Archive for 2月, 2020

Date: 2月 17th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、知名度と普及ということ

先日、ほぼ十年ぶりくらいに、ある人と電話で話した。
オーディオ好きの人である。
熱心にオーディオをやっている人である。

私より少し上の世代の人である。
もうステレオサウンドをはじめオーディオ雑誌は何も読んでいない人である。
インターネットはやっているけれど、それほど情報収集に熱心でもない人である。

そういう人と三十分ほど話していた。
以前はよく話していた。
久しぶりということもあって、
それにMQAのエヴァンジェリストを自認しているわけだから、
話の途中で「MQA、いいですよ」と切り出した。

その人は「MQA?」という感じだった。
MQAのことをまったく知らない様子だった。

私だって、MQAが登場したのと同時に知ってはいたけれど、
知ってはいた──、にとどまるレベルでしかなかった。

MQAの音を聴いたのは、2018年9月のaudio wednesdayにおいて、だ。
それに、いまのところメリディアンのULTRA DACと218でしか聴いていない。

オーディオ雑誌も読まず、インターネットも熱心でなければ、
「MQA?」という反応も当然かもしれない。

私が熱心に、audio wednesdayでMQAを鳴らすようになったから、
audio wednesdayに来てくれる人たちはMQAのことを知っているし、
その良さも感じとっているわけだが、
冷静にながめてみれば、MQAの知名度、普及はまだまだなのかもしれない。

Date: 2月 17th, 2020
Cate: 欲する

何を欲しているのか(サンダーバード秘密基地・その3)

デアゴスティーニ版サンダーバード秘密基地にまったく関心ない、
という人もけっこういることだろう。

今回のサンダーバード秘密基地は、私と同世代、それより上の世代をターゲットした企画だろう。
子供のころ、サンダーバードを夢中になって見ていた世代、
サンダーバード秘密基地のプラモデルのころ、子供だった世代を狙ったものであり、
サンダーバード? という世代で、
サンダーバード秘密基地に興味をもつ人はあまりいない、と思う。

つまりは、世代特有の飢えと渇きを分析しての企画ともいえよう。
だからといって、同世代の人たちみなが、同じ飢えと渇きをもっているわけでもないのだが、
それでも共通する飢えと渇きをもった人は少なくないのだろう。

それに加えて、その人だけの飢えと渇きもある。
この飢えと渇きは、他のモノではいやすことはほぼ無理なようだ。

ヤフオク!や中古オーディオ店を眺めていると、
衝動に負けそうになることがある。

このスピーカーを、このアンプを、このカートリッジを、
自分の手で鳴らしてみたい、という衝動をおさえるのがたいへんなこともある。

もう一度聴きたい、ではなくて、
一度自分の手で鳴らしてみたい、という気持が圧倒的に強い。

オーディオ店の店頭、
それだけでなく瀬川先生が定期的に来られていた試聴会、
それらの機会に聴くことができ、いい音だな、と思ったオーディオ機器、
これらを自分の手で鳴らしてみたいのだ。

Date: 2月 17th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218はWONDER DACをめざす(さらにおまけのその後)

218はWONDER DACをめざす(さらにおまけ)」で、
コトヴェールのDMJ100BT(ノイズフィルター)をLANケーブルのところに挿入し、
一応の効果が得られたことを書いている。

その後も、ずっと接続したままで、一つ気づいたことがある。
218を、iPhoneからIP Controlで操作する際、
IP Controlを起動すると、ネットワーク上の218をさがす。

この時、見つけられなかった、という表示が出ることがままある。
私のところだけでなく、喫茶茶会記でのaudio wednesdayでも起っている。

そういう時はしかたないので、IP Controlを一旦終了させてもう一度起動することになる。
場合によっては、二回目でも無理なこともないわけではない。

そういうものだと思っていた。
コトヴェールのDMJ100BTを使ってからは、一度もそういうことがない。
一回目の起動ですぐに218が見つかる。

これがコトヴェールのDMJ100BTのおかげなのかは、
別のところでも試してみないことには、はっきりしたことはいえないが、
いまのところ快調なことは確かだ。

Date: 2月 16th, 2020
Cate: オーディオマニア

最後のオーディオマニア(その3)

