Archive for 5月, 2020

Date: 5月 12th, 2020
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(プリメインアンプの場合・その3)

今回のことがなくても気づいていたことなのだが、
今回のような相談をされたときに、現行製品を一覧できるところがない、ということだ。

ずっと以前はステレオサウンドが、HI-FI STEREO GUIDEを出していたから、
数ヵ月のズレはあるというももの、ほぼすべての現行製品が、すぐにわかった。

いまはインターネットがあるじゃないか、といういわれそうだが、
現行製品を一覧できるウェブサイトがあるだろうか。

日本オーディオ協会のウェブサイトにも、そういうページはない。
オーディオ雑誌を刊行している出版社のサイトにもない。

今回、実際に買いにいったヨドバシ、それからamazonなどのサイトで検索して、
それを参考にすればいい、ということなのか。

でも、やはり日本オーディオ協会のサイトに、
現行製品を、ジャンル別に、価格順に一覧できるページがあってほしい──、
というよりも、私はあるべきだ、と考えている。

個々の製品をクリックすれば、
そのメーカーのサイトにアクセスできるようにリンクされていればいい。

メーカー、それから出版社と協力すれば、実現できることである。
なぜやらないのだろうか。

Date: 5月 12th, 2020
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(プリメインアンプの場合・その2)

私が自分のために20万円という予算の枠でプリメインアンプを選ぶなら……、
それは新品に限らず、中古を含めてということになるから、
選択肢はそこそこあることになる。

けれど、今回はそういうわけにはいかない。
いい製品であること。
これはつまりこわれにくい、ということがまずあるし、
仮にこわれた場合のアフターサービスのことも含まれる。

そうなると海外製品はすすめにくい。
国産のプリメインアンプということに、自然となってしまう。

ラックス、アキュフェーズは予算的に少しオーバーしてしまう。
ヤマハは……、というと、今回ヤマハのウェブサイトを見て驚いたのは、
この価格帯のアンプが製造中止になっていたことだ。

ヤマハのアンプのフラッグシップとして、セパレートアンプの5000シリーズがある。
その下には、これまでA-S3000があって、A-S2100、A-S1100があったはずなのに、
三機種とも、すでに製造中止なだけでなく、後継機種がない。

この下となると10万円未満の製品ばかりだ。

こうなってくると、デノンとマランツぐらいしかない。
この二社のプリメインアンプで、アナログプレーヤーも再生可能なのは、また限られる。

これが、日本のオーディオの現状なのか、と思ってしまうほどだ。
けれど実際の買物は、もう少しだけ幅がある。

販売店にいけば、アウトレットと称して、けっこう割り引いてくれるモノがある。
これは多少の運任せの面があるが、買うということは、そういうことでもある。

なので昨日は、三人で秋葉原のヨドバシに行っていた。

Date: 5月 12th, 2020
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(プリメインアンプの場合・その1)

私にとって二冊目のステレオサウンドは42号。
特集はプリメインアンプの総テストだった。

53,800円(オンキョーIntegra A5)から、
195,000円(マランツModel 1250)までの35機種がとりあげられていた。

試聴記、解説、測定データなどを含めて、一機種あたり五ページが割かれていた。
当時、中学生だった私には、充実した記事だった。

ステレオサウンドは57号でもプリメインアンプの総テストを行っている。
こちらは、56,800円(オンキョーIntegra A815)から、
270,000円(ケンウッドL01A)までの34機種。
このころは高校生だった。

いまステレオサウンドがプリメインアンプの総テストをやるとしたら、
いったい何機種とりあげるのか。

別項で、いまのステレオサウンドの編集方針を、幕の内弁当にたとえているが、
ここでいいたいのはそのことに関することではなく、
単純に、市場からプリメインアンプの製品数が、
私が中学生、高校生だったころからは大きく減ってきている、という事実である。

四十年ほど経っているのだから変化していて当然なのだが、
選択肢の少なさに、つい先日、ちょっと驚いてしまった。

20万円までの予算で、プリメインアンプが欲しい、という相談があった。
オーディオマニアからではない。
音楽好きの人からである。

いくつか条件があった。
もちろん価格。
それから入力の数。
アナログプレーヤーの接続するし、テレビも接ぐとのこと。

他にもちょっとあるけれど、もうこれだけでも選択肢はいくつもない。
選択肢(製品の数)が多ければ、それでいいわけではないが、
極端な減り方のように感じてしまった。

Date: 5月 11th, 2020
Cate: Jazz Spirit

Jazz Spirit Audio(その7)

