Archive for 10月, 2014

Date: 10月 13th, 2014
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その20)

たとえば100畳のスペースが与えられたとしよう。
オーディオ機器も好きなモノ、使いたいモノを選び放題、という夢の話があったとして、
100畳のスペースをどう使うか。

100畳の床面積の部屋をつくるのか、
それとも100畳をいくつかに分割して、50畳の部屋をふたつつくるか、
それとも50畳の部屋と25畳の部屋をふたつ、計三つの部屋にするのか、
もっと分割して大中小、さまざまな大きさの部屋をつくるのか。

そしてそこにスピーカーシステムをどう配置するのか。

100畳の部屋に一組のスピーカーシステムだけ、もある。
100畳の部屋に複数のスピーカーシステムというのもある。
分割した部屋にそれぞれ一組のスピーカーシステム、
分割した部屋にそれぞれ複数のスピーカーシステム、ということだって考えられる。

同じ空間に複数のスピーカーシステムを入れれば、
鳴らしていないスピーカーシステムが、鳴っている音に影響する。
これはどうやっても抑えられない。
だからひとつの部屋には一組のスピーカーシステム、という人がいる。

20代のころの私は、そうだった。
一組のスピーカーシステムだけを置く。
複数のスピーカーシステムを使いたければ、スピーカーの数だけの部屋を用意するか、
そんなことはほんとうに大変だから、
あくまでもサブスピーカー(セカンドスピーカー)としてメインスピーカーの邪魔にならないような、
そんなサイズの小さなスピーカーにする──、そういう考え方だった。

けれど、いまは変ってきた。
スピーカーシステムを役者としてとらえるようになってきたからだ。

Date: 10月 13th, 2014
Cate: 映画

オーケストラ!(Le Concert)

通俗名曲と言葉があって、
どの曲を思い浮べるかは、人によって多少の違いはある。

私が通俗名曲としてすぐに思い浮べるのは、惑星、新世界、幻想などがあり(他にもけっこうある)、
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲もそうだ。

五味先生の書かれたものを読んで、ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲、
後期のピアノソナタをいきなり聴いても、なにかすごい、ということだけは感じても、
一曲聴き通すだけでもしんどいことだったし、よさがわかっていたわけではない。

だからといって、そのころにこれらの曲を聴く必要がない、というわけではなく、
一度は聴いておくべきだと思う。

そんなベートーヴェンの後期の曲にくらべれば、通俗名曲と呼ばれるものは耳に馴染みやすいメロディがある。
難解な曲とは感じられない。よさが感じられやすい。

でも、頭のどこかに通俗名曲ということがひっかかっている。
そのためか、聴かなくなるようになっていった。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、どこかで耳にすることはあっても、
自分のシステムでかけることはなくなってしまっていた。

2009年に公開された「オーケストラ!(Le Concert)」という映画がある。フランスの映画だ。
この映画のクライマックスはチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の演奏シーンである。

いい映画だと思う。2010年の公開時に映画館で観た。今日、二回目の鑑賞。
二回目だから、ストーリーはすでにわかっている。
それでも演奏シーンには感じるものがあった。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のよさに、気づいた。
若いころに感じていたよさももあるし、そのころは感じえなかったよさもあった。

それは映画のストーリーもいくぶん影響してのことだとはわかっていても、
それでもいいではないか、といまは思える。

Date: 10月 13th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その12)

きもちを思い出すとともに、もうひとつ思っていたことがある。

義を見てせざるは勇なきなり、である。

勇(勇気)は、長い時間持っておく必要はない。
川崎先生の正面に座っていたのだから、
そこから川崎先生のところに歩いていき、挨拶をして、菅野先生との対談をお願いするだけ。
時間にすれば、一分とかからない。三十秒もあればいい。
その短い間だけ勇をもっていればいいだけのことである。

だから、川崎先生の話が終った後、二年前にはおじけづいてしまったことがやれた。
それに私が菅野先生と川崎先生の対談をやろうと思った川崎先生の文章のタイトルは「得手」である。

私の「得手」はオーディオである。
「得手」に川崎先生が書かれている。
     *
すでに郷愁かもしれないが、オーディオは私が得意とする分野だ。
 デジタル時代になって、アナログ再生に深く関与できた青春は終わったと思っていた。しかし、今この得意領域に立ち戻るつもりだ。それは、20年間もの醸造時間をかけてきた祈念ですらあるわけだ。
     *
2000年のE-LIVEでは、川崎先生のところへ行き、名刺交換し話されている人たちを羨ましくも思えた。
この人たちは、デザインの仕事をしているんだろうな……、と。

