Archive for 9月, 2013

Date: 9月 14th, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ダストカバーのこと・その5)

アナログプレーヤーにおけるダストカバーは、
スピーカーシステムにおけるサランネットのような存在といえる部分がある。

取り外しができる。
国産メーカーに関しては、アナログプレーヤーのダストカバー、スピーカーシステムのサランネットは、
開発の時点では取り外した状態で試聴が行われているとみてまちがいない。

スピーカーシステムのサランネット(そう呼ぶのがためらわれるほど立派なものもある)、
国産メーカーのほとんどは外して聴くのが前提であっても、
海外製品の中には、装着しているのが前提のモノもある。

アナログプレーヤーのダストカバーの中で、
そういうスピーカーシステムのサランネット(便宜上こう呼ばせてもらう)と同じとみていいのが、
前回、例に挙げたエンパイアの598、698、パイオニアExclusive P3のそれである。

これも私の勝手な想像なだが、
おそらくExclusive P3は、
開発段階の試聴にいても、ダストカバーが閉じられた状態の音を充分に聴き込んだうえでつくられている気がする。

サランネットを取り付けた状態の音が標準のスピーカーシステムがあるように、
ダストカバーを閉じた状態の音が標準のアナログプレーヤーだって、
数はきわめて少ないかもしれないが、あるはずだ。

そのひとつがExclusive P3であり、
ダストカバー装着時の音と外した状態の音を比較したことがないので、はっきりとはいえないものの、
エンパイアのプレーヤーも、おそらくそうであろう。

Date: 9月 14th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その17)

この時点で、O君がダイヤトーンのDS9Zに惚れ込んでいることには、
なぜか気がつかなかった。
結局、その後、O君の部屋でDS9Zを見つけて、やっと、そうだったんだ、と思った次第。

私はDS9Zに惚れ込んで、欲しい、と思っていたわけではなかった。
DS1000がスペースに的に無理、メインスピーカーとして迎えるのではなく、
あくまでもサブのスピーカーとして、であったからこそ、
部屋の空きスペースとの関係は何にもまして重要だった。

DS1000と同じ流れの設計方針で、小型の2ウェイを、だから望んでいた。
このころにはスピーカーエンクロージュアの横幅は、
できれば人間の耳の間隔と同じか、できればそれよりも狭くすることで、音場感の再現に有利である、
と、いわれはじめていた。きっかけはセレッションの小型スピーカーシステム、SL6(およびSL600)からだった。

それが本当だとすれば、フロントバッフルの形状は、トゥイーターはウーファーよりも小口径なのだから、
上にいくにしたがって狭まっていく、つまり正面からみて台形型、そして両サイドのエッジは丸く仕上げる。
いわゆるラウンドバッフルとすることで、理屈では一層音場感の再現には有利になるはず。

そんなことを考えながら、こういう小型2ウェイ・スピーカーシステムが出ないものか、
と勝手にあれこれ考えていたところにDS9Zが出たから、それで欲しい、と思っただけだった。

DS9ZをO君とふたりで鳴らしたときの音は、たしかに良かった。
でも、その音に惚れ込んだわけでもなかった。
DS9Zそのものに、惚れ込んでいたわけではなかった。

ただ、そのころ考えていたスピーカーシステムに近いモノが出てきたから、と理由だった。
O君がDS9Zに惚れ込んでいるのを見て、買わなくてよかった、と思った。

Date: 9月 13th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その16)

O君は遅刻はしないものの、いつもぎりぎりに出勤していた。
ダイヤトーンの取材の日は休日出勤だから、早く来ることはないな、と思っていた。

けれど、彼はずいぶんと早く出社した。

なぜなのかはすぐにわかった。
彼は少しでも早くて来て、試聴が始まるまでの時間、
彼の好きなCDをDS9ZとマッキントッシュのMC2500の組合せで聴くためであった。
彼の手には、彼の好きなCDが数枚あった。

