Archive for 4月, 2019

Date: 4月 23rd, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その16)

ここまで読まれた方のなかには、
ならば349Aのプッシュプルアンプを作った方がいいのではないか、
そう思われる人もいよう。

私もそうおもう時がある。
とにかく349Aのプッシュプルアンプのデクレッシェンドしていく音の美しさに魅了された。
しかも、それ以降、その美しさを、どのアンプでも聴くことがかなわなかった。

なので思い始めていたことがある。
真空管の電極の大きさが、あのデクレッシェンドの美しさに深く関係しているのではないのか、と。
だとしたら300Bのアンプでは、
いまも耳に残っているといえる、あの美しい音は出せないのかもしれない。

むしろ出せない可能性が高いのではないか。
ならば349Aを、いままた探してくるか。

349Aも、ずいぶん高くなった。
三十数年前は一本五千円程度だった。
ベースにでは、ガラスの上部に、349Aと入っている、
いわゆるトップマークの349Aでも、八千円から一万円くらいだった。

私のなかには、いまさら、という気持が少しある。
だから349Aの代りに、45という選択もあるな、と実は考えていた。

直熱三極管で、電極のサイズも大きくない。
それに45は、瀬川先生がAXIOM 80のために作られたアンプの真空管でもある。

にもかかわらず300Bのプッシュプルアンプを目指そうとしているのは、
別項「MQAのこと、349Aプッシュプルアンプのこと」でのことが関係している。

デクレッシェンドしていく音楽の美しさに、ここで再び出逢えたからである。
ならば300Bプッシュプルアンプでも、トータルで出せる──、
そう確信できたからだ。

もっともそのためにはメリディアンのULTRA DACが前提となるけれど……

Date: 4月 23rd, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(サービス業なのか・その4のコメントを読んで)

(その4)にfacebookでコメントがあった。
(その4)で、私は「すくっと立ち上って」と書いた。

正しくは「すっくと立ち上って」という指摘だった。
確かにそうである。

ずいぶん前になるが、どこかで「すっくと」と「すくっと」について書かれいてることを読んでいる。
勘違いしていた、とその時思ったことを、指摘を受けて思い出した。

思い出した、ということは、いままで忘れていたわけで、
だから「すくっと立ち上って」と書いてしまっていたわけだ。

指摘してくださった方も書かれていたが、
擬態語なので、意図的に使っているのであれば誤用とまではいえない、ともあった。

ここまで読んで、もしかすると、と思い出したことがある。
「すっくと」を「すくっと」としてしまうのは、
おそらく小学生だったころに読んでいたマンガの影響かもしれない。

マンガには吹き出しのなかのセリフの他に、
効果音を文字で表現している。
マンガで立ち上る動作に「すくっと」もしくは「スクッと」といった表現が使われていた──、
のかもしれない。

それでいつのまにか「すくっと」と思い込んでしまっていた。
それに「すっくと」が正しいと知った時、
なんとなくしっくりこない、とも感じていたのも、
マンガの影響下にずっとあったためかもしれない。

といっても、どんなマンガなのかもはっきりと思い出せないのだから、
マンガの影響と思い込んでいるのだけかもしれない。

どちらにしても、私の感覚としては「すっくと」よりも「すくっと」がしっくりくる。
誤用といわれればそうである。

だから「すくっと」ではなく「すっくと」にすればいいわけだが、
おそらく今後も、今日書いたことも忘れてしまって、
また「すくっと」と書いてしまう、と思っている。

最後に言い訳がましくつけ加えれば、
大辞林には、こうある。
     *
勢いよく立ち上がるさま。まっすぐ,すっと立つさま。すくっと。「—立ち上がる」
     *
「すくっと」はどうやら誤用とまではいえないのか。
今回の指摘によって、思い出したことがあった。
ありがたく感じている。

Date: 4月 23rd, 2019
Cate: ディスク/ブック

ブラームス ヴァイオリン協奏曲二長調 Op.77(その2)

