Archive for 5月, 2014

Date: 5月 15th, 2014
Cate: 「オーディオ」考

十分だ、ということはあり得るのか(その4)

「レコードにおけるマーラーの〈音〉のきこえ方」に、こう書いてある。
     *
 レコーディング・エンジニア側での思いやりがあってできたレコードであるから、ききての側で、そのレコードをかけるにあたってのことさらの苦労はいらない。そのレコードをきくかぎり、再生装置についての心配は、ほとんどいらない。ロジャースLS3/5Aモニターという、幅十八・五センチ×高さ三十センチ×奥行き十六センチという小さなスピーカーできこうと、JBL4343というフロア型スピーカーできこうとその一九四七年に録音されたワルターのレコードをきいているかぎりでは、そのいずれできいてもことさらの差はない。
 ところが、一九六三年に録音されたバーンスタインのレコードとなると、事情は少なからず変わってくる。たいした差はないとはいいがたい。ロジャースできいたものと、高さが一メートル五センチあるJBL4343できいたものとでは、あきらかに違う。ここでは、先ほどの言葉でいえば、レコードを録音する側でのききてに対しての思いやりが薄れている。あたかもそこでの音は、これだけの大がかりなシンフォニーをきこうとしているあなたなら、それ相応の再生装置でおききになるのでしょう——とでもいいたがっているかのようである。
 大太鼓のとどろきだけを取りだしていうと、そのバーンスタインのレコードでは、からppへ、そしてppからpppへの変化が、歴然である。ただそれは大きい方のスピーカーできいたときにいえることで、小型スピーカーできいた場合には最後のpppによるとどろきはひどく暖昧なものとなってしまう。
     *
1947年のワルターと1963年のバーンスタインにおいて、これだけの差がある。
バーンスタインの10年後のカラヤンにおいてはどうなのか。
     *
 大太鼓の三つのとどろきのうちののとどろきとppのとどろきは小型スピーカーのほうでも、どうやらききとれるが、最後のpppのとどろきは精一杯に音量をあげてもほんの気配程度にしかきこえない。そこにその音があるということを知っていれば、耳をすましてなんとか感知できなくもないが、さもなければききのがしても不思議はないほどの微妙な音である。大きいほうのスピーカーできけば、そのようなことはない。バーンスタインのレコードでよりも、さらにはっきりと、ppの差を、pppppの差を、示す。大太鼓がオーケストラの一番奥にいることも、誰がきいてもわかるように、きこえる。そこで示されるひろがりは大変なものである。
 しかし——、そう、しかしといわなければならない。最後のとどろき、つまりpppのとどろきをきくためには、かなり音量をあげなければならない。このレコードのレコーディング・エンジニアには、ワルターのレコードのレコーディング・エンジニアにあったききてに対しての思いやりが欠けているとでもいうべきか。本来は微弱であるべき音を少し大きめにとってききてにその音の存在をわかりやすくさせようとするより、できるかぎりもともとの強弱のバランスに近づけようとしている。むろんそれは間違ったこととはいえない。ハイ・フィデリティの考えにたっての録音というべきであろう。たしかにその一九七三年に録音されたカラヤンのレコードは、一九四七年に録音されたワルターのレコードより、そして一九六三年に録音されたバーンスタインのレコードより、録音ということでいえば、抜きんでて素晴らしい。
     *
引用ばかりになるけれど、もうひとつステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’76」の巻頭、
岡先生と瀬川先生、黒田先生による座談会、「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」で、
カラヤンのマーラについてふれられている。
     *
黒田 最近出たカラヤンのマーラーの第五番、この第一楽章の結尾で大太鼓の音が入っているんだけど、あるレコードコンサートでたいへん優れた録音の例としてその部分をかけたら、なぜか大太鼓が鳴らない(笑い)。
(中略)
 ぼくの装置だとちゃんとピアニッシモに入っているんです。ここのところでこのレコードの録音がよいのかわるいのかというのが、ひじょうに微妙になってくる。
     *
1947年のワルターから26年のあいだで、これだけ違ってきている。
1973年のカラヤンのあとに、アバド/シカゴ交響楽団による第五交響曲が出て、
インバル/フランクフルト放送交響楽団による録音が出、その後も多くの第五交響曲がいま市場にはある。