CDプレーヤーが登場したとき、まず思ったことがいくつある。
その一つが、デジタル機器に関してはブラックボックスとして捉えよう、だった。

つまりいじること、手を加えることは、デジタルオーディオ機器にしないでおこう、である。
そう決めたものの、ステレオサウンドで働いていると、
CDプレーヤーは、こんなことでこんなに音が変化するのか──、
そういうことを数えきれないほど体験してきた。

初期のCDプレーヤーのなかには、リアパネルにヒートシンクが出ていたモデルがあった。
マランツやソニーの製品がそうだった。

さほど大きくないヒートシンクなのだが、ここの鳴きをほんのちょっと抑えるだけで、
音はよい方向へと変化していく。

それから国産CDプレーヤーに多かったのが、フロントパネルのヘッドフォン端子への配線が、
プリント基板のパターンではなく、ワイヤーでの配線だった。

ほとんどの製品が両端にコネクターがついているので、簡単に取り外しができる。
井上先生の指摘で、外した音を聴いて驚いた。
三本(左右チャンネル一本ずつとアース)一組の10数cmほどのケーブルを抜くだけで、
音場の見通しがはっきりとよくなる。

その他にも長島先生の指摘でやったこともある。
どれもハンダゴテを使わずに、すぐに実行できることで、
音の変化は決して小さくない。

こんなことが積み重なってきて、
CDプレーヤーを含めてデジタルオーディオ機器をブラッグボックスとして、
手を加えるのはしない、という自分で決めたことをあっさりと捨ててしまった。

Date: 2月 16th, 2020
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド

編集者の悪意とは(その22)

スピーカーシステムの試聴、
それも数十機種集めての試聴ともなると、難しい面が出てくる。

スピーカーシステムが一本(一組)であれば、
じっくりと時間をかけて、スピーカーの設置位置、設置方法をあれこれ試してみて、
さらにアンプやスピーカーケーブルも交換して、という聴き方が可能だ。

だがスピーカーの数が増えていけば、そんなことをやる時間的余裕は、
スピーカーの数に比例して削られていく。

結局、ステレオサウンドにおけるスピーカーシステムの総テストでは、
リファレンススピーカーの設置位置が、すべてのスピーカーの設置場所になる。

スピーカーによって、もう少し後の壁に近づけたり、逆に離したりした方が、
それから左右との壁との距離も変えてみたほうが、いい結果が得られるのは十分考えられる。

それでも時間が問題となり、
その試聴室において、これまで、さまざまな試聴をしているオーディオ評論家の、
それまでの経験の積み重ねを信じての、スピーカーの設置位置となる。

ステレオサウンド 54号のスピーカーシステムの総テストでは、
黒田恭一、菅野沖彦、瀬川冬樹、三氏による試聴が行われている。

しかも合同試聴ではなく、三人別々の試聴であり、
さらに瀬川先生はスピーカーのセッティングをそうとう試されているのが、
試聴の方法、試聴後記、試聴記からもわかる。

以前のステレオサウンドがやれていたことを、なぜできないのか。
このことは、また別項で考えていきたい。

87号のスピーカーシステムの総テストでは、
マッキントッシュのXRT18を、そういうセッティングで聴くことをやってしまったら、
試聴の方法そのものが間違っている、ということになる。

けれど、一方では、XRT18だけ特別扱いになるのか、という意見もある。
ただXRT20、XRT18にしても、マッキントッシュ側から、
こういうふうに設置しろ、という条件が最初からある。
それに従ったまで、という考えもある。

