Archive for 12月, 2019

Date: 12月 9th, 2019
Cate: 「うつ・」

Nicolas de Staël

ニコラ・ド・スタール(Nicolas de Staël)の名前を知ったのは、二十数年前だった。
あるマンガのなかに、この名前が出てきた。
興味をもった。

けれどまだインターネットがいまのように普及していなかったし、
私もインターネットをやっていなかったから、名前を記憶するだけにとどまった。

その数年後、ニコラ・ド・スタールの名前を目にすることになる。
川崎先生の「プラトンのオルゴール」である。

この時も「ニコラ・ド・スタールか」と思いながらも、そこでとまっていた。
この時もまだインターネットに接続していなかったのも理由の一つだ。

次にニコラ・ド・スタールの名前を目にしたのは、
川崎先生のブログだった。
この時は、ブログを読んでいるわけだから、インターネットに接続しているわけで、
ニコラ・ド・スタールの名を検索した。

ここまで、ほぼ二十年経っていた。
なさけない話なのだが、ニコラ・ド・スタールの絵に、
つよい何かを感じたとはいえなかった。

ニコラ・ド・スタールの名を知るきっかけとなったマンガでは、
ニコラ・ド・スタールを絶賛していた。
マンガの登場人物のセリフを借りて、作者が語っているわけで、
そこにはニコラ・ド・スタールが、作者にとってどういう存在なのか教えていた。

偶然にも、ニコラ・ド・スタールの絵を、昨晩インターネットで目にした。
以前検索して見た絵であるにもかかわらず、印象がずいぶん、というか、
そうとうに違って見えた。

Date: 12月 9th, 2019
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(情報量・その8)

その7)へのコメントがfacebookであった。
そこには、ヴィンテージオーディオで聴かせるジャズ喫茶での音が、
自然で浸透力が高かった──、
なぜ、オーディオは、この方向に進まなかったのか──。

このことは、別項「うつ・し、うつ・す(その13)」で書き始めた描写力ということと、
深く関係してくることと考えている。

いまヴィンテージオーディオと呼ばれているモノのすべて、とはいわないが、
少なくとも私が名器と感じているオーディオ機器、
特にスピーカーシステムにおいては、描写力に秀でていると感じることが多い。

オーディオは科学技術の産物である。
これは否定できない。
ゆえに技術の進歩としては、描写力という、
人の感性でしか判断できない領域ではなく、写実性という領域を追求することが、
いわば本道であろうし、誤解を招くことになろうが、その方が容易である。

容易である、と書いているが、あくまでも比較してのことである。

同じことではあるが、思い出すことがある。
ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のマッキントッシュ号。
巻末に「マッキントッシュ対マランツ」という試聴記事が載っている。

そこで菅野先生の発言を思い出す。
     *
菅野 ほんと、そういう感じですよね。この二つは全く違うアンプって感じですな。コルトーのミスタッチは気にならないが、ワイセンベルグのミスタッチは気になるみたいなところがある。
     *
岡先生は《うまい例えだな。これ、ひっくり返したら全然だめだからね》と返されている。

マッキントッシュ号は1976年に出ている。
ここから四十年以上が経っている。
クラシックのピアニストを眺めてみて、コルトーのような演奏家は登場してきただろうか。

Date: 12月 9th, 2019
Cate: ディスク/ブック

音のかたち

昨日取り上げた「目であるく、かたちをきく、さわってみる。」。
この本のデザイナーの有山達也氏の本が「音のかたち」である。

音のかたち」は書店でみかけて知ってはいた。
知っていただけで、それ以上のことに興味を抱くことはなかった。

「目であるく、かたちをきく、さわってみる。」へfacebookでコメントがあった。
そのコメントで、
「目であるく、かたちをきく、さわってみる。」と「音のかたち」に、
ある種の結びつきがあるのを知った。

Date: 12月 8th, 2019
Cate: High Resolution

MQAで聴ける江利チエミ

数日前に、イギリス人男性と日本人女性夫妻のお宅に伺った。
音楽好きの夫妻である。

CD棚には、さまざまなジャンルの音楽のCDがある。
そこにあって、やや異色と感じた棚があった。
その棚には、江利チエミのCDが、おそらくほぼすべて揃っているようだった。

