Archive for 7月, 2018

Date: 7月 18th, 2018
Cate: 冗長性

redundancy in digital(その5)

1979年に、国内メーカーからPCMユニットが登場した。
若い世代にはPCMユニットといっても、もう通用しないのかもしれない。

PCMユニットとは、A/D、D/Aコンバーターを搭載し、
外付けのビデオデッキにデジタル録音・再生を行うためのプロセッサーである。

オーレックスからPCM Mark-II(780,000円)、
オプトニカからはRX1(590,000円)、オットーからはPCA10(580,000円)、
ソニーからは三機種、PCM100(1,500,000円)、PCM-P10(500,000円)、
PCM-10(700,000円)、
テクニクスからはSH-P1(8000,000円)、
ビクターからはVP1000(1,500,000円)が登場した。

サンプリング周波数は44.056kHzで、14ビットである。
それでも、これだけの価格であった。

どのメーカーのモデルであっても、これ一台で録音・再生はできない。
上記のとおり、ビデオデッキに必要になり、
日本はNTSC方式であったため、サンプリング周波数は44.056kHzになっている。

ヨーロッパのPAL方式のビデオデッキで、
この44.056kHxzに近いのが、44.1kHzであり、CDのサンプリング周波数となっている。

1979年当時のビデオデッキがいくらしたのかよく知らない。
まだまだ安くはなってなかった。
ビデオデッキ本体もビデオテープも、高価だったはずだ。

当時、デジタル録音・再生を行おうと思ったら、
これだけの器材(これだけの費用)がかかった。

しかも、これらのプロセッサーは大きく重く、それに消費電力も大きかった。

Date: 7月 18th, 2018
Cate: 冗長性

redundancy in digital(その4)

1970年代後半の国産のアナログプレーヤーの大半は、
オルトフォンのSPUというカートリッジを、いわは無視していた、ともいえる。
付属のトーンアームでゼロバランスがとれないのだから。

SPUという旧型のカートリッジをつかいたい人は、
単体のターンテーブル、単会のトーンアームを購入して、
プレーヤーシステムを自作してください──、
それがメーカーの、言葉にしてはいなかったが主張だった。

少なくとも、1976年秋に、
オーディオに興味をもった中学生の目には、そう映っていた。

SPUというカートリッジは特別な、というよりも特殊な存在のようにも感じていた。
世の中の多くのカートリッジは軽針圧の方向にまっしぐらという雰囲気だった。
カートリッジの自重も軽くなっていた。

アナログディスクの細い複雑な溝を正確にトレースするために、
しかもディスクは完璧なフラットではなく、多少なりとも反っているわけだから、
頭で考えれば軽針圧のカートリッジが、有利に思える。

事実、有利なところもあった。
けれど軽針圧カートリッジの中には、
アナログディスクの片面を通してトレースできないモノもあったときいている。
極端な軽針圧カートリッジの中には、極端に盤面のホコリに弱かったからだ。

そんな極端な軽針圧カートリッジは例外としても、
トラッキングアビリティの向上は明らかだったし、
SPUはその点でも、旧型に属するカートリッジでもあった。

けれどそれら数多くのカートリッジのなかで、いまも生きのびているのはSPUである。
カートリッジとしての性能は明らかに、
SPUを上廻っているモノはいくつもあったにも関らずだ。

音がいいから、がその答となるわけだが、
では、なぜそうなのかを考えずにはいられないし、
カートリッジの軽針圧化と現在のハイレゾ化は、どこか似ているようなところも感じる。

Date: 7月 18th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その46)

(その6)から、染谷一編集長のavcat氏への謝罪の件を書き始めた。
一ヵ月ほど、書いている。
先日会った人は言っていた、
「あんなことこれまでもあったでしょう。それがたまたま表に出てきただけでしょう」と。

あんなこととは、今回の謝罪の件と同じことを指す。
つまりステレオサウンドの誌面に載ったことで、
読者だけでなく、国内メーカー、輸入元からクレームがあったら、
編集部が謝罪してきているんでしょう。

そんなことが当り前のように行われている──、
それがこのことを話していた人の認識である。

今回の謝罪の怖さは、ここにもある。
絶対にそう思う人が出てくる──、
avcat氏が、ステレオサウンドの染谷一編集長が、
ステレオサウンド 207号の柳沢功力氏の試聴記の件で謝罪した、というツイートを見て、
そのことも危惧していた。