今年はジネット・ヌヴー生誕100周年である。
ヌヴーのリマスターが出るかもしれないぁ──ぐらいの期待はもっていた。

今日タワーレコードからのクラシック新着メールを見ていたら、
GINETTE NEVEU THE COMPLETE RECORDINGS”がある。

EMI録音の、2019年リマスターということである。

ワーナーからは、いまのところMQA-CDは登場していないが、
e-onkyoのサイトをみれば、ワーナー(旧EMI)録音は、MQAでも配信されている。

ということは今回の“GINETTE NEVEU THE COMPLETE RECORDINGS”も、
e-onkyoでのMQAでの配信が行われる可能性が、十分考えられる。

CD四枚組の発売は6月21日である。

Date: 4月 22nd, 2019
Cate: audio wednesday

第100回audio wednesdayのお知らせ(メリディアン 218を聴く)

5月1日のaudio wednesdayでは、
4月3日のaudio wednesdayと同じくブリテンのモーツァルトから始めようと考えている。

ステレオサウンドから出ているSACDとCDの二枚組。
5月のaudio wednesdayでは、
スチューダーのD731ではなくマッキントッシュのMCD350をトランスポートとして使う。

理由は218にはAES/EBUのデジタル入力がないし、
D731にはAES/EBUのデジタル出力しかないからだ。

なのでMCD350でブリテンのモーツァルトのSACDを聴き、
その次にCDを聴く。
CDはステレオサウンド盤とデッカ盤の二枚を聴く。

このあとに218を接続して、ここでもステレオサウンド盤とデッカ盤の両方を聴く。
これから先は、その場のノリで決めていく。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 4月 22nd, 2019
Cate: atmosphere design

atmosphere design(その8)

ここで書いていることで具体的なことは何ひとつない、ともいえる。
私が頭のなかで描いていてる唯一の具体的なカタチがある。

といっても、そこに何ら技術的な根拠や裏づけがあるわけではない。
なんだ、ただの直感かよ、といわれようが、
私としては、それこそがatmosphere designに必要なカタチだという確たる直感である。

別項「2016年に考えるオーディオのイノヴェーション(その3)」で最後に書いている。
つまりトーラスである。

Date: 4月 22nd, 2019
Cate: plain sounding high thinking

plain sounding, high thinking(その10)

オーディオで音色といった場合、
楽器の音色のこともあれば、オーディオ機器固有の音色を指す場合とがある。

そしてオーディオにおける音色の魅力となると、
オーディオ機器固有の音色を指す場合が多い。

このオーディオ機器固有の音色は、実に、というか、時として魅力的である。
しかもオーディオというシステムが、一つのオーディオ機器だけで成り立つわけではなく、
最低でもプレーヤー、アンプ、スピーカーシステムが必要となり、
それぞれに固有の音色を持っている。

そこに実際の使用ではケーブルが加わる。
いうまでもなくケーブルにも固有の音色がある。

固有の音色を持つモノをいくつも組み合わせてのシステムとしてトータルの音色、
つまりそれぞれの色が混じりあっての音色を、われわれはスピーカーから聴いている。

私がBBCモニターの音に惹かれるのも、この固有の音色ゆえといえるところが大きい。
そればかりではないけれど、
オーディオ機器固有の音色の魅力から逃れられる人は、オーディオマニアではないのだろう。

音楽が好きで、好きな音楽が少しでもいい音で聴きたいと思っていても、
オーディオ機器固有の音色に惹かれる人とそうでない人とがいる。

後者は、その意味ではオーディオマニアではないのかもしれない。
その意味で、私ははっきりとオーディオマニアである。

BBCモニターもそうだし、
ここに関係してくることとして、
セレッションのHF1300というトゥイーターが搭載されているスピーカーの音色も好きである。

そういう固有の音色がうまく混じり合って、
しかも好きな音楽の音色をうまく際立ててくれる瞬間が、オーディオにはある。

その瞬間、オーディオマニアは背中に電気が走ったりするわけだ。

けれど、audio wednesdayでの音出しでは、意図的にそういう音色は避けるようにしている。
そういうことを含めての(その7)でもある。

Date: 4月 21st, 2019
Cate: atmosphere design

atmosphere design(その7)

空気のデザイン(atmosphere design)とは、
別項の「Noise Control/Noise Design」に深く関係してくるというのは、私の予感であり、
その5)で書いている「空間のレイヤー化」とは、ノイズのレイヤー化とも思っている。