そこには、江利チエミ・ファン垂涎の一枚といわれているCDもあった。
二人とも、江利チエミにぞっこんだ、という。

江利チエミの歌は、テレビから流れてくるのを子供のころ聴いていた。
美空ひばり、雪村いづみとともに三人娘といわれていて、
映画もテレビで放送されたのをみている。

いわばなじみのある歌い手である。
いまではまったく聴かなくなったわけではない。
年に数回聴いている。

といっても、自分でCDをもっているわけではない。
audio wednesdayで聴くことがあるからだ。

それでも、江利チエミのCDを買おう、とまでは思わなかったのに、
ずらっと並んでいる江利チエミのCDをみて、
じっくり聴いてみよう、とやっと思うようになった。

できればMQAで聴きたい、と思うし、
MQAでならば、より積極的に聴きたい、と思うのが、いまの私だ。

e-onkyoで「江利チエミ」と検束すると、ある。
MQAでもあるし、5.6MHzのDSDも用意されている。
江利チエミのファンでない私にとっては、十分な枚数のタイトルが並んでいる。

Date: 12月 8th, 2019
Cate: バッハ, マタイ受難曲

アーノンクールのマタイ受難曲

五年前に書いている。
美という漢字について、である。

美という漢字は、羊+大である。
形のよい大きな羊を表している、といわれても、
最初は、なかなか実感はわかなかった。
まず、なぜ羊なのか、と多くの人が思うだろう、私も思った。

大きな羊は、人間が食べるものとしてではなく、
神に捧げられる生贄を意味している──。

神饌としての無欠の状態を「美」としている、ときけば、
美という字が羊+大であることへの疑問は消えていく。

羊+大としての「美」。
それは英語のbeautyとイコールではない。

もう何度か、同じことを書いてきている。
なのに、いまごろになって気づいたことがある。

アーノンクールのマタイ受難曲のジャケットのことだ。
このディスクが出たのは2000年。

そのころは、「美」という漢字のもつ意味を知らなかった。
だから特に気づくこともなかった。

アーノンクールのマタイ受難曲のジャケットには羊の絵が使われている。
生贄としての羊と思われる絵は、
フランシスコ・デ・スルバラン「神の仔羊」である。

いまごろになって気づいて、
アーノンクールのマタイ受難曲を聴きたい、と思うようになった。

Date: 12月 8th, 2019
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(圧倒的であれ・その5)

能力だけではない、
能力と迫力があってこその圧倒的であれ、である。

Date: 12月 8th, 2019
Cate: ディスク/ブック

目であるく、かたちをきく、さわってみる。

目であるく、かたちをきく、さわってみる。」が、
近所の書店に平積みされていた。

八年ほど前に復刊された本なのに、なぜか、その書店のいちばんいいところに置かれていた。
マーシャ・ブラウンの名は知っていたが、
この本のことは知らなかった。

「かたちをきく」。
オーディオを介して音楽を聴くということは、
まさしく「かたちをきく」ことかもしれない。

Date: 12月 8th, 2019
Cate: ショウ雑感

理科サークルフェスタ2019(その5)

今回の試聴会には、立命館大学も参加している。
立命館大学は京都にある。

立命館大学の学生が最初に話したのは、
関西の大学でオーディオサークルがあるのはウチだけです、だった。

関西にいくつの大学があるのかは知らないが、それにしても、である。
立命館大学だけなのか……。

オーディオブームだったころは、そうではなかったはず。
かなりの大学にオーディオサークルはあったであろう。
なのに、いまでは関西では立命館大学だけ、というのは、
いったいどれだけ減っていったのか。

中央大学以外にも、部員がどれだけいるのか話した大学はある。
そこも、やはり少ない部員数である。

オーディオサークルの数も減り、部員も減っていっている。
くわえてオーディオはお金がかかる。

それでも、こうやってオーディオをやっている人たちがいて、
音楽之友社のステレオでは、スピーカー甲子園という企画をやっている。
それからオヤイデ電気も、大学のオーディオサークルにパーツを提供している。

今年は七つの大学だった。
来年はどうなるのか。
減っているのか、同じなのか、それとも増えているのか。

増えていってほしい、と思うし、
くり返しになるが、もう少しの厳しさをもって取り組んでほしい。

Date: 12月 8th, 2019
Cate: ショウ雑感

理科サークルフェスタ2019(その4)