これまでにそんなことがあったのかなんて、関係なくなるのだ。
謝罪すべきではないことに、染谷一編集長は謝罪しているのだから。

このくらいのことで謝罪する人なのだから、
メーカーや輸入元からのクレームに関しては、すぐさま謝罪している──、
そう思われても仕方ない。

事実、そう思う人が出てきている。
サンプル数一人である。いまのところは。

でもすでに一人いるということは、もっといると見るべきだろう。

Date: 7月 18th, 2018
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(BTSの場合・その3)

スピーカーのインピーダンスは、カタログには4Ωとか8Ωと表記されていても、
可聴帯域内だけをみても、大きく変動していることはいうまでもない。
そんなインピーダンスカーヴをもつスピーカーに対して、
スピーカーケーブルのインピーダンスを4Ωとか8Ωとしたところで、
どれだけのメリットが考えられるのか、となると、なかなか難しい。

インピータンスマッチングの代表例である600Ωラインは、
送りの出力インピーダンスも、ケーブルのインピータンスも、受けの入力インピータンスも、
600Ωで統一されている。

これをスピーカーとパワーアンプにあてはめれば、
スピーカーのインピータンスが8Ωなら、
ケーブルのインピータンス、パワーアンプの出力インピーダンスも8Ωとなる。

これを実現したとして、どれだけの意味があるのか。
たとえばテクニクスのリーフ型トゥイーターの10TH1000は、
そのインピータンスカーヴをみると、受持帯域においては8Ωと一定である。

こういうユニットをマルチアンプで、ネットワークを介さずにドライヴするのであれば、
8Ωラインというのを構築してみるのも興味深いように思われるが、
10TH1000のようなユニットは、他にはそれほどないし、
コーン型ユニットにはまずない。

600Ωラインは、伝送距離がコンシューマーオーディオよりもずっと長い。
スピーカーケーブルは、短くしようと思えば、
アンプにプリメイン型ではなく、セパレート型にし、さらにパワーアンプをモノーラルにして、
スピーカーシステムの間近に設置すれば、1mよりも短くしようと思えば可能である。

そしてパワーアンプとスピーカーのインピータンスに関しては、
ダンピングファクターという要素も関係してくる。
そうなるとスピーカーにおけるインピータンスマッチングは……、である。

インピータンスマッチングでは、MM型カートリッジもほとんど無視といえる状態だ。

Date: 7月 18th, 2018
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(BTSの場合・その2)

ビクターのスーパースピーカーケーブルが登場したころ、
インピーダンス表記をしていたスピーカーケーブルは他にあっただろうか。

1970年代も終りのころになると、
オーディオニックス、ソニーからも、インピーダンス表記をしたスピーカーケーブルが登場した。

オーディオニックスのケーブルは、
ビクターのスーパースピーカーケーブルに構造的に近い、というか同じといっていい。
0.18mmの6本撚りの十二芯構造で、インピーダンスは9.15Ωと発表されている。

ソニーのスピーカーケーブルは、
リッツ線を芯線とする同軸ケーブルを二連にした構造で、インピーダンスは8.5Ω。

私が知っている範囲ではこれだけだが、他にもあったのだろうか。
カタログにはインピーダンス表記はないが、
メルコのスピーカーケーブルの構造は、
0.18mmの12本撚りの二十四芯なので、ビクター、オーディオニックスと近い値のはず。

これらのスピーカーケーブルのどれも聴いていない。
周りに使っていた人もいない。
実際のところ、音はどうだったのか。

インピーダンスだけでケーブルの音が決定的になるわけではないが、
興味としてはあるし、現在の高価なスピーカーケーブルで、
インピーダンスを発表しているところはあるのだろうか。
これも気になっている。

Date: 7月 17th, 2018
Cate: 世代

とんかつと昭和とオーディオ(その8)

