Archive for 12月, 2018

Date: 12月 11th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(ステレオサウンド 209号)

今日発売になったステレオサウンド 209号は、ほんの少しだけ楽しみにしていたことがある。
特集のベストバイを楽しみにしていた。

メリディアンのULTRA DACの評価が気になっていた。
前回のベストバイの号(205号)はほとんど見ていない。
ULTRA DACは、確かに登場していたはずだが、どういう評価だったのは知らない。

なのでベストバイでのULTRA DACは、どの程度の評価なのか。
そう高くはないだろうことは予想していた。
たぶん、あの人とあの人は点数を入れないだろう、とも予想していた。
この予想は当っていた。

けれど、こんなに評価されていないのか、と驚いた。
点数(一点)を入れていたのは、黛健司氏だけだった。

だから写真もコメントもない。
ただブランド名と型番と点数(評者)があるだけだった。
小さな小さな扱いである。

とはいえ別に落胆はしない。
そういうものか、と淡々と受け止めるだけである。

9月のaudio wednesdayでULTRA DACを聴いた人はみな驚いていた。
12月のaudio wednesdayで聴いた人たちは、もっと驚いていた。

私も12月のaudio wednesdayでのULTRA DACの音に、より驚いた。

ULTRA DACは、だからおもしろい存在になりそうだ。

Date: 12月 11th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その11)

ステレオサウンド 209号が出た。

私が編集長だったら、209号の特集は菅野先生のことにする。
けれど、現実は違うわけで、209号の特集は恒例のグランプリとベストバイである。

毎年暮の恒例の、これらの企画。
今回だけは3月発売の210号にまわしてもいいだろうに……、と思うし、
読者の多くは納得する、とも思う。

そういう決断はできないのか。
できないことはわかっていた。
考えもしなかったのだろう。
だから、特に驚きもなかった。

けれど、編集後記は少しばかり驚いた。
編集者全員、そうだ、と思っていたからだ。

瀬川先生の時、61号の編集後記はそうだった。
編集者全員が、瀬川先生へのおもいを綴っていた。

209号の編集後記は違っていた。
書いている人もいた。けれど全員ではなかった。

これも思い入れなさゆえなのか。

菅野先生は2010年ぐらいから書かれていない。
そのあとに入社してきた編集者は、菅野先生と仕事をする機会はなかったのはわかっている。
それでもステレオサウンド編集部にいるということは、
そこにいたるまでに菅野先生の文章をまったく読んでいない、ということがあるのか。

私には考えられないことだが、あるのかもしれない。
そういう人たちにとって、思い入れはなくても仕方ない。

思い入れ──。
いまのステレオサウンドに期待するのは、もう無理なのか、
すること自体無駄なことになるのか。

Date: 12月 10th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(12月のaudio wednesday)

急に寒くなってきた。
12月のaudio wednesdayが先週でよかった、とあらためて思っている。

12月5日は12月とは思えないほど暖かだった。
前日ほどではなかったにしろ、とりあえずエアコンもガスファンヒーターも使うことなく終った。

喫茶茶会記を午前0時ちかくに出たころにはさすがに冷え込んでいたけれど、
それでも音出しの時間は、暖房なしで済んだ。

寒さや暑さを我慢しながら聴くことを、
来てくれている人たちに強要はできない。
それに寒すぎては、スピーカーが特にうまく鳴ってくれない。

人が快適な温度がオーディオにとっても快適である。
それでもエアコン、ガスファンヒーターの動作音は、どうしても耳障りだ。

耳障りな音なしで、ULTRA DACの音が聴けたのは、やっぱりよかった。

Date: 12月 10th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その10)

音元出版は、PHILE WEBを、いわゆるウェブマガジンとして創刊したのではないだろうか。
だからこそ音元WEBでもなく、オーディオアクセサリーWEBでもないわけだ。

Stereo Sound ONLINEは、株式会社ステレオサウンドのウェブサイトとして公開されたのではないのか。
公開後、試行錯誤しながら、現在の形になっている。

スタートがそもそも違っている、と私は捉えている。

Stereo Sound ONLINEを見ていると、
そして季刊誌ステレオサウンドを見ていると、
ステレオサウンド編集部は、株式会社ステレオサウンドから独立すべきではないか、と思う。