この時気づかなかったこと、
川崎先生の「得手」も私の「得手」もオーディオである。
オーディオマニアとしての川崎先生に、オーディオマニアとして会いに行けばいいことに、気づいた。

「得手」を、川崎先生はこう結ばれている。
     *
 まだまだ不得手なことがあることに気付いた。しかもそれは得手だった音響についてのデジタル化のデザインがテーマだ。最も得手になる、それもトップクラスの得手になる自分を早く発見したい。
     *
「トップクラスの得手になる自分」──、
だからこそDesign Talkとの出逢いは、私にとって第二章の始まりである。

Date: 10月 12th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その11)

三回目のE-LIVEで、川崎先生の講演が終ってすぐに、川崎先生のところに行った。
この日、最前列の中央の席に座っていた。川崎先生にもっとも近い距離の席である。

2000年のE-LIVEのときもそうだったが、講演終了後、何人かの人が川崎先生のところへ行く。
すごい行列ができるわけではないから、しばらく待っていればいいことなのだが、
待っている間に気持が萎えるか、2000年のときのようにおじけづくのをさけるためにも、その席に座っていた。

名詞を渡した。
名刺といっても、前日にMacとプリンターでつくったもの。
audio sharingの文字を大きくして、
あとはURLとメールアドレスだけの名刺だった。

そして「オーディオ評論家の菅野先生と対談をしていただけないでしょうか」と切り出した。

この時の川崎先生の表情は、いまもはっきりと憶えている。

──こう書くと、これまでの逡巡は何だったか、と思われるかもしれないが、
実を言うと、まったく迷っていなかったわけではない。

この日、川崎先生は「いのち・きもち・かたち」について話された。
これをきいてしりごみしそうになっていた。

けれど、「いのち・きもち・かたち」が背中を押してくれもした。

「いのち・きもち・かたち」。
川崎先生の話をききながら、自分にあてはめていた。

私のいのちはなにか。
答はすぐに出た。オーディオマニアである。
きもちは──。
すぐに出なかった。
かたちは──。
すぐに出た。audio sharingがそうだ、と。

もう一度、きもちは──、と問う。
audio sharingをつくろうとおもいたったときの「きもち」を思い出した。

Date: 10月 12th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その10)

2001年4月。
あるオーディオ店で菅野先生のイベントがあることを知った。
出掛けていった。またPowerBook G3を携えてである。

この時、菅野先生からaudio sharingでの公開の許諾をいただいた。
菅野先生の連絡先は知っていた。
でも電話や手紙ではなく、直接お会いして、こういうことをやっていると伝えたかったから、こうしたわけである。

菅野先生はaudio sharingのトップページを見て「美しいじゃないか」といわれた。
これは嬉しかった。
みっともないトップページではないとわかっていても、それだけでは足りなかったからだ。

川崎先生はデザイナーである。
だから菅野先生の一言が、嬉しかったし自信にもなった。

E-LIVEは2001年も開催された。
だがこのときは川崎先生ではなく、MAC POWERの編集長がゲストだった。

この年の夏に菅野先生の文章を公開した。
あとは川崎先生に会える機会(E-LIVE)を待つだけである。

2002年6月1日、五反田の東京デザインセンターで、三回目となるE-LIVEが開催された。

Date: 10月 12th, 2014
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(音の純度・その3)

イコライザーの使用を熱心に推奨する人はいる。
けれど文章のうえでは同じことを主張しているように思えても、実際は違うことがある。

イコライザーはequalizerである。
意味は等しくするもの、等価器とあり、
equalizeには、等しくする、平等にする、均等にする、一様にする、とあり、
equalは、等しい、相等しい、である。

イコライザーで(ほせい)する、イコライジングすると言ったり書いたりする。
この場合の(ほせい)は補整なのか、補正なのか。

辞書には、補整は足りないところを補い、整えることであり、
補正は足りないところを補い、あやまりを正すこと、
誤差を除いて正しい値を求めること、とある。

補正も補整も、足りないところを補うのは同じである。
ただ補整は、整えることであり、補正はあやまりを正すことだから、
イコライザーによる(ほせい)は、まず補整があり、その上に補正がある、と考える。