とんかつとご飯。
こんなことを書いているけれど、
もっともとんかつを食べていた20代のころ。

いいかえれは浅草の河金に頻繁に通っていたころ、
いわゆるとんかつ定食的な食べ方はしていなかったことを思い出した。

とんかつと豚汁と白いご飯の組合せ、という意味でのとんかつ定食的である。
河金には、いわゆるとんかつ定食はなかった、と記憶している。

とんかつを単品で頼んで、白いご飯を頼む人もいれば、
20代の私のように、ご飯物(つまりオムライスとかカレーライス)を頼む客もいた。

いま思い返しても、河金で白いご飯を食べた記憶がまったくない。
河金が、とんかつ屋ではなく、洋食屋だったことも関係してのことか。

河金の次によく食べていたのは、銀座の煉瓦亭。
ここでも白いご飯を食べた記憶がない。

とんかつと白いご飯の組合せは、やはりとんかつ屋での食事となる。
20代の、あのころは、とんかつの味ももちろん重要だったけれど、
それ以上に白いご飯よりも、そうでない炭水化物を好んでいた。

いまは、むしろとんかつと白いご飯である。
いまもし河金があったなら(浅草の本店はないが支店にあたる河金はある)、
とんかつと白いご飯かな、と思う。

Date: 7月 17th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

ネットワークの試み(その12)

直列型ネットワークについての記述例は、
昔の技術書をめくっていっても、ほとんどみかけない。

一昨日、OさんのところにBeymaの12GA50を聴きに行っていた。
このことについては別項で書こうと思っているが、
Oさんは私よりも若いのに、昔のことをよく調べられている。

1960年代前半のラジオ技術が、彼の書棚にはあったりする。
その中の一冊をめくっていた。

1957年10月に、「30年来のレコード愛好家のために……」という記事がある。
瀬川先生が書かれているものだ。
     *
 本誌のレコード表に毎月健筆をふるっておられる西条卓夫氏から、氏の旧い盤友である松村夫人のために、LP装置を作るようにとのご依頼を受けたのは、また北風の残っている季節でした。お話を聴いて、私は少々ためらいました。夫人は遠く福岡にお住まいですが、その感覚の鋭さ、耳の良さには、〝盤鬼〟をもって自他ともに許す西条氏でさえ、一目おいておられるのだそうで、LPの貧弱な演奏に耐えきれず、未だに戦前のHMVの名盤を、クレデンザーで愛聴しておられるというのです。〝懐古趣味〟と笑ってはきけません。同じレコードを愛する私には、そのお気持が良く判るのでした。
 とにかく、限られた予算と、短かい期日の中で、全力を尽くしてみようと思いました。
     *
この記事のことは、ステレオサウンド 62号、63号掲載の瀬川先生の追悼記事にも出ている。

スピーカーシステムも自作である。
3ウェイのスピーカーシステムのネットワークが直列型なのである。
スロープは6dB/oct.。

この記事は、かなり以前に読んでいる。
その時は直列型ネットワークにさほど興味がなかったこともあって、
ネットワークの回路図も見ていたにも関らず、そのことを見落していた。

瀬川先生も本文には、直列型であることに触れられていない。
おそらく並列型も試されたうえでの直列型の選択なのだろう、と思っている。

松村夫人の装置のネットワークは直列型。

Date: 7月 17th, 2018
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(BTSの場合・その1)

BTS(放送技術規格)にもスピーカーケーブルの項目はある。
一芯あたり0.18mm径の30本撚りの、二芯平行ケーブルとなっている。

つまり赤黒の一般的なケーブルが、これにあたる。
このケーブルの場合、インピーダンスは110Ωくらいになる。

スピーカーシステムのインピーダンスは、4Ωから16Ωくらいである。
その意味ではインピータンスマッチングはとれていない。
それにもともと駆動源であるパワーアンプの出力インピーダンスは、
トランジスターアンプであれば、0.1Ωを切るほどに低い。

ここにインピーダンスマッチングの考えは、ないともいえるのだが、
スピーカーケーブルのインピーダンスがスピーカーのインピーダンスよりもかなり高いということは、
ケーブルでの減衰が発生することになる。

1970年代にビクターが発売していたスーパースピーカーコード(JC1100シリーズ)というのがある。
0.18mm径の7本撚りを十六芯平行ケーブルにしたもので、
このスピーカーケーブルのインピーダンスは13Ω程度とかなり低くなっていた。

