Archive for 11月, 2017

Date: 11月 25th, 2017
Cate:

賞からの離脱(自転車雑誌でも……)

初めて自転車雑誌を手にしたのは1994年。
サイクルスポーツバイシクルクラブだった。

当時は両方とも毎号買っていた。
何年か経ってから、バイシクルクラブは、書店で手にとって面白いと感じた号だけを買うようになった。
サイクルスポーツは毎号買っていた。

いまはサイクルスポーツを、面白いと感じた号だけを買っている。
バイシクルクラブを買うことはなくなった。

いま書店には2018年1月号が並んでいる。
バイシクルクラブの特集は、「もうお尻は痛くない!」で、
表紙にも、黄色の文字で大きく載っている。

その上に、「日本バイシクル・オブ・ザ・イヤー2018」とある。
中を見なくとも、タイトルだけでわかる。

自転車雑誌も、ついに賞を始めたのか、と思った。
私が買いはじめた20数年前からすると、自転車はブームといえるほどになっている。
東京にいると、ロードバイクを見かけない日はないくらいである。

自転車店も増えている。
自転車関係の本も増えている。

海外メーカーの新製品発表会の様子が、
自転車雑誌のウェブサイトでも公開されているのを見ると、
20数年前では考えられなかったほどの活況である。

それでも、いままで自転車雑誌は、賞をやってこなかった。
それをバイシクルクラブが、今回初めてやっている。

今回は第二特集としての扱いである。
それでも今後はどうなっていくのか。
毎年恒例となるのか。
ページ数も増えて、第一特集となっていくのか。

サイクルスポーツは、どう出るのか(追従しないでほしい)。
そんなことを考えながらも、
なぜ、いま賞なのか? と思う。

Date: 11月 25th, 2017
Cate: audio wednesday

第83回audio wednesdayのお知らせ(誰かに聴かせたい、誰かと聴きたいディスク)

12月6日のaudio wednesdayに持っていく予定のディスク。

オッターヴィオ・ダントーネ指揮アカデミア・ビザンティーナによるバッハの「フーガの技法」。

「フーガの技法」は、ふと、誰かの新しい演奏を聴きたくなる。
そういうときにタイミングよく出合えたCDが、この「フーガの技法」。

オルガンによる「フーガの技法」もいいし、ピアノによる「フーガの技法」もいい。
室内楽による「フーガの技法」もいい。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 11月 24th, 2017
Cate: バスレフ(bass reflex)

バスレフ考(その9)

バスレフポートの位置で、どれだけ音が変るのかで、
市販スピーカーを見渡してみると、アルテックの620がある。

604-8Gを搭載したモデルが620A、
ホーンがマンタレー型になり、
フェイズプラグもタンジェリン型になった604-8Hを搭載したのが620Bである。

エンクロージュアの外形寸法は同じ。
厳密に言えば、カタログ発表値は、
620Aは620Bよりも高さが4mm、奥行きが3mmの違いがある。
補強棧がどうなっているのかは、エンクロージュア内部をみたことがないのでなんともいえない。

620Aと620Bのエンクロージュアの外観的な違いは、バスレフポートの向きにある。
どちらも細長い四角の開口部のポートであっても、
620Aは横長なのに対し、620Bでは縦長に配置されている。

620Aではフロントバッフルの中央より少し下の位置にある。
左右どちらかにオフセットしていることはない。
620Bでは片側にオフセットしていて、フロントバッフルの下部に位置している。

620Aと620Bではユニットが違い、それに伴いネットワークも違う。
厳密な比較は、だからできないのはわかっていても、
このバスレフポートの向きと位置の違いは、620Aと620Bの音の違いに少なからず関係しているはずだ。

バスレフポートの近接周波数特性を測定してみれば、違いは出てくる。

620Aと620Bのバスレフポートの向きと位置の違いは、意図的なことなのだろうか。
604-8Hになり、レベルコントロールが2ウェイに関らず中・高域が独立して調整できるようになり、
そのためコントロールパネルが604-8Gのころにくらべて、
ツマミがふたつになり縦に長くなっている。

620Aのバスレフポートのままで、その下に604-8Hのコントロールパネルは取付はできる。
けれど見た目を想像してほしい。
なんともまとまりの悪いアピアランスになってしまう。