音楽のジャンル分けに、どれだけの意味があるのかはひとまず措くとして、
“Friday Night in San Francisco”も幻想交響曲も、
いわゆるジャズと呼ばれるジャンルの音楽とはいえない。

にもかかわず、「Jazz Spirit Audio」というテーマであえて取り上げているのは、
Jazz Spiritが必要となるのは、なにもジャズと呼ばれている音楽だけに限らないからだ。

もちろん人によって、そのへんの考え方は違ってくる。
でも私は、私の好きな音楽に関してはJazz Spiritと、
私が感じているものが必要となってくることがある。

そんな気持をこめてのオーディオだから、Jazz Spirit Audioでもある。

少なくとも毎月第一水曜日に、
四谷三丁目のジャズ喫茶、喫茶茶会記でaudio wednesdayをやっているのだから、
Jazz Spirit Audioという気持は絶対に忘れないようにこころがけている。

Date: 5月 11th, 2020
Cate: マッスルオーディオ

muscle audio Boot Camp(その18)

実際にパワーアンプの動的な出力インピーダンスの変動を測定していないし、
そういう測定器データをみたことがないけれど、
おそらくA級動作とB級動作とでは変動の仕方に違いがある、と考えられる。

そしてA級動作のほうが、変動の幅も小さいはずだ。

そして、これも推測でしかないのだが、
出力段の回路構成だけではなく、電源によっても変動の仕方は変化しているはずだ。

さらに負荷インピーダンスの急激なインピーダンス変化でも、
出力インピーダンスは変化しているのではないだろうか。

そんな推測を立てて、ステレオサウンド 64号の測定データをみると、けっこう納得がいく。
これをこじつけと捉える人もいるだろうが、
だからといって、パワーアンプの出力インピーダンスが、
信号の変化、出力段の構成と動作、電源部の設計とコンストラクション、負荷インピーダンスの変化、
これらの要素によって、動的に変動しない、とはいえないはずだ。

ケンウッドのL02Aは、64号での測定で、もっとも優れていた。
ということは、L02Aは動的な出力インピーダンスが安定している、ということなのか。

Date: 5月 10th, 2020
Cate: Jazz Spirit

Jazz Spirit Audio(その6)

数年前のインターナショナルオーディオショウでの、
とあるブースでかかっていた“Friday Night in San Francisco”。

そこで鳴っていた音は、聴けば聴くほどに、こちらを冷静にさせてしまう音だった。
その数年後、やはりインターナショナルオーディオショウでの別のブースでもそうだった。

そこではドゥダメル/ロサンゼルス・フィルハーモニーによる
ベルリオーズの幻想交響曲(ライヴ録音)が鳴っていた。

CDではなく、ハイレゾ音源をダウンロードしたものによる再生だった。
この時の音については別項でも少し触れているが、
聴いていて、冷静な幻想交響曲だな、と思っていた。

そして曲が終って、拍手が鳴り出した。
そこでやっとライヴ録音だったことを知った。

盛大な拍手だった。
聴衆はドゥダメルの演奏に熱狂しているようだった。

観客の拍手から判断するに熱演だったようだ。
でも、そんなことは幻想交響曲が鳴っている最中は、まったく感じなかった。

ここでも、聴けば聴くほどに、こちらを冷静にさせてしまう音だったのだ。

冷静になってしまう、というのは、私としては抑えた表現である。
本音は聴けば聴くほどしらけてしまう音なのだ。

その2)で、鳴り終ったあとに、聴いていた人同士で話が弾む、と書いた。
インターナショナルオーディオショウでの“Friday Night in San Francisco”、
ドゥダメルの幻想交響曲は、そうではなかった。

それに鳴り終ったあとに、とも書きたくない気持がこちらの心に残る。

Date: 5月 10th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(若い世代とバックナンバー・その5)

昨晩(その4)を書いたあとにふと思ったことがある。
本には書籍と雑誌とがある。
録音された音楽には、LPやCDやミュージックテープがあるが、
これらはいわゆる書籍にあたる存在だ。

音楽において雑誌にあたる存在はなんだろうか。
ラジオでの音楽番組かもしれない。

古い雑誌を読むということは、
音楽では古い放送をエアチェックしたものを聴くということになるのか。

Date: 5月 10th, 2020
Cate: 広告

響きに谺けよ(その1)

