Date: 12月 8th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC
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メリディアン ULTRA DACで、マリア・カラスを聴いた(その3)

黒田先生が、「音楽への礼状」でマリア・カラスのことを書かれている。
     *
 日曜日の、しかも午前中のホテルのロビーは、まだねぼけまなこの女の顔のように、どことなく焦点のさだまらない気配をただよわせていました。ぼくは緊張と興奮のなかばした奇妙な気分で、ロビーのすみのソファーに腰かけていました。そういえば、あの朝のぼくの気分は、あれから十年ほどたってからみた映画「ディーバ」で郵便配達のジュールがフェルナンデス粉する憧れのディーヴァに会う前に味わったようなものかもしれませんでした。
 そのときのぼくは、初来日されたあなたへのインタビューを依頼され、もしかしたらおはなしをうかがえるかもしれないといわれ、あなたの宿泊されていたホテルのロビーにいました。しかし、ロビーのすみのソファーに腰かけ、あなたにお尋ねすることを書きつけたノートに目をとおしていたぼくは、招聘元のひとから、今日のインタビューを中止してほしい、というあなたの意向を伝えられました。さらに、招聘元のひとは、あなたが、今日は日曜日なので礼拝にいきたいので、といっていたとも、いいそえました。
 ぼくとしては、休みの日に、朝から、こうやってわざわざきているのに、約束を反故にするとはなにごとか、といきりたってもおかしくない状況でした。にもかかわらず、ぼくは、そうだろうな、と思い、そのほうがいいんだ、とも思って、自分でも不思議でしたが、いささかの無理もなくあなたの申し出に納得できました。ぼくは、それまでも、いろいろな雑誌の依頼をうけて、さまざまな機会に、外国からやってきた音楽家たちにインタビューしてきましたが、そのたびに、いつもきまって、うまくことばではいえないうしろめたさを感じつづけてきました。
 なぜ、ぼくがインタビューをするときにうしろめたさを感じつづけてきたか、と申しますと、ぼくには、どこの馬の骨とも知れぬ人間から根掘り葉掘り無遠慮に尋ねられることを喜ぶ人などいるはずがないと思えたからでした。それに、もうひとつ、ぼくは、音楽家は、ほんとうに大切なことであれば、彼の音楽で語るはずである、とも考えていました。そのように考えるぼくには、音楽家に彼の音楽についていろいろことばで語ってもらうことが、つらく感じられていました。それでもなお、さまざまな音楽家へのインタビューをつづけてきてしまったのは、尊敬したり敬愛したりする音楽家から直接はなしをきける魅力に負けたからでした。
 あなたへのインタビューを依頼されたときにも、ためらいと、あなたから直接おはなしをうかがえると思う喜びとが、いりまじりました。しかも、それまでのあなたの周囲でおきたさまざまな出来事から推測して、あなたがインタビューというジャーナリズムとつきあっていくうえでの手続きを嫌っておいでなのも理解できましたから、ぼくは、招聘元のひとから、あなたが今日のインタビューを中止してほしいといっている、ときかされたときにも、そうだろうな、と思い、そのほうがいいんだ、とも思えました。
 あなたは、第二次大戦後のオペラ界に咲いた、色も香りも一入(ひとしお)の、もっとも大きな花でした。困ったことに、華やかに咲いた大輪の花ほど、ひとはさわりたがります。マリア・カラスという大輪の花も、そのような理由で、いじくりまわされました。その点に関して、当時のぼくは、まだ、かならずしも充分には理解していませんでしたが、あなたがお亡くなりになって後にあらわれた、あなたについて書かれたいくつかの本を読んでみて、あなたが無神経なジャーナリズムによっていかに被害をうけたかを知りました。
 ぼくがあなたの録音された古いほうの「ノルマ」や「ルチア」のレコードをきいたのは、ぼくがまだ大学生のときでした。あなたの、あの独特の声に、はじめは馴染めず、なんでこんな奇妙な声のソプラノを外国の評論家たちはほめたりするのであろう、と思ったりしました。そう思いつつ、あなたのレコードをくりかえしきいているうちに、声がドラマを語りうる奇跡のあることを知るようになりました。その意味で、あなたは、ぼくにオペラをきくほんとうのスリルを教えて下さった先生でした。
 それから後、あなたの録音なさった、きけるかぎりのレコードをきいて、ぼくはオペラのなんたるかをぼくなりに理解していきました。しかし、あなたは、あなたの持って生まれた華やかさゆえというべきでしょうか、歌唱者としてのあなたの本質でより、むしろ、やれどこそこの歌劇場の支配人と喧嘩しただの、やれ誰某と恋をしただのといった、いわゆるゴシップで語られることが多くなりました。多くのひとは、大輪の花をいさぎよく愛でる道より、その花が大輪であることを妬む道を選びがちです。あなたも、不幸にして、妬まれるに値する大輪の花でした。
 予想したインタビューが不可能と知って、ぼくはロビーのソファーから立ち上がりました。そのとき、すこし先のエレベーターのドアが開いて、あなたが降りていらっしゃいました。ぼくは、失礼をもかえりみず、およそディーヴァらしからぬ、黒い、ごく地味な装いのあなたを、驚きの目でみました。これが、あのノルマを、あのように威厳をもって、しかも悲劇を感じさせつつうたうマリア・カラスか? と思ったりもしました。素顔のあなたは、思いのほか小柄でいらっしゃいました。しかし、そのひとは、まちがいなくあなたでした。
 もしかすると、ぼくは、かなりの時間、あなたにみとれていたのかもしれません。あるいは、招聘元のひとがそばにいたので、この男がインタビュアだったのか、と思われたのかもしれません。いずれにしろ、あなたは、ぼくのほうに、軽く会釈をされ、かすかに微笑まれました。あなたの微笑には、どことなく寂しげな影がありました。あれだけ華麗な人生を歩んでこられた方なのに、どうして、この方は、こんなに寂しげな風情をただよわせるのであろう、と不思議でした。
 ぼくは、どうしたらいいかわからず、女神につかえる僧侶の心境で頭をさげました。頭をあげたとき、すでにあなたの姿は、そこにありませんでした。
 あなたは、ノルマであるとか、トスカであるとか、表面的には強くみえる女をうたうことを得意にされました。しかしながら、あなたのうたわれたノルマやトスカがききてをうつのは、あなたが彼女たちの強さをきわだたせているからではなく、きっと、彼女たちの内面にひそむやさしさと、恋する女の脆さをあきらかにしているからです。
 ぼくは、あなたのうたわれるさまざまなオペラのヒロインをきいてきて、ただオペラをきく楽しみを深めただけではなく、女のひとの素晴らしさとこわさをも教えられたのかもしれませんでした。今でも、ぼくは、あなたのうたわれたオペラをきいていると、あのときのあなたの寂しげな微笑を思い出し、あの朝、あなたは神になにを祈られたのであろう、と思ったりします。
     *
マリア・カラスの声は、美しいのか。
一般的な意味での美声ではない。

私もマリア・カラスの歌を初めて聴いた時は、黒田先生と同じように感じた。
《あの独特の声に、はじめは馴染めず、なんでこんな奇妙な声のソプラノ》と思ったりした。

そして、これもまた黒田先生と同じように、
マリア・カラスのレコードをくり返し聴いているうちに、
美しい、と感じるようになってきた。

それでも……、というところは残っていた。
ULTRA DACでマリア・カラスを聴いて、
「それでも……」が完全に払拭された。

《色も香りも一入(ひとしお)の、もっとも大きな花》である。

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