Date: 11月 24th, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その20)

スペンドールのBCIIIは、聴いていない。
聴いていないが、岡先生、瀬川先生の文章をくり返し読むことでイメージとしては、
生真面目なスピーカーであることは間違いない、といえる。

その生真面目なBCIIIから、条件がきわめて限定されるとはいえ、
「狂気の如く」、「狂気の再現」といえる音が鳴ってくるのか。

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’80」で、
瀬川先生がBCIIとBCIIIについて語られている。
     *
瀬川 ぼくはこのふたつのスピーカーは、兄弟でもずいぶん性格がちがっていると思っているんですよ。たとえていえば、BCIIIは長男で、BCIIは次男なんだな(笑い)。BCIIは、次男坊だけにどちらかというとヤンチャで悪戯っ子だけれど、ただいい家庭の子だからチャーミングな音をそなえている。
 一方、BCIIIのほうは、いかにも長男らしくきちんとしていて、真面目で、ただやや神経質なところがある。つまり生真面目な音なんですよ(笑い)。
 ですから、BCIIIの場合、それをどれだけときほぐして鳴らすか、というのが鳴らし方のひとつのコツだろうと思うわけです。ただし、それを十全にやろうとすると、この予算ではムリなのです。つまり、もっと豊かな音が鳴らせる高価なアンプが必要になります。BCIIIは、このスピーカーがもっている能力をはるかに上まわるアンプで鳴らしてやったほうが、その真価がより一層はっきりとでてくるんですね。
     *
ここにも「生真面目」が出てくる。
これがBCIIIの本質なのだろう。

その生真面目な性格を、瀬川先生はときほぐして鳴らす方向が、ひとつのコツだとされている。
たしかにそうなのだろう。

「コンポーネントステレオの世界 ’80」では予算100万円の組合せで、
BCIIIを選ばれ、アンプはQUADの44+405である。

音の肉づきということでは、44+405は線の細さを強調する方向にいくため、
カートリッジにエラックのSTS455Eを選ばれている。
その上で、肉づきのいい方向にもっていくため、BCIIIの置き方と、
44に付属するティルトコントロールをうまく組み合わせながらの調整をされている。

中野英男氏のトリオのKA7300DとEMTの927Dstによる組合せは、
ときほぐす方向とはベクトルが違うはずであり、それゆえにBCIIIから別の魅力、
他では聴けない特質を抽き出した、とはいえるのかもしれない。

Date: 11月 24th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(JBL SE408S・その16)

あらゆることのくり返しを、前野時代のことを知らない人は、新しいことだと思ってしまう。
オーディオに限っても、そうだ。

以前に話題になったことがしばらくすると当り前になりすぎてか忘れられていくようだ。
ある程度の年月が経ったころに、
同じことを、さも新技術のように謳うメーカーがあらわれると、
少なからぬ人が、それを新しい技術だと受け止めてしまう。

オーディオ評論家の中にも、残念ながらそういう人は見受けられる。

自分の目でしっかりと製品を見ていれば、そういうことにはならないのに……。
結局、そんな勘違いをしてしまう人は、メーカー、輸入元の発表資料だけが頼りなのだろう。

文字で示されることには目が行くけれど、
文字で示されていないところには目が向かない。
そういう人は、オーディオの系譜を語ることができない。

オーディオの系譜を語れない人が増えてきている。
それでオーディオ評論家といえるだろうか。

Date: 11月 23rd, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアの覚悟(その6)

なにかのきっかけがあってなのか、ふと以前観た映画のシーンを部分的に思い出すことがある。
つい数日前も、そうだった。

思い出したのは(というよりも突然頭に浮んできたのは)、
「カールじいさんの空飛ぶ家」(原題:Up)である。
2009年の映画だ。

邦題は、アニメーション映画ということもあってのものか。
映画を観終れば、原題がUpであることが理解できる。

亡き妻との思い出がつまった家を風船で浮上させて旅に出る。
荒唐無稽な話と思われるだろうが、家ごとだから主人公のカールじいさんは旅に出る。

まだ観ていない人もいるだろうから、ストーリーについては触れないが、
クライマックス、ふたたび家ごと浮上するシーンがある。

グッと胸に来るものがある。
まさしく「Up」である。そこには別れもある。

数週間前からぼんやり考えているのは、
オーディオマニアの私にとっての「武器」はなんだろうか。
古い武器、新しい武器……。

新しい武器を手にするには、古い武器を捨て去ることが必要となるのなら、
その見極めが……。

そんなことを考えながら、映画「Up」がリンクしていくのでは、と感じている。

Date: 11月 23rd, 2017
Cate: 戻っていく感覚

好きな音、好きだった音(その3)