ではこのスーパースピーカーコードは、理想に近いといえたのか。
少なくとも一般的なケーブルよりもインピーダンス的にはそういえなくもないが、
ビクターのこのケーブルだと、アンプが発振する場合もある、と聞いている。

プロ用機器のラインレベルでは、インピーダンスマッチングについて、
昔の機器であれば重要であったことは確かだ。

MC型カートリッジの昇圧トランスにおいても、
場合によってはインピーダンスマッチングがかなり有効なこともある。

ならばスピーカーにおいても──、
とつい考えたくなるが、ここにおいてはまだ答を出せずにいる。

Date: 7月 16th, 2018
Cate: 名器

名器、その解釈(マッキントッシュ MC75の復刻・その6)

マッキントッシュの最初のステレオパワーアンプは、1960年登場のMC240である。
いうまでもなくMC275と同じスタイルを、この時からすでに採用している。

MC240以前のパワーアンプはモノーラル機のMC30、MC60があった。
それ以前にはA116、50W2などがあるが、
黒塗装のシャーシーの前面に大きく”McIntosh”が入り、
両端を少し折り曲げたクロームメッキの天板が、その上に嵌め込まれているスタイルは、
MC30から始まっている。

マッキントッシュのモノーラルアンプで、いいな、と思うのは、
このMC30とMC60である。
MC40、MC75とはシャーシーの形が違う。

「世界のオーディオ」のマッキントッシュ号で、岩崎先生が書かれている。
     *
 昭和三十年頃の僕は、毎日毎日、余暇をみつけては、ハンダごてを握らない日はなかった。この頃の六、七年間、数多くのアンプを作った。作っては壊し、作っては壊ししたそれらは当時のラジオ雑誌にほとんど紹介してきたものだが、もともと、そうした記事のために、目新しい回路をもととして、いままでとは、どこか違った、新しいアイディアを必ず盛り込んだものだった。もうはとんど手元にはなく、ただ昔の、古く色あせた雑誌の写真に姿をとどめているだけだ。つまり、製作記事のための試作アンプにすぎない、はかない存在だ。しかし、中には壊すのが惜しくて、そのまま実用に供し、そばに置いて使おうという気を起こさせたものもある。いまでも、そうしたアンブ、そのほとんどがモノーラルの高出力アンプだが、20数台もあろうか、物置の片隅を占領してしる。その多くが30Wないし50Wのパワーを擁する管球式で、外観は、共通し当時のマッキントッシュの主力アンプMC30に酷似する。
 なぜ、マッキントッシュに似たか。理由は唯ひとつ、僕の中にそれを強くあこがれる意識が熱かったからだろう。
(中略)
 これは、作ったものでないと判らないし、一度作れば、これ以上によい方法は、ちょっと思い浮かびあがらないほど、完璧だ。
 だから、今、手元にある20数台のアンプは、出力トランスと出力真空管と、むろんそれらの大きさと、最大出力の違いのため、そのシャーシーの大きさが、てんでんばらばらだが、構造的には、マッキントッシュのMC30によく似ているのである。もうひとつの共通点は、MC30よりも、出力が大きく、当時の水準からすれば、「大出力アンプ」といい得るものだ。念のために申し添えると昭和30年前後のその頃の技術雑誌の製作記事で、MC30をはっきりと意識したアンプは、たったひとつの例外を除いて、僕の作ったもの以外にはないと20年経った今でも自負している。
 そのたったひとつの例外というのは、某誌の表紙にまでカラー写真でのったY氏製作の30Wのアンブだ。
 これは、金のない僕の作るものとは違って、シャーシーまで本物のMC30のように、メッキされていたように記憶している。
 その時、「ははあ、彼氏もマッキントッシュの良さを知っているな」と秘かに同好の志のいるのを喜ぶとともに手強いライバルを意識した。しかし、Y氏は、それきり、アンプの記事は書かなかったように記憶する。最高を極めたからか。
 Y氏、実は山中敬三氏である。
     *
もしもMC30が、MC40のスタイルで登場していたら、
岩崎先生は、山中先生はMC30をはっきりと意識したアンプを自作されただろうか。