いそいそと試聴室のある三階に降りていくO君。
CDプレーヤーとアンプの電源を入れる。
それで、昨夜の音とまったく同じ音が出てくれれば、
オーディオは、ある意味、楽なのだが、
多くの人が体験しているように、一度電源を落し、聴き手が寝てしまった翌朝の音は、
どこもいじっていないにも関わらず、昨夜の音は、たいていの場合出てこない。

それがオーディオであり、
もう一度、あの夜の音を、ということでふたたび調整していく……。
そして、あの夜の音とまったく同じとはいかないものの、
また違った良さの音が出てくる。
けれど、その音も一夜明けてしまえば、どこかに行ってしまう。

そういうことをオーディオマニアはくり返して、一年、二年……十年、
それ以上の月日を経ていく。

O君は、音楽好きではあっても、いわゆるオーディオマニアではなかった。
だから、この日、彼ははじめて、多くのオーディオマニアが体験していることを味わったわけであり、
オーディオマニアへの道を歩みはじめた、ともいえる。

Date: 9月 13th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その15)

O君の部屋にダイヤトーンのDS9Zが鳴っていたのをみて、思い出したことがある。

ステレオサウンドの取材でDS9Zを鳴らす日があった。
前述の試聴が早く終ったため、
それに翌日は休日出勤ということもあったので、
その日のうちにO君とふたりでDS9Zをセットして翌日の準備をした。

準備が終り、DS9Zから音を出す。
意外に、いい音が鳴ってきた。
そこで、O君が、試聴室隣の倉庫にあったマッキントッシュのMC2500で鳴らしてもいいですか、という。

そのころ、彼はMC2500(ブラックパネル)をすでに購入していた。

私の好みからすればDS9ZにMC2500の組合せは、あまりピンとくるものがないけれど、
試しに、と鳴らしてみた。
せっかく鳴らしたので、細かなところをチューニングしてみた。
その時、鳴らしていたのはピーター・ガブリエルの「So」の三曲目、
ケイト・ブッシュも参加している”Don’t Give Up” だった。

ほとんど、この曲ばかり聴いて、チューニングを追い込んでいった。
何かをする、そしてまた聴く。
うまくいったら、ふたりで、おーっとと喜び、さらに、と別のところに手を加える。

MC2500も充分暖まってきたし、DS9Zも鳴らし続けてきたことで鳴りもあきらかに変ってきた。
こうなると、こちらものってくる。

この日の音が、どれだけ良くなったかは、O君の翌日の出勤時刻が表している。

Date: 9月 13th, 2013
Cate: ジャーナリズム, 岩崎千明, 瀬川冬樹

「オーディオABC」と「カタログに強くなろう」(その7)

「CDは角速度一定」と書いた人は、
私よりも年上で私よりもオーディオ歴は長くて、
オーディオにつぎこんだ金額も、私よりもずっと多い。

1976年の後半からオーディオの世界に首をつっこみはじめた私よりも、
それ以前からオーディオに取り組んでいるわけで、
それはオーディオブームの最盛期も体験している、ということである。

オーディオの入門書は、私が接することのできた数よりももっと多かったはずだ。
その人が、それらの本を読んできたのかどうかまでは知らない。

でも少なくとも、ある程度のオーディオの知識は持っていたのだから、
まったく読んでこなかった、ということはないはず。

CDの登場も、同時代に体験している。
にも関わらず、もっとも基本的なところで、間違いを記してあったサイトを信じ込んでしまった。

オーディオは、簡単ではない。
とにかく複雑である。
オーディオの知識を身につけるために勉強しようとすると、
その範囲の広さに驚くはずだし、その範囲の広さに気がつかないようであれば、
まだまだ先はそうとうに長い、ということでもある。