補整にしても補正にしても、イコライザーによる(ほせい)は、
使い手が好き勝手な音をつくる、ということではないことだけははっきりしている。

にも関わらず、積極的にイコライザーの使用を推奨する人の中には、
ごく一部だが、補整、補正ということがすっぽりと抜け落ちてしまっている人がいる。

Date: 10月 12th, 2014
Cate: ショウ雑感

2014年ショウ雑感(その10・補足)

ステレオサウンドのオーディオフェアの別冊に「オーディオフェア/会場こぼればなし……」という記事がある。
それによると、施工期間は三日間しかない、とある。

あれだけのブースを三日間で、となると、業者の人たちの雰囲気がやや殺気立っていたのもわかる。
工事関係者は約二千五百人とある。しかも徹夜で行なわれるそうだ。
撤去は一日で行なわれる、とのこと。

各ブースの費用は、何千万円もかかる、とも書いてある。そうだと思う。

晴海の国際見本市会場はもともとは保税倉庫として仮設されたものらしい。
そのためなのか、小さな換気用の天窓以外に窓はなく、
そのためオーディオフェア会期中は天井に500Wの水銀灯が一館あたり約三百個取り付けられている。
会場はL館、R館とあるため、これだけで30万W。
これに各ブースでの、オーディオ機器への給電、照明、クーラーなどの電力を加えると、
60万Wの消費電力になっていたらしい。

Date: 10月 12th, 2014
Cate: ショウ雑感

2014年ショウ雑感(オーディオ・ホームシアター展)

今週末(17、18、19日)、オーディオ・ホームシアター展が開催される。
日本オーディオ協会主催の、オーディオフェアの現在のかたちである。

私を含めて、インターナショナルオーディオショウには行くけれど、
こちら(以前は音展、AVフェスタだった)には行かない、という人は少なくないどころ、多いと思う。

インターナショナルオーディオショウには行った、という話は聞くけれど、
音展、AVフェスタに行った、という話は、十年以上に聞いたことがない。

今回インターナショナルオーディオショウに行き、
ヤマハのプレゼンテーションを見てきたことも、今回行こうと思ったきっかけになっている。
それに今年はテクニクスが復活した。
発売は来年(テクニクス誕生50周年にあたる)からだが、間違いなく展示されているだろうし、
音も聴けるはずだ。

オーディオフェアが盛況だったころと、どう違っていて、同じなのかも感じてきたいと思う。

それからハイエンドオーディオショウも、
同じ日程で近隣の会場で開催される。

Date: 10月 12th, 2014
Cate: VUメーター

VUメーターのこと(その12)

メーターの構造がスピーカーユニットと同じであれば、
メーターの外観は時計と同じに見ることができないだろうか。

時計にもメーターにも針があり、文字盤といえるものを背後にもつ。
時計の形状に四角いものもあれば丸いものもある。メーターも同じである。

大きさも腕時計があり壁掛け時計があるように、メーター大きさも小さなものから、
例えばマッキントッシュのパワーアンプについているような大きなものもある。

内部はスピーカー、外観は時計。
それがメーターなのだ、と10代のころ、そう捉えていた。

これは針が振れるアナログ式のことであるわけだが、
時計にデジタル式が登場したように、メーターにも数字表示のデジタル式が登場した。

どこか時計とメーターは共通するところがあるように、いまも感じている。
そういうふうにみてしまう、ある種のクセみたいになっている。

時計のほうがメーターよりも歴史が長い。
それにしてもメーターの中にはひどいものが多いように感じる。
それに飛び抜けて優れている、といえるメーターもない。

ということはメーターを製造している側には、
メーターに時計と共通するものを感じていない、ということなのか、とも思うし、
メーターと時計に共通性を感じる方がごく少数ということになるのだろうか。

Date: 10月 12th, 2014
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その18)

カートリッジ、トーンシーム関連のアクセサリーのいくつかは自分で試したことがある。
試していないアクセサリーもけっこうある。
いま思うと、使ってみたかったアクセサリーがいくつかある。

アナログディスク再生について考えていると、
昔は気がつかなかったことが気になってくることがある。
そうなると、そういえば……、とアナログディスク全盛時代に登場したアクセサリーのことをふと思い出す。

そうやって思い出したのが、電子制御トーンアームであった。

いまの時代、街に出ると、多くの人がiPhoneに代表されるスマートフォンを持っているのがわかる。
東京にいると街を歩いていても、電車に乗っていても、駅のホームで電車待ちをしているときも、
スマートフォンが目に入らない時間はない、といっていいくらいあふれている。