Date: 7月 16th, 2018
Cate: 基本
1 msg

BTS

BTS(Broadcasters Technical Standard)。
日本語でいえば、放送技術規格である。

いまではほとんど耳にすることもなくなっている。
それでも私が20代のころは、真空管アンプを自作しようとすれば、
少なくともトランスのケースに関しては、BTS準拠のケースがひとつのスタンダードでもあった。

それからダイヤトーンの2S305。
これもBTS準拠のスピーカーシステムである。
ダイヤトーンのロクハンP610も、もちろんそうである。

あのころはまだBTSという言葉がまだ使われていた。
それでもBTSという規格がどういうものなのか、そのすべてを知っていたわけではないし、
むしろ知っていたのは、ごくごく狭い範囲のことだけである。

BTSという言葉は使っていながらも、
その実体(どこまで広く、そして細かいのか)は、周りの人もほとんど知らなかった。

BTSはNHKが制定したものだから、NHKに行けば規格書があるんだろうな……、
そのぐらいの認識しか持ってなかった。

けれど、都立図書館に行けば、読めるということを昨日初めて知った。
教えてくれたOさんは、仲間数人といっしょにほぼすべてをコピーされている。

BTS規格は、存在意義がなくなったため、2001年7月にすべての規格が廃止されている。
そんな古い規格なんて、資料価値もない、のかもしれないが、
コピーされた、そうとうなページをめくっていると、ネジ一本まで、
BTSでは定められていることがわかる。

BTSについてまったく知らなくとも、
オーディオを鳴らす上で何の支障はない。

趣味でもあるわけだから、知っておくのも一興だろう。
いまとなっては何かの役に立つわけではないけれども。

Date: 7月 16th, 2018
Cate: 名器

名器、その解釈(マッキントッシュ MC75の復刻・その5)

ステレオサウンドが以前出していた「世界のオーディオ」シリーズの一冊、
マッキントッシュ号で、各オーディオ評論家の「私のマッキントッシュ観」がある。

瀬川先生が書かれている。
     *
 昭和41年の終りごろ、季刊『ステレオサウンド』誌が発刊になり、本誌編集長とのつきあいが始まった。そしてその第三号、《内外アンプ65機種—総試聴》の特集号のヒアリング・テスターのひとりとして、恥ずかしながら、はじめてマッキントッシュ(C—22、MC—275)の音を聴いたのだった。
 テストは私の家で行った。六畳と四畳半をつないだ小さなリスニングルームで、岡俊雄、山中敬三の両氏と私の三人が、おもなテストを担当した。65機種のアンプの置き場所が無く、庭に新聞紙をいっぱいに敷いて、編集部の若い人たちが交替で部屋に運び込み、接続替えをした。テストの数日間、雨が降らなかったのが本当に不思議な幸運だったと、今でも私たちの間で懐かしい語り草になっている。
 すでにマランツ(モデル7)とJBL(SA600、SG520、SE400S)の音は知っていた。しかしテストの最終日、原田編集長がMC—275を、どこから借り出したのか抱きかかえるようにして庭先に入ってきたあのときの顔つきを、私は今でも忘れない。おそろしく重いそのパワーアンプを、落すまいと大切そうに、そして身体に力が入っているにもかかわらずその顔つきときたら、まるで恋人を抱いてスイートホームに運び込む新郎のように、満身に満足感がみなぎっていた。彼はマッキントッシュに惚れていたのだった。マッキントッシュのすばらしさを少しも知らない我々テスターどもを、今日こそ思い知らせることができる、と思ったのだろう。そして、当時までマッキントッシュを買えなかった彼が、今日こそ心ゆくまでマッキンの音を聴いてやろう、と期待に満ちていたのだろう。そうした彼の全身からにじみ出るマッキンへの愛情は、もう音を聴く前から私に伝染してしまっていた。音がどうだったのかは第三号に書いた通り。テスター三人は揃って兜を脱いだ。
     *
このシーンをイメージしていただきたい。
《おそろしく重いそのパワーアンプを、落すまいと大切そうに、そして身体に力が入っているにもかかわらずその顔つきときたら、まるで恋人を抱いてスイートホームに運び込む新郎のように、満身に満足感がみなぎっていた》、
ここをイメージしてほしいのだ。