そして株式会社ステレオサウンドは会社名を変更してほしい。
そのうえで季刊誌ステレオサウンドの発売元になればいい、と思う。

Stereo Sound ONLINEのグラビアアイドルの記事を見ていると、
この記事(記事といえるのか)を担当した人は、
ステレオサウンドという名称に、まったく思い入れがないのだろう。
そう感じてしまう。

このブログで、ステレオサウンドに批判的なことを書いている。
それでも、ある時期までは、熱心な読者だった。
それゆえにステレオサウンドという名称にも思い入れはある。

私だけではないはずだ。
ある世代までは、ステレオサウンドを熱心に読んでいた時期がある。
そういう人たちは、少なからず、ステレオサウンドという名称に思い入れがある。
私は、そう信じている。

そんな思い入れをもっているオーディオマニアにとって、
今回のような記事は、その思い入れを無視されたかのように感じているのではないのか。

それにしても季刊誌ステレオサウンド編集部の人たちは、
今回のグラビアアイドルの記事が、Stereo Sound ONLINEに載ることをなんとも思わないのか。

思わないとしたら、彼らもまたステレオサウンドという名称になんら思い入れがないことになる。
それとも、何かを感じているのか。

Date: 12月 10th, 2018
Cate: 音楽の理解

音楽の理解(オーディオマニアとして・その2)

続きを書くつもりはなかった。
けれど、facebookでのコメントを読んで、書くことに変更した。

コメントの内容をここで引用はしないが、
間違ってはいないけれど、本質的なところで微妙に違う、とまず感じた。

コメントをくれた方を批判するわけではない。
伝え方が不十分だったな、と今回も思っている。

音楽とした場合、私にとってはクラシック音楽であるということだ。
作曲家がいて、演奏家がいる。

(その1)ではマーラーの交響曲を挙げたが、
マーラーの交響曲は、いまでは多くの指揮者、オーケストラが演奏しているし、
レコード会社もいろんなところから出ている。

(その1)でも、それ以前にも、
インバルのマーラー(デンオン録音)はとらない、と何度も書いている。

インバルのマーラーをとる人がいてもいい。
私とはマーラー観がまるで違う、ということであって、
私が好きなバーンスタインのマーラーがダメだ、という人もいてもいい。

別項「メリディアン ULTRA DACで、マリア・カラスを聴いた(その2)」で触れたことが大きく深く関係している。
音楽に対する「想像と解釈」である。

つまり、マーラーの交響曲では、マーラーの交響曲に対する「想像と解釈」で演奏を選ぶ。
そこから始まる。

Date: 12月 10th, 2018
Cate: 音楽の理解

音楽の理解(オーディオマニアとして・その1)

audio wednesdayでは、わりとマーラーの交響曲をかける。
かけるたびに、常連のKさんがつぶやく。
「マーラーはよくわからない」、
もしくは「マーラーはとらえどころがない」、
そんなKさんのつぶやきを聞きながら、
わかる(理解する)とは、どういうことなのか、と自問する。

マーラーの交響曲をかけるときは、好きな演奏しかかけない。
まちがってもインバルによるマーラーの交響曲はかけない。

誰かがインバルのディスクを持ってきて、かけてほしい、とは言われればことわりはしないが、
自分からかけることはしない。

マーラーの交響曲をわかる、とか、わかっていないとか、
オーディオマニアとしていえることは、
好きな演奏を、満足のいく音と響きで鳴らせるか、で決る。

どんなにマーラーの交響曲について、
音楽的な知識や作曲された背景などについてことこまかに知っていて、
音楽評論家顔負けのようなことを話せたとしても、
好きなマーラーの演奏を、満足のいく音で鳴らせなかったら、
それはマーラーの音楽(交響曲)を理解していない。

もちろん、これはオーディオマニアとして音楽の理解である。
バーンスタインのマーラー(ドイツグラモフォン録音)が好きだといいながら、
インバル(デンオン録音)のようにしか鳴らせないオーディオマニアがいたら、
その人はマーラーを理解していない、と私は捉える。

Kさんとマーラーの交響曲について、それ以上話したことはない。
Kさんは、これだといえるマーラーの交響曲の演奏(録音)にであっていないだけかもしれない。

マーラーに限らずいえることでもある。

Date: 12月 9th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その9)

