Archive for 12月, 2017

Date: 12月 7th, 2017
Cate: ディスク/ブック

マーラー 交響曲第二番

ショルティ/シカゴ交響楽団によるマーラーの交響曲第二番を、
ひさしぶりに聴いた。

「THE DIALOGUE」も約30年ぶりに今年聴いたけれど、
ショルティのマーラーの二番も、そうとうにひさしぶりである。

20代のころ聴いたCDは、
国内盤であっても、プレスは西ドイツの盤だった。
二枚組だった。

今回聴いた(昨晩のaudio wednesdayで鳴らした)CDは、
国内プレスの国内盤で、しかも一枚にまとめられている。

比較試聴すれば、音の違いはあるのだろうが、
とにかく鳴らしてみた。

第一楽章冒頭の低弦の鳴り方。
記憶に残っている鳴り方とは違うところもあるけれど、
大事なところで違っていたわけではなかった。

昨晩は、二回鳴らした。
一回目は、三枚目のディスクとして鳴らした。
二回目は終りごろに鳴らした(何枚目のディスクかは数えていない)。

時間としては三時間ほど経っている。
そのあいだにも、スピーカーのセッティングを少し変えている。

アンプも部屋も暖まっている。
スピーカーもほぼ鳴らし続けている。

一回目と二回目は、ずいぶんと違った。
一回目では、こういう録音を、この音量(けっこうな音量)だと、
いまのままではトゥイーターの075の鳴り方が厳しいなぁ、とも感じたが、
二回目では、そのあたりが随分と変化していた。

第一楽章を終りまで鳴らした。
「一本の映画を観ているようだった」という感想があった。

来年のaudio wednesdayでは、このディスクをかけることが増えそうであるし、
このショルティのマーラーの二番を、
喫茶茶会記の裏リファレンスディスクにしよう、と勝手に決めた。

Date: 12月 7th, 2017
Cate: audio wednesday

30年ぶりの「THE DIALOGUE」(その11)

岩崎千明氏のこと(ジャズの再生の決め手)」、「岩崎千明氏のこと(続・ジャズの再生の決め手)」、
ジャズ再生の決め手は、一瞬一瞬の結晶化と書いた。

クラシックばかり聴いてきた私が感じたことである。

今年一年のaudio wednesdayでは、「THE DIALOGUE」をよく鳴らした。
とにかく、頻繁にかけた、といえるくらいに、しかもかなりの音量で鳴らした。

昨晩のaudio wednesdayでも、もちろん鳴らした。

自画自賛といわれようが、
昨晩の「THE DIALOGUE」は、一瞬一瞬の結晶化であった。

Date: 12月 7th, 2017
Cate: audio wednesday

第84回audio wednesdayのお知らせ

2018年1月のaudio wednesdayは、3日。

今年1月は4日だった。
来られたのは一人だけだった。

Hさんが持ってこられた「能×現代音楽 Noh×Contemporary Music」を鳴らす回になった。

おそらく来年1月も一人だけ、だろうし、今年1月の回と同じようになりそうである。
なのでテーマは決めずに、一枚のディスクを鳴らし込むことになると思う。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 12月 7th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(その12)

リスニングルームは、男の城だ、
昔のオーディオ雑誌には、そんなことが書いてあった。

レコード(録音物)をひとりで聴くための空間をリスニングルームだとすれば、
借家住まいであっても、どんなに狭い部屋であっても、リスニングルームを持てる。

けれど借家住まいでは持てないリスニングルームがあるのも事実である。
増改築もしくは新築することでしか持てない空間としてのリスニングルームがある。

その意味でのリスニングルームは、男の城と呼べるものだろう。
城だ、と思う一方で、
借家住まいであっても、その空間はオーディオマニアにとっては聖域であるはずだ、
とも思う。

城を建てることはたいへんなことだし、
城を建てられる人もいれば建てられない人もいる。

建てられなくとも、聖域は持てる。
けれど城ということにこだわっていると、聖域ということを見失ってしまうかもしれない。

Date: 12月 6th, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(余談)

スペンドールのBCIIは、菅野先生も購入されていた。
ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界」でも、
1978年度版と1979年度版で組合せをつくられているくらいである。