これはMC275だからこそ、このシーンが映える。
もしMC75だったら……。

音はMC275よりも良くなった可能性がある。
けれど、MC75を二台抱えてくることは先ず無理。
一台ずつであっても、
MC275は30.4kg、MC75は19.8kgで、
両者のアンプとしての見た目の量感は、実際の重量差以上に感じる。

MC275だから、原田編集長のその姿が様になっているわけだし、
実際に鳴った音と相俟って、瀬川先生のこころに強く焼きついたのだろう。

MC75では、そうはいかなかった(と私は思っている)。

Date: 7月 15th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その45)

ステレオサウンドの編集長である染谷一氏は、どちらなのだろうか。

無駄なことなどひとつもない、と考える人なのか、
それとも、その逆なのか。

つまり自分の失敗、間違いに対して目をつむってしまって、なかったことにしてしまう人なのか。

2009年3月8日の練馬区役所主催の「五味康祐氏遺愛のオーディオとレコード試聴会」、
この時に染谷一氏を初めてみた。
まだ編集長ではなかったころである。

この日の「五味康祐氏遺愛のオーディオとレコード試聴会」のナビゲーターが染谷一氏だった。

ステレオサウンドを手にとっても、どの記事がどの編集者担当なのかはわからない。
染谷一氏が、どの記事を担当していたのか、
私が知っているのは一本だけであり、それ以外は知らない。

どんな記事をつくってきたかがわかるだけでも、その人の印象は違ってこよう。
私が知っている一本がどれなのかは書かないが、
そのことで決していい印象は持っていない。

私の中にある染谷一氏のイメージとは、そのことが基になったうえでのものだ。
こういう人なんだ……、と思っていた。

そういう染谷一氏が2011年から編集長になっている。

染谷一氏が編集長になってからの二冊目のステレオサウンドで、
オーディスト」が誌面に、大きく登場した。

編集長をつとめる雑誌の読者を、
audist(オーディスト、聴覚障害者差別主義者)呼ばわりしたことになる。

audistをGoogleで検索していれば未然に防げたことだが、
おそらくそんな簡単なこともやらなかったのだろう。

知らぬこと(調べなかったこと)とはいえ、オーディスト呼ばわりしたことになる。
その後の染谷一氏の態度はどうだったか。

何もしてなかった。
染谷一氏は、読者をオーディストと呼んでおいて、そのことに何も感じなかったのか。
少なくとも、その後のステレオサウンドの誌面を見る限りは、そうである。
2009年のころとは違って、染谷一氏は編集長である。

誌面から判断できること(われわれ読者は誌面からしか判断できない)は、
染谷一氏は、
自分の失敗、間違いに対して目をつむってしまって、なかったことにしてしまう人のように映る。

これに反論する人は、
avcat氏にはすばやく謝罪しているだろう、違うのではないか、というはず。

このところが、この項で取り上げていることにつながっている、と考えている。

Date: 7月 14th, 2018
Cate: 名器

名器、その解釈(マッキントッシュ MC75の復刻・その4)

MC275に限らないのだが、
マッキントッシュの真空管アンプのステレオ仕様では、
三つのトランスの配置は、
手前から左チャンネルの出力トランス、右チャンネルの出力トランス、電源トランス、
である。

右チャンネルの出力トランスは、左チャンネルの出力トランスと電源トランスにはさまれている。
もうこれだけでも、左右チャンネルの条件は違ってくる。

トランス同士の磁気的、振動的、熱的などの干渉が、
左チャンネルと右チャンネルとでは、かなり違ってくる。

さらに出力管との配線の条件も、これほどではないにしても違ってくる。
ここでも左チャンネルが、右チャンネルよりも重視した配線となる。

これらの違いに加えて、先に述べた初段管と次段管との配線の違いがあるわけだ。
MC275は、左右チャンネルをできるだけ等しくするという観点からみれば、
時代遅れのアンプとみられても仕方ない点が、このようにいくつもある。

左右チャンネルをできるだけ等しくという点だけでも、
ステレオ仕様のMC275(MC240)よりも、モノーラル仕様のMC75(MC40)が、
圧倒的に、誰の目にも有利である。