ステレオサウンドのウェブサイトは、Stereo Sound ONLINE
音元出版のウェブサイトは、PHILE WEB

インターネットに早くから積極的だったのは音元出版だった。
ステレオサウンドは出遅れた。

どちらにアクセスするかというと、PHILE WEBの方だ。
といっても十日に一回ぐらいの割合で、
Stereo Sound ONLINEの方は一ヵ月に一回もしくは二回程度である。

Stereo Sound ONLINEは、どうしてこんな記事を……、と思うことが増えてきた。
積極的に記事を公開するようになるとともに、そうなってきている。

今日facebookで、ある人が、Stereo Sound ONLINEにこんな記事が……、という投稿をされていた。
確かに、こんな記事が……、というものだった。
グラビアアイドルの写真集の発売記念イベントの記事だった。

Stereo Sound ONLINEではなく、他の名称だったら、それでもいい。
でも古くからのステレオサウンドの読者からすれば、
Stereo Sound ONLINEは、もうステレオサウンドではない。

Stereo Sound ONLINEのStereo Soundは季刊誌のステレオサウンドではなく、
株式会社のステレオサウンドなのはわかっている。

それでもPHILE WEBは音元出版WEBとか音元出版ONLINEという名称ではない。
オーディオアクセサリーWEBでもない。
PHILE WEBの名称が優れているとかそういうことではなく、
この判断は賢明だといえる。

Stereo Sound ONLINEは、株式会社ステレオサウンドのウェブサイトなんだから、と、
いわれてしまえば、確かにそうですね、というしかない。
けれど、ステレオサウンドという固有名詞は、やはり季刊誌ステレオサウンドなのだ。

Date: 12月 9th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACで、マリア・カラスを聴いた(その4)

ここでもふり返ることで気づくことがある。
オーディオショウで、マリア・カラスを聴いたことがない、ということを思い出す。

少なくとも私が聴いた範囲で、マリア・カラスが鳴っていたことは一度もない。

1981年のオーディオフェアから、いわゆるオーディオショウに行き始めた。
数年後、輸入オーディオショウが始まり、
オーディオフェアは、現在のOTOTENへと、
輸入オーディオショウはインターナショナルオーディオショウへとなっていった。

ステレオサウンド時代は仕事ということもあって毎年行っていた。
辞めてからは足が遠のいた。

インターナショナルオーディオショウに行くようになったのは、
2002年ごろからだ。
私がまったくオーディオショウに行ってなかった時期に、
マリア・カラスがかかっていたとは思えない。
それ以前もそれ以後もかかっていないのだから。

1981年よりも前のことになると、私にはわからない。
マリア・カラスのレコードがかかっていたことはあるのかもしれないが、
私はこれまで一度もオーディオショウで、マリア・カラスを聴いたことはない。

オーディオショウでは、なにも最新録音ばかりがかかるわけではない。
ブースによっては、スタッフの好みからなのだろう、
けっこう以前の音楽(録音)がかかることも少なくない。

アナログディスクをかけるところが増えている。
そういうブースでは、個人所有のディスクがかけられるようで、特にそうだったりする。

それでもマリア・カラスを、オーディオショウでは聴いたことがない。

Date: 12月 8th, 2018
Cate: 書く

毎日書くということ(9000本をこえて感じていること)

8900本をこえたあたりから書くペースが落ちた。
年内には余裕で9000本目が書ける、という安心感から、そうなった。

予定では11月中に9000本目を書き終っているはずだったのに、
今日やっと9000本目(ひとつ前がそう)を書き終えた。

これが9001本目だから、あと999本で目標の10000本である。
約一年後には、書き終えている(はず)。

やっと目標が視界に入ってきた、と感じている。
2019年の5月には、audio wednesdayも100回になる。

ひとつ区切りがつくのだろうか。

Date: 12月 8th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACで、マリア・カラスを聴いた(その3)