そしてディフューザーである。
川崎先生が書かれている「ディフューザーは音響の実は要だと思っている」。

これが「空気のデザイン(atmosphere design)」と深く関ってくる、
というのが私の直感である。

Date: 4月 21st, 2019
Cate: 映画

MARIA BY CALLAS(DVD)

昨年12月に公開された「私は、マリア・カラス(MARIA BY CALLAS)」。
DVDが、8月2日に発売になる。

Date: 4月 21st, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(サービス業なのか・その4)

海外ドラマが好きで、よく見ている。
医療関係のドラマも好きである。

アメリカのドラマを見ていて気づくのは、
患者が退院する際、必ず病院関係者玄関までが車椅子にのせられていく。

玄関から先ではすくっと立ち上って退院していく。
問題なく歩ける人がなぜ? と疑問に最初は感じていた。

これは病院の建物を出るまでに何かあったら、訴えられるからだと気づいた。
玄関までの通路で、何かが原因で足を滑らせて骨折したとかになったら、
アメリカのことだから、裁判に訴えられて多額の賠償金を支払うことにもなるからなのか。

そのへんの事情に詳しい人に確認したわけではないが、おそらくそうだと思う。
ひとつのドラマだけでそうなのではなく、いくつかのドラマでもそうなのだから。

訴訟大国といわれるアメリカなのだから、さもありなんだ。

もちろん裁判対策だけとはいわないが、
アメリカのオーディオ雑誌における測定は、
ずっと以前からすれば、訴訟されないためという意味あいが強くなってきているのではないのか。

日本でも、オーディオでの裁判、それ第三者からみてばかげた訴訟があった。
以前書いているように、あるオーディオ機器の重量が、カタログ発表値よりも少しだけ重かった。
そのことで輸入元を訴えた人がいる。

この件は、幸にして裁判官がオーディオに理解のあった人のようで、
オーディオ機器は重たい方がよいとされているのでしょう、といって終った、ときいている。

とにかく、アメリカのオーディオ雑誌の測定を、
客観性の担保ということだけで捉えるのは、
時代の変化を無視しすぎのような気さえする。

それにしてもいつの時代も、日本のオーディオ雑誌と海外のオーディオ雑誌を比較して、
なにかあるごとに「測定、測定」という人はいる。

しかし、もう少し考えてほしいのは、
海外のオーディオ雑誌に掲載されているのは、
オーディオ評論なのか、ということだ。
批評と評論を区別せずに、
海外のオーディオ雑誌とくらべて日本のオーディオ雑誌は……、と嘆くのは、
いつになったら変っていくのか。

Date: 4月 21st, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(サービス業なのか・その3)

facebookへのコメントは三人の方からあった。
二人目のかたは、「わかりやすさ」を求める読者へのサービスもあるのではないか──、
そう書いてあった。

わかりやすさについて、以前書いているし、
読者が求める「わかりやすさ」とは、答でもある。
けれど、私がオーディオ雑誌に、というか、
オーディオ評論に求めているのは、
そして、こうやって毎日書いているのは、
最終的な問いを求めて、である。

このことは別項「毎日書くということ(答えではなく……)」で書いている。

三人目のかたは、海外オーディオ雑誌は客観性を担保するために測定データを載せている──、
そんなことが某匿名掲示板にあったと書かれていた。
測定データがすべてとは思わないけれど、面白い話だと思った、とも。

このことはかなり以前からいわれているし、
なぜ日本のオーディオ雑誌は測定をやらない(やめたのか)にもつながっていく。

測定データは客観性を担保するのか。
客観性を担保するために、海外のオーディオ雑誌は測定をやるのか。

そうともいえるし、そうではないと考えることもできる。
特にアメリカの場合は、
客観性の担保というよりも、ある種の保険的意味あいが強いようにも考えることができる。
訴えられないために、である。