他社製のスピーカーシステムにも、そんなふうにセッティングについて条件が出されていたら、
それに従っての試聴となるはずだ。

なので87号において、XRT18を特別扱いしたのかどうかは、微妙なところでもあるし、
特別扱いをしたということになるならば、
それは編集見習いのKHさんに、ヴォイシングに立ち合ってもらったところにある。

くり返しになるが、KHさんはXRT20ユーザーであり、
マッキントッシュにつよい思い入れをもっている人であり、
KHさんには、XRT18をよく鳴らしたい、という善意の気持があったのではないのか。

この善意の気持が強いほど、それに見合う実力が伴わなければ、
結果として悪意となってしまうことだってあるではないのか。

Date: 2月 16th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218はWONDER DACをめざす(おまけのおまけ)

218はWONDER DACをめざす(おまけ)」で、
218の電源コネクターのことをミッキータイプと記した。

これでほとんど通用するのだけれど、正式名称はなんというのだろうか、と思っていたら、
IEC “cloverleaf”connectorということがわかった。

たしかに三つ葉のクローバーである。
とはいえ、クローバーリーフコネクターというより、
ミッキータイプのほうが通用するであろう。

Date: 2月 15th, 2020
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(鼓童 1985年シアターアプル公演・その2)

一発目の音は、力強く叩いた音だ。
二発目の音は、軽く叩いた音だ。

音量の違いが、まずある。
これが面白い、といおうか、興味深い、とでもいおうか、
冒頭のノイズの鳴り方が良くなってくると、
二発目の音は、より小さく聴こえる。

つまり一発目と二発目の音量差が大きくなって聴こえてくる。
こういうふうに鳴ってくるようになると、この録音の面白さがわかってくる。

鼓童のCDは、私がステレオサウンドにいたころ、
井上先生がパワーアンプの試聴に使われたことがある。
ここで取り上げているのと別の録音で、
太鼓が連打されている箇所になると、
パワーアンプによっては、急によたよた、といった感じに陥ってしまう。

連続するエネルギーをスピーカーに供給しきれなくなりつつある、という感じになる。
井上先生は、気絶気味になる、と表現されていた。
その意味では、おもしろいくらいにパワーアンプの力量を丸裸にする。

でも、この時は、鼓童の、音楽としての面白さを感じていたわけではなかった。
こういう試聴には向くソフトではあっても、購入して聴きたいとはまったく思わなかった。
だから買っていない。

e-onkyoで無料サンプルとして用意されていたので、興味半分でダウンロードしただけだった。
初めに聴いたときも、それほど面白いとは感じなかった。

けれど昨年の大晦日の夜、
D/Dコンバーターに手を加えたあとに試しに聴いてみた。
その変化は大きかっただけでなく、
鼓童を音楽として、初めて面白いかも、と思い始めた。
そして最後まで聴いた。

Date: 2月 15th, 2020
Cate: High Resolution,

MQAで聴けるバルバラ(その3)

MQA-CDでバルバラを聴いていると、
ふとLS3/5Aで聴いたら、どんな雰囲気でバルバラが歌ってくれるのだろうか、と思った。

20代の一時期、ロジャースのLS3/5A(15Ω)を持っていた。
狭い部屋だったこともあって、メインとして鳴らしていたわけではなかったこともあって、
通常は部屋の片隅に置いていて、聴きたい時だけ設置してという聴き方だった。

譲ってくれ、という友人がいて、手離した。
なのでバルバラをLS3/5Aでは聴いていない。

MQA-CDで聴いていると、LS3/5Aだったら、
インティメイトな感じがより濃く鳴ってくれそうな気がする。

それは、きっとぞくぞくするような鳴り方のはずだ。

LS3/5Aといえば、私にとっては井上先生がまず思い浮ぶ。
1976年12月のステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’77」で、
井上先生がLS3/5Aの組合せをつくられている。