Date: 5月 15th, 2014
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(その2)

最初にいっておきたいのは、オーディオのプロフェッショナルではないのだから、
すべてのアナログプレーヤーを使いこせるようになる必要はない、ということ。

自分の使っているアナログプレーヤー、
それは愛着がもてて信頼できるプレーヤーを見つけて手に入れて、
そのアナログプレーヤー、ただ一機種の使いこなしに長けていればいい。

ターンテーブルの駆動が、
ベルドドライヴ、リム(アイドラー)ドライヴ、ダイレクトドライヴ、どの方式でもあってもいい、
トーンアームもダイナミック型なのかスタティック型なのか、軸受けはどの方式なのか、
これもきちんとしたモノであれば、それでいい、
カートリッジも同じである。MC型でなければならないとか、そんなことはここでは関係ない。

とにかくこれが自分のアナログプレーヤーだといえるモノを見つけ出すことである。
それを手に入れる。

このアナログプレーヤーだけを使いこなせるようになれば、それでいい。

Date: 5月 14th, 2014
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(その1)

このブログで、アナログプレーヤーの設置・調整に関することは書く必要はない──、
と最初のころは思っていた。
それが2008年のころ。

その後SNS(twitter、facebookなど)が日本でも急速に広まっていった。
どちらもやっている。
audio sharingというサイト、このaudio identity (designing)というブログをやっている関係から、
私がフォローする人、私をフォローする人は、オーディオに関心のある人が多い。

そうすればその人たちがSNSに書きこむものを毎日目にする。
そこにはオーディオ以外の話題のほうが多いのだが、オーディオのこともやはりある。
そしてアナログディスク、アナログプレーヤーに関するものも目にする。

これらを目にして思うのは、アナログプレーヤーの設置・調整に関して、
このブログで基本的なことを含めて、こまかなことにまで書いていく必要があるのかもしれない、と感じている。

世代によってはCDが身近な存在であり、
アナログディスク(LP)というものを後から知ったという人もいる。
私よりずっと長いアナログディスク歴の人もいる。

長いからすごい、というわけでもないし、短いから未熟ともいえない。
これは以前から感じていたことだが、SNSの普及でますますそれは強くなっている。

これはもう書いていく必要がある──、
そんなことを知っているよ、という人に対して、実のところ書いていく必要がある、と思っている。

Noise Control/Noise Designという手法(45回転LPのこと・その3)

私がアナログディスク固有のノイズに注目したのは、
CDが登場したばかりのとき、サンプリング周波数が44.1kHzだから、20kHz以上はまったく再生できない。
だからアナログディスクよりも音が悪い。
人間の耳の可聴帯域は20kHzまでといわれているけれど、実はもっと上の周波数まで感知できる。

とにかく、そんなことがいわれていた。

確かにサンプリング周波数が44.1kHzであれば、
アナログフィルターの遮断特性をふくめて考えれば20kHzまでとなる。
それで十分なのか、となれば、サンプリング周波数はもっと高い方がいい。

だからといって、サンプリング周波数が44.1kHzで20kHzまでだから……、というのは、
オーディオのことがよくわかっていない人がいうのならともかくも、
少なくとも音の美を追求してきた(している)と自認する人が、
こんなにも安易に音の美と周波数特性を結びつけてしまうことはないはずである。

FM放送のことを考えてみてほしい。
FM放送でライヴ中継を聴いたことが一度でもある人ならば、
その音の良さ、美しさを知っているはずだ。

この体験がある人はFMの原理、チューナーの仕組みを大ざっぱでいいから調べてみてほしい。
FM放送の周波数特性はCDよりも狭いのだから。

それでもライヴ中継の音の良さには、陶然となることがある。

Date: 5月 13th, 2014
Cate: 現代スピーカー

現代スピーカー考(その33)

リボン型、コンデンサー型、その他の全面駆動型のスピーカーユニットがある。
これらは振動板の全面に駆動力がかかっているから、振動板の剛性は原則として必要としない、とされている。