黒田先生が、「音楽への礼状」でマリア・カラスのことを書かれている。
     *
 日曜日の、しかも午前中のホテルのロビーは、まだねぼけまなこの女の顔のように、どことなく焦点のさだまらない気配をただよわせていました。ぼくは緊張と興奮のなかばした奇妙な気分で、ロビーのすみのソファーに腰かけていました。そういえば、あの朝のぼくの気分は、あれから十年ほどたってからみた映画「ディーバ」で郵便配達のジュールがフェルナンデス粉する憧れのディーヴァに会う前に味わったようなものかもしれませんでした。
 そのときのぼくは、初来日されたあなたへのインタビューを依頼され、もしかしたらおはなしをうかがえるかもしれないといわれ、あなたの宿泊されていたホテルのロビーにいました。しかし、ロビーのすみのソファーに腰かけ、あなたにお尋ねすることを書きつけたノートに目をとおしていたぼくは、招聘元のひとから、今日のインタビューを中止してほしい、というあなたの意向を伝えられました。さらに、招聘元のひとは、あなたが、今日は日曜日なので礼拝にいきたいので、といっていたとも、いいそえました。
 ぼくとしては、休みの日に、朝から、こうやってわざわざきているのに、約束を反故にするとはなにごとか、といきりたってもおかしくない状況でした。にもかかわらず、ぼくは、そうだろうな、と思い、そのほうがいいんだ、とも思って、自分でも不思議でしたが、いささかの無理もなくあなたの申し出に納得できました。ぼくは、それまでも、いろいろな雑誌の依頼をうけて、さまざまな機会に、外国からやってきた音楽家たちにインタビューしてきましたが、そのたびに、いつもきまって、うまくことばではいえないうしろめたさを感じつづけてきました。
 なぜ、ぼくがインタビューをするときにうしろめたさを感じつづけてきたか、と申しますと、ぼくには、どこの馬の骨とも知れぬ人間から根掘り葉掘り無遠慮に尋ねられることを喜ぶ人などいるはずがないと思えたからでした。それに、もうひとつ、ぼくは、音楽家は、ほんとうに大切なことであれば、彼の音楽で語るはずである、とも考えていました。そのように考えるぼくには、音楽家に彼の音楽についていろいろことばで語ってもらうことが、つらく感じられていました。それでもなお、さまざまな音楽家へのインタビューをつづけてきてしまったのは、尊敬したり敬愛したりする音楽家から直接はなしをきける魅力に負けたからでした。
 あなたへのインタビューを依頼されたときにも、ためらいと、あなたから直接おはなしをうかがえると思う喜びとが、いりまじりました。しかも、それまでのあなたの周囲でおきたさまざまな出来事から推測して、あなたがインタビューというジャーナリズムとつきあっていくうえでの手続きを嫌っておいでなのも理解できましたから、ぼくは、招聘元のひとから、あなたが今日のインタビューを中止してほしいといっている、ときかされたときにも、そうだろうな、と思い、そのほうがいいんだ、とも思えました。
 あなたは、第二次大戦後のオペラ界に咲いた、色も香りも一入(ひとしお)の、もっとも大きな花でした。困ったことに、華やかに咲いた大輪の花ほど、ひとはさわりたがります。マリア・カラスという大輪の花も、そのような理由で、いじくりまわされました。その点に関して、当時のぼくは、まだ、かならずしも充分には理解していませんでしたが、あなたがお亡くなりになって後にあらわれた、あなたについて書かれたいくつかの本を読んでみて、あなたが無神経なジャーナリズムによっていかに被害をうけたかを知りました。
 ぼくがあなたの録音された古いほうの「ノルマ」や「ルチア」のレコードをきいたのは、ぼくがまだ大学生のときでした。あなたの、あの独特の声に、はじめは馴染めず、なんでこんな奇妙な声のソプラノを外国の評論家たちはほめたりするのであろう、と思ったりしました。そう思いつつ、あなたのレコードをくりかえしきいているうちに、声がドラマを語りうる奇跡のあることを知るようになりました。その意味で、あなたは、ぼくにオペラをきくほんとうのスリルを教えて下さった先生でした。
 それから後、あなたの録音なさった、きけるかぎりのレコードをきいて、ぼくはオペラのなんたるかをぼくなりに理解していきました。しかし、あなたは、あなたの持って生まれた華やかさゆえというべきでしょうか、歌唱者としてのあなたの本質でより、むしろ、やれどこそこの歌劇場の支配人と喧嘩しただの、やれ誰某と恋をしただのといった、いわゆるゴシップで語られることが多くなりました。多くのひとは、大輪の花をいさぎよく愛でる道より、その花が大輪であることを妬む道を選びがちです。あなたも、不幸にして、妬まれるに値する大輪の花でした。
 予想したインタビューが不可能と知って、ぼくはロビーのソファーから立ち上がりました。そのとき、すこし先のエレベーターのドアが開いて、あなたが降りていらっしゃいました。ぼくは、失礼をもかえりみず、およそディーヴァらしからぬ、黒い、ごく地味な装いのあなたを、驚きの目でみました。これが、あのノルマを、あのように威厳をもって、しかも悲劇を感じさせつつうたうマリア・カラスか? と思ったりもしました。素顔のあなたは、思いのほか小柄でいらっしゃいました。しかし、そのひとは、まちがいなくあなたでした。
 もしかすると、ぼくは、かなりの時間、あなたにみとれていたのかもしれません。あるいは、招聘元のひとがそばにいたので、この男がインタビュアだったのか、と思われたのかもしれません。いずれにしろ、あなたは、ぼくのほうに、軽く会釈をされ、かすかに微笑まれました。あなたの微笑には、どことなく寂しげな影がありました。あれだけ華麗な人生を歩んでこられた方なのに、どうして、この方は、こんなに寂しげな風情をただよわせるのであろう、と不思議でした。
 ぼくは、どうしたらいいかわからず、女神につかえる僧侶の心境で頭をさげました。頭をあげたとき、すでにあなたの姿は、そこにありませんでした。
 あなたは、ノルマであるとか、トスカであるとか、表面的には強くみえる女をうたうことを得意にされました。しかしながら、あなたのうたわれたノルマやトスカがききてをうつのは、あなたが彼女たちの強さをきわだたせているからではなく、きっと、彼女たちの内面にひそむやさしさと、恋する女の脆さをあきらかにしているからです。
 ぼくは、あなたのうたわれるさまざまなオペラのヒロインをきいてきて、ただオペラをきく楽しみを深めただけではなく、女のひとの素晴らしさとこわさをも教えられたのかもしれませんでした。今でも、ぼくは、あなたのうたわれたオペラをきいていると、あのときのあなたの寂しげな微笑を思い出し、あの朝、あなたは神になにを祈られたのであろう、と思ったりします。
     *
マリア・カラスの声は、美しいのか。
一般的な意味での美声ではない。