同好会の域を出ていない──、
理科サークルフェスタでのオーディオサークルの試聴会は、そうだった。

部外者が聴きに来ないのであったとしても、
厳しさが、少しは必要と感じないのだろうか。

スピーカーを自作するのは楽しい。
しかも予算の制約を受けながらの自作だけに、
楽しいだけではなく、苦労もあるのはわかる。

でも、そうやって自作したスピーカーを、
どうしてこんな鳴らし方をするのだろうか、と思ってしまう。

CDプレーヤー、アンプにも贅沢はできないのはしかたない。
そういうことを求めているわけではない。

スピーカーにしても、アンプ、CDプレーヤーのセッティングが、
残念ながら、お粗末すぎる。

教室での音出しだから、ここでも制約がいくつもあるのはわかる。
そんななかでも、工夫はいくつもできるものだ。

予算が足りなければ、体を動かそうよ、といいたくなる。
みんなで知恵を出し合おう、ともいいたくなる。

音出しで、ちょっとしたトラブルがあると、協力しあっていたのだから、
音出し以前の段階で、もっともっと協力しあえばいいことなのに……、と思う。

それぞれの大学のオーディオサークルがこうして集まって試聴会をやるのは、
とてもいいことである。
ずっと続けてほしいことである。

でも、それだけでは……、と部外者で世代も大きく違う私は思ってしまう。

Date: 12月 8th, 2019
Cate: ショウ雑感

理科サークルフェスタ2019(その3)

課題曲のうち私が聴いたことがあるのは、
マイケル・ジャクソンの“Say Say Say”だけ。
あとの二曲は、初めて聴く。

課題曲を鳴らしたあとに自由曲を鳴らす。
自由曲を先に鳴らした大学もあったけれど、あとはすべて課題曲からだった。

この順番はどちらでもいいが、課題曲を鳴らすにあたっては、
もう少し音量を揃えてくれた方がいい、と感じた。

音量も含めてのプレゼンテーションと受け止めれば、
音量設定も各大学によって違っても受け入れるしかないのだが、
ここに関しては、配慮があってもいいのではなかろうか。

課題曲もそうだったが、自由曲も初めて聴く曲ばかりだった。
同時に、課題曲も自由曲も、大きな違いはなかった。

課題曲も、彼らが好んで聴く曲を中心に選んでいるような印象を受けた。
自由曲の時間があるのだから、
課題曲は、クラシック、ジャズが含まれていてもいいように思う。

こんなことを書くと、お前が歳をとり過ぎている、といわれるのはわかっていても、
どの曲も似たり寄ったりなのだ。

どの大学の人たちもハタチ前後であろう。
そのころ、どんな音楽を聴いていたか、を思い出してもいた。

好きな音楽をもちろん聴いていたけれど、
それだけでなく、背伸びして聴いていた音楽もあったし、
その時間も長かった。

今回の試聴会には、そういう空気がなかったように感じた。
好きな音楽を聴きたい──、
それだけしかなかったようにも感じていた。

Date: 12月 8th, 2019
Cate: ショウ雑感

理科サークルフェスタ2019(その2)

法政大学小金井キャンパスで開催された理科サークルフェスタ2019に行ってきた。
オーディオサークルのある大学として、
芝浦工業大学、中央大学、明治大学、神奈川工科大学、
立命館大学、東京電機大学、東京都市大学の参加だった。

東館二階の二教室を使っての合同の試聴会である。
午前中がE201、午後からは向いのE202教室という二部構成で、
上記の最初の三大学が午前中、四大学が午後からだった。

11時過ぎに到着したため、芝浦工業大学のスピーカーだけは聴けなかった。
各大学のスピーカーの説明の冊子も用意されていた。

会場となる教室に、
人がけっこう入っていたのは、少し意外だった。
女性も数人いた。

でも、各大学のオーディオサークルの部員の人たちばかりのようでもあった。
関係ない人で来ていたのは、あまりいなかったのではないだろうか。
なので、みな若い。
年齢的には、私は完全に浮いた存在だった。

私が教室にはいったとき、中央大学の時間が始まったばかりだった。
中央大学は二つのスピーカーを出していた。
フォステクスのユニットを使ったスパイラルホーン型(長岡鉄男氏設計がベース)、
それから小型2ウェイのシステムだった。
2ウェイのモデルは、女性による自作だった。

合同の試聴会だから、試聴器材も、
スピーカー以外は同じか、と思っていたら、
大学ごとにシステムすべてが違う。

比較試聴会というよりも、
各大学のオーディオサークルのプレゼンテーションと捉えれば、これもありだ。

課題曲として、
ハシタイロ/rionos
Laplace’s Demon/カルメラ
Say Say Say/マイケル・ジャクソン、
これら三曲が決っていた。

Date: 12月 7th, 2019
Cate: 音の良さ

完璧な音(その3)