けれどBCIIIの評価は……、というと、すぐには思い出せなかった。
ステレオサウンドには載っていない、と思う。

レコード芸術・ステレオ別冊の「ステレオのすべて」の1977年度版に、
「海外スピーカーをシリーズで聴く」という企画がある。
菅野先生と瀬川先生による記事だ。
     *
菅野 色っぽいですよ。まあこれでもうひとつ、僕はだいたい大音量だから、ガンと鳴らせるものがほしいとこう思ってBC−IIIを聴いたわけ。そしたらねえ、いやぁ残念ながらその印象がねえ、このBC−IIがそのままスケールが大きくなったということじゃなくて、これはやっぱり重要なものだと思ったのは、同じ形のものも大きくすれば異なった形に見えるというのがあるでしょう。
瀬川 だったらさっきの言い方の方がいいよ。
菅野 ああそうですか。つまり自分の女房にね、もうちょっとグラマーだったらなっていうその要求をね、するのはやはり無理なんだと。
     *
《同じ形のものも大きくすると異なった形に見える》、
たしかにそうなのだろう。
BCIIとBCIIIは少なくとも、そうであろう。

むしろBCIIのスケールを大きくした、といえるスピーカーは、
ロジャースのPM510といえよう。

ステレオサウンド 56号で、瀬川先生は書かれている。
     *
 全体の印象を大掴みにいうと、音の傾向はスペンドールBCIIのようなタイプ。それをグンと格上げして品位とスケールを増した音、と感じられる。BCIIというたとえでまず想像がつくように、このスピーカーは、音をあまり引緊めない。
     *
私は、これだけでPM510をとにかく聴きたい、と思った。
BCIIの品位とスケールを増した音──、
実際に音を聴いて、そのとおりだった。

だからBCIIIへの関心を失っていった、ともいえる。

結局違った形で大きくすることで、同じ形(音)に見えたわけだ。

Date: 12月 5th, 2017
Cate: 1年の終りに……

2017年をふりかえって(その3)

2017年は、Blu-Ray Audioにどう取り組むのかについて考え始めた年でもある。

2012年に、ショルティ指揮のニーベルングの指環の限定盤が発売になった。
新たにリマスターされた17枚組のCDの他に、
24ビット、96kHzのBlu-Ray Audioがついていた。

このころはまだBlu-Ray Audioを、
いつか本格的に導入することになるんだろうな……ぐらいの気持だった。

今年ドイツ・グラモフォンはBlu-Ray Audioに積極的である。
カラヤンのニーベルングの指環も、Blu-Ray Audioで出た。
他にもオペラがいくつもBlu-Ray Audioになっているし、
交響曲全集もBlu-Ray Audioとなっている。

ドイツ・グラモフォンが来年以降も積極的であれば、
Blu-Ray Audioの導入を真剣に考えなければ……、と今年になって思い始めた。

とはいえBlu-Ray Audioを再生するプレーヤーはどうするか。
多くの人が思い浮べるのは、あのメーカーのプレーヤーだろう。

どのメーカーなのかは書かないが、個人的に、そのメーカーのプレーヤーは使いたくない。
製品そのものがいいとか悪いとかではなく、
輸入元がどうもうさんくさく感じられて、はっきりいえば嫌いである。

それにそのメーカーの本国(どこが本国なのかもあえて書かない)のウェブサイトには、
違法ダウンロード先へのリンクが張られていたこともある。

音さえ良ければ、さらに安価であればなお良い、と思える人は、
そのメーカーのプレーヤーを使えばよいが、
私は別項「オーディオは男の趣味であるからこそ」で書いているように、
そんなモノは買いたくないし、使いたくない。

ならばパソコンでBlu-Ray Audioをリッピングして、という方法か。
そんなことを真剣に考え始めた一年である。

Date: 12月 4th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(その11)