もっとも範囲の広さを知っても、先は長いことに変りはないのだけど。

「オーディオABC」、「カタログに強くなろう」、
その両方、もしくはどちらかひとつだけでもいい。
じっくり読んでみれば、わかる。
それも、そこで取り上げられている項目について、
自分で文章を書いて誰か(不特定の読者)に説明しようとしたら、どう書くか。
そのことを考えながら読んでみれば、その難しさがわかるし、
瀬川先生、岩崎先生が、いかに苦労して書かれたのかも理解できる。

そして、もうひとつ理解できるのは、ふたりのオーディオの知識の確かさである。

Date: 9月 12th, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ダストカバーのこと・その4)

こんなことを書くと、
そんなことは科学的にありえない、オカルトだ、という人がいるのはわかっている。
それでも書くのだが、オーディオ機器で、アンプにしてもCDプレーヤーにしても、
筐体を密閉もしくはそれに非常に近い状態にしたとき、往々にして音の伸びやかさがおさえられる傾向がある。

アナログプレーヤーの場合も、ダストカバーを閉じた状態の音は、同じところが存在し、
ダストカバーを外した音を聴いたあとでは、ダストカバーを閉じた状態の音を、
すくなくとも私は聴こうとは思わない。

もちろん人によって、求める音は同じところもあれば違うところもあるわけで、
ダストカバーを閉じた状態の音の傾向を、良し、とされることだってある。

もし私がそうだったとしても、ダストカバーを閉じた状態のアナログプレーヤーは、
あまり美しいとは感じない。
プレーヤーのデザインが優れていればいるほど、
ダストカバーを閉じてしまうと、ダストカバーの存在が余計なものとしてしか見えなくなってしまう。
特にプレーヤー本体の厚みに対して、ダストカバーのほうが分厚く感じてしまうと、
もう見るのも嫌になってしまう。
ピカリングのFA145がそうだ。なぜこんなにもダストカバーを厚くしてしまったのか、と思う。

B&Oのアナログプレーヤー、Beogramの一連のシリーズでも、ダストカバーは一般的な形状のアクリル製である。

ダストカバーにまで気を配ったプレーヤーも、数は少ないながらもある。
たとえばエンパイアの598や698。
パイオニアのExclusive P3があり、
少し変ったところではトランスクリプターのSkeletonがある。

Date: 9月 12th, 2013
Cate: 音の毒

「はだしのゲン」(その14)

A氏の録音に対して強い口調で「毒にも薬にもならない」と私に話された人は、
録音に対して非常に造詣の深い人である。
その人が、あえてA氏の名前を出されたことの意味を、考えてしまう。

「毒にも薬にもならない」存在の優秀録音は、案外増えて来つつあるのではなかろうか。
私は、A氏の録音されるジャンルの音楽をほとんど聴かないから、
そのへんの事情については疎いところがある。

でも、この「毒にも薬にもならない」は、何も録音のことだけにとどまらず、
いまのオーディオの聴かせる音についても、あてはまる。

以前は、ひどい音を出すオーディオ機器があった。
現行製品で、そんなオーディオ機器はもうない、といえるだろう。
まったくなくなったわけでもないだろうが、その割合はずっと少なくなっている。

いまのオーディオ機器は、ある水準にあり、
だからこそ、どの製品を買っても、まず大きな失敗ということはない、ともいえる。
優秀な製品が増えた、ということでもある。

これはけっこうなことである。
あるけれども、そのことと「毒にも薬にもならない」再生音・録音が増えてきたことが、
無関係なこととはどうしても思えない。

なんと表現したらいいのだろうか、
「毒にも薬にもならない」音のことを。

いまのところ思いつくのは、薄っぺらな清潔な音だ。

Date: 9月 12th, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ダストカバーのこと・その3)

ダストカバーの存在、その使用状態はハウリングマージンにも関係してくるが、
やはり音への影響のほうが気になる。

ダストカバーの大半はアクリル製で、プレーヤー本体とはヒンジで結合されている。
ダストカバーを開けている状態では、ダストカバーはヒンジでのみ支えられているわけだから、
いわば片持ち状態で、あれだけの大きさ(表面積と凹み部分の容積)があれば、
スピーカーからの音圧を正面から捉えてしまうことになるのは容易に想像できる。