「響きに谺けよ」は、四十年ほど前のヤマハのスピーカーシステム、
NS690IIIの広告のキャッチコピーだ。

谺けと書いて、ひびけ、と読ませていた。
谺けは、ふつうは「ひびけ」とは読まない。
谺はこだまだから、ある種の響きであることは確かだ。

「響きに谺けよ」は高校生だった私に、
こんな漢字があるのか、ということで記憶に残っている。

でも、いまこうして憶いだしてみると、「響きに谺けよ」は考えさせてくれる。

Date: 5月 10th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(カセットテープのこと)

数ヵ月前、オーディオマニアではない人数人と話していて、
カセットテープのことが話題になった。

彼らは、いま40代。私よりも十くらい若い。
そんな彼らにとって中学・高校時代によく使っていたカセットテープは、
AXIAだ、とみな口を揃えていう。

そしてコマーシャルに出ていた斉藤由貴がかわいかった、とも、これまた口を揃えていっていた。

AXIAが登場したのは1985年。
それ以前は富士フイルム(のちにフジカセット)だった。
1980年前半には、YMOを広告に使っていたが、
カセットテープ・ブランドとしての知名度は高くなかった。

富士フイルムは以前から磁気テープを手がけていたけれど、
その歴史の割には、TDK、ソニー、マクセルと比較すると、はっきりと地味な存在だった。

私にとって、カセットテープといえば、TDKだった。
そしてADのコマーシャルに登場していたマイルス・デイヴィスが強烈な印象だった。

カセットテープといえばAXIAだ、いう数人は、
富士フイルムだということも知らなかったし、YMOを使っていたことも知らなかった。

私はYMOを使っていたことは知っていたけれど、
斉藤由貴の出ているコマーシャルは見たことがなく知らなかった。

十年でここまで違うのか、
これがジェネレーションギャップなのか、と思うほどに、
富士フイルムの、いわゆるブランディングは成功した、ということなのか。

Date: 5月 9th, 2020
Cate: 言葉

〝言葉〟としてのオーディオ(その8)

その1)は七年前である。
そのぶん歳をとったわけでもある。

「〝言葉〟としてのオーディオ」を、まだ必要としているのか、
それともそうでなくなりつつあるのか。
それすらも、自分でははっきりとしないところがある。

ただ、オーディオ雑誌からは消えてしまっている、と感じているし、
もういまのオーディオ雑誌は、
私とはまったく違う意味で「〝言葉〟としてのオーディオ」は必要としていないし、
考えてもいないのだろう。

Date: 5月 9th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(若い世代とバックナンバー・その4)

若い人が、古い本を読む。
その人が生まれる以前の古い本を読む。

それが書籍ならば、多くの人がそうであろう。
自分が生まれる前に書かれた小説や詩などを読んだりする。

けれど、それが雑誌となると、ちょっと違ってくる。
若い人が、古い雑誌を読む。
その人が生まれる以前の古い雑誌、
さらにその人の親が生まれる以前の古い雑誌を読む。

以前は国会図書館にでも行かなければ、そんな古い雑誌を読むことは難しかった。
けれど、いまではインターネットがあり、
古書店の検索も便利になっているし、オークションもある。

古い雑誌を手に入れる手段は増えているだけでなく、便利になってきている。

(その1)で、
そんな古い雑誌を若い人が読むのは、悪いこととはいえないけれど、
良いことだ、ともいえないことがある──、と書いた。

今回も同じことを感じた。
なぜ、そこまで古い雑誌を手に入れて読むのだろうか。

その気持はわからないでもないが、
ならば、その人と同時代の雑誌も積極的に読んでいるのか、と問いたくなる。

たまたま手に入れた古い古い雑誌を読んで、あれこれ思う。
別に悪いことではない。

そこには、その人なりの発見があったはずだろうから、
その人が興奮するのも無理はないが、
それは時としてエキゾティシズムに近いものに、そんなふうに感じているだけではないのか──、
そんな気がしないでもない。

Date: 5月 9th, 2020
Cate: 「本」

オーディオの「本」(読まれるからこそ「本」・その7)

先日、久しぶりに書店に行った。
そこそこ大きな書店である。

そこにも貼り紙があった。

その6)で書いているコンビニエンスストアの貼り紙とはちょっと違う。
コロナ関係の貼り紙なのだが、立ち読み禁止ではなく、
立ち読みはソーシャルディスタンスを維持してください、とあった。