その1)で、完璧な文章とは、
どんな読み手であっても、
そこに書かれたことを曲解せずに、正しく受け止めることができる文章なのか──、
そう書いた。

そういう文章が世の中に存在したことがあるのか。
私にはわからないが、
仮にそういう文章こそが完璧な文章だとすれば、
完璧な音もまた、そういう音ということになる。

ここでの、そういう音とは、誰一人として誤解しない、曲解しない音ということになるのか。
完璧な音を複数の人が聴いたとしたら、
皆が同じに受け止める音になるのか。

けれど、音が伝えるのは、
そしてここで述べている完璧な音とは、スピーカーから鳴ってくる音であり、
それはあくまでも音楽を鳴らすための音である。

とすれば、完璧な音とは、たとえばベートーヴェンの交響曲第九番を鳴らしたら、
その音を聴いている人みなが、ベートーヴェンの第九を正しく捉えられる音ということになる。

けれども、世の中に完璧な演奏があるのか、ということを今度は考えることになる。
ベートーヴェンの第九の完璧な演奏があって、
完璧に聴き手に伝えられる音こそが完璧な音ということになる。

ここが完璧な文章と完璧な音との違いということでもある。

ベートーヴェンの第九の素晴らしい演奏はいくつかある。
よく知られるところでは、フルトヴェングラーのバイロイトの第九がある。

フルトヴェングラーの第九以外にも、人それぞれ素晴らしいと感じる第九がある。
私にとっては、ジュリーニ/ベルリンフィルハーモニー、
ライナー/シカゴ交響楽団の第九は素晴らしい演奏であるが、
だからといって完璧な演奏とは思っていない。

Date: 12月 7th, 2019
Cate: ショウ雑感

理科サークルフェスタ2019(その1)

理科サークルフェスタ2019が、
12月8日、法政大学小金井キャンパスで開催される。

明治大学、中央大学、法政大学 の理工学部主催で、
10大学以上のサークルが参加する、とのこと。

オーディオサークルのある大学はいくつかある。
それぞれの大学の学園祭で、自作スピーカーの発表などをしているのは知っていたけれど、
一つ一つの学園祭の日時をチェックしたり、行くのも億劫で、まだ行っていない。

でも、今回の理科フェスタには、いくつかの大学のオーディオサークルが参加している。
一度に、いくつかのオーディオサークルの発表を聴ける。

なので、今回は行くつもり。

Date: 12月 7th, 2019
Cate: ショウ雑感

2019年ショウ雑感(その27)

オーディオショウの各ブースでは、それぞれの出展社による、
音によるプレゼンテーションが行われている、といっていい。

プレゼンテーションをするのは、ブースのスタッフだったり、
メーカーの人だったり、オーディオ評論家だったりする。

製品の説明がある。
そこで技術の説明もあることが多い。

加えて、この製品の音は──、と続くこともけっこうある。
以前も書いているが、その時の言葉による音の表現と、
実際にそこで鳴っている音を私が聴いての印象とは、
同じことはあまりない、といっていいし、
ひどいときに、この音を、そんなふうに表現するの? とスタッフに問い質したくなることも少なくない。

そういう場合、この人は、いったいどういう音の聴き方をしてきたのか、
といつも思う。
どういう音楽を、どういう音で聴いてきた人なのだろうか。
そして、音の表現をするにあったて、
この人は、どんな共通認識をもっているのだろうか──、
その他にもあるが、そんなことを考えてしまう。

考えたところで答がはっきりするわけではないのはわかっている。
スタッフの耳か、私の耳か、どちらかがひどい、ということなのか。

それとも、他に理由があるのか。
その理由について最近考えているのは、
音に対するイメージの相違、
それも静的イメージと動的イメージの違いがあるのではないか、
そう考えている。

Date: 12月 6th, 2019
Cate: ショウ雑感

2019年ショウ雑感(その26)

全国各地では、オーディオ店主催のオーディオショウが、
12月いっぱいまでいくつか開催されているようであるが、
東京にいると、インターナショナルオーディオショウの終りとともに、
今年のオーディオショウも終り、という印象を個人的には受ける。

ショウが終り、各オーディオ雑誌がそれぞれの賞を発表する。
ステレオサウンドのステレオサウンドグランプリが発表、
つまり冬号が発売になれば、こちらも一段落。

ショウと賞が、今年も変らずに行われ、変らずに終っていく。
来年もきっと変らずに行われ、終っていく。

どのブースも、毎年のことだから、手馴れている印象が毎年強くなってくる。
こちらも変らずに行われ、終っていく。

それがいい──、
それでいい──、
そういうことなのか、と思ったりもする。

それを長いつきあい、というのであれば、
求めるのは深いつきあいだ,ということに気づく。