オーディオと「ネットワーク」(情報量・その8)
(その7)へのコメントがfacebookであった。
そこには、ヴィンテージオーディオで聴かせるジャズ喫茶での音が、
自然で浸透力が高かった──、
なぜ、オーディオは、この方向に進まなかったのか──。
このことは、別項「うつ・し、うつ・す(その13)」で書き始めた描写力ということと、
深く関係してくることと考えている。
いまヴィンテージオーディオと呼ばれているモノのすべて、とはいわないが、
少なくとも私が名器と感じているオーディオ機器、
特にスピーカーシステムにおいては、描写力に秀でていると感じることが多い。
オーディオは科学技術の産物である。
これは否定できない。
ゆえに技術の進歩としては、描写力という、
人の感性でしか判断できない領域ではなく、写実性という領域を追求することが、
いわば本道であろうし、誤解を招くことになろうが、その方が容易である。
容易である、と書いているが、あくまでも比較してのことである。
同じことではあるが、思い出すことがある。
ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のマッキントッシュ号。
巻末に「マッキントッシュ対マランツ」という試聴記事が載っている。
そこで菅野先生の発言を思い出す。
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菅野 ほんと、そういう感じですよね。この二つは全く違うアンプって感じですな。コルトーのミスタッチは気にならないが、ワイセンベルグのミスタッチは気になるみたいなところがある。
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岡先生は《うまい例えだな。これ、ひっくり返したら全然だめだからね》と返されている。
マッキントッシュ号は1976年に出ている。
ここから四十年以上が経っている。
クラシックのピアニストを眺めてみて、コルトーのような演奏家は登場してきただろうか。