カートリッジはAKGのP8ES、
コントロールアンプはAGIの511、パワーアンプはQUADの405だった。

当時は、この組合せで聴いてみたい、と思うだけだった。
でも、いまはこの組合せの記事は、井上先生の素の部分が出たものだと思う。

井上先生に確認したわけではない。
でも、井上先生はLS3/5Aをもっておられたはずだ。

Date: 2月 14th, 2020
Cate: 素材

素材考(Air Motion Transformer)

ハイルドライバー(Air Motion Transformer)。
私がオーディオに関心をもつ以前から存在していたにもかかわらず、
ずっと一般的なユニットとなることはなかった。

ハイルドライバーが搭載されたスピーカーシステムで成功し、
知名度も高いモノといえば、エラックの310だろう。

1990年代の終りごろに登場した、このコンパクトなスピーカーシステムは知人宅で聴いた。
ホーン型をおもわせるかのようなエネルギー感の再現に驚いた。

エラックはハイルドライバーと呼ばずにJETトゥイーターとしていた。
オリジナルのハイルドライバーよりも、ずっとコンパクトにまとめられてもいた。

この時からハイルドライバー、AMT型ユニットに強い関心をもつようになった。
エラックの310の登場から数年、
それまでドーム型ユニットを採用していたメーカーも、
AMT型ユニットを使うようになってきている。

いまでは少数派ではなくなっている。
嬉しいことではあるが、それらすべての製品を聴いているわけではないが、
AMT型ユニットには、
ある種のキャラクターがどうしてもついてまわっているような感じも捨てきれずにいた。

おそらく振動板のベースとなっているカプトンに起因しているのだろう。
高分子系素材が適しているのは理解しているが、
もう少し粘性のある素材がベースになっていれば、どんな音になるのだろうか、とは思っていた。

オオアサ電子のオーディオ・ブランドであるEgrettaから、TS-A200が登場した。
トゥイーターにハイルドライバーを採用している。

これだけならば、珍しいことではない。
TS-A200は振動板のベースに、新素材のポリマー・クレイ・コンポジットを採用している。

TS-A200のページには、こうある。
     *
ハイルドライバーは長い歴史を持ち、これまで振動フィルム素材にカプトン材(ポリイミド/高分子素材)が用いられることが主流でした。TS-A200は「ポリマー・クレイ・コンポジット」という、新機能性開発素材を採用し、更にフィルムの折り方を含めた製法を弊社独自に刷新する事で、より自然な音色の再現をはかりました。(特許・意匠登録取得済)
     *
TS-A200は聴いていない。
なのでなんともいえないのだが、
私が気になっていたカプトンの、いわば固有音は、ここにはないはずだ。

ユニットを単売してくれないだろうか、とも思っている。

Date: 2月 14th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その7)

(その5)へのコメントがfacebookであった。
デザイナーの坂野さんからのコメントで、
《コンパクトさを好ましいと思いながらも、仕事で使う道具は何よりも安定性を求めたくなります。そうすると、物理的な余裕が必要となり、重量級の機器になります》
とあった。

これから書こうとしていたことを、ほぼコメントしてもらったかたちになった。
EMTのアナログプレーヤーは、プロフェッショナル機器であるから、
まさに道具である。
930st、927stは放送局、927Dstは原盤検聴用としてレコード会社での道具である。

そこには抜群の安定性が求められ、
927Dstのモーターだけでなく、930stのモーターにしても、
いまのアナログプレーヤー、当時のコンシューマー用プレーヤーのモーターの平均からすれば、
かなり大型である。