あのころのイギリスのソフトドーム型ユニットをもつイギリスのスピーカーは、
音量をあげた際には、弱かった。
悲鳴をあげる──、とまでは少し大袈裟でも、それに近い弱さをもっていたからこそ、
音量に気をつけて鳴らした時の、うるおいのある音、力みを感じさせない音は、
私にとってほんとうに魅力的であった。

そして、それゆえに女性的と感じていたのだろう。

逆の見方をすれば、そういうスピーカーは、ほんとうの力の提示ができない、
もしくは苦手なスピーカーということもできる。

けれど、力の提示に優れているスピーカーの多くは、
どこかに力みが残っているような鳴り方をする。

それは結局のところ、こちらの鳴らし方次第なのだとはいうことに気づくのに、
私の場合、そこそこの時間がかかった。
40をこえてから、そのことに気づいた。

力をもっているスピーカーから、力みをなくしたときに、
そのスピーカーの力量がようやく発揮される。
力みが消え去っているからこそ、力の提示が可能になる。

大音量再生において、もっとも大事なことも、これである。
力みのある音、力みをどこかに残している音での大音量再生には、
真の大音量再生の快感はない。

Date: 11月 22nd, 2017
Cate: 戻っていく感覚

好きな音、好きだった音(その2)

オーディオマニアにはモノマニアの側面がある。
モノマニアとしてみたときに、イギリスのBBCモニター系列のスピーカーには、
ある種のものたりなさを感じてしまう。

JBLのユニットは、モノマニアを満足させてしまう。
そういうところはBBCモニターに使われているユニットには、まったくない。

あと少し本格的なユニットをだったら……、と思うことはしばしばあった。
本格的なユニットがつけば、その分コストにかかってくる。
ユーザーに負担をかけることにもなる。

これで充分だろう、という作り手側の主張なのかもしれない。
そう頭でわかっていても、モノマニアの心情はそうはいかない。

イギリスでもタンノイ、ヴァイタヴォックスのユニットは、本格的なつくりだった。
フェライトになってからのタンノイはそうではなくなったが、
ヴァイタヴォックスのウーファー、ドライバーは、それだけ見ても魅力的だった。

それでも音を聴くと惹かれるのは、
モノマニアとしてものたりなさを感じてしまうスピーカーばかりといってもよかった。

うるおいがあったから、と(その1)で書いた。
たしかにそうである。
ずっとそうだと思い込んでいた。

間違っていたわけではない。
けれど40をこえたころからだったか、
それだけで惹かれていたわけでもないことに気づきはじめた。

私が惹かれたスピーカーの音には、力みがなかったからだった。

Date: 11月 22nd, 2017
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の才能と資質(その5)

坂東清三氏が書かれている。
(坂清也の名で、主にステレオサウンドの音楽欄に登場されていた)
     *
 瀬川さんを評して、〈使いこなしの名手〉という言葉がある。たぶん岡俊雄さんの評言ではなかったかと思うけれど、たしかに一緒に仕事をしたりしていると、その〈名手〉ぶりには瞠目させられることしばしばだった。ほんの3センチか5センチ、スピーカーの高さを変える、あるいは間隔を、角度を変える。アンプのTREBLEなりBASSのツマミを、ひと目盛り変える。といったことを、何時間もかけて丹念にやっているうちに、とつぜん素晴らしい音で鳴り出す。こういった〈使いこなし〉にかけては、瀬川さんの右にでるひとはいない、といってもいいだろう。
 その〈名手〉ぶりを仕事で目の当りにみせつけられたある夜更け、例によって酒場のカウンターでからんでいた。瀬川さん、理想のオーディオ装置って、ポンと置いたら、そのままでいい音が鳴るものじゃないのかなあ──。理想をいえばそうなのかもしれないけど、そんな装置、出来っこないよ、と穏やかに答える。じゃあさ、そういう装置にできるだけ近づくべきだというのが、瀬川さんの仕事じゃあないのかなあ、と暴論を吐いたら、なんどもブゼンとした表情だけが返ってきたのだった。その表情には、オーディオ趣味の真髄がちっとも分かってないなあ、という気配が多分にあったことはまちがいない。
     *
坂東清三氏がいわんとされていることは、そのとおりだ、と思う。
ポンと置いて、きちんと鳴るオーディオ機器があれば──、と思ったことはある。
でも、それはオーディオと呼べるだろうか、と考える。