駆動力が振動板全体に均一にかかっていて、その振動板が周囲からの影響をまったく受けないのであれば、
たしかに振動板に剛性は必要ない、といえるだろう。

だがリボン型にしろコンデンサー型にしろ、一見全面駆動のように見えても、
微視的にみていけば駆動力にムラがあるのは容易に想像がつく。
だいたい人がつくり出すものに、完全な、ということはない。
そうであるかぎり完全な全面駆動は現実のモノとはならない。

ボイスコイルを振動板にプリントし、振動板の後方にマグネットを配置した平面型は、
コンデンサー型よりももっと駆動力に関しては不均一といえる。
そういう仕組みを、全面駆動を目指した方式だから、
さも振動板全体に均一に駆動力がかかっている……、と解説する人がいる。

コーン型やドーム型に対して、こうした方式を全面駆動ということは間違いとはいえないし、
私もそういうことがある。だが完全なる全面駆動ではないことは、ことわる。

もし全面駆動(つまり振動板全体に駆動力が均一にかかっている状態)が実現できていたら、
振動板の材質の違い(物性の違い)による音の差はなくなるはずである。
現実には、そうではない。ということは全面駆動はまだ絵空事に近い、といえる。

ただこれらの方式を否定したいから、こんなことを書いているのではない。
これらのスピーカーはピストニックモーションを追求したものであり、
ピストニックモーションを少しでも理想に近付けるには、振動板の剛性は高さが常に求められる。

剛性の追求(剛の世界)は、力まかせの世界でもある。
ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットを聴いてから、頓にそう感じるようになってきた。

Date: 5月 13th, 2014
Cate: 「オーディオ」考

十分だ、ということはあり得るのか(その3)

黒田先生の著書「レコード・トライアングル」に「レコードにおけるマーラーの〈音〉のきこえ方」がある。
1978年に書かれた、この文章で、黒田先生は三枚のマーラーの第五交響曲のレコードをとりあげられている。

一枚目は、ブルーノ・ワルター指揮ニューヨークフィルハーモニーによるもので、1947年録音。
二枚目は、レナード・バーンスタイン指揮ニューヨークフィルハーモニーで、
ワルターと同じコロムビアによるもので、1963年録音。
三枚目は、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニーで、
1973年、ドイツ・グラモフォンによる録音。

一枚目は二枚目には16年、二枚目と三枚目には10年の開きがある。
一枚目のワルターによるマーラーは、当然モノーラルで、録音機材はすべて真空管式。

二枚目のバーンスタインからステレオ録音になるわけだが、
バーンスタインのころだと録音機材のすべてがトランジスターになっているかどうかは断言できない。
一部真空管式の機材が含まれていてもなんら不思議ではない。

三枚目のカラヤンにおいては、おそらくすべてトランジスター式の録音機材といえるだろう。
それにマイクロフォンの数も、同じステレオでもバーンスタインよりも増えている、とみていい。

録音機材、テクニックは、カラヤン/ベルリン・フィルハーモニーのマーラー以降も、
変化(進歩)しつづけている。

カラヤンの10年後の1983年ごろにはデジタル録音が主流になっているし、
さらに10年後の1993年、もう10年後の2003年、2013年とみていくと、
ワルターのマーラーから実に半世紀以上経っている。

マーラーの音楽に興味をもつ聴き手であれば、ワルターによるものももっているだろうし、
バーンスタイン、カラヤンも持っていて、さらに結構な枚数のマーラーのレコード(LP、CD)を持っている。
そして、それらを聴いている。

Date: 5月 13th, 2014
Cate: 4343, JBL

JBL 4343(その7)

JBLの4ウェイは4350が最初であり、次に4341、4343と登場していて、これら三機種は、
何度か書いているようにパット・エヴァリッジの設計ということが、もうひとつの共通項でもある。

4350にもメクラ板がある。
2405用だけでなくミッドハイを受け持つ2440ドライバーとそのホーンの取り付け用もある。
4350の後継機4355にも同じようにメクラ板がある。

だが4350、4355を購入した人が、
2405とミッドハイを入れ替えて、左右対称のユニット配置にしたという話は聞いていない。

JBLのスタジオモニターは4345以降、リアバッフルが二分割され(といっても8:2ほどの割合)、
上部のサブバッフルはネジ止めされている。
ここを外すことで、2420、2405のダイアフラム交換のための取り外しが容易になっている。