私もiPhoneを使っている。
このiPhoneの内部にはさまざまな電子部品が使われていて、その中にはセンサーも含まれている。
そのセンサーの種類も、iPhoneが新しくなれば増えていっている。

電子制御トーンアームが登場した1980年ごろの常識からすると、
iPhoneのサイズに、これらのセンサーが収まっているとは考えられないのだが、
それだけセンサーは小型化されている。おそらく精度も高くなっているはずだ。

ならば、これらのセンサーを使えば、
30数年前には考えられなかったレベルでの電子制御が可能になるはすである。
CPUにしても、処理能力は格段に増し、小型化されている。

30数年前にiPhoneと同程度の性能と機能をもつモノを、金に糸目をつけずに実現しようとしたら、
いったいどれだけの大きさになるのだろうか。畳一枚に収まるのだろうか。もっと大きくなるのかもしれない。

それがいまは手のひらにおさまっている。
だから、いま電子制御の夢をみたい。

Date: 10月 12th, 2014
Cate: ジャーナリズム

Mac Peopleの休刊(softwareについて)

Mac関係の雑誌があちこちの出版社から出されていたとき、
仕事で大田区池上に行ったことがある。
仕事が終り、池上駅から電車に乗る際、売店をふとふり返ったら、Mac Peopleが置いてあった。
こんな小さな売店でも売るようになったのか、と驚いた。

Mac関係の雑誌がこれだけ減っていたのは、インターネットの普及と無関係ではない。
でも、それだけが理由とも思えない。

昔、岡先生が瀬川先生を評して「ソフトウェアの達人」と書かれていたことがある。
ここでのソフトウェアとは、オーディオの世界のことだから使いこなしということになる。

コンピューターの世界ではソフトウェアは、OS、アプリケーションのことを指す。
もちろんオーディオの世界でも、使いこなしの意味だけでなく、
プログラムソースのこともソフトウェアである。

オーディオにおけるソフトウェアとは、プログラムソースと使いこなしのことを意味する。
そして、オーディオの世界では「音は人なり」と以前からいわれ続けている。

この「音は人なり」は、オーディオにおけるソフトウェアがどういうことであるのかを含んでいる。
この考え方、捉え方がパソコン関係の雑誌にはなかったのではないだろうか。

Mac関係の雑誌の編集は、もっと違うやり方があったのに……、とだから思っている。

Date: 10月 11th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その9)

2000年8月16日に、audio sharingを公開した。

audio sharingは、菅野先生と川崎先生の対談を実現するためにつくった「場」である。
audio sharingをつくった理由はそれだけではない、他にも大きな理由がある。

とにかく「場」をつくらないことには(持たないことには)、対談をやることはできない。
この「場」をつくるために、1999年12月末に仕事を辞めていた。

仕事を続けながら、毎日少しずつこつこつとやっていくのが、
賢明といわれるやり方なのはわかっていたけれど、それではいつになるのかはわからない。
とにかく公開できるようなかたちを早くつくっておきたかった。

2000年5月には人に見せられるぐらいにはなっていた。
ちょうどそのころ、五反田の東京デザインセンターでE-LIVEが開催された。
E-LIVEは、ディスプレイ専門メーカーのEIZO主催で、川崎先生のトークショーがある。

ここで、菅野先生との対談のことを話すことができるのではないか、と考えた。
それでPowerBook G3を携えてE-LIVEに行った。

この日、会場には増永眼鏡のMP690が展示されていた。
アンチテンションのフレームである。

このMP690を見て、おじけづいた。
まだ見せられない、と。

Date: 10月 11th, 2014
Cate: background...

background…(その4)

ポール・モーリアのLPは一時期試聴用ディスクとして使われていた、ときいたことがある。
日本での発売元であった日本フォノグラムは、いくつかのポール・モーリアのLPも、
フランスからの直輸入盤で売っていた。

どうしてそういうことをしていたのかはっきりとしないが、
ひとつは音の良さを、日本のポール・モーリアの聴き手に届けるためだったのかもしれない。

ポール・モーリアのLPを、だから試聴用に使っていた人は、
その場合は、真剣にポール・モーリアのLP(どの曲なのかはわからないが)を聴いていたことになる。

ただその真剣さは、カルロス・クライバーの「トリスタンとイゾルデ」を聴くときのそれと、
まったく同じとは言い切れないところが残る。

クライバーの「トリスタンとイゾルデ」を聴くとき、試聴ディスクとして聴いていることはない。
私の場合、クライバーの「トリスタンとイゾルデ」をオーディオのチューニングのために使ったことはない。