私もマリア・カラスの歌を初めて聴いた時は、黒田先生と同じように感じた。
《あの独特の声に、はじめは馴染めず、なんでこんな奇妙な声のソプラノ》と思ったりした。

そして、これもまた黒田先生と同じように、
マリア・カラスのレコードをくり返し聴いているうちに、
美しい、と感じるようになってきた。

それでも……、というところは残っていた。
ULTRA DACでマリア・カラスを聴いて、
「それでも……」が完全に払拭された。

《色も香りも一入(ひとしお)の、もっとも大きな花》である。

Date: 12月 8th, 2018
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(韓国、中国は……・その4)

ここまで書いてきて、そうだ、と思い出したことがある。
なので、ちょっと脱線してしまう。

もう十年くらい前になるか、
Red Rose Musicのアンプのことが、ちょっと話題になっていた。
Red Rose Musicは、マーク・レヴィンソンが、マークレビンソン、チェロに続いて興した会社。

最初はオーディオプリズムの真空管アンプをベースに、
マーク・レヴィンソンがチューニングを施した製品だった。
その後、トランジスターアンプが、それからスピーカーシステムが登場した。

これらは、中国のメーカーによるモノだった。
アンプはDussun、スピーカーシステムはAurum Cantus製で、
しかも中国では、それぞれのブランドで安価に売られていた。

写真を見る限り、外観はRed Rose Musicブランドであっても、
Dussunブランド、Aurum Cantusブランドと同じである。

中は違っている、といわれていた。
マーク・レヴィンソンがチューニング(モデファイ)している、ということだった。

けれど、それもアヤシイといわていた。
どちらも内部を見たことはない。
そのウワサが事実なのかどうかはなんともいえないが、
少なくともマーク・レヴィンソンにとって、
Red Rose Musicの製品として売るだけの良さがあったのだろう。

もっといえば、どこか琴線にひっかかってくるものがあったのだろうか。
琴線と書こうとして、(きんせん)と入力したら金銭と出てしまい、
それもまたマーク・レヴィンソンらしい理由かも──、と思ってしまう。

金銭か琴線なのかは措くとして、
少なくともRed Rose Musicブランドとして恥ずかしくないクォリティを持っていると、
マーク・レヴィンソンは判断したはずだ。

それから十年ほどが経っている。

Date: 12月 8th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACで、マリア・カラスを聴いた(その2)