MC275(MC240)の左右チャンネルのそういう違いが気になる人は、
モノーラル仕様のMC75(MC40)を買いましょう、といっているようにも思える。

実際にはMC275(MC240)はモノーラル使いもできる。
その場合には、出力は二倍になる。
より大出力を必要とする人のためのステレオ仕様であったのかもしれない。

そのへんははっきりとしないが、
少なくともMC275を、左チャンネルと右チャンネルの音を厳密に比較すると、
人によっては無視できないほどの違いは生じている。

くり返すが、それが気になる人は、モノーラル仕様を買えばいいのだ。

この点を井上先生は、ある意味理に適っているんだよ、といわれた。
クラシックのオーケストラの配置は、左にヴァイオリン群、右に低音弦群なのだから、と。

Date: 7月 14th, 2018
Cate: 名器

名器、その解釈(マッキントッシュ MC75の復刻・その3)

マッキントッシュの真空管パワーアンプで、
ステレオ仕様なのはMC225、MC240、MC275であり、
MC240とMC275にはモノーラル仕様のMC40、MC75がある。

音だけで比較するなら、モノーラル仕様のMC40、MC75が、
MC240、MC275よりもいいであろう。

それでも、私の場合、欲しいと思うのは、
ステレオ仕様のMC275である。
MC75を特に欲しい、と思ったことはない。

それは多分に五味先生の影響が大きいのだが、
そのことを念頭において両機を眺めても、MC75のスタイルに魅力を感じないわけで、
やっぱりMC275なのだと、あらためて思うわけだ。

MC275とMC75は、回路はほぼ同じである。
ただ電源部の整流回路が、MC275とMC75では違う点があるくらい。

けれど一つのシャーシーにまとめなければならないステレオ仕様では、
トランスの向きも90度違うし、外観だけでなく内部にも違うはある。

これはMC275の回路図をみれば記載してあるので気づいている人は多いことなのだが、
初段の12AX7から次段の12AU7への配線は、
左チャンネルは通常の配線材なのに、右チャンネルはシールド線が使われている。

回路図にも右チャンネルの、この部分にはシールド線のマークがついている。
これはMC275だけでなく、MC225、MC240でも同じになっている。

初段の12AX7は、どのモデルも入力端子のすぐそばにある。
この隣に左チャンネルの12AU7、12BH7、12AZ7と並び、
12AZ7の隣に、右チャンネルの12AU7が来て、12BH7、12AZ7となっている。

つまり初段の12AZ7は、内部の2ユニットを左右チャンネルに振り分けていて、
そこから左チャンネルの次段(12AU7)までは最短距離で結線されているのに対し、
右チャンネルは間に三本の真空管の分だけ配線距離が長い。

それゆえに右チャンネルはシールド線を使っているわけだ。

Date: 7月 14th, 2018
Cate: デザイン

「オーディオのデザイン論」を語るために(その4)

黒田先生がフルトヴェングラーについて書かれている。
     *
 今ではもう誰も、「英雄」交響曲の冒頭の変ホ長調の主和音を、あなたのように堂々と威厳をもってひびかせるようなことはしなくなりました。クラシック音楽は、あなたがご存命の頃と較べると、よくもわるくも、スマートになりました。だからといって、あなたの演奏が、押し入れの奥からでてきた祖父の背広のような古さを感じさせるか、というと、そうではありません。あなたの残された演奏をきくひとはすべて、単に過ぎた時代をふりかえるだけではなく、時代の忘れ物に気づき、同時に、この頃ではあまり目にすることも耳にすることもなくなった、尊厳とか、あるいは志とかいったことを考えます。
(「音楽への礼状」より)
     *
クラシックの演奏だけでなく、多くのものが、
よくもわるくも,スマートになっていっているように感じる。

フルトヴェングラーの演奏によって、
《きくひとはすべて、単に過ぎた時代をふりかえるだけではなく、時代の忘れ物に気づき》
とある。
だからこそ、若い人であっても、あらゆる世代の人がフルトヴェングラーの演奏を、
いま聴く。

時代の忘れ物に気づかさせてくれる演奏──、
だけではないはずだ。
だけであったら、寂しすぎる。

時代の忘れ物に気づかさせてくれる音(オーディオ)、
時代の忘れ物に気づかさせてくれるデザインがある、と信じている。

それは古いモノに限らない。