クライバーの「トリスタンとイゾルデ」を聴く時は、
クライバーによる「トリスタンとイゾルデ」を聴きたいから、ということになる。

試聴用ディスク、オーディオのチューニングのためのディスクとなると、
特に、そのディスクに収められている音楽を聴きたい、と思っていなくとも、聴くことがある。

ポール・モーリアのLPを試聴用ディスクとして使っていた(聴いていた)人たちは、
どうだったのだろうか。
ポール・モーリアの音楽を聴きたい気持はあったのだろうか、どれだけあったのだろうか。

そんな気持はなくとも、音がいいから、試聴に都合がいいから、という理由でだったのだろうか。
だとしたら、そこで鳴っていたポール・モーリアの音楽は、BGMということになるのか、
BGMとまでいえないまでも、そこに近いところにある、といえるのではないか。

Date: 10月 10th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(余談)

1998年12月に、ひとつだけ実行したことがある。
メガネを川崎先生のデザインのモノにした。

アンチテンションのMP690の発売をきっかけに取扱店が一気に増えたが、
それまでは日本橋の三越本店別館のメガネサロンだけでしか取り扱っていなかった。
十数年前まで、東京でもただ一店のみだった。
(アンチグラヴィティのMP621だけはサングラスとして、六本木AXISのLIVING MOTIFでも取り扱ってはいた)

だから、そこへ行った。
行けばわかるのだが、ここは他のメガネ店とはちょっと違う。
売れているフレームの多くはかなり高価なモノばかりで、
私が行った時も、隣の人が払っていた金額は私が払った金額の約十倍だった。

そんな三越のメガネサロンに、たしかに川崎先生のフレームが並べられていた。
けれどお目当てのフレームはなかった。
店員にたずねた。
増永眼鏡に問い合せてくれて、どのフレームなのかを確認して取り寄せてもらうことになった。

私が欲しかったのはMP649。
それまでMP649は入荷していなかった。店員も知らなかったそうだ。

私が注文して初めて入荷したことになる。
つまりMP649に関しては、東京でのただ一店の取扱店ですら初めての入荷ということは、
私が少なくとも東京では最初に手にしたことになる。
しかも、おそらくしばらくは他の人は誰もMP649をかけていなかった。

Date: 10月 10th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その8)

ステレオサウンド編集部にまだ勤めていたら、この人に会えるのに……、と思った日がもう一度あった。
1998年11月18日である。
毎月18日はMAC POWERの発売日である。
12月号のDesign Talkは、「得手」とつけられていた。

ここでオーディオについて書かれていた。
いつになくオーディオについて長く書かれている、嬉しいな、と思いながら読み進めていくうちに、
「レコード演奏家」という言葉が出てた。そして「オーディオ評論家のS・O氏」ともあった。

オーディオ評論家のS・O氏、菅野先生のことである。
     *
同氏には、車・パイプ・西洋人形という収集品についても彼なりの美学を聴かせていただいた。生意気盛りの私は、そこからモノの美学性を衝撃的に学ぶことができた。
 S・O氏からいただいたLPレコードは宝モノになっている。また、日本でもトップのミキサーである彼の推薦新譜批評は読み続けてきた。いずれ、また会える機会が必ずあると思って楽しみにしている。
 当時はイヤなオーディオ評論家もいた。そんなやつに限って私のデザインを全面否定した。否定されたからイヤな評論家だというのではない。その評論家の趣味性や音・音楽・音響の「得意」性を疑っていたのだ。S・O氏は、初対面でこの人はデザインが語れると直感できた人物である。
 もう私などS・O氏には忘れられてしまっているかもしれない。オーレックス(’70年代の東芝のハイファイ・システム)ブランドで、エレクトレットコンデンサー・カートリッジのアンプ「SZ-1000」のデザインについてアドバイスをいただいた。その機種が私の東芝時代最後のデザインとなった。
     *
MAC POWER、1998年12月号のDesign Talkを読んで、もう一度そう思ったわけだ。
ステレオサウンド編集部にいたら、すぐさま菅野先生と川崎先生の対談を企画するのに……と。

なんとかして自分で対談を実現したい気持とともに、
おそらくMAC POWERかステレオサウンドが先に実現してしまうだろうな、とも思っていた。

だが一年建っても、どちらの編集部もやらなかった。
やらなかったから、やろう、とようやく決心した。
1999年が終ろうとしていた。
草月ホールで川崎先生の講演から五年半が経っていた。