閉じた状態では、ダストカバーはヒンジの他に、ダストカバーにちょこんとつけられている小さなゴムで、
プレーヤーのキャビネットに接触する例が多い。
ダストカバーを閉じることで、
カートリッジやトーンアームが直接スピーカーからの音圧にさらされないメリットはある反面、
ダストカバーそのものの振動の影響が、
開けている状態ではヒンジによってのみプレーヤー本体に伝わってきていたのが、
閉じていればゴムを伝わってくることになる。
振動のモードは、閉じている状態と開けている状態とでは、かなり違ってくるはずだ。

そういう共振のシンプル化ということで考えれば、
ダストカバーを取り外した状態がいちばんすっきりとしたかたちになる。
そして、ここで考えてほしいのは、メーカーがプレーヤーを開発するときに、
メーカーの試聴室において、ダストカバーをどういう状態にして試聴しているのか、である。

でき上がってきた製品(プレーヤー)を聴くかぎり、
ほとんどがダストカバーは取り外した状態で試聴されているように思われる。

Date: 9月 12th, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ダストカバーのこと・その2)

わたしがいたころは、ステレオサウンドでのアナログプレーヤーの試聴において、
ダストカバーは取り外して聴くのがあたりまえのことになっていた。

ダストカバーを開いた状態とか閉じた状態ではなく、
完全にダストカバーをプレーヤー本体から分離した状態での試聴であった。

ダストカバーは、ハウリングマージンに影響してくる。
1977年に誠文堂新光社から無線と実験別冊として出た「プレーヤー・システムとその活きた使い方」に、
アナログプレーヤー、八機種のハウリング特性の測定結果が載っている。

この測定は、それぞれの機種において、
ダストカバーを開いた状態、閉じた状態、そして取り外した状態での結果が、グラフで表示されている。

プレーヤーの構造や材質によって多少細部は違う結果になっているものの、
全般的にいえるのは、ダストカバーを開いた状態よりも閉じた状態のほうが、
ピークが出にくい傾向にある、ということ。
つまりハウリングを起しにくい、ともいえる。

ただし、この測定は左右両スピーカーの中央、
つまり聴取位置に設置しての測定ゆえに、スピーカーからの音圧をほぼ正面から受けることになり、
ダストカバーの開閉の影響も、実際のリスニングルームにおいて、
ハウリングの少ない位置を探して出して設置したときよりも顕著に出ている、ともいえる。

ダストカバーを取り外した状態は、ダストカバーを閉じた状態に近い。
ただダストカバーの重量とプレーヤー本体の重量の比によって、
最低共振周波数に変化が見られるものもある。
帯域によっては、取り外した状態がよくなるプレーヤーもある。

ハウリングの測定結果においてもこういう結果が出るだけに、
実際に音を聴けば、ダストカバーの状態によって、音は多少なりとも影響を受け、
全般的にダストカバーを取り外して、しっかりとした台に、ハウリングの起きにくい場所に設置するのが、
音質的には好ましい結果が得られる。

Date: 9月 12th, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ダストカバーのこと・その1)

最初に使ったアナログプレーヤーはデンオンの普及型だった。
その次がマイクロの糸ドライブ、RX5000 + RY5500に、SMEの3012-R Specialの組合せ、
その次がEMT・930stのトーレンス版である101 Limited、
そしてEMTの927Dstも使った。

いま手元には二台のアナログプレーヤーがある。
927Dstと較べると、どちらもずっとコンパクトなモデルだ。

私のアナログプレーヤー遍歴の中で、
いわゆるダストカバーがついていたモデルは、最初のデンオンだけである。
それから後に使ってきたプレーヤーには、どれもダストカバーはついてなかった。