こんな話を、帰りの電車のなかで、Hさんにした。
Hさんは11月のaudio wednesdayに初めて来てくれた。
豊田市から深夜バスで来て帰っていく若者。

どうも豊田市というと、東京の中央線の豊田駅周辺と勘違いしていた人がいたけれど、
豊田駅周辺は日野市であり、東京には豊田市はない(いうまでもなく愛知県の豊田市)。

深夜バスで帰るHさんと新宿まで一緒だった。
四谷三丁目の駅から新宿駅までは十分もかからない。
電車を待つあいだをいれても十分程度である。

なので(その1)でのことを、さらにおおまかなことに話した。
翌日、彼からのメールには、音楽に対する「想像と解釈」、とあった。

マリア・カラスの「カルメン」におけるULTRA DACのフィルターの選択は、
まさに、音楽に対する「想像と解釈」によって、三つのうちのどれを選ぶかが違ってくる。

想像だけでもない、解釈だけでもない。
想像と解釈によって決る。

Date: 12月 7th, 2018
Cate: ディスク/ブック

Pulse/Quartet by Steve Reich

ノンサッチから出ている“Pulse/Quartet by Steve Reich”。
ジャケットのどにもMQAとはない。
MQAのマークもない。

けれどMQA-CDである。
こういう隠れMQA-CDは、意外にあるのかもしれない。

Date: 12月 7th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(トランスポートとのこと・その1)

9月のaudio wednesdayでは、トランスポートにはメリディアンのCDプレーヤー508を使った。
今回はスチューダーのD731である。

D731のピックアップメカニズムは、フィリップスの最後のスイングアーム方式である。
デジタル出力はAES/EBUである。

508はコンシューマー用、D731はプロフェッショナル用という違いもある。
トランスポートして見ても、両者の違いは大きいし、多い。

それらの違いが、ULTRA DACと組み合わせたときにどう音に反映してくるのか。
それを確認したかった。

12月5日のaudio wednesdayでは、まずD731単体の音を聴いた。
それからULTRA DACと接続する。

ここで気づいた。
通常なら、ULTRA DACのディスプレイには、44kと表示されるはずなのに、
なぜか48kと出ている。

508との組合せでは、44kと表示されていたのに、
D731で48kとなる。

音は問題なく出る。
この状態で通常のCDをかけながら、
ULTRA DACの三種類のフィルターを聴き比べをした。

何枚かのCDを聴いて、いよいよMQA-CDをかける。
ここでD731のデジタル出力のサンプリング周波数は、
ULTRA DACのディスプレイの表示通りに48kHzなことがわかる。

D731は放送局用でもあるため、標準では48kHz出力になっているようだ。
この状態ではMQA-CDの再生はできない。

なので、ここで急遽、喫茶茶会記にある、以前使っていたCDプレーヤーをひっぱり出してきた。
最初にラックスのD38uを接続した。

現在の、マッキントッシュのMCD350の前まで使っていた機種だが、
この一年ほとんど使っていないことと、
もともとトレイの調子が悪くなっていたことが重なってか、
ディスクのTOCを読み込む前にトレイが出てきて、ディスクを排出してしまう。

強引にトレイを押し込めば、うまく行くこともあるが、
うまくいかないことの方が多い。

次にパイオニアのPD-D9にした。

Date: 12月 7th, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(ピアノ)

ステレオサウンドのベストオーディオファイル、そしてレコード演奏家訪問。
菅野先生が全国のオーディオマニアを訪問された連載記事である。

菅野先生が来られるということで、多くの方が、菅野先生の録音、
おもにオーディオラボのディスクを再生される。

菅野先生によると、ひとつとして同じ音はなかった、とのこと。
菅野先生の録音の意図をはっきりと再生している音もあれば、
まったく意図しない音で鳴っていることもあった、ときいている。

ほんとうにさまざまな表情で、菅野先生の録音が鳴っている。
それでも、世の中にでは、菅野録音ということで、ある共通認識はできているようでもある。

何をもってして、菅野録音といえるのか。
これもまた人によって違うことなのだろう。

それでも、私はひとつだけいえることがある、と思っている。
ピアノの音である。

菅野先生の録音によるピアノの音をきいて、どう思うのか。
ほんとうに、菅野先生はピアノという楽器がお好きなんだなぁ、
そうおもえるかどうかである。

ピアノがいい音で鳴っている、と感じるだけでは不十分で、
菅野先生のピアノという楽器へのおもいが感じられなければ、
菅野録音はうまく鳴っていない、といえる。