ターンテーブルプラッターのシャフトも同じである。
太く長いし、プラッターとの嵌合もしっかりとしている。

現場で要求される安定性のための大きさと重量である。
その視点で、大きすぎると感じるオーディオ機器を眺めてみる。

たとえばテクダスのAir Force ZERO。
このアナログプレーヤーの大きさと重量を、どう捉えるか。

私は、非常に大きすぎる、と感じている。
そう感じていない人もいることだろう。

Air Force ZEROの大きさ、重量(投入された物理量)は、安定性のためなのだろうか。
おそらく、音のため、という答が返ってくるであろう。

それはそれでいいのだが、大きすぎると感じてしまうのは、
Air Force ZEROに投入された物理量が、安定性に直結していないのではないか、
いきすぎた物理量の投入は、むしろ、安定性を損ねているところも生じているのでは──、
そんな疑問があるからだ。

Date: 2月 14th, 2020
Cate: ディスク/ブック

Cinema Songs(その6)

薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」の三番の歌詞は、
聴く度に、それに思い出す度にいいな、と思う。

 スーツケース いっぱいにつめこんだ
 希望という名の重い荷物を
 君は軽々と きっと持ちあげて
 笑顔見せるだろう

ここでの「希望」とは、「私一人」の希望ではないのではないか。
まわりの人、いろんな人の希望(つまりは想い)なのだから、
その希望をいっぱいにつめこんだスーツケースは、重いはずだ。

それを重そうに持ってしまったら、もう荷物でしかない。
軽々と持ちあげてこそ、推進していくための燃料のようなものになっていく。

重荷と感じてしまった時点で、推進していく燃料とは、もうならない。
それができない人は、
松尾芭蕉の《古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ》とはならない。

そんなふうにきこえてくる。

Date: 2月 13th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その6)

2月5日のaudio wednesdayでは、
iPhone+218だけでなく、Raspberry Pi+218の音も聴いている。

Raspberry Piの音は、実は数年前に一度聴いている。
数年前の1月のaudio wednesdayに、Raspberry Piを持参された方がいた。

その時のRaspberry PiにはD/Aコンバーターがドーターボードとして加えられていた。
アナログ出力を持っているわけだから、そのままでいい。

その時は、喫茶茶会記のCDプレーヤーがラックスだった。
聴いた印象では、ラックスのほうが上だった。

それでもRaspberry Piの小ささだけでなく、
なにか面白そうだな、とは感じていた。

今回聴いたRaspberry Piは、D/Aコンバーターではなく、
SPDIF出力をもつドーターボードが加えられていた。

しかも、そのボードは私が目をつけてボードだった。
まさに、私がいま聴いてみたいRaspberry Piの仕様になっていた。

この状態で、外部電源を別にすれば、手に乗るサイズである。
肝心の音については、こまかなことについて触れるのはさけたい。

今回聴けたモノは、ケースに収まっていないし、
外部電源をどうするのかによっても、音はどんどんと変っていくのは明らかだ。

それに設定で音が、かなり変化するのも今回確認できた。
そういうモノなだけに、こまかなことについて書くのであれば、
自分で使ったうえ、ということになる。

一つ書いておくと、
今回聴いて、Raspberry Piへの関心はかなり高くなった、ということだ。

Date: 2月 13th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その5)

森永のエールチョコレレートのコマーシャルソングが、
幼いころ、テレビからよく流れていた。

山本直純氏が「大きいことはいいことだ」と歌っていた。
小学校に行けば、同級生の誰かがよく口ずさんでいた。

「大きいことはいいことだ」と洗脳されていたとはいわないけれど、
大きいことに、オーディオに関しては抵抗感をほとんど感じないのは事実だ。

だからアナログプレーヤーはEMTの927Dstまで手を出した。
この音を聴いてしまうと、「大きいことはいいことだ」と肯定的に歌いたくなる。

けれど大きすぎることは、どうなんだろう。
最近の一部のオーディオ機器を眺めていると、
「大きいことはいいことだ」と素直に思えなくなっているのは、
それらが、大きいを通り越して、大きすぎるからだ、と思う。

