オーディオと「ネットワーク」(その19)
このことも別項「ある写真とおもったこと」に書いたことと重なるけれど、
オーディオと「ネットワーク」について考えていくと、共通体験の提供がある。
録音されたものは、そのままでは音は鳴ってこない。
レコードを頭の上にのせようと、耳にくっつけようと、
それだけでは音楽は聴こえてこない。しかるべき再生装置があって、そこに記録されている音楽を聴ける。
この再生装置(オーディオ)が、実に千差万別。
しかも同じオーディオ、仮に同じつくりの部屋で鳴らしたとしても、
鳴らす人が違えば同じ音が出ることはない。
人の数だけの音が鳴っている。
高価なオーディオでも、カセットテープに録音して外出時に聴くような場合でも、
人の数だけの音が鳴っている。
それがいま共通体験が可能になりつつある、といえるようになってきた。
本格的なオーディオでのみしか聴かない、という人を除けば、
つまりiPodで音楽を聴く、iPodでも音楽を聴くという人たちには、共通体験としての音楽が提供されている。
これはいままでなかったことであり、これからますます拡大していくことだろう。
オーディオと「ネットワーク」、ネットワークオーディオについて考えていくとき、
私は、分岐点(dividing)と統合点(combining)、フィルター(filtering)、
最終点と出発点の関係と境界、共通体験、これらのことばで対象を解体していくことになる。