坂東清三氏は、続けて書かれているが、いい音で聴きたい気持は強くても、
それはひとりの音楽愛好家としてのものであって、オーディオマニアのそれとは少し違うともいえる。

オーディオ評論家に求められる才能とは、
音を聴き分ける能力、音を言葉で表現する能力──、
これらも必要ではあるのはわかっているが、
それ以上に、そしてそれ以前に必要な才能とは、
スピーカーをうまく鳴らすことである才能である、と(その1)で書いた。

そうだろうかと思う人もいた。
うまくスピーカーを鳴らせなくとも、
耳がよくて、言葉で表現し伝える能力があれば、オーディオ評論の仕事はできるはず──、
果してそうだろうか。

それではオーディオ評論家ではなく、サウンド批評家である。

Date: 11月 22nd, 2017
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の才能と資質(その4)

理想のオーディオ機器とは、いかなる使い方をしても、
持てる能力を100%発揮できるモノという考えがある。

実際はまるで違う。
高い可能性、実力をもっているオーディオ機器であればあるほど、
使い方は難しくなる。

こんなことで音が変るのか、と思わず口走りたくなるほど、
ささいなことで音は変っていく。
しかも、使いこなしがしっかりしていればいるほど、
ささいなことに敏感に反応してくれる。

どんなに優秀なオーディオ機器であっても、
いいかげんな使い方をしていれば、そのことによるマスキングによって、
そういったささいなことによる音の変化は、なかなか聴き取り難くなる。
だが、それでも音は変化している。

音は振動の影響をつねに受けている。
電子機器であるアンプであっても、振動は音に影響している。

このことがアンプのコンストラクションを変えてきた。
いまでは金属ブロックからの削り出しの筐体のアンプも、珍しくはない。
振動対策を謳っているアンプも少なくない。

それでも、いいかげんなところにポンと置いただけでは、けっしてうまく鳴らない。

結局、ポンと置いてポンと接ぐだけで、いい音がしてくるオーディオ機器は登場しそうにない。
これから先も登場しそう(実現しそう)にない。

ほぼ同じことが、サプリーム 144号にも載っている。

Date: 11月 22nd, 2017
Cate: 「ルードウィヒ・B」

「ルードウィヒ・B」(その10)

先週末、Aさんのお宅に集まっての飲み会だった。
15時半ごろから私は参加して、その後場所をうつして、23時ごろまで、
オーディオ好きの人たちと飲んでいた。

一応名目は試聴会だったようだが、音を聴いている時間よりも話しているほうが長い。
いろんな話が出たわけだが、Aさんが、
「最初に見た女性の裸は?」とみんなにきいてきた。

彼は子供のころドイツに住んでいたので、
ドイツ人の友だちが持ってきたスキンマグに載っていた写真だった、とのこと。

いわれてみると、私の場合は……、と思い巡らしていたところ、
Kさんが「永井豪のマンガだった」といわれた。

そうだ、そうだ、と思い出した。
私は、手塚治虫のマンガだった。

永井豪のマンガは、私も読んでいた。
デビルマンや魔王ダンテなどを、小学生のころは読んでいた。

そこにも女性の裸は登場する。
手塚治虫のマンガにも登場する。

そのころの少年マンガに登場する女性の裸は、
いまの緻密な描写のマンガのように、こまかなところまで描かれていたわけではない。
たいてい乳首は省略されていた。

そんなふうに描かれていた当時の女性の裸と、
海外のスキンマグに載っている女性の裸の写真とでは、
小学生のころに受ける印象は、そうとうに違うことは想像できても、
実際にはどのくらい、どんなふうに違ってくるのか──。

