私がステレオサウンドで働いていたとき、
細谷信二、傅信幸、小林貢、朝沼予史宏の四氏に対しては、さん付けで呼んでいた。
細谷さん、傅さん、小林さん、朝沼さんの場合は本名の沼田さん、と呼んでいた。
なぜなのか、といまごろ考えている。
この方たちとは約12ほど年が違う。
このときこの方たちは30代だった。
若手のオーディオ評論家と呼ばれていた。
若手だからという理由だけで、先生ではなく、さん付けで呼んでいたとは思わない。
私はデザイナーの川崎和男氏を、川崎先生と呼んでいる。
川崎先生は1949年生れだから、14歳違う。
川崎先生と、細谷さん、傅さん、小林さん、朝沼さんは同世代といえる。
傅さんは1951年、細谷さんは1949年生れだったと記憶している。
年齢的なことで先生と呼ばなかったわけではない。
では、なぜなのか。
2008年からブログを書きながら、つねに思っていたことだった。
デザイナーでありオーディオマニアである田中一光氏を先生と呼べなかった理由と、
デザイナーでありオーディオマニアである川崎和男氏を川崎先生と呼ぶ理由となんなのか。
田中一光氏と川崎先生における違い、
川崎先生と同世代のオーディオ評論家と川崎先生における違い、
このふたつの違いは、まったく別の性格の違いなのか、それとも同じ、もしくは近いといえる違いなのか。
いまははっきりと答が出ている。
人は人から学ぶ。
そうやって学んだことを自分のあとに続く世代・人たちにつたえられるか。
結局は、そういうことである。
私は先生と呼んでいる人たちから少なからぬことを、大切なことを学んできた。
いまも学んでいる、といえる。
そうやって学んできたもの・ことのすべてを、ということは無理にしても、
いくつかは私のあとに続いてくれる人たちに伝えていきたいし、伝えていくことはできる。
五味先生の文章から学んできたことを、
そしていまも読み返して学んでいることを、私は誰かにきっと伝えていく、
私から学んでいけるだけのもの・ことは提供していこうと心掛けている。
五味先生だけではない、瀬川先生、岩崎先生、
他にも私が先生と呼んでいる人たちから学んできたもの・ことを、
自分だけのものに留めておかずに、出し惜しみなどせずに伝えていく。
つまり、私が先生と特定の人たちをそう呼ぶのは、
そのことをやっていく(できる)という自負の表明なのだ。
私が田中一光氏、吉田秀和氏、手塚治虫氏を先生と呼ばない(呼べない)理由は、ここにある。
影響を受け、学んできた、といえる。
けれど、オーディオのことのように、そのことをうまく伝えていける自信のなさが、
先生と呼べないことにつながっている。