けれどそれ以前の4350では2440、2405のダイアフラムを交換する、
もしくは取り付け位置を左右で入れ替えるとなると、けっこう大変な作業である。

まずウーファーを外す。
2440の真下に前後のバッフルをつなぐ補強棧があり、
この補強棧に金具にとって2440が固定されている。

2420の重量は5kg、24401は11.3kgあり、
バッフルに取り付けられたホーンだけでは支えきれないからである。

この補強棧が2440の取り外しの際にじゃまになる。
しかも2440は重く持ちづらい。しかもエンクロージュアの中ということで持ちづらさは増す。
それだけでなく補強棧の下にはバスレフポートがあり、これによりまた難儀させられる。

そういう構造だから、一度でも4350でユニットの左右の入れ替えをやっている人ならば、
その大変さを語ってくれるはずなのだが、そんな話はいままで一度も聞いたことはない。
ということは4350、4355は左右対称でJBLから出荷されているわけだ。

とすると4350、4355のメクラ板はいったい何のためにあるのか、と考えることになる。
4343のメクラ板とあわせて考えれば、自ずと答は出てくる。

Date: 5月 13th, 2014
Cate: 4343, JBL

JBL 4343(その6)

瀬川先生のマランツのModel 7のデザインに関しての文章は、すでに別項で引用している。
それでも、また一度引用しておこう。
     *
 なぜ、このパネルがこれほど見事に完成し、安定した感じを人に与えるのだろうか。答えは簡単だ。殆どパーフェクトに近いシンメトリーであるかにみせながら、その完璧に近いバランスを、わざとほんのちょっと崩している。厳密にいえば決して「ほんの少し」ではないのだが、そう思わせるほど、このバランスの崩しかたは絶妙で、これ以上でもこれ以下でもいけない。ギリギリに煮つめ、整えた形を、ほんのちょっとだけ崩す。これは、あらゆる芸術の奥義で、そこに無限の味わいが醸し出される。整えた形を崩した、などという意識を人に抱かせないほど、それは一見完璧に整った印象を与える。だが、もしも完全なシンメトリーであれば、味わいは極端に薄れ、永く見るに耐えられない。といって、崩しすぎたのではなおさらだ。絶妙。これしかない。マランツ♯7のパネルは、その絶妙の崩し方のひとつの良いサンプルだ。
     *
1981年にステレオサウンドから出た「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」の巻頭に書かれている。
マランツのModel 7がシンメトリーをあえて崩している点に関しては、
この瀬川先生の文章よりもはやく岩崎先生も指摘されている。

4343も、またModel 7と同じようにシンメトリーをほんのちょっと崩している、ように見ることができる。
だが4343のシンメトリーとModel 7のシンメトリー、その崩し方を完全に同じにとらえるわけにはいかない。

4343は本来必要でないメクラ板を設けてシンメトリーにした上で、
ほんの少しのアンバランスを形成しているからだ。

Date: 5月 12th, 2014
Cate: 4343, JBL

JBL 4343(その5)

世の中に左右対称のスピーカーシステムは、ゴマンとある。
左右チャンネルが左右対称のユニット配置ということではなく、
一本のスピーカーシステムで左右対称になっている、というスピーカーシステムのことで、
スピーカーユニットがインライン配置であれば、たいていは左右対称の仕上りとなる。

それらの中にあっても、4343はとびきり美しい。
見事なデザインだと、見るたびに思うだけでなく、
デザインへの関心が高くなるほどに、4343のデザインの見事さに気づく。

4343も基本的にはインライン配置のスピーカーシステムである。
では何が、他の同種のスピーカーシステムと違うのか。

それがメクラ板の存在である。

4343にメクラ板がなかったら、左右の対称性がくずれる。
とはいっても、4343は完全に左右対称ではない。
音響レンズの片方に2405があり、反対側にメクラ板がある。

メクラ板があることで左右の対称性を維持し、
ただ完全な左右対称ではなく、片方だけに2405があることで、
ほんのわずかだけ左右対称の、意図的なアンバランスさを生じさせている。