そのあたりについて考えていくのはおもしろそうだが、
私の場合、こういうところでも手塚治虫の影響を受けていたのかと、
改めて感じていた。

Date: 11月 21st, 2017
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Casa BRUTUSを買った理由)

音のいい部屋。A ROOM WITH SOUND」を書店に手にとられた方はいると思う。
そのうちどれだけの人が購入したのかはわからない。

この程度の内容なのか……、と思った人もいるはずだし、
意外とおもしろいじゃないか、と思った人もいるだろう。

もう少し……、と思うところは多々あるが、それでも買ったのは、
今後に期待したいからである。

つまり応援したい気持があるから買ったし、
ここでも紹介したわけである。

売れなければ、次は出ない可能性が高くなる。
売れれば、次が出る可能性が高くなる。

次が出る可能性だけでなく、もっとおもしろい、充実した内容になる可能性もある。
つまらなくなる可能性も、もちろんあるわけだが、
そうなったとしたら、その時買わなければいい。

なんらかの良さを感じて、さらに期待したいのであれば、
買うのが、いちばんの意思表示である。

Date: 11月 20th, 2017
Cate: audio wednesday

第83回audio wednesdayのお知らせ(誰かに聴かせたい、誰かと聴きたいディスク)

日立金属からファインメットコアが登場したのは、いつだったか、
正確に思い出せないほどに頻繁に目にするようになっているし、
柱状トランスもいまではファインメットコアのモノに置き換えられている。

オーディオ用のトランスも、ファインメットコア使用というのがかなりある。
個人的には、コアの新素材には注意深くありたい。

1980年代に、アモルファスコアが流行った。
オーディオメーカーから、アモルファスコア使用のMC型カートリッジの昇圧トランスが出た。

その大半を、ステレオサウンドの試聴室で聴いているが、
欲しい、と思ったトランスはひとつもなかった。

トランスの音は、コアだけで決るものではないのはわかっていても、
新素材のもつ性能には、やはり期待するところがあるし、
それが裏切られた(とはすこし言い過ぎか)ときは、
一転、新素材に対しての不信感となっていく。

だからファインメットコアにも、不信感がないわけではない。
とはいえ使っていないので、音については語れない。

それでもファインメットコアに、まったく興味がないわけではない。
コモンモードノイズフィルターのコアとして使いたい(試してみたい)とは、
以前から思っていた。

けれどなかなか小売りされることはなかった。
数年前から、手頃な大きさのモノが小売りされても、
限定入荷のことが多く、気づいた時はいつも売切れていた。
(そんなにこまめにチェックしていたわけでもなかった)

先日、ふと検索してみたら、ちょうど入荷したばかりだったようで、購入できた。
今回は、このファインメットコアを使った、電源まわりの実験をやる予定だ。
といっても、これが今回のメインテーマというわけではない。

12月、今年最後のaudio wednesdayなので、
今年聴いた(買った)ディスクを何か一枚持ってきていただきたい。
新譜でなくともかまわない。旧譜でも、今年買った、というディスクは誰にでもある。

自分で聴きたい、というよりも、
誰かに聴かせたい、誰かと一緒に聴きたいと思ったディスクを鳴らす。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 11月 20th, 2017
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その37)

つきあいの長い音は、つきあいの長い音楽が生む心象があってこそ。

Date: 11月 20th, 2017
Cate: 新製品

新製品(ソニーのマイクロフォン)

先日開催されたInter BEEで、
ソニーが26年ぶりにマイクロフォンを発表したことがニュースになっている。

ソニーは1977年の広告に、こう謳っていた。
     *
「オーディオの原器。」
考えてみてください。
レコード、テープ、放送……どのオーディオをとってみても、
オーディオの出発点にマイクロホンが存在することを。
     *
ソニーはコンシューマー用とプロフェッショナル用を手がけていた。
今回のマイクロフォンの新製品はプロフェッショナル用である。

文字通りの「オーディオの出発点」といえよう。

今回のマイクロフォンの開発に携わった人たちが、
1977年の広告を知っているのかどうかはわからない。
マイクロフォンを「オーディオの出発点」と考えているのかどうかもわからない。

1977年ごろのソニーと現在のソニーは同じなのか、違うのか。
そのことについてはあえて触れないが、
今回のマイクロフォンの新製品を、
ソニー・オーディオの、これからの出発点としてほしい。