ゴールデンウィーク中だったにもかかわらず(だからなのか)、
客はまばらだった。

ソーシャルディスタンスに気をつける必要がないほどに、人がいなかった。

いまでは書店に行かずとも、本を購入できる。
インターネットで注文すれば、場合によっては書店に注文するよりも手元に早く届く。
それに電子書籍に移行しはじめている人が増えてきているのだろうか。

(その1)で、ステレオサウンドのバックナンバー、それもかなり古い号が、
たまにではあっても、ひじょうにキレイな状態で古書店に並んでいることを嘆いた。

それは読まれていないからこそのキレイさであるからだ。
つんどく。
ステレオサウンドのキレイなバックナンバーも、つんどくだったからである。

つんどく状態の本が一冊もない、という本好きの人は、そうはいないのではないだろうか。

電子書籍の割合が増えていくということは、つんどくも増えていくことになるかもしれない。
実際の本をつんどくにしておくと、視覚的にも気になってくるものだが、
電子書籍だと、どれだけつんどくの本がたまってこようと、
さほど気にならないといえばそうだろう。

つんどくの傾向がましてくることを嘆く編集者のほうが多いと思うが、
そうでない編集者もいてもおかしくない。

定期購読者の多い雑誌ならば、
つんどくぐらいの読者のほうがありがたいといえば、そうともいえる。
買ってくれる。けれど読まない。
とりあえず見映えのいいように仕上げていればいい。

つまり読者ではなく、買者がいればいい──、という考えである。

Date: 5月 8th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(アンチ「自己」)

アンチテーゼとしての「音」には、
アンチ「自己」としての音もある。

Date: 5月 8th, 2020
Cate: 映画

JUDY(その6)

「JUDY」のサウンドトラックから、
最後の曲“Over The Rainbow”を、5月6日のaudio wednesdayでもかけた。

MQAで鳴らした。
レネー・ゼルウィガーの歌唱は素晴らしい。
「JUDY」の撮影のためにトレーニングをしたのだろうが、
それにしても見事である。

この見事さはトレーニングと才能のたまものといってしまえば、そうなのだろうが、
ここでのレネー・ゼルウィガーの歌唱の見事さは、
レネー・ゼルウィガーが才能ある女優であるからではないのか、という疑問もわいてくる。

映画とまったく関係ないところでレネー・ゼルウィガーが、歌を歌ったとしよう。
もちろんトレーニングを積んで、であっても、「JUDY」のような見事な歌唱となるだろうか。

ならないのではないか、という気がするのだ。
そこが本職の歌手と、本職の女優の歌唱の違いのような気さえする。

つまりレネー・ゼルウィガーは歌うということを演じている。

Date: 5月 8th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴きたいグルダのモーツァルトの協奏曲(その3)

モーツァルトのピアノ協奏曲、第20番を初めて聴いたのは、
ハスキルとマルケヴィチ/コンセール・ラムルー管弦楽団だった。

名盤の誉れ高い一枚だった。
ひところ、モーツァルトの二短調のピアノ協奏曲といえば、こればかり聴いていた。
ほかのレコードを持っていなかった、ということもあった。

ハタチ前後のころは、他にも聴きたい(買いたい)レコードが山ほどあった。
同じ曲がダブるのはしかたないとしても、できるだけ多くの曲を聴きたいころでもあった。

それにお金もそれほどあったわけでもない。
そんな事情で、グルダとアバド/ウィーンフィルハーモニーも素晴らしいという評判なのは知っていても、
買う順番として後回しにしていた。

ハスキルとマルケヴィチの演奏の次に印象深かったのは、
内田光子とジェフリー・テイト/イギリス室内管弦楽団による演奏だった。
録音も素晴らしかったので、これまたくり返し聴いた。

そうなると、なんとなく私のなかにはモーツァルトの二短調のピアノ協奏曲は、
女性ピアニストがいい、というひとりよがりなイメージができあがりつつあったから、
よけいにグルダとアバドは後回しになっていった。

グルダとアバドによる録音は、1974年。
グルダは1930年、アバドは1933年の生れだから、
どちらも40代の演奏・録音ということになる。

内田光子とテイトによる演奏・録音とは、ずいぶん性格の違うものだった。
もっと早く聴いていれば──、そんなことも思いもしたが、
いい演奏は、結局いつ聴いてもいい。

あえていえば、ハスキルとマルケヴィチ、内田光子とテイトをくり返し聴いていたからこそ、
よけいにグルダとアバドのよさが感じとれたともいえるかもしれない。

25番と27番のカップリングも、だから期待して聴いた。
けれど20番と21番のカップリングだけでもいい、といいたくなるところも感じた。