とはいえ、大きすぎる、と感じるのは、いったいどこからなのだろうか。
人によって違ってくるものなのか、それともあまり違わないものなのか。

同じ人であっても、生活環境が変れば、多少、そのへんの判断も変ってくるのか、
それともほとんど変らないものなのか。

音のため、ここまでやる必要があった、
ここまでのサイズ(大きすぎるサイズ)が必要だった、というセリフに、
オーディオマニアは弱いところがある。

大きいということは無知な証しだ、という人も一方でいる。
このことについて書いていくと、また逸れてしまうので、このへんにしておく。

とにかく「大きいことはいいことだ」と素直にいえなくなった(思えなくなった)、
つまり大きすぎるオーディオが、恥ずかしげもなく堂々としている、
そしてそれを使っている人も、そんなふうに見えてしまう。

Date: 2月 13th, 2020
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(鼓童 1985年シアターアプル公演・その1)

e-onkyoのサイトには、無料サンプル音源のページがある。
現在、18の音源が無料でダウンロードできるが、
私が関心があったのは二つだけだった。

一つはインバル指揮のマーラーの交響曲第一番の三楽章の一分三十秒ほどのトラックだ。
この音源は、マルチマイクロフォンとワンポイントマイクロフォンの両方がある。
この聴き比べは、なかなか楽しい。

もう一つは、「鼓童 1985年シアターアプル公演」である。
タイトルでわかるように、大太鼓の公演のライヴ録音。

1985年となっているが、出だしのノイズの量は、
この時代の録音とは思えぬほど多い、というか盛大である。

おそらくノイズリダクションを使っていないのだろう。

192kHz、24ビットで配信されている。
冒頭のノイズ、それから最初の一発目の太鼓の音。

ここまでで、かなりのことがわかる。
冒頭のノイズの聴こえ方は、実によく変化する。

ノイズの粒子感。
粒子の大きさ、硬さ、丸っこい感じの粒子なのか、
それとも角がとがっていたり、ごつごつした感じの粒子なのか、
それから粒子の散らばり方など、
なれてくれば、このノイズのところだけで、けっこうなことが判断できる。

そして一発目の音。
太鼓の大きさが、まず違って聴こえる。
それから太鼓に張ってある皮。
皮らしく聴こえなくてはならないが、
皮ではない、別の材質のようにも聴こえることもないわけではない。

そして皮の張りぐあい。皮の厚み。
そういったことも変化してくる。

二発目の音は、軽く叩かれる。
一発目と二発目の音の大きさの対比が、ノイズの大小とともに変化してくる。

Date: 2月 12th, 2020
Cate: High Resolution,

MQAで聴けるバルバラ(その2)

昨年秋に発売予定だったバルバラのMQA-CDは延期になって、
今年1月15日にやっと発売になった。

このMQA-CDは、オリジナルマスターテープからのものではなく、
国内にあるマスターテープからによるものだ。

このへんのことも、発売が延期になったことと絡んでいるのだろうか。
国内のマスターテープということは、ちょっとかっかりでもあった。

それでも買って聴いた。
発売日が15日だったので、1月のaudio wednesdayには間に合わなかった。
間に合っていれば、持っていった。

私にとってバルバラのイメージは、
瀬川先生が熊本のオーディオ店に来られていたときの音によってつくられている。

バルバラのレコード(録音)は、LPで聴いたのが最初だ。
フランス盤で、何枚か聴いている。

そうやってつくられたバルバラのイメージ通りの音が、MQA-CDから鳴ってきた。
国内のマスターテープということで、色褪た印象になるのでは……、と危惧していた。
そんなことはなかった。

「孤独のスケッチ」に聴き惚れていた。
色香のある音がする。

日本にあるマスターテープよりも、
フランスにあるオリジナルのマスターテープの音が、ずっといいに決っている。

そう思い込んでいた。
事実、そうなのだろう。

それでもバルバラのMQA-CDを聴けば、
日本に送られてきたマスターテープも、かなり良質なコピーのような気さえする。