こんなふうに書いていくと、
おそらく瀬川先生がマランツのModel 7について書かれた文章を思い出される人が少なからずいる。

Date: 5月 12th, 2014
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(その19)

このことも別項「ある写真とおもったこと」に書いたことと重なるけれど、
オーディオと「ネットワーク」について考えていくと、共通体験の提供がある。

録音されたものは、そのままでは音は鳴ってこない。
レコードを頭の上にのせようと、耳にくっつけようと、
それだけでは音楽は聴こえてこない。しかるべき再生装置があって、そこに記録されている音楽を聴ける。

この再生装置(オーディオ)が、実に千差万別。
しかも同じオーディオ、仮に同じつくりの部屋で鳴らしたとしても、
鳴らす人が違えば同じ音が出ることはない。

人の数だけの音が鳴っている。

高価なオーディオでも、カセットテープに録音して外出時に聴くような場合でも、
人の数だけの音が鳴っている。

それがいま共通体験が可能になりつつある、といえるようになってきた。
本格的なオーディオでのみしか聴かない、という人を除けば、
つまりiPodで音楽を聴く、iPodでも音楽を聴くという人たちには、共通体験としての音楽が提供されている。

これはいままでなかったことであり、これからますます拡大していくことだろう。

オーディオと「ネットワーク」、ネットワークオーディオについて考えていくとき、
私は、分岐点(dividing)と統合点(combining)、フィルター(filtering)、
最終点と出発点の関係と境界、共通体験、これらのことばで対象を解体していくことになる。

Date: 5月 11th, 2014
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(その18)

それから、別項「LINN EXAKTの登場の意味するところ」でも書くことになることがある。

以前、「中点(その12)」で、
レコードは、レコードの送り手側にとっては最終点であり、
レコードの受け手(聴き手)にとっては出発点になる、という黒田先生が、かなり以前に書かれたことを引用した。

オーディオと「ネットワーク」について考えていくとき、
この最終点が最終点でなくなりつつある。

このことはレコード(録音されたもの)に関してだけではない。
スピーカーシステムに関しても、
これまではメーカーがいわゆる「最終点」として出してきたモノを、
使い手は購入し、それを出発点としていたわけだ。

だがオーディオのシステムが、いま以上にインターネットとの結びつきを深め、
単にプログラムソースを配信するサイトとの接続にとどまらず、
オーディオメーカーとのサイトにも接続されるようになり、
さらにはソフトウェア専門のメーカーも登場し、そこへも接続する、ということになっていけば、
もうスピーカーシステムは、最終点とはいえなくなる。

つまりユーザーのリスニングルームに設置されてしまえば、
基本的にメーカーは何も手を出すことはできない。
その意味で最終点だったわけだが、
インターネットを通じて、そのリスニングルームで鳴っている情報をメーカーにフィードバックすることで、
メーカーはその部屋に応じたプログラム(調整方法)を送り返してくれ、
スピーカーシステム側で自動的に補整する、ということは、もう夢物語ではなくなっている。

Date: 5月 11th, 2014
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(その17)

録音側がつくったモノ(LPであったりCDだったり、SACDだったりする)は、
流通系路にのせられてレコード店に届き、そこから聴き手の手に届く。

この流通も、またネットワークであり、
流通そのものに詳しいわけではないが、
それでもあれこれこうではなかろうかとみていくと、流通のネットワークも、
オーディオにおけるネットワークと同じことがいえることに気づく。

前回(その16)を書いて、約二年半。
書いた本人が、こんなことを書いてたはずだけど、どうだっけ? と確認するために、
ざっと目を通しているくらいだから、読まれている人は、とっくに忘れていて当然。

ばっさりと、これまで書いたことを要約すると、
録音側、再生側、それに流通にもネットワークがそこにある、ということ。
そのネットワークには、
分岐点(dividing)と統合点(combining)、それにフィルター(filtering)がある、ということ。

この三つのキーワードから、オーディオとネットワーク、
それに、いまネットワークオーディオと呼ばれているものについて書いていく。

Date: 5月 11th, 2014
Cate: 広告

広告の変遷(を見ていく・1969年)

the Review (in the past)で、おもにスイングジャーナルに掲載されたオーディオの広告を公開しはじめている。

これを書いている時点で450本。スキャンし終っている広告の一〜二割程度。
レタッチ作業に馴れて効率が良くなれば、もう少し公開のペースもあげられるけれど、
いまのところは、こんな調子でやっている。