昭和31年(1956年)に、「新版 アマチュアオーディオハンドブック」が出ている。
日本オーディオ協会によるもので、オーム社から出ていた。

 第1章:音の物理と生理
 第2章:リスニングルーム
 第3章:マイクロホン
 第4章:レコード
 第5章:ピックアップ
 第6章:レコードプレーヤ
 第7章:テープとテープレコーダ
 第8章:レコーデッドテープとプレーヤ
 第9章:チューナ
 第10章:真空管とトランジスタ
 第11章:プリアンプとメインアンプ
 第12章:スピーカシステム
 第13章:ステレオ再生装置
から成り、それぞれの章はこまかい項目に分けられている。

第13章:ステレオ再生装置は、池田圭氏が担当されている。
ここに「経済性の問題」という項目があり、短期的に、長期的に、ついて書かれている。

長期的に、のところから引用しておく。
     *
一生を賭けて
 ハイファイのために、再生音響に一生を賭ける人はきわめて少ない、と断言して過言ではないであろう。
 大体、ハイファイなどの好きになるのは若い頃で、青春の熱情凝ってステレオに血道を上げるのは、この時期に属する。多くは学生時代にである。やがて社会人となる頃から熱は冷め始めるそして結婚生活、出産……この時期に至ってもなおレコードやテープいじりをやっているくらいであると、一生を賭ける見込みがある。ほとんどはこの時期に『ハイファイよさらば』というのが一般的なコースである。経済的な不如意と多忙のためにハイファイなどやっていられないのである。子供の成長はいよいよこれに拍車を加える。……やがて生活の安定、中年頃に到って返り咲くこともある。
 なかにはハイファイと職業が結びつくこともある。けれども、それはそれなりに真のハイファイと結びつかないことも多い。
 かくて、やがて死が訪れる。
 けれども、一生を、地位も名誉も金も望まず、ただ再生音響のハイファイ化に一生を賭けて悔なき人があるならば、以下のようなコースをとってはどうであろうか。
     *
もう一度いう、60年前に、これは書かれている。

Date: 12月 4th, 2017
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(その11)

シングルボイスコイル、
つまり同軸型ではないフルレンジユニット。

代表的なユニットといえば、私の世代では、
JBLのLE8T、アルテックの755Eがダントツの存在といっていい。

それからダイヤトーンのP610、テクニクスのEAS20PW09(ゲンコツ)などが浮ぶ。
もちろん、この他にもいくつかのユニットを挙げられるが、
個々のユニットについて触れたいわけではなく、
その口径は中口径のモノばかりである。

JBLとアルテックとテクニクスは20cm口径、
ダイヤトーンは16cm口径。

20cmの口径があれば、エンクロージュア次第では、
低音もそこそこのレベルで出るし、高音もトゥイーターの必要性を感じさせながらも、
まとまった音を聴かせてくれるのだから、
いさぎよくフルレンジ一発という選択をしたくなる。

これが10cm口径、つまり小口径フルレンジとなると、
やや違ってくる。
どうしても口径の小ささゆえの低音再生の弱さは否めない。

けれど反面、10cmならばユニットを複数個使うという選択もできる。
ようするにジョーダン・ワッツのModule Unitの在り方そのものである。

瀬川先生はHIGH-TECHNIC SERIESの一冊目、
マルチアンプの号で、
フルレンジからスタートする、最終的な4ウェイシステムへのプランを書かれている。

そこに、こうある。
     *
 こうして、最低音と中低音のあいだと、中高音と高音のあいだをマルチアンプで、そして最高音域用のスーパートゥイーターだけはLCネットワークで、という4WAYのシステムができ上り、しばらくのあいだは、各帯域のユニットを少しずつ入れかえたりして楽しんでいた。このころ使ったユニットとしては、ウーファーにはパイオニアPW38A(のちにJBL LE15Aに交換)、ミッドバスには、ダイヤトーンP610A、ナショナル8PW1(現テクニクス20PW09)、フォスター103Σの2本並列駆動、最後のころはジョーダンワッツのA12システム(いまは製造中止になった美しい位相反転型エンクロージュア、現在のJUNOに相当?)を、一時は二本積み重ねてたりした。
     *
このプランでも、最初は16cmから25cm口径のフルレンジから、とある。
10cm口径とは書いていないが、10cm口径ならば複数個使用という手もある。

