤフォンだけ、つまりiPhone単体でMQA再生できるのであれば、それでいい。
Amarra Playはぴったりのアプリといえる。
しかもTIDALのサービスも使えるようになった。

iPhoneのイヤフォンの組合せで音を追求するのであれば、
オーディオクエストのDragonflyということになるだろうが、
私はいまのところiPhoneとイヤフォンだけの組合せで、いい。

聴いていると、じんわりとすごい時代になった、と実感できる。