音楽の理解(オーディオマニアとして・その1)
audio wednesdayでは、わりとマーラーの交響曲をかける。
かけるたびに、常連のKさんがつぶやく。
「マーラーはよくわからない」、
もしくは「マーラーはとらえどころがない」、
そんなKさんのつぶやきを聞きながら、
わかる(理解する)とは、どういうことなのか、と自問する。
マーラーの交響曲をかけるときは、好きな演奏しかかけない。
まちがってもインバルによるマーラーの交響曲はかけない。
誰かがインバルのディスクを持ってきて、かけてほしい、とは言われればことわりはしないが、
自分からかけることはしない。
マーラーの交響曲をわかる、とか、わかっていないとか、
オーディオマニアとしていえることは、
好きな演奏を、満足のいく音と響きで鳴らせるか、で決る。
どんなにマーラーの交響曲について、
音楽的な知識や作曲された背景などについてことこまかに知っていて、
音楽評論家顔負けのようなことを話せたとしても、
好きなマーラーの演奏を、満足のいく音で鳴らせなかったら、
それはマーラーの音楽(交響曲)を理解していない。
もちろん、これはオーディオマニアとして音楽の理解である。
バーンスタインのマーラー(ドイツグラモフォン録音)が好きだといいながら、
インバル(デンオン録音)のようにしか鳴らせないオーディオマニアがいたら、
その人はマーラーを理解していない、と私は捉える。
Kさんとマーラーの交響曲について、それ以上話したことはない。
Kさんは、これだといえるマーラーの交響曲の演奏(録音)にであっていないだけかもしれない。
マーラーに限らずいえることでもある。