930stにはオプションでプラスチック製のダストカバーがあることが、
カタログをみればわかるものの、実物をみたことはないし、
あえて欲しいと思わせるものだはなかった。
カタログをひっぱり出して確認すればいいのだが、
たしか930-900(930st専用のインシュレーター)との併用を前提としていて、
ヒンジはないから、上からかぶせておくだけのものだった。

レコードをかけるときには取り外して、どこかにダストカバーを置くしかない。
そういうものだったから、欲しい、とは思わなかったし、
形もつくりも一般的なダストカバー的だった。

なにもダストカバーがないのを意識して選んできたわけではなくて、
たまたま選んできたモデルに、ダストカバーなしが大半だった、ということだ。

ダストカバーは、文字通りホコリよけのカバーである。

Date: 9月 11th, 2013
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(その4)

音像についての感じ方は、じつに人さまざまだ、ということに気がついたのは、
ステレオサウンドで働くようになってからだった。

感じ方もそうなのだが、それ以降思うようになったのは、
音像そのものの捉え方が人によって、これもさまざまだということである。

これについては、いずれ音場と音像をテーマにして書くつもりでいる。
だから、ここではこれ以上深くはふれないが、
音像について、私のように非常に気にする人もいれば、まったくそうでない人もいる。
その中間ぐらいの人もいる。

だから私のように気にする人のいうことは、
まったく、もしくはあまり気にしない人にとっては、
マルチウェイのスピーカーシステムの音像に対して、安定さを欠くようには思わないだろう。

それにスピーカーシステムだって、20年前、30年前のモノからすれば、
この点も改善されているのはわかっている。
それでも、よくできた小口径から中口径のフルレンジユニットを素直に鳴らしたときの、
音像の良さの安定感は、安心して聴ける、という点で、やはりはっきりとした違いをいまも感じてしまう。

聴く音楽によっても違ってくるのだが、
音像に不安定さを感じさせるスピーカーシステムで聴く場合、
あえてセンターから外れたところで聴きたくなるときもある。
センターに坐れば、それだけシビアに気になってしまう。
ならばいっそのことセンターからある程度外れたところで聴けば、
特にセンター定位の音像の不安定さに心を惑わされずに、気にすることなく聴けるということもある。

Date: 9月 11th, 2013
Cate: 進歩・進化

拡張と集中(その4)

現在市場に出廻っているスピーカーシステムで世評の高いモノすべてとはいわないが、
多くのスピーカーシステムの物理特性は、はっきりと向上している。

周波数特性については既に述べている。
見事というしかない周波数特性を実現しているスピーカーシステムも、もう珍しくなくなってきている。

周波数特性だけではなく、歪率も減ってきている。
サインウェーヴによる測定項目だけでなく、パルスによる測定項目においても特性の改善は著しい。

それだけそれまでの技術の集積があり、それをベースとした向上があるからこその、
物理特性の向上である。
ここまでの物理特性の向上は、オーディオを工業製品ととらえれば、はっきりと進歩であるわけだ。

これらのことは、別の言葉で表現すれば、リニアリティ(直線性)の向上である。

周波数特性は、あらゆる帯域の音に対してのリニアリティであり、
歪率にしても、どれだけ低歪にできるかはリニアリティを向上させていくことだし、
そのリニアリティの領域をどこまで(周波素的にも、レベル的にも、位相的にも、など)
のばしていくことができるか、ともいえる。

だとすれば、スピーカーシステムにおける物理特性の向上は、リニアリティの向上であり、
リニアリティの向上とはリニアリティの領域を拡げていくこと、
つまり、進歩は、拡張といいかえたほうが、しっくりくる。

Date: 9月 11th, 2013
Cate: ジャーナリズム, 岩崎千明, 瀬川冬樹

「オーディオABC」と「カタログに強くなろう」(その6)

インターネットがなかったころには、こういう入門書の必要性は高かっただろうが、
いまではインターネットに、どこからでもアクセスできるようになり検索できるわけだから、
昔ほどには必要性はない──、
そういうことになれば、わざわざ項目をたてて書く必要もないわけだが、
むしろ昔よりも、いまのほうが必要性は増している、と私は考えている。