ステレオサウンド 61号の特集、STEREOLA DPS100の紹介欄には、
《故・瀬川冬樹氏がマルチチャンネルを試みておられていた時代に、中低域用に、発売直後の、このユニットを使われた。すばらしい音がしていたそうである》と。

もちろん16cmn、20cm口径の複数個使用も考えられるが、
フルレンジユニットの分割振動領域を考えると、
複数個使用においては、小口径フルレンジの優位性が際立ってくるのではないだろうか。

Date: 12月 4th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(その10)

こんなことは、50年ほど前のステレオサウンドに載っている。
1969年秋に出た12号、
この号はカートリッジ40機種のブラインドフォールドテストを行っている。
その半年前の10号ではスピーカーシステムのブラインドフォールドテストも行っている。

瀬川先生が「テストを終えて」にこう書かれている。
     *
 実際の話、10号のスピーカー、今回のカートリッジと二回のブラインド・テストを経験してみてわたくし自身は、目かくしテストそのものに、疑いを抱かざるをえなくなった(本誌のメンバーも同意見とのことだ)。目かくしテストは、一対比較のようなときには、先入観をとり除くによいかもしれないが、何十個というそれぞれに個性を持った商品を評価するには、決して最良の手段とはいい難い。むろん音を聴くことがオーディオパーツの目的である以上、音が悪くては話にならないが、逆に音さえ良ければそれでよいというわけのものでは決してありえなくてカートリッジに限っていってもいくら採点の点数が良かろうが、実際の製品を手にとってみれば、まかりまちがってもこんなツラがまえのカートリッジに、自分の大事なディスクを引掻いてもらいたくない、と思う製品が必ずあるもので、そういうところがオーディオ道楽の大切なところなのだ。少なくとも、ひとつの「もの」は、形や色や大きさや重さや、手ざわりや匂いや音すべてを内包して存在し、人間はそのすべてを一瞬に感知して「もの」の良否を判断しているので、その一面の特性だけを切離して評価すべきものでは決してありえない。あらゆる特性を総合的に感知できるのが人間の能力なので、それがなければ測定器と同じだろう。そういう総合能力を最高に発揮できるもののひとつがオーディオという道楽にほかならない。
     *
まったくそのとおりであって、特につけ加えることもない。
総合的に感知できない人にとっては、ブラインドフォールドテストのみが……、ということでしかない。

オーディオ機器という「モノ」を判断できない人がオーディオマニアであるわけがない。

Date: 12月 4th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(その9)

世の中には、ブラインドフォールドテストだけが信用できる試聴方だと、
バカのひとつ憶えのようにくり返す人たちがいる。

ブラインドフォールドテストは、有効な試聴方法のひとつであることは確かだが、
それはすべての試聴において有効なわけではなく、限られた条件での試聴で有効であり、
むしろそうでないことの方が多い試聴方法であり、
試聴テストを行う側の力量は、つねに試聴者の力量を上回っていなければ、
とんでもない結果が出る可能性もある。

それに音だけの判断で、ブラインドフォールドテストのみが……、といっている人たちは、
オーディオ機器を選ぶのだろうか。

音さえよければ、あとはどうでもよい。
そういうオーディオ機器の選び方をする人は、たしかにいる。
さらに安ければ、もっといい、ということになる。

見るからに安っぽい外観、
有名なオーディオ機器をパクった外観、
感触のひどいスイッチやボリュウム、
とにかく使う喜びをまったく感じさせないモノであっても、
ブラインドフォールドテストでいい音に聞こえたなら、
それがイチバンいいに決っている……、
そう思える人たちはそれでいいし、
そう思って、そういうモノをなんの抵抗もなく使える人は、
オーディオマニアではない、といいきれる。

オーディオは男の趣味であるから、徹底して、オーディオ機器というモノにこだわる。
自分の感覚すべてを満足させてくれるモノ(きわめて少ないけれど)、
そういうモノを目指してこそのオーディオという趣味である。

ただ音さえよければ(その音の判断そのものもきわめてあやしいが)、
それでいい──、それは趣味でもなんでもない。
どんなにいい音で聴きたい、と本人が思っていようと、
その彼はオーディオマニアでもなんでもない。

Date: 12月 3rd, 2017
Cate: 1年の終りに……

2017年をふりかえって(その2)

今年をふりかえってのことでいえば、やはり「THE DIALOGUE」である。
菅野先生録音の「THE DIALOGUE」を、ひさしぶりに聴いた(鳴らした)。

「THE DIALOGUE」はステレオサウンドにも、試聴レコードとして何度も登場していた。
瀬川先生が熊本のオーディオ店に招かれて来られた時も、
菅野先生が一度だけこられたときも、「THE DIALOGUE」は鳴っていた。

私にとっての「THE DIALOGUE」は、JBLの4343とともにあった、といえる。
4343で聴いた「THE DIALOGUE」の音が、いまも基準となっているところが残っている。

それがいまも心象として刻まれているから。

今年「THE DIALOGUE」を、喫茶茶会記でのaudio wednesdayで何度鳴らしたことだろう。
それこそ耳にタコができるくらいに聴いている。

それでも、聴くたびにスリリングである。
前回よりも今回がよりスリリングであるように、
今回よりも次はもっとスリリングに鳴るようにこころがけている。

この試みは、今年だけではなく来年もしつこくやるつもりだ。

Date: 12月 3rd, 2017
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(その10)

ステレオサウンド 12号(1969年秋号)の新製品紹介欄に、
STEREOLA DPS100は登場している。山中先生が担当されている。
     *
 とにかくこれまで接してきた各種のスピーカーシステムとはまったく異なる次元にあるシステムであることは確かで、しかもその再生音のもつ一種独特の強烈な魅力は忘れることのできないものであった。この音はちょっと表現しにくいのだがおなじみのこのユニットを使った小型システムとはまったく異なるやわらかでふくよかな品位の高い響きは中心部から放射状に部屋全体をくるうように拡がり、これまでのステレオサウンドとは、はっきり区別されるものだ。いわゆるシャープでリアルな音ではなく、まろやかにかもしだされたような音はレコードマニヤにとっては麻薬的な引力をもっているとでも言えばよいのだろうか、だいぶオーバーな表現となったがともかくグラモフォンマニヤには一聴をすすめたいスピーカーシステムである。
     *
聴いたことのない、おそらくこれから先も聴く機会はないであろうSTEREOLA DPS100。
どんな音なのかというのは、山中先生の書かれたもの、
61号特集での鼎談を読んでも、はっきりとはつかみにくいことこそが、
このスピーカーの特徴といえるのだろう。

STEREOLA DPS100のDPSは、
Delayed Phase Stereophonic の略である。

BOSEの901も、Delayed Phase Stereophonicといえるスピーカーである。

Date: 12月 3rd, 2017
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(その9)

STEREOLA DPS100を聴く機会はないな、とあきらめていた。
一年後の冬(1981年12月)、ステレオサウンド 61号の特集に、
なんとSTEREOLA DPS100が登場している。

サウンドボーイの記事にジョーダン・ワッツが刺戟されて……、ということは考えにくいが、
輸入元の今井商事に、問合せがあったのだろうか。
それに応えての復刻だったのかもしれない。

復刻版のSTEREOLA DPS100は、スピーカーシステムとしての販売ではなかった。
エンクロージュア(ネットワーク込み)とModule Unitは別売であった。

なのですでにModule Unitを鳴らしている人は、
ユニットを追加購入し、STEREOLA DPS100を買えばシステムとして完成する。
トータル価格は、366,000円だった。
ちなみにエンクロージュアは国産である。

復刻されたとはいえ、どさだけ売れたのだろうか。
復刻版も実物を見たことはない。

61号の特集では、菅野先生が語られている。
     *
菅野 たしかに、非常によくできたミュージックボックスというイメージがありますね。先ほど岡先生がパラゴン的とおっしゃいましたが、また別の見方をしますと、使っているユニットの口径といい、ボーズの901的なところもありますね。あちらは9発使っていて、こちらは1個不足していて8発です。それせステレオですから、半分以下ということだけど、何となくパラゴン・ボーズという感じがします。いうなれば、ミニ・パラゴン・ボーズですね(笑い)。
 それは冗談としても、とにかくこの音というのは完全に自分の世界を持っていますね。とにかく出た音というのはすごく気持がいいです。レンジがどうのこうのという聴き方は全くナンセンスです。もちろん、ここから出てこない音とか、違って出てきてしまう音もあるんですが、とにかく聴いていてすごく気持がいい。本当にレコード音楽に真摯に取っ組んでというのなら別ですけれども、家庭の中に非常に趣味のいい音楽を流しておくというような目的には実にぴったりですね。
     *
やはりボーズ的という表現が出ている。
BOSEの901を、Module Unitで作ったら──、
そんな妄想をしたことのある人は私だけではない、と思う。

Date: 12月 3rd, 2017
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(その8)

10cm口径のフルレンジユニットで、私が中学生のころ憧れていたのは、
ジョーダン・ワッツのModule Unitだった。

アルミ合金製の振動板、ベリリウム銅カンチレバーによるサスペンション機構、
そんな謳い文句もだけど、見た目が日本の同口径のユニットとはまったく違っていた。

繊細な音がしてきそうな印象の、小口径ユニットだった。

Moduleと型番につくことわかるように、複数個使用を前提としたユニット、
そんなふうな説明を、当時のオーディオ雑誌で読んだ。

けれどジョーダン・ワッツのスピーカーシステムは、1970年代後半、
Jumbo、Jumo、GT、Fragon、Qubique、Jupiter TLSなどがあったが、
Modele Unitを複数個(二発)使用しているのは、Jupiter TLSのみだった。

Fragonはよく知られていたし、オーディオ店で見たことはある。
けれどJupiter TLSの実物を見たのは、十数年前、それも中古で、である。

複数個用いてのModule Unitの音、それに使用例は……、と思っていたところに、
STEREOLA DPS100の製作記事が、サウンドボーイ(1980年10月号)に載った。

初めて聴く型番のスピーカーだった。
ステレオサウンド 12号で紹介されていた、と記事中にあった。
しかも輸入元の今井商事によれば、日本に正式に輸入されたのは一台だけ、とのこと。
知らなくて当然である。

STEREOLA DPS100は、左右一体型のスピーカーで、
両チャンネルあわせて八本のModule Unitを使っている。

Module Unitは、1977年は一本17,000円だった。
1980年にMKIIIになり、耐入力が12Wから20Wへ、ピーク入力は40Wへと高くなっている。
価格も21,000円となった。

サウンドボーイの記事を見て、自分で作ろうとすればユニット代だけで、
21,000円×8で168,000円。

当時高校生だった私には、それだげで無理だった。

Date: 12月 3rd, 2017
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(その7)

BOSEの901というスピーカーは、私にとっては、
どこか心の隅にひっかかっている存在である。

欲しい、とまで強烈におもうことはなかったけれど、
いいスピーカーだな、とおもうことは度々あった。

それはきまって井上先生が鳴らされた901の音である。

それ以前も、一度901の音は聴いてはいた。
鳴っているのを聴いた──、ぐらいのものでしかなかった。

おもしろいスピーカーなのかもしれないけど……、その程度の感触しかなかった。
けれど井上先生が、ステレオサウンドの試聴室で鳴らされる901の音は、違った。

この音を聞いているかいないかは、
901という独得のスピーカーの存在を肯定するかどうか、と同じことだ、といいたくなるくらいに、
私の中では901の音は、井上先生が鳴らされた音である。

901に搭載されているユニットは10cm口径のフルレンジである。
それを前面に一発、後面に八発配置している。

901は、私がオーディオに興味をもったときにはすでにあった。
その構成ゆえ、日本では、カワリモノ的スピーカーという括りでもあった。

そういう見方をしうない人でも、
日本のそのころの住宅環境では鳴らしにくいタイプという認識であった。

それでも、なんとなくおもしろいスピーカーだな、と思いながらも、
ユニットが、こんなモノでなくて、
例えば同軸型だったら……、
具体的にいえば、タンノイのHPD295Aがついていたら……、とおもっていた。

小口径フルレンジの良さをわかっていなかったから、である。