レタッチ作業をしていると、漫然と広告を見ていたときには気づかなかったことも目に入ってくる。
今日午後に公開したスタックスのヘッドフォンSR3の、1969年のステレオに載った広告
SR3がプロフェッショナルの現場でも使われていることを謳った広告で、
右側にそれぞれの会社での、使われ方を撮った写真が四枚並んでいる。
その中の一枚に、東芝レコードのものがある。

この一枚だけが、他の三枚とは少し違っている。
女性が何人もレコードプレーヤーの前にすわり、スタックスのSR3で、
レコードの検聴と思われる作業をとらえた写真である。

おそらくプレスされたレコードから、どの程度なのかは検討がつかないけれど、
ある程度の枚数をピックアップして、問題がないのか、実際に再生してチェックしているのであろう。

目視でのチェックはやっているような話は、以前聞いたことがあったけれど、
こうやって耳でも確かめているとは、まったく思っていなかった。

レコードの値段は昔も今もそう変っていない。
物価は変化していても、レコードの値段は二千〜三千円していた。

1969年は、いまよりもレコードは、ずっと高価なモノであり、
レコードもまた工業製品である以上、品質管理が必要となる。

そんなことを思い起こさせたスタックスの広告だった。

Noise Control/Noise Designという手法(45回転LPのこと・その2)

そのコメントには、こんなことが書いてあった。

クラブミュージック(ダンスミュージック)で、DJがテクノやハウスといわれる種類の音楽をかける。
従来は当然のことながらアナログディスクだったのが、
時代の流れにでCD、さらにはMP3に変っていった。

となると音も変る。
その違いが小さいものであったなら、問題となることもなかったけれど、
あまりにも違いが大きすぎるということで、
DJはあれこれ試行錯誤をした結果、アナログディスク特有のノイズを、
CD、MP3で音楽を鳴らす時にミックスすることにしたそうだ。

ここでのアナログディスク特有のノイズとは、プチッ、パッといったパルス性のノイズではない。
音溝をダイアモンドの針先が擦ることによって生ずる音(ノイズ)のことである。

何も録音されていない無音溝のレコードを、そのために製作して、
そのアナログディスクを再生して得られるノイズが、ここでいうアナログディスク特有のノイズのことである。

このノイズを加えることにより、アナログディスクをかけている感じに近づけることができた、とあった。

私自身は、これを試したことはないけれど、
私が5月7日に話したことも、基本的にはこれと同じことである。
だから、この話にはそのとおりだ、と思っている。

Date: 5月 10th, 2014
Cate: 4345, JBL

JBL 4345(その4)

ステレオサウンドは季刊誌だから、次の号が出るまで三ヵ月ある。
56号で4345が近い将来登場するのを知ってからは、その三ヵ月間が待ち遠しく感じられた。
57号には間に合わなかったので、また三ヵ月間、その待ち遠しい時間を送った。

この待ち遠しい時間は、いまではなかなか味わえなくなりつつある。
少なくとも私は、ステレオサウンドの次の号が出るのを待ち遠しい、とは、もう感じなくなっている。

いまはそんな私でも、あのころはほんとうにステレオサウンドの新しい号の発売は待ち遠しかった。
おまけに、そのころのステレオサウンドは発売日の15日に書店に並ぶことはまったくなかった。
必ず遅れていた。

だから15日が過ぎたら、毎日書店に通っていた。
今日も出ていない、次の日もまた出ていない。
そんな空振りを何度も味わって、やっと三ヵ月待った新しい号のステレオサウンドを手にする。

そこに読みたかった記事が、読みたかった人によって、
しかも充分な量の文章が、そこに載っている。

待たされたけど、何度も書店に足を運ばされたけど、そんな憾みはどうでもよくなる。

ステレオサウンド 58号で、4345について、瀬川先生の文章で読めた。
しかも58号を読まれた方ならば、思い出されるはず。
ここでの4345についての瀬川先生の文章は、
4345のページだけでなく、SMEの3012-R Specialのところでも読めたのだから。