もう10年近く前のことだ。
ある人が、CDについて自身のサイトで公開していた。
そこには「CDは角速度一定だから」という記述があった。
たまたま、その人とは面識があったから、間違いの指摘の電話をした。

彼いわく、
今回のことを書くためにインターネットであれこれ調べた。
いくつかのサイトを見つけて、その中でいちばん信頼できると判断したサイトに、
「CDは角速度一定」と書いてあった、と。

何かについて書くときに調べてから、というのは理解できる。
けれど、わざわざ間違いが書いてあるサイトを、他のサイトよりも正しいと思い込み、
そのまま「CDは角速度一定」と信じ、文章を書く。

どのサイトに書いてあることを信用するのか、
それを見極めるに必要なものが、彼には欠けていた、といえるわけだが、
たまたま私が知っている例が彼だというだけの話であって、
この手の話は意外にも少なくないように思う。

Date: 9月 11th, 2013
Cate: 日本の音

日本の音、日本のオーディオ(その33)

イソダケーブルの考え方のヴァリエーションとして、合金を使うという手もある。
イソダケーブルは銅線、アルミ線などといった複数の金属導体を使っている。
ただしそれらは独立した導体である。
これもブレンドのひとつの手法であるのならば、
すべての金属を混ぜてしまい合金にしてしまうというブレンド手法もあるわけだ。

合金のブレンドをどうするのか、
いったい何種類の金属をどういう比率で混ぜ合わせるのか、
そういうことを追求していくことで、
いままで銅の純度を極限まで高めていこうとしている現在のケーブルとは、
まったく違った音を聴かせてくれるのかもしれない。

同時に、まったく聴きなれない音に拒否反応を示す可能性だって考えられる。
われわれはそのくらい、ケーブルといえば銅線が、はっきりとした基準(ベース)になっているからだ。

銅の純度を上げていくことが、ケーブルの音を無色透明としていくのか、
それともいくつもの金属素材を混ぜ合わせて、
最良のブレンドを探しだすことがケーブルの音を無色透明にするのか、
どちらが正しいのかは、いまところなんともいえない。

ただピアノの音について考えるときに、
これまでに世の中に登場してきたすべてのピアノの音を混ぜ合わせたとしたら、
そこで得られる音こそが、製造メーカーによる個性を消し去ったピアノの音とは考えられないのか。

それこそが無色透明なピアノの音、
このいい方は、やはりおかしいから、無垢なピアノの音ということになるのかもしれない。

Date: 9月 10th, 2013
Cate: ジャーナリズム, 岩崎千明, 瀬川冬樹

「オーディオABC」と「カタログに強くなろう」(その5)

「オーディオABC」と「カタログに強くなろう」のすごさがわかるようになるには、時間が必要である。

だからといって、オーディオをやり始めたばかりのとき、
いいかえれば、このふたつのすごさがよく理解できないときに、
「オーディオABC」と「カタログに強くなろう」を読まなくてもいい、というわけではなく、
むしろ、その反対で、できるだけ早い時期に読んでいて、
とにかく理解しようとすることがなければ、その後、どれだけ時間が経とうとも、
「オーディオABC」と「カタログに強くなろう」のすごさはわからない。

「オーディオABC」、「カタログに強くなろう」からオーディオの基礎・基本を出発することで、
いずれ、そのことがどれだけ確かなことをベースにしてこれたのか、に気づくだろうし、
「オーディオABC」、「カタログに強くなろう」を書くことの難しさにも気づくはずだ。

だから、岡先生が「オーディオABC」ではなくて「オーディオXYZ」と題した方がよかった、
と書評に書かれたことが理解できる。

「オーディオABC」も「カタログに強くなろう」も、
タイトルからも、編集者の意図からかも、掲載されたFM誌の性格からしても、
オーディオ入門者に向けてのものではあったはずだ。

けれど、一般的な意味でのオーディオ入門書では、決してない。