Date: 4月 21st, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(サービス業なのか・その2)

facebookでのコメントを読んでいて、続きを書く気になったので、
タイトルも少し変更している。

(その1)で、オーディオ評論家はサービス業なのか、と書いた。
facebookでのコメントには、誰にとってのサービス業なのか? とあった。

消費者に対してのサービス業なのか、それともオーディオメーカーや輸入元といったクライアント、
それともオーディオ雑誌の編集部に対してなのか、ともあった。

ステレオサウンド 210号の特集でも、五人のオーディオ評論家の写真が載っている。
Net Audioのvol.34の、私がサービス業なのか、と感じた人の写真とは、対照的である。

Net Audioはカラー、ステレオサウンドはモノクロという違い以上に、
ステレオサウンドの写真は、まったく楽しそうに見えないのだ。

試聴中の写真が楽しそうでなければならない──、とは思っていない。
たとえばアンプやスピーカーの総テストの場合だと、
楽しそうな顔しての試聴中の写真だと、真剣に聴いていないのでは……、と思わせてしまうだろうし、
総テストはけっこうしんどいものである。

けれど210号の特集は、総テストではない。
特集の前書きのところに
《お好みのスピーカーシステムを、制約を設けずに、思う存分鳴らしてもらうことにしたのである》
とある。

ならば、もっと楽しそう、嬉しそうな表情を見せてもいいではないか。
誰とはいわないが、どんよりした空気を漂わせている写真もある。

オーディオの楽しさが伝わってくる写真とはいえない。

Date: 4月 20th, 2019
Cate: オーディオ評論
2 msgs

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(サービス業なのか・その1)

音元出版のNet Audioのvol.34を買った。
たまにはオーディオ雑誌を買って読みたくなる。

買ってからの帰り道、
音元出版のオーディオ雑誌を買うって、これが初めて? とふり返っていた。
買った記憶はない。

Net Audioのvol.34の内容についてはふれない。
書きたいのは、Net Audioのvol.34を眺めていて、
オーディオ評論家はサービス業なのか、と思ったからだ。

そう感じたのは、Net Audioのvol.34に登場されている人の写真を見て、である。

オーディオ評論家のやっていることに、
サービス業的な要素がまったくないとはいわないが、
それがあまりにもあからさまに視覚的に表れてしまうと、
いつからこんなふうになってしまったのか、とどうしても思う。

編集者が要求してのことなのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
本人が意識してやっていることなのかそうでないのかもわからない。

けれど写真を見ていると、今日も改めて見直していたけれど、
やっぱりサービス業感が漂っている。

Date: 4月 20th, 2019
Cate: atmosphere design

atmosphere design(その6)

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(atmosphere design)」で、
リスニングルーム内の空気のデザインを考えていく必要がある──、
と書いたのが四年前。

四年経ったからといって、何か具体的なことを考えついたわけではないが、
空気のデザイン(atmosphere design)とは、
別項の「Noise Control/Noise Design」に深く関係してくることのはずだ。

Date: 4月 19th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、349Aプッシュプルアンプのこと

別項「Western Electric 300-B(その14)」で、
伊藤先生による349Aプッシュプルアンプの、
音楽がデクレッシェンドしていくときの美しさについてふれた。

このデクレッシェンドしていく音の美しさは、その後、一度も聴いていない。
伊藤先生の349Aアンプだけの音だったのか──、
もうそう思うしかなかった。

349Aプッシュプルアンプを聴いて三十年以上経った。
やっと出逢えた。

すべてが違うシステムであったにも関らず、
あのときの音、デクレッシェンドしていく音の美しさにはっとした。

それが2018年9月のaudio wednesdayで、初めてULTRA DACでMQA-CDを聴いた音である。
すべてのディスクがそんなふうに鳴ってくれたわけではない。
あるディスクの、あるところだけがそう鳴ってくれた。

私は、それで充分である。
鳴らせるという確信が得られたのだから。

Date: 4月 19th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、正確な音と正しい音のこと

オーディオの世界には、昔から潔癖症といえる人たちがいる。
増えているのか減っているのか、それははっきりとわからないが、
感覚的には増えている気がする。

潔癖症といえる人たちは、MQAの非可逆圧縮に関して不寛容である。
なぜそこまで? といいたくなるほどだが、
潔癖症といえる人たちは、つまるところ正確な音を求めているのだろう。

私が求めているのは正確な音ではなく、正しい音である。

正確な音と正しい音との違いとは、
正確な音と正